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Act.013:素直な気持ちで

 今日の分のレッスンを終えて、帰ろうとしたかなでに店名入りの赤いジャンパーを着た店員が声を掛けてきた。

 新製品のシンセサイザーの発表キャンペーンを明日、明後日の二日間行うので、レッスンがない時間帯に店頭でデモ演奏をしてほしいということだった。

 お願い口調ではあるが、伝えに来ているのは店長代理で、それはこの楽器店の社員でもある奏にとっては社命であり、断ることなどできなかった。

 その製品は既に展示されているとのことなので、試奏させてもらうことにした。

 イベントコーナーに行き、新製品だというシンセサイザーの前に座る。色んな音を出してみる。どれも良い感じだ。最後にピアノの音色にしてみる。素人が聴くと本物のピアノの音と区別はつかないだろうと思うくらいのクオリティだった。

「明日、演奏していただく曲は、この五曲でお願いします」

 手渡された楽譜スコアをパラパラとめくってみる。歌謡曲のヒット曲や子供向けアニメソングなど多くの人が知っている曲ばかりだった。中に一曲、知らない曲があったが、初見でもすぐに弾けるはずだ。

「ちょっと、弾いてみて良いですか? タッチも試してみたいですし」

「どうぞ」

 実際に演奏をしてみると、鍵盤のタッチも自分好みだった。明日からの店頭デモ演奏も気分良くできそうだ。

 何人かの人がステージの周りに集まってきた。

 こうやって人前で演奏をするのも久しぶりだ。奏の脳裏に、昔、やっていたロックバンドでライブをしていた時の映像が浮かんできた。今でもロックは好きだったが、それを演奏する機会はほとんどなくなってしまった。

 ――それに、この歳でロックってのもねえ。

 奏は、近くにいる店員に悟られないように、小さくため息を吐いた。

 演奏を終えると、店長代理が心配そうな顔をして近づいて来た。

「先生、いかがですか?」

「良い感じです。私も欲しいくらいです」

「先生なら、私が店長に掛け合って、社員割引以上にお安くしますよ」

「じゃあ、考えておきます」

 笑いながら立ち上がり、バッグを置きっ放しにしているレッスン室に戻ろうとすると、さっきから奏の演奏に注目していた女の子と目が合った。

 奏は、そのショートカットで高校生くらいの女の子が、一昨日、コーヒーショップで隣の席に座っていた子だと思いだした。話をした訳でもないのに記憶に残っていたのは、その女の子がアイドル顔負けに可愛かったからだ。

 キラキラと輝く瞳で見つめられて、その純粋な眼差しに眩しさを覚えた。その女の子の前を通り過ぎようとした時、女の子が拍手をした。

 たかがデモ演奏で拍手をされるとは思っていなかった奏は、少し面食らってしまったが、女の子が嫌味とかふざけて拍手をしているのではないことは、その表情から分かった。

「すごく感動しました! もっと聴いていたかったです!」

 その言葉にも嘘は感じられなかった。

「ど、どうも、ありがとうございます」

 奏は戸惑いながらも会釈を返した。

「あなたもバンドをしているんですか?」

 今日は手ぶらだが、一昨日見た時には、女の子がギターケースを提げていたことも思い出した。

「はい! ギターを弾いてます! 先生のようなキーボードさんと一緒にバンドをするのが夢なんです!」

 自分の気持ちを何も飾り立てないで真っ直ぐに投げつけることができるのは若い証拠だが、それにしても真っ直ぐすぎる。

 そして、「感動」と言う言葉が嫌味を感じさせずに口から出る。それはまさしく、この女の子が心の奥底から、気持ちのままに発しているからこそであろう。

 ――あの頃、私にこんな純粋な気持ちってあったのかなあ?

 単に異性にモテたいからバンドをしていたのではないだろうか? 「そうではない!」と奏は言い切れなかった。

 奏は、目の前の女の子のことがますます気になった。

「そんなに言っていただいて光栄です」

「あっ、すみません。勝手なこと言ってしまって」

「いいえ。あなたもバンドを頑張ってくださいね」

「はい! ありがとうございます!」

 女の子の丁寧なお辞儀にも好感を持った奏は、後ろ髪を引かれる思いを感じながら、店員らとともに店の奥に戻って行った。



 詩織しおりは、いかに感動したとはいえ、初めて会った人にいきなりその気持ちを伝えることなど今までなかったのに、さっきはどうしてという疑問がわき上がってきた。これも玲音れお達と出会ったからかと考えていると、その玲音と琉歌るかが買い物を済ませて戻って来た。

「お待たせ、詩織ちゃん」

「い、いえ、ここでキーボードのデモ演奏がされていたので退屈しませんでした」

「ああ、何か流れていたね。BGMかと思ったけど」

「デモ演奏で五曲くらい途中まで演奏されていたんですけど、私、感動してしまいました」

「デモ演奏で?」

「はい! 何か心地よく耳に入って来たんです」

 玲音は、訝しげな顔をしながらも笑顔を見せた。

「ふ~ん。まあ、何か詩織ちゃんの琴線に触れる音だったんだろうね」

「そう思います」

「でも、そうやって何にでも感動できるのも若い証拠だよ」

「玲音さんとは五歳、琉歌さんとは三歳しか違わないんですよ」

 年寄りのようなことを言う玲音だったが、玲音ともそれほど年齢が離れている訳ではなかった。

「アタシにとっては、高校生以下が『若い』んだよ。制服を脱ぐと大人になるって感じかな」

「そうだね~。今、ボクらが制服を着たら、完全にコスプレだもんね~」

 玲音はまだしも、童顔の琉歌は制服姿もまだイケそうだったが、今、そんな議論をしても仕方がないので、詩織は反論をすることなく、三人で店を出た。

「詩織ちゃん、これからカサブランカに行ってみるかい?」

「あっ、はい! お願いします」

 玲音がカサブランカにあらかじめ電話をすると、幸いなことにオーナーがいて、これからでも面接をするから来てもらいたいとのことであった。

 詩織は、玲音と琉歌と一緒に電車に乗り、江木田駅で降りた。そして、自分の家がある方向の南口ではなく、北口から出た。

 同じ駅前なのに、普段はまったく利用することのない出口で、その風景もまったく知らない別の街のような気がした。

「お二人の家はどの辺りなんですか?」

 詩織は並んで歩く玲音に尋ねた。

「この通りを真っ直ぐ進むとコンビニがあって、その角を左に曲がると、すぐだよ。駅から歩いて十分くらいのワンルームマンションだよ」

「確か、お二人は別々の部屋を借りられているって、おっしゃってましたよね?」

「そうそう。よく憶えてるね」

「いえ、お二人、仲が良いのに、どうしてかなあって思ったので」

「お姉ちゃんと一緒だとさ、夜中にナニの声で眠れないんだよね~」

 ニコニコと笑いながら、琉歌が割り込んで来た。

「ナニって何ですか?」

 大真面目で訊いた詩織に、琉歌がニコニコと答えた。

「男を連れ込んでやることといえば、一つしかないでしょ~」

「あっ」

 詩織は、顔を真っ赤にして、うつむいてしまった。

「琉歌! 清純女子高生の詩織ちゃんにセクハラするんじゃねえよ!」

 玲音から、頭をぺしっと叩かれた琉歌が頬を膨らませた。

「じゃあ、ボクならセクハラしても良いの? 同じ処女なのに~」

「だから、部屋を別にしただろうが?」

「ボクの稼ぎでね」

「そうでした! すみませんでした!」

 玲音が琉歌に深くお辞儀をした。もちろん、ふざけ合ってのことだ。

「玲音さんと琉歌さんって本当に仲が良いですよね。羨ましいです」

 一人っ子の詩織は本心からそう思った。

「昔から仲が良かったんですか?」

「あまり、喧嘩をした記憶はないねえ。なっ、琉歌?」

「そうだね。ボクは、ずっと、お姉ちゃんの跡を追い掛けていたから」

 琉歌の言葉に、玲音が少し嬉しそうな顔をしたのを詩織は見逃さなかった。

「バンドも、ずっと、玲音さんと一緒にされているって、おっしゃってましたよね?」

「うん、そうだよ~」

「て言うかさ、琉歌と一緒にバンドをやりだしてからは、アタシは琉歌以外のドラムと一緒にやったことがないんだ。琉歌もアタシ以外のベースとやったことがないし」

 詩織は、玲音のベースと琉歌のドラムを初めて聴いた時のことを思い出した。この二人によるリズムは、強烈なビートとグルーブを詩織に感じさせたが、長い間、二人で同じリズムを刻み続けてきたことを考えれば当然のことなのだろう。

「ボクは、一時いっとき、ドラムを止めて、昼も夜もネットにどっぷりと浸かっている状態だったことがあるんだ~。その時だけだね。お姉ちゃんを一人にしたのは」

「私はよく分からないですけど、ネットゲームって中毒になる人もいるのですよね?」

「そうらしいよ。琉歌もネットゲームのやり始めの時、ドラムも全然、練習しなくなった時期があってさ。そんなことがこれからも続くんなら『バンドを辞めろ!』って、アタシが怒ったんだよ。それからは、ちゃんと時間を決めてゲームをしているんだよ」

「ネトゲも好きだけど、バンドの方がもっと好きだからさあ~。お姉ちゃんがその時、怒ってくれなかったら、ずっと、ネトゲをしてて、何日も太陽を浴びないってこともあったかも~。でも、今は、少なくともスタジオ練習とかライブには出掛けるから、太陽を忘れることはなくて済んでるよ~」

 それは、ドラムを叩いている時の琉歌の嬉しそうな顔を見れば、嘘ではないと分かった。

「ちなみに、お姉ちゃんも一番好きなのは、バンドなんだよね?」

「あったりめーじゃん!」

「二番目が男なんだよね?」

「えっ?」

 詩織は、何と反応したら良いのか分からず、焦って玲音を見たが、玲音はまったく動じてなかった。

「まあ、処女の二人には分からねえだろうけど、ときどき無性に男が欲しくなることがある訳よ。なんつーか、女って化粧とか世間体とか、いろいろと煩わしいことがあって、イライラが募ることもあるけど、エッチしてると、そんなことを忘れさせてくれるんだよな」

「お姉ちゃん、無理矢理、男を犯したこともあったっけ?」

「我慢できなかったんだよ。それに、エッチだって、男に主導権を握られるのは嫌いなんだよ」

「……」

 詩織は返事に困ってしまい、顔を伏せたまま無言で歩くことしかできなかった。

「ありゃぁ、今度は、アタシがセクハラしちまった。ごめんよ、詩織ちゃん」

「い、いえ」

「でも、詩織ちゃんは彼氏とかいないの?」

「い、いません! 学校も女子校ですし」

「そうなんだ。詩織ちゃんくらい可愛ければ、男子は放っておかないはずだろうにね」

「ボクもそう思う! ボクが男だったら、詩織ちゃんを鳥籠に入れて毎日鑑賞したいもん!」

「えー?」

「あははは、その趣味はちょっとやばいけど、まあ、気持ちは分かるわ」

「そ、そんなあ」

「あははは、おっと、通り過ぎるところだった」

 三人でわいわいと笑いながら歩いていて、本当に通り過ぎてしまっていたようで、玲音が少し後戻りしながら、灯りが煌々と灯っている店の前で立ち止まった。

 そこは、雑居ビルの一階で、二階より上には聞いたことのない名前の会社らしき看板が掛かっていたが、どこも灯りは消えていた。

 一階だけコンビニのように広いガラス面があり、外から中の様子がよく見えた。入口は透明な自動ドアで、そこには「カサブランカ」と書かれていた。

 

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