エチュード
二月十五日。
クレッシェンド・ガーリー・スタイルのファーストアルバム「リンク!」が発売された。全十二曲のオリジナル曲で構成されたフルアルバムだ。
このタイトルの意味は、詩織がキューティーリンクのメンバーだったからという説がネットを中心に流布されていたが、詩織達が込めた意味は、メンバー同士はもちろん、メンバーを取り巻くさまざまな人々との「繋がり」でここまで来られたことの感謝の意味、そして、バンドとファンとの「繋がり」を大切にしたいということであった。
ネットを有効に利用した発売前の宣伝も功を奏して、「リンク!」は発売直後から順調な売り上げを見せて、ヒットチャートでも十位以内に入る健闘ぶりで、クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、名実ともにエンジェルフォール所属アーティストのトップに躍り出た。
また、デビューシングル「クレッシェンド・アイ・コンタクト」は、発売日初日にはチャート一位を獲得し、週間でも三位につける勢いであった。
そして、デビューアルバムのプロモーションを兼ねた、デビュー後、初ライブの日。
その人気からいうと、武道館やドームは無理にしても、五千人規模の会場であれば満員にできるはずであったが、メンバーが選んだ会場は、百人入れば超満員というヘブンス・ゲートだった。
その狭い楽屋に、メンバーは揃っていた。
詩織は、チェックのシャツの上にオレンジ色のスウェット、ボトムはロールアップジーンズにバスケットシューズという、いつものボーイズ風ファッション。
玲音はセンスが光るカットソーとスリムなレギンスパンツ、オペラシューズという組み合わせ。
普段は女の子らしいファッションもするようになった琉歌も、ライブではこれが慣れているからと、これまでと同じオーバーオールジーンズ。
奏は、頭に縦巻きしたバンダナでリボンを作り、不思議の国のアリスをイメージした雰囲気のブラウスとジャンパースカート。
四つのスタイルそのままであった。
楽屋と直結しているステージを通して、客席のざわめきが聞こえてきていた。
客席は超満員。ネットを通じての販売に限定したチケットは、販売開始後一分もしないうちに売り切れたらしい。まさに今、客席に詰めかけてきている観客は幸運の持ち主ばかりなのだ。
楽屋のドアがノックされ、榊原が入って来た。
「入り口の前に、ダフ屋も出ているよ。警察に通報したから、早晩、いなくなると思うけどね」
そう言いながらも、榊原も嬉しそうだった。
何と言っても、クレッシェンド・ガーリー・スタイルがエンジェルフォールの稼ぎ頭になったということもあるだろうが、玲音と二人三脚で、これからもバンドを発展させていくことができるからだろう。
「いや~、さすがに、これほどまでとは、私も思ってなかったよ。これなら、本当にもっと大きな会場でやった方が良かったかもね」
「でも、翔平だって、ヘブンス・ゲートでライブをすることに反対しなかったじゃん」
「みんなが、ここにすごい思い入れを持っていることは知っているからね。でも、ファンのみんなに、生のクレッシェンド・ガーリー・スタイルを見せたいという想いもあるから、今、竹内君が追加のライブをブッキング中だよ。もしかしたら、もう決まっているかもしれないね」
「だから、今日、竹内さんは来てないんだ?」
「そういうことだよ。それと、サプライズじゃないが、みんなに会わせたい人がいるんだ」
榊原に「どうぞ」と呼ばれて、楽屋に入ってきたのは、律花だった。
「お久しぶり」
相変わらず、冷めた感じでの挨拶だったが、その表情は明るかった。
「実は、律花君のギタリストとしての評判もうなぎ登りでね。つい先日には、ホットチェリーの新アルバムのレコーディングメンバーに抜擢されたんだ」
「すごい! 律花さん、おめでとうございます!」
詩織が我が事のように喜んだ。
「ありがとう。皆さんもデビュー、おめでとう」
「もし、アンコールが掛かったら、いや、掛からないはずがないんだが、そこで律花君に加わってもらおうと思うんだ。それくらいなら是非! と律花君も快諾してくれてね」
「また、律花さんのギターで歌えるなんて、嬉しいです!」
詩織が正直な気持ちを吐露した。
自分が入ったクレッシェンド・ガーリー・スタイルは、もう、クレッシェンド・ガーリー・スタイルではない。それが律花の出した結論だった。
しかし、アンコールで「ゲスト」として律花に入ってもらい、一緒に演奏することは、バンドの原型を変えるものではない。
「今日は、榊原さんのご厚意で、客席の後ろでライブを見させてもらうことにしたんだ。アンコールが掛かるまでは、ファンの一人として楽しませてもらうよ」
律花は、穏やかな笑顔でそう言うと、PAスタッフ席でライブを見る榊原と一緒に楽屋を出て行った。
すぐに楽屋のドアがノックされた。
入って来たのは、響、瞳、光、そして薫だった。
「今日は残念ながら、チケットが取れませんでしたが、せめてと思い、詩織さんの応援に来ました」
目立つ金髪を隠すための帽子を取りながら、瞳に手を引かれて、詩織のすぐ近くまで来た響が言った。
榊原はスタッフとして、律花は共演者として会場入りできたのだが、いくら人気作家の響であっても、特別にチケットを取り置きしておくことはしてなかったのだ。
「この次には、もっと大きな会場でするので、その時にお暇ならぜひ!」
「暇じゃなくても行くわよ。ねっ、梅!」
「いや~、薫がどうしても行くってきかないしさ」
「あんたもそうだって言いなさいよ! ったく、いつまで経っても子どもの対応しかできないんだから!」
じゃれあいにも見える言い争いを始めた瞳と光の方を、響も嬉しそうに見つめていた。
昨日、瞳と光は同じ大学の入試を受けているはずだが、模試で二人とも合格確実の判定をもらっているようであったし、明るい二人の表情からは、それなりの手応えを感じているのだろう。詩織も二人の合格を心の中で願った。
「詩織ちゃん! 頑張ってね!」
薫が詩織の腰に抱きつきながら言った。
「ありがとう、薫ちゃん!」
また、ドアがノックされた。
入って来たのは、椎名と楢崎だった。
「翼!」
「純ちゃん~!」
思いも寄らない組み合わせの二人に、奏と琉歌が驚いて二人の名前を呼んだ。
「店に降りる階段の前で、何か挙動不審な奴がいると思って、声を掛けたんだが、話を聞いていると、琉歌さんの彼氏さんと分かったので、一緒に来たんだ」
「チケットを持っていないのに入って良いのか分からなかったので……、あっ、琉歌さんと仲良くさせていただいています、楢崎と言います」
楢崎は、響達には初対面で、楽屋にいる者みんなに頭を下げた。
一方の椎名は、奏に近づくと、「奏さん、頑張って」と声を掛けると、みんなの視線を気にすることなく、奏をハグした。
「ちょ、ちょっと、翼!」
恥ずかしがる奏だったが、その顔は嬉しそうだった。
「楢崎さんも琉歌を励ましてあげてよ」
玲音が楢崎に言うと、楢崎は顔を真っ赤にしながらも、「琉歌さん、頑張ってください」と、琉歌に右手を差し出した。
「うん~、頑張るね~」
琉歌も満面の笑みでその手を握り返した。
そんな様子を見ていた瞳が、「お兄ちゃんも詩織を激励してあげないと!」と茶化すように言ったが、響は「僕は、いつも心の中でエールを送っているよ。詩織さんなら感じ取ってくれているはず」と冷静に返した。
「はい! 響さんのエールは、いつも感じています!」
詩織の声に、響も笑顔を返した。
また、楽屋のドアがノックされた。
顔を見せたのは、ヘブンス・ゲートのスタッフだった。
「そろそろ開演時間です! メンバー以外の方は、申し訳ありませんが、退室をお願いします」
楽屋にメンバー四人だけが残った。
開演時間まで、まだ十分もあるが、漏れ聞こえてくる会場のテンションは、既にマックスになっているようだ。
「何だか、まだ夢を見ているみたい。醒めることはないよね?」
奏がぽつりと呟いた。
「頬をつねろうか?」
「あんたがつねると痛そうだから遠慮しておくわ」
会場から大歓声が上がった。
見るとステージの照明が落ちたのが分かった。
メンバーは、立ち上がり、輪になった。
「今日も、アタシらにしかできないスタイルを見せつけようぜ!」
「女子にしかできないステージをね」
「女子?」
「女はいつまでも女子なのよ!」
「ちゃっかり、自分の主張を入れやがった」
「うるさいわね! でも、そのとおりでしょ?」
「そのとおりです!」
「ほらっ、詩織ちゃんだって言ってるもんね」
「分かったよ」
苦笑した玲音が右手を前に差し出した。
他の三人もその玲音の手に、自分達の右手を重ねた。
そして、リレーをするように視線を移して、みんなを見渡した。
「一つ、夢は掴んだ! でも、アタシの目の前には、新しい夢が煌めき始めているんだ!」
「ボクも~」
「私もよ」
三人の視線が詩織に集まった。
「私もです! 全部、掴んじゃいましょう!」
「四人ならできるさ!」
「絶対だよ~」
「そうね」
「はい!」
「よーし! じゃあ、行くぜ!」
「おー!」
大きく反動を付けて、全員の右手が振り下ろされた。
ヘブンス・ゲートのスタッフが楽屋とステージを隔てるアコーデオンカーテンを開けた。
薄暗いステージに向けて、四つのスタイルは、一歩、また一歩と進んだ。
新しい夢は、その先にあった!
(完)
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