Act.162:それぞれの恋のスタイル
一月二十二日。
クレッシェンド・ガーリー・スタイルのデビューアルバムのレコーディングが予定どおり終わった。
メンバー全員、榊原と竹内、その他のレコーディングスタッフが揃って、マスターテープの試聴をした。
自分達がビートジャムで録音していたものとは雲泥の差の音質で迫って来る音の洪水に、詩織も他のメンバーも自分達の曲でありながら感動をしてしまった。
すべての曲が終わると、スタッフから拍手が起きた。
アイドルの時には、カラオケのように自分の歌だけを録音して終わりだったが、今回は、曲作りから演奏、音作りまで、すべてを試行錯誤しながら作り上げてきただけに、ここにいる全員で成し遂げたという達成感や充実感で満たされた。
スタッフ全員が参加しての打ち上げが開催され、いつも以上に気持ち良く酔った玲音は、榊原の家に一緒に向かっていた。
「玲音」
隣を歩く榊原も気分が高揚しているようだった。
「実は、昨日、女房と正式に離婚をしたよ」
「そ、そうなんだ」
「一番、もめていた、娘の亜紀との面会について、月に一度、会う約束ができたんだ」
「……亜紀ちゃんに私も会いたいな」
「亜紀は、まだ、離婚ということなんて分からない歳だが、もう、別れて暮らすようになって三か月ほどになるから、父親と母親が以前とは違った関係になっているということは理解しているだろう。でも、玲音が会うのは、亜紀がちゃんと理解ができるようになってからにしたいと思っている」
「うん。翔平に任せる」
「すまない」
その後、しばらく無言で歩いた後、榊原は立ち止まらずに隣の玲音の肩を軽く抱いた。
「玲音」
「何?」
「一緒に住もうか?」
「えっ?」
「まあ、今も、週の半分は私の家に泊まっているけど、玲音ともっと一緒にいたいと思うことがある。もう、誰に遠慮をすることもない」
「そうだなあ。……もうちょっと、琉歌の様子を見てからにするよ。もう、大丈夫だとは思っているけど」
「そうか。では、結婚はどうする?」
「結婚かあ」
「するかい?」
「何か、言い方が軽いな。本当は、まだ、する気はないんだろ、翔平?」
「ははは、玲音にはお見通しだな。やっぱり、玲音が亜紀と気兼ねなく会えるようになってからにしたい」
「分かってる。それに、今のアタシ達は、それどころじゃないもんな」
「そうだな」
玲音は榊原と腕を組み、そんな玲音を榊原が愛おしそうに見つめた。
「玲音と一緒に夢を追い掛けることができる。それだけで、今は幸せだな」
「アタシもさ」
「よし! 飲みに行くか! もう録音も終わったし、明日はオフだ!」
「行こう! 今夜は、とことん、やろうぜ!」
一月二十七日。水曜日。
奏の定休日に併せて、この日、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバーは、渋谷にあるエンジェルフォール本社で、デビューに向けての最終的な打ち合わせをした。
ここでも竹内の連絡は正確で分かりやすく、打ち合わせは、当初の予定どおり、午後三時に終わった。
一緒にエンジェルフォール本社を出たメンバーは、池袋まで戻り、いつもどおり、奏屋に立ち寄った。
「今日、ボクはこれから行く所があるから、奏さん、脱衣場で着替えさせてもらって良い~?」
「もちろん! どこに行くの?」
「純ちゃんと、イルヤードのイベントに行くんだ~」
「あらっ、ご馳走様。でも、楢崎さん、イルヤードの会社に勤めてるんでしょ?」
「そうだよ~」
「じゃあ、イベントと言っても、楢崎さん、仕事なんじゃ?」
「そうだけど、それを利用して、密かにデートをするんだ~」
「それ、良いのかな、会社的に?」
着替えが入っているという袋を持って、琉歌が部屋から出て行くと、奏が冷蔵庫の中を確認しながら、玲音に言った。
「まだ、陽は高いけど、もう、やる?」
「訊くだけ野暮だぜ」
「玲音、あんたも少しはお酒を控えなさいよ」
「冷蔵庫にそれだけ酒を備蓄している奏に言われたくないね」
「こ、これは、ほらっ、もしもの時に備えてよ」
「どんな時だよ?」
「スタジオリハの後とか、それと翼もたまに泊まりに来るようになったから、これくらいの備蓄は必要なのよ。詩織ちゃんは、これね」
奏が缶チューハイ二缶とともに、詩織がお気に入りのジュースのペットボトルを、簡単な乾き物の袋が開いているローテーブルに持って来た。
そこにリビングのドアが開いて、琉歌が入って来た。
詩織と奏は、目を見開いた。
「ねえ、お姉ちゃん。これ、本当におかしくない~?」
「おかしくなんてねえよ。似合ってるぜ、琉歌」
黄色を基調にしたチェック柄の長袖ミニ丈ワンピースにニーハイソックス、髪には大きなひまわりの髪飾りを付け、しっかりとメイクもしている琉歌がそこにいた。まるでアニメの世界から飛び出してきたヒロインのようであった。
「琉歌ちゃん、可愛い!」
「本当です! まるでお人形さんみたいです!」
「そんなことないよ~」
「このファッションはさ、イルヤードの登場人物をまねたコスプレなんだってさ」
「そうなんだ! だから、けっこう、派手なのね」
「でも、本当に似合ってます!」
「我が妹ながら、昨日、この格好を見て、惚れ惚れしちまったぜ」
「分かる分かる! 琉歌ちゃん、普段もそんなスカートを履けば良いのに?」
「やっぱり、まだ、恥ずかしいよ~。今日はイベントだし、これで楽しみたいから、今日だけ特別だよ~」
「そうなの? 残念」
「それにこんなミニスカートじゃ、ドラム、叩けないよ~」
「それもそうか」
「あっ、そろそろ、行かないと~」
「琉歌! 楢崎さんによろしくな!」
「うん~。じゃあ、行ってくるね~」
詩織、玲音、そして奏に見送られながら、琉歌はスキップを踏みながら、奏の部屋から出て行った。
一月三十日。土曜日。
詩織は、響の家にいた。
あらかじめ、行くと伝えていたのに、瞳は「梅と一緒に図書館で勉強してくる」と言って、詩織を置いて、出て行ってしまった。
志望大学の入試が迫っているという事情もあるのだろうが、光と会うついでに、響と詩織を二人きりにしようと企んでのことだろう。
「響さん」
「はい?」
「隣に座ってもらっても良いですか?」
「もちろんです」
嬉しそうに微笑んだ響が一人用ソファから立ち上がると、詩織が手を引いて、自分が座っている二人掛け用のソファに座らせた。
詩織は、響に体を預けるようにして、もたれ掛かった。
「響さん」
「何ですか?」
「響さんは、私がどんな顔をしていると思いますか?」
詩織がアイドルをしていた中学生の頃には、響は既に目が見えなくなっていたから、響は詩織の顔や容姿は知らないはずだ。
「そうですね。瞳から聞いている、詩織さんの容姿は、まず、髪はショートですが、最近は少し伸ばしかけている。目は二重で大きく、それほど高くはないですが鼻筋が通っていて、あれだけパワフルな歌を歌われるのに、口はそれほど大きくない。身長は百五十六センチで高校二年からはまったく伸びていない、というところです」
「それ、瞳さんが言ったんですか?」
「そうですよ。当たってますか?」
「ちょっと、美化しすぎのところもありますけど、おおむね」
「アイドルをされていたのですから、きっと、可愛い顔立ちをされているのでしょう。瞳も『詩織さんは可愛い』といつも言っていますから」
「そ、そんな」
「そんな詩織さんの顔を見ることができなくて、少し残念ですけど、僕は、隣に詩織さんが居てくれて、僕と話をしてくれる。詩織さんの声が聞こえる。それだけで心が満たされます」
「響さん……」
「いよいよ、デビューですね」
「はい!」
「ずっと、応援しています! お互いに近くに居られる時間は限られてしまうと思いますが、それで壊れるような二人の仲ではないと信じています」
「もちろんです! でも、少し落ちついたら、響さんと、もっと一緒にいたいです!」
「そうですね。そんな時間が取れるように、僕も頑張ります」
「私もです! その時には、瞳さんに代わって、私が響さんの瞳になります!」
一月三十一日。日曜日。
この日、奏は山田楽器店を退職することになっていた。
入社した時からずっと、寿退職を目標にしていたが、まさか、自分が芸能人になるから退職をするとは思ってもいなかった。
午後十時の閉店時間になり、入り口のシャッターが閉められると、全社員が一階の売り場に集合した。
奏のお見送りのためだ。
社員が並んだ前で、店長が隣に立った奏に対する送辞を述べた。
「この楽器店からプロミュージシャンになって飛び立って行く第一号は、ここを利用しているお客様の中からと思っていましたが、まさか、社員からになるとは思ってもいませんでした。しかし、藤井先生には、空高く羽ばたいていただいて、あのクレッシェンド・ガーリー・スタイルのキーボードが務めていた楽器店ということで、我が店も売り上げ倍増を図りましょう!」
奏への送辞というよりは、それを利用しての営業強化の発破を掛けているとしか思えない店長の挨拶が終わり、女性店員から小さな花束を贈られた奏は、「皆さん、お世話になりました!」と社員に向けて頭を下げた。
社員が一列になって拍手する中、社員一人一人に頭を下げながら、楽器店の社員用出入り口に向かった。
列の最後にいた店長代理の前に来ると、「遠藤さん。これ、桜井瑞希ちゃんからのプレゼントです」と封筒を渡した。
「ほ、本当ですか!」
店長代理の遠藤が喜び勇んで封筒を開けると、詩織と奏が腕を組み、カメラに向かってピースサインをしている生写真が出て来た。デビューシングルのPV撮影をした際に、オフショットとして椎名が撮ったもので、椎名だから撮ることができた、詩織と奏の飾ることのない笑顔が写っていた。
「おおお! 少し大人びてはいるけど、間違いなく瑞希ちゃんだ!」
「ちなみにその後、瑞希ちゃんと一緒にお風呂に入りましたから」
「なっ! 何ですとぉ!」
悔しげな顔をした店長代理に向かって、心の中で舌を出した奏は、最後に全社員に一礼をしてから、店を出た。
音大を卒業してから六年間務めてきただけに、やはり実際に退職するとなると少し寂しさもわいてきた。
自分の家に向かって歩き出す。
まだ、宵のうちで大勢の人々が行き来する繁華街を過ぎて、住宅地区へと足を踏み入れると、途端に人通りが少なくなった。
自宅のワンルームマンションが見えてきた。
その前に、男性が一人、立っていた。
「こんな所で何をしてるの?」
「奏さんを待つ以外に、こんな寒空の下で突っ立てる理由はないですよ」
椎名だった。
「何か用事?」
「自分が好きな女性に会いに来るのに理由が必要ですか?」
「必要に決まってるでしょ!」
「じゃあ、言いますよ。奏さんと話がしたかったからです」
「電話ででもできるじゃない」
「奏さんと会いたかったからです」
「昨日も会ったでしょ?」
「奏さんとキスをしたかったからです」
「……」
「奏さんを、また、抱きたかったからです」
「……」
「奏さんに一緒に祝ってもらいたかったからです」
「えっ?」
「奏さんにピアノを弾いてもらった『ショーケース』が、映画雑誌主催のコンクールの短編映像部門で、大賞を取ることができました」
「……本当に?」
「ええ。ちょっと前に、事務局から電話で連絡があったんです」
「……」
「どうしても奏さんに最初に知らせたくて。それも直に会って」
「……」
「奏さんが尻を叩いてくれたお陰です」
「……おめでとう」
奏は、自分のことのように感激をして涙が溢れてきた。
「ありがとうございます。それで、奏さんにお願いがあります」
「ひょっとして、お祝いに体を差し出せっていうんじゃないでしょうね?」
自分の胸を抱きながら、奏が椎名を睨んだ。
「昨日も抱き合ったじゃないですか?」
「私の体は副賞でも粗品でもありませんから! たかだか一回、大賞を取ったくらいで、当然のように私を抱けると思ってるの?」
眉をつり上げて、椎名を睨んだ奏だったが、すぐに微笑みを浮かべて、「でも、お祝いをあげる」と言って、椎名に近づき、その顔を見上げた。
「翼、あなた、背が高すぎよ」
「奏さんが小さすぎなんですよ」
「うるさい! 良いから、ちょっと膝を曲げて、顔が良く見えるようにしなさい!」
「はいはい、こうですか?」
椎名が少し膝を曲げて、顔の位置を下げると、奏が両手で椎名の顔を挟んだ。
「『はい』は一回で良いの」
「はい」
奏は自分の顔を椎名に近づけた。
「おめでとう、翼」
「ありがとう、奏さん」
奏は椎名にキスをした。軽く唇が触れるだけのフレンチキッスだ。
「これからも頑張りなさいよ」
「頑張るよ」
椎名が奏を抱きしめた。
「俺がこれからも頑張れるまじないをしても良いかな?」
「さっき、したじゃない?」
「さっきのはお祝いのキスでしょ?」
「仕方ないなあ。でも、おまじないは何回もしたら効果がなくなるんだからね」
「分かってるよ」
ヒールのかかとが地面から離れるほど、椎名にきつく抱きしめられた奏は、熱い「まじない」を交わした。




