Act.161:ずっと応援できる
「どうぞ」
途中、椎名と一緒にスーパーに立ち寄って食材を買い込んだ奏は、椎名を自分の家に招待した。
「お邪魔します」
玄関でコートを脱いで、ワンルームのリビングに入ると、いつもはバンドメンバーが取り囲んで座るローテーブルの自分の定位置の対面に椎名を座らせた。
「お茶、入れるね」
奏がキッチンに立つと、椎名は奏の部屋を見渡しながら「奏さんは、いつも、こんなに部屋を綺麗にしているんですか?」と尋ねた。
「そんなに綺麗にしているってつもりはないんだけど。まあ、メンバーがいつも集まるから、散らかしっぱなしっていう訳にはいかないでしょ」
「俺の部屋を見ると、奏さん、卒倒するかもですね」
「想像できるわね」
奏は、お盆に湯飲みを一つ載せて、ローテーブルに持って来た。
椎名の前に湯飲みを置くと、すぐに立ち上がり、「じゃあ、御飯、作るよ」と言って、キッチンに向かった。
「俺、手伝いましょうか?」
「汚い部屋で暮らしている椎名さんは、料理に関して、どんなスキルを持ってるのかしら?」
「奏さんの横で応援をすることくらいです」
「気になって料理なんてできないわよ。良いから、そこに座ってて。テレビでも見てる?」
「いいえ。奏さんを見てます」
「……視姦ってやつ?」
「近いですね」
「変な行動を取ったら、即刻、退場させるからね!」
「残念です」
「すぐにできるから、大人しく、そこに座ってなさい」
椎名に元気を付けてあげられて、すぐにできる料理ということで、モツ鍋の材料を買い込んできていた。
だから、キッチンに立った奏がすることは具材を切り分けることだけだった。
ふと、リビングを見ると、椎名が大人しく座って、奏を見つめていた。
キッチンのガスコンロでひと炊きさせた後、ローテーブルに簡易コンロを置き、グツグツと美味しそうに煮立った鍋を載せた。
そして、冷蔵庫から缶酎ハイを取り出し、二人の前に置いた。
「椎名さん」
椎名の正面に正座した奏は、姿勢を正して椎名を見た。
椎名も背筋を伸ばした。
「昨日、馬場さんにも話を聞いてもらったわ」
「そうなんですか」
「ええ。それで、私、椎名さんとおつきあいをさせていただくわ」
「本当ですか?」
「うん。椎名さんと恋人同士になれるかどうか、つきあってみないと分からないもんね」
「ありがとうございます。奏さん」
「お礼なんて言わないで! 私、そんなにえらい人間じゃないわ!」
「……」
「とりあえず、食べましょう」
「はい」
椎名が鍋から立ち上る湯気を少し吸い込み、「良い匂いです」と呟いた。
「これを食べて、明日から死にものぐるいで頑張りなさい」
「奏さんには、いつも尻を叩かれっぱなしですね」
「そうしないと、ぐうたらが止まらないって言ったじゃない」
「確かに。じゃあ、いただきます」
椎名が、モツとキャベツを口に入れて、はふはふとしながら咀嚼した。
「美味しいです」
「良かった」
その後、奏と椎名は向かい合って、無言で鍋をつついた。
「ねえ、椎名さん」
鍋の半分ほどがなくなってから、椎名が奏を呼んだ。
「はい」
「他人のことは関係ないと言えばそのとおりなんだけど、やっぱり気になっちゃうんだ」
「何のことですか?」
「詩織ちゃんと桜小路先生は、きっと、インスピレーションを触発しあう、そんなカップルになりそうだよね?」
「そうでしょうね」
「玲音と榊原さんは、同じ目標に向かって、一緒に歩むことができる。琉歌ちゃんと楢崎さんは、ネットゲームという共通の趣味を持っている。じゃあ、私達は何でつながっていられると思う?」
「俺と奏さんがですか?」
「うん。私達、共通の趣味を持っている訳でもないし、私は詩織ちゃんみたいに、椎名さんにインスピレーションを感じさせることはできないと思う」
「奏さんは、俺に安らぎをくれますよ。今もそうですけど、すごく心地良い気分です。桐野と一緒にいる時にも居心地の良さを感じましたけど、それは、何と言うか、わくわく感がベースになってて、自分の創作熱をかき立てられるような、そんな感じだったんです。でも、奏さんと一緒にいて感じるのは、このまま、奏さんと一緒に居眠りをしていたいという感じです」
「じゃあ、私といると、ずっと、ぐうたらでいるってことじゃない?」
「ははは、そうかもです」
椎名はすぐに微笑みを隠した。
「むしろ、俺は、奏さんに何も差し上げられません」
「……そんなこと、ないわよ」
「俺から得るものってありますか?」
「さっき、スーパーで買い物している時、女性の買い物客は、みんな、椎名さんに見とれていたわ。そんなイケメンを連れている私を羨ましそうに見てて、まあ、自尊心は満たされたわよ」
「それだけですか?」
「それだけって、それってすごくプラスポイントだと思うけど?」
「俺にとっては、どうでも良いことです」
イケメンだけに許された台詞なのかもしれないが、実際に、椎名は自分のイケメンぶりを自慢したり、何かに利用したりするようなことはなかった。
「じゃあね、そうだな……。これも椎名さんと良く絡むようになってから思ったんだけど、意外と話が弾むかな?」
「それは、俺も思いました。俺自身はそんなにおしゃべりではないんですが、奏さんには、自分でも驚くほど舌が滑らかになるような気がします。馬場さんと同じ感覚です」
出会った頃には、そのイケメンぶりに意識をしてしまって、少し猫をかぶっていた奏であったが、椎名は詩織に一途で自分には興味はないと割り切れると、素の自分をさらけ出していた。今では、まるで自分の弟と話しているように、気取らずに話ができていた。
「椎名さんも私に似て、少しひねくれてるから、少々きついことでも、これくらい言っても大丈夫だよねってレベルが似てて、気楽なのかもしれないね」
などと話をしているうちに、椎名も旺盛な食欲を見せて、鍋はあっという間になくなってしまった。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
「俺も普段はこんな量は食べないんですけど、美味かったから、箸が止まりませんでした。ひょっとして、奏さんの分まで食べちゃいました?」
「大丈夫。私もお腹いっぱいよ」
「小柄ですから、そんなに食べられないんですか?」
「あのね。一応、背が低いことは気にしてるんですからね!」
「いや、でも、それが奏さんのチャームポイントでもあると思ってます」
「褒めたって、何も出ないわよ」
少し間を置いてから、椎名が思い詰めたような顔で言った。
「奏さん」
「何?」
「正直に言って良いですか?」
「だから、何?」
「部屋に二人きりで、俺、少し酔っていて、目の前に同じく少し酔っている奏さんがいて……。こんな状況で、俺、奏さんを抱きたくて仕方ないですよ」
「断っておきますけど、私は男なら誰とでも寝ることはしませんから! ヒモ男とも出会ったその日のうちにベッドに直行したことはありませんから! 自分でもその人のことを好きになってからじゃないと嫌なの」
「もちろん、俺だって、奏さんの体だけを欲しているんじゃないです。目の前にいる奏さんのことが愛おしくて、抱きしめたいんです。だから、奏さんが俺のことを好きだと言ってくれるまで我慢します」
「ふふふ」
「何かおかしかったですか?」
「何か、お預けをされている子犬みたいで、ちょっと可愛かったかも」
「子犬みたいに可愛くはないですけどね」
「じゃあ、もっと話をしましょう。私は、もっと、椎名さんのことを知りたいし、椎名さんにも私のことを知ってもらいたい。おつきあいの第一歩は、お互いを知ることでしょ?」
「そうですね。分かりました」
その後、酒を飲みながら、家族のことだったり、経験してきたことだったり、お互いの身の上話をした。
椎名の一見、無愛想に思えるしゃべり方はそのままだったが、意外なほど話が弾んだ。
椎名の、ヒッチハイクで世界一周をした経験談だったり、映画を見て仕入れたさまざまな知識やうんちくの話は、奏に退屈をさせなかった。
しかし、次第に話題が尽きてくると、奏は睡魔に襲われてきた。
掛け時計を見ると、もう三時になっていた。
「椎名さん、ごめんなさい。私、目が潰れてきちゃった」
「そうですね。さすがに俺もすごく眠いです」
椎名の目も半分つぶれかけていた。
「ちょっと、ベッドに横にならせて」
「俺、どうしたら良いですか?」
当然、電車は動いていないし、外は、真冬の寒さだ。
「椎名さんも眠ったら」
「一緒にですか?」
「……ベッドは一つしかないから、手出しをしないって約束してくれたら、同じベッドで眠らせてあげる」
「まるで拷問ですね」
「私とつきあうための試練だと思いなさい」
「分かりました。耐えてみせますよ」
奏はシャワーも浴びずに、服のまま、ベッドに横になった。
その隣に椎名も並んで横になった。
添い寝をしているような状態であったが、奏は、あっという間に眠りに落ちていった。
奏が目覚めた時、部屋の明かりも煌々と灯っている中、目の前に椎名がいて、やはり眠っていた。
向き合うように横になっている椎名の整った顔が目の前にあった。
枕元の時計は午前六時を指していた。
奏は椎名の寝顔をじっと見つめた。
いつもはクールに決めている椎名だが、自分より四歳年下の二十四歳。性欲だって普通にあるはずの若い男性が、ちゃんと奏の言いつけを守って、手を出さずに静かに寝息をたてている。その無防備な寝顔が可愛く、そして愛おしく思えた。
椎名は真剣に奏に恋をしてくれている。それは、今さら確かめるまでもないことだ。
それをすぐに受け入れることができなかったのは、馬場と話をして気づいた、自らの驕りにすぎなかった。
「もう少しで三十路に入る女が、何、夢、見てたんだか」
今度こそ最高の男をゲットしたと奏に思わせたヒモ男どもは、その巧みな話術で奏に夢を見させて、心までも虜にしていった。その時、奏はヒモ男どもに恋をしていた。もっとも、すぐに化けの皮がはがれて、夢は覚めていった。
しかし、椎名は夢に向かって走り出している。それは、ヒモ男どもからは感じられなかった熱い情熱を帯びている。
「そうだ。応援してあげられる」
奏は気づいた。そして、椎名の寝顔に自分の顔を近づけた。
「ひょっとしたら、永遠のヒモ男になるかもしれないけど、ずっと、応援してあげられる」
自分がいないと椎名は駄目になる。
それは押しつけの感情ではなく、そうやって、自分が椎名のために尽くし、椎名から頼られていることが、奏の自尊心を満たしてくれるだろう。
ヒモ男どもの世話をしていた時も、奏には何かしらの満足感が得られていた。
しかし、ヒモ男どもは、そんな奏の優しさと母性本能を利用して寄生しようとしているだけであった。しかし、椎名は本気で這い上がろうとしている。成功できるかどうかは分からないが、応援のしがいがあることは確かだ。
「頑張れ」
静かにそう言うと、奏は椎名に軽くキスをした。
身じろいで、椎名がゆっくりと目を開けた。
「……奏さん。……いつの間にか眠っていたんだ」
「ええ、椎名さんの寝顔、可愛かったわよ」
「夢を見ていました」
「どんな?」
「奏さんとエッチをしている夢です」
「もう! 勝手にそんな夢に出演させないでよ!」
「でも、夢の中では、俺のことを名前で呼んでくれて、すごく嬉しかったんです」
「翼って?」
「そうです! リアルでもそう呼んでくれたら嬉しいです」
「……翼」
「名前で呼んでくれるんですか?」
「うん。ねえ、翼。一つ訊いても良い?」
「はい」
「ホワイトスクリーンはいつまで続けるつもり?」
「えっ? どういう意味ですか?」
椎名は奏の質問の意味が分からないという顔をした。
「だから、このままずっと芽が出ないまま、五十歳にも六十歳にもなっても続けるつもり?」
「死ぬまで続けますよ」
「じゃあ、私もそれまでずっと翼を応援できるんだね?」
「いつまでも応援してくれるんですか?」
「そっちが楽しいかもね。いつかは王子様になるかもしれないって、ずっとシンデレラ気分でいられるじゃない。ずっと翼のお尻も叩けるしね」
「新たな快感を得られるかもですね」
「誰がそこにオチを付けろと言った?」
ベッドに寝転がり見つめ合っていた奏と椎名が吹き出した。
そして笑いが収まった奏は、じっと椎名と見つめ合った。
「私たちは、きっと夢でつながっていられる気がする」
「夢で?」
「うん。私は、翼の夢を一緒に追い求めることはできないけど、応援してあげられる。翼がその夢を掴むという夢を、私は見ることができる」
「奏さん……」
「翼」
「はい」
「私にずっと夢を見させてくれるって約束できる?」
「それって、いつまでも成功せずに苦労しろってことですか?」
「ふふふ、そうかもね」
「そんな約束はできませんよ。いつかは這い上がってみせますから」
「……そうだね」
その後、奏はベッドに横になったまま、椎名と見つめ合っていたが、ふと、目覚まし時計の「ピピッ! ピピッ!」という電子音が鳴った。
「今日も仕事があるんだった。そろそろ起きないと」
枕元にあった目覚まし時計を止めて上半身を起こした奏に、椎名は「仕事は十時からじゃ?」と尋ねた。
「そうだけど、まだ、シャワーも浴びてなかったし」
ベッドにぺたんと座った奏は手で自分の髪を触った。
「あ~あ、髪、ボサボサ! メイクだって崩れてるよね?」
「そうですね。でも、気になりませんよ。俺だって、おとといから風呂に入ってないですし」
奏と同じようにベッドにあぐらをかいた椎名が髪をかきながら言った。
「子どもじゃないんだから、お風呂くらい入りなさいよ!」
「クレッシェンド・ガーリー・スタイルのPVのことを考えていると、その時間も惜しく感じてしまうんですよ」
「まったく、もう!」
あきれ顔でベッドから降りた奏は、「朝御飯を作るから、翼も食べていきなさい」と言った。
「また、ご馳走してくれるんですか?」
「うん。じゃあ、私、シャワー浴びてくるね」
奏が浴室に向かおうとすると、「分かりました。大人しく待ってます」と言い、椎名がベッドに正座した。
「うふふふ」
「何か?」
奏は、そんな椎名が愛おしくてたまらなくなって、ベッドに戻り、猫のように椎名に近づくと、軽くキスをした。
「奏さん?」
「シャワー、一緒に浴びる? 髪も洗ってあげる」




