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Act.156:命すら投げ捨てる覚悟で

 ドアが開くと、若い男性が顔を見せた。

 男性は、明らかにホテルの従業員とは思えないひとみの服装に怪訝な表情を浮かべた。

「ルームサービスって、どれ?」

「それより、ここに桐野きりの詩織しおりって女の子が来てないですか?」

 男の顔色が変わり、すぐにドアを閉めようとしたが、瞳が咄嗟にハンドバッグをドアに挟んだ。

「お兄ちゃん!」

 瞳が大声を上げると、ドアから死角になる場所に立っていたひびきが、タックルをするようにドアに体をぶつけると、ドアは大きく開いて、その若い男――高橋たかはしを後ろに突き飛ばした。

 響の手を引いて、部屋の中に飛び込んだ瞳の目に、男達に取り押さえられている詩織の姿が飛び込んで来た。

「詩織!」

「何だ、お前ら!」

 詩織に駆け寄ろうとした瞳の前に飯山いいやまが立ち塞がり、すぐに立ち上がった高橋が響を後ろから羽交い締めにした。

「詩織に何をしてるのよ! 離しなさいよ!」

 瞳が飯山に詰め寄り、その胸ぐらを掴んだが、所詮は女性の力で、飯山は簡単に瞳の手をはずして、瞳の腕を捻った。

「どこの誰かは知らねえが、人の部屋に勝手に入ってきてんじゃねえよ!」

「うるさい! 獣ども!」

 瞳は、飯山に握られている腕を大きく揺らして飯山の腕をふりほどこうとしたが、飯山は素早く瞳の後ろに回って、瞳を抱きしめるようにしてから、片手でその口を塞いだ。

「よく見りゃ、てめえもなかなかのもんじゃねえか。おシオの知り合いのようだが、一緒に可愛がってやるぜ」

 その言葉を聞いて、今まで、部屋の中の状況が分からなかったはずの響が「止めろ!」と大声を上げた。

 しかし、飯山達は、馬鹿にしたような目で響を見た。

「目が見えないくせに、いきがってんじゃねえよ!」

 響の目が見えないということは、響がまっすぐに自分達を見てないことや、戸惑っているかのような手足の動きで、すぐに分かったようだ。

「そいつはどっかに縛り付けとけ。俺達のお楽しみの声だけでも聞かせてやろうぜ」

 響も必死になって、高橋の羽交い締めをふりほどこうとした。

 思いのほか、響が暴れることから、羽交い締めを振り解かれそうになった高橋が、「おい! ちょっと手伝え!」と、詩織の体を押さえている二人に言うと、広田ひろたが詩織から手を離した。

 それで体を少しだけ動かすことができた詩織は、体を大きく揺らして、口を塞いでいた佐藤さとうの手から顔をはずすことができた。

「響さん!」

 詩織の叫び声を聞いて、響の顔つきが変わった。

 そして、高橋の顔面に後頭部で思い切り頭突きを食らわして羽交い締めを解き、詩織の声がした方に突進をした。

 途中、体をぶつけた電気スタンドを倒しながらも、何も見えない響は、ただ、詩織の声を頼りに詩織に向かって走って来た。

 距離感が掴めるはずもない響は、そのまま、詩織と、詩織を押さえつけていた佐藤と脇坂わきさかの二人に体をぶつけた。ぶつかったという方が正解だろう。ソファごと四人が床に投げ出されるようにして倒れた。

「響さん!」

 すぐに立ち上がった詩織が、四つん這いになっている響に近づくと、「詩織さん、無事ですか?」と、響が首を回しながら問い掛けた。

「はい」と答えた詩織の腕を佐藤が、響の腕を脇坂がそれぞれ掴んで、二人を引き離そうとしたが、詩織が佐藤の腕を振り払って、四つん這い状態の響を背中から抱きしめようとした。

 しかし、次の瞬間、詩織の体は響の体に包まれていた。響が体を回転させて、詩織の体を床に横たえるようにして、その上から響が詩織の体に覆い被さり、響と詩織は抱き合っているような状態で床にいた。

「この野郎! おい! みんなで引き剥がせ!」

 響に頭突きをされて鼻血を出している高橋と、広田、佐藤、脇坂の四人が、響を詩織から引き剥がそうとしたが、響は右腕を詩織の首に、左腕を詩織の体に巻き付けるようにして、詩織を強く抱きしめて、詩織を絶対に離そうとしなかった。

 業を煮やした高橋達は、響の背中や足を思い切り蹴り出した。

「止めて!」

 響の体越しにその衝撃が自分の体にも伝わってきた詩織が悲痛な叫び声を上げたが、そんな詩織の耳元で響が「大丈夫ですよ」と穏やかな声で囁いた。

「お前ら! 目が見えない野郎に、何、手こずってやがるんだ!」

 男四人掛かりでも響を詩織から引き離せないのを見て、瞳を後ろから押さえつけている飯山が怒ったが、それで自分の口を塞いでいた手がずれた瞳が思い切り、飯山の手に噛みついた。

「いてて!」

 飯山が思わず手をはずして、体が自由になった瞳は、「お兄ちゃん!」と叫んで、響と詩織に駆け寄ろうとしたが、すぐに後ろから飯山に腕を掴まれ、引き戻されると、「このアマ!」と激怒した飯山に思い切りビンタされ、勢いで瞳は床に倒れた。

 目が見えない響と女性二人が、男性五人に敵うはずもなかった。



「貴様ら! 何をしているんだ!」

 部屋に椎名しいなの怒号が響いた。

 響に覆い被さられている詩織が、ドアの方に首を回すと、ドアから飛び込んできた椎名が、飯山にパンチを食らわしていた。

 椎名の後から、玲音れお琉歌るか、そしてかなでが飛び込んできて、最後に怒りの表情の榊原さかきばらが入って来た。

「お前達!」

 図太い榊原の声で、条件反射的にサーキュレーションのメンバー達の動きが止まった。

 そして、すぐに集まると、誰に言われた訳ではないが、壁に背を向けて並んで立った。

 瞳が、すぐに響の元に駆け付けた。

「お兄ちゃん! 大丈夫?」

「ああ、平気だよ」

 詩織から体を離して立ち上がった響のタキシードはあちらこちらが破れ、白いシャツにもいくつか血がにじんでいる所があった。

「詩織ちゃん!」

 詩織に駆け寄った奏が羽織っていたカーデガンを、胸元があらわになっている詩織に羽織らせた。

「詩織ちゃんは大丈夫?」

「私は大丈夫です! でも響さんが私の代わりに蹴られて」

「ちゃんと立てているでしょ? 僕も大丈夫ですよ」

 響はそう言ったが、膝がかっくんとなって、崩れ落ちそうになったのを、瞳が咄嗟に支えた。

 詩織は思わず、響に駆け寄り、響を抱きしめた。

「響さん、無茶しないでください! 私なんかのために」

「何を言っているですか。詩織さんのためだから、僕も無我夢中になってしまったんですよ」

「響さん……」

 詩織は、響を抱きしめながら、ただ、泣くことしかできなかった。

 とりあえず、大きな怪我をしている者はいないことを確認した榊原は、怒りの眼差しをサーキュレーションのメンバーに向けた。

「飯山! これはどういうことだ?」

 榊原が飯山に詰め寄ったが、飯山は何も言うことができなかったようだ。

翔平しょうへい! アタシも我慢がならねえ! こいつら、一発ずつ殴らせろ!」

 そう言った時には、もう、玲音は拳を振り上げていた。しかし、玲音の拳は榊原に手首を掴まれ、飯山に届かなかった。

「殴りたいのは私も同じだ。しかし、こいつらは、我がエンジェルフォール所属のアーティストだ。残念だが、これは傷害事件にせざるを得ない。こいつらには厳正なる対処をして、法により裁いてもらう」



 詩織と響、そして瞳は、体の精密検査を受けるため、近くの病院に向かった。

 玲音と琉歌、奏と椎名も詩織のことが心配で、一緒に病院に向かった。

 榊原は、駆け付けたエンジェルフォールの社員とともに、マイクロバスにサーキュレーションのメンバーを押し込んで、ひとまず、会社に向かった。



 詩織が精密検査を受けている間、玲音と琉歌が検査室の前の廊下に置かれているベンチに座り、隣のベンチに奏と椎名が座っていた。

「奏さん」

 隣のベンチに座っている玲音と琉歌には聞こえないように、小さな声で、椎名が奏に話し掛けた。

「何?」

「やっぱり、俺は桜小路響には敵わなかったな」

「詩織ちゃんに対する想いも、ってこと?」

「そうだ。桜小路響は、部屋に飛び込んで行ったらしい。目が見えないにもかかわらずにだ。いくら、桐野が襲われていたとして、相手は何人いるのかも分からず、凶器を持っていたのかもしれないのにだ。俺が桜小路響と同じ状況だったら、俺は飛び込めていただろうかと疑問がわいた」

「椎名さんだって飛び込んだんじゃない?」

「結果的にそうしたかもしれない。しかし、絶対に躊躇はしたはずだ」

「私だってそうだよ」

「でも、桜小路響は、躊躇していないはずだ。だからこそ、桐野を守ることができたんだ」

「その話を私にして、椎名さんはどうしたいの?」

「いや、誰かに自分の敗北宣言を聞いてほしかっただけだ」

「敗北宣言?」

「そうだ。桐野にふさわしいかどうかという点では、俺は桜小路響には敵わないとは諦め掛けていたけど、奏さんに言われたように、桐野への想いだけは、誰にも、桜小路響にも負けないつもりだった。しかし、桜小路響は、命をなげうつ覚悟で桐野を守ったんだ。既に得ている名声も財産もそんなものなんか考えることなしにだ。そんなものよりも、彼は桐野の無事を願ったんだ」

「そうだね」

「俺の完敗だ」

「そう……。でも、それは私じゃなくて、桜小路先生に言うべきじゃない?」

「もちろん、彼と二人きりで会える時があれば、ちゃんと言うよ。でも、今はとりあえず、自分の気持ちを奏さんに聞いておいてほしいと思ったんだ」

「分かった。確かに聞き遂げたわよ」

 検査室の扉が開き、詩織が出て来た。

 メンバーと椎名が近寄ると、詩織が笑顔を見せた。

「心配をお掛けしました。とりあえず、体には異常はありませんでした」

「体より、詩織ちゃんの心が心配だよ」

「奏さん、大丈夫です。ショックだったといえばそうですけど、瞳さんや響さん、それに皆さんが助けに来てくれて、嬉しかったです」

 隣の検査室から瞳が出て来た。平手打ちをされた頬に絆創膏を貼っている以外に目立ったところはなかった。

 詩織はすぐに駆け寄った。

「瞳さん! お体は?」

「大丈夫。でも、お兄ちゃんは、足の骨にひびが入っていたらしくて、固定する施術をしたから、念のため、今日は入院することになりそう」

「そうなんですか?」

「でも、元気だよ。詩織が無事で良かったって」

「……」

 詩織の目から涙が溢れてきた。そんな詩織を瞳が抱きしめた。

「お兄ちゃんはね、自分の小説に出て来るヒーローみたいに、相手をぶちのめすことはできなかったけど、大切な詩織を守ることができて嬉しかったって」

「ううん。響さんはヒーローです。私の……ヒーローです」

 

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