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Act.154:有り得ない連絡

 詩織しおりの携帯に、エンジェルフォールの事務所から電話があったのは、一月五日の夕方だった。

「おシオさんの携帯でよろしかったですか?」

「そうですけど?」

「私、エンジェルフォールで事務をしています田中と申します」

「はい?」

 今まで詩織に直に連絡をしてくるのは、マネージャーの竹内たけうちからで、事務所の職員が電話を掛けてくることはなかった。しかし、スマホの画面に表示されている発信先の表示からは、登録しているエンジェルフォール本社から電話が掛かってきていることに間違いなかった。

「社長から伝言を承りましたので、私の方から連絡をさせていただきました。社長が言うには、レコーディングが始まる前に、至急、おシオさんにお伝えしたいことができたそうなんですが、電話ではできない、込み入った話もあるので、直に会って、お話ししたいそうなんです。今、社長はインペリアルホテルで会議中なのですが、午後七時には会議は終わるだろうから、その時点で空いている部屋を確保するので、そこで会うことにしたいとのことです。何号室の部屋が確保できたかは、あらためて連絡をするそうです」

「あの、私だけですか?」

「はい。そう承っております」

 バンド全体のことは、竹内からリーダーの玲音れおに連絡があり、玲音がラインや電話、スタジオリハがあり集合する際には口頭で伝えるようにしていたから、詩織の携帯に連絡があったということは、詩織一人に用事があるということだろう。

 おかしいと思いつつも、事務所から電話が掛かっているということで、詩織は、インペリアルホテルに行くことを約束した。

「それで言い忘れていましたけど、他のメンバーさんには内緒にしておいてください」

「どうしてですか?」

「社長がおっしゃるには、おシオさんの本音を聞きたいから、他のメンバーから邪魔をされたくないとのことです」

「は、はあ。……分かりました」

 と言って、電話を切ったものの、詩織は、いまいち、釈然としなかった。

 三日後にはレコーディングが始まるというこの時期に、バンドメンバーには知らせずに、自分だけにある話とは何なんだろう?

 どう考えてもおかしい話だが、中学時代は母親や大勢のスタッフに守られていて、ある意味、温室で育てられ、高校時代は自ら人との交わりを絶っていた詩織は、純粋で真面目な性格が災いして、人を疑うということに疎かった。また、事務所から電話が掛かってきたということだけで仕事の話に間違いないと思い込んでしまった。

 しかし、どうしても、引っ掛かるところがあった詩織は、念のため、バンドメンバーではないひとみに電話で知らせておこうと思ったが、瞳は電話に出なかった。

 仕方なく、詩織は、榊原さかきばらから呼ばれて、インペリアルホテルに行くことを伝言メモに吹き込んだ。



 その頃。

 そのインペリアルホテルの宴会場では、ひびきの新作「深き森の国」の売り上げが、発売からわずか一か月で百万部を突破したことの祝賀パーティが開催されていた。

 黒い蝶ネクタイを締めたタキシード姿の響が、同じく黒の膝丈ドレスをまとった瞳の介添えで壇上に昇り、様々な出席者から祝辞を受けた後、宴が始まると、響の周りに多くの人が集まった。

 それを見計らって、瞳が化粧直しに会場を出た。

 何かしら、嫌な予感がした。

桜小路さくらこうじ様」

 クロークに呼び止められた。

「お預かりしているバッグの中に携帯はお入れになっていますか?」

「ええ」

「着信があったようでございますが」

「あっ、じゃあ、お願いします」

 瞳は、クロークが渡してくれたハンドバッグの中からスマホを取り出し、確認してみると、詩織からの着信があったことが表示されていた。

 掛かってきたのは三十分前で、伝言メモが残されていた。

 瞳は、すぐに伝言メモを再生してみた。

『詩織です。えっと、事務所の人から電話があって、インペリアルホテルで榊原さんが待っているから来てくれと連絡があったんですけど、他のメンバーには知らせないでくれって言われました。何か、ちょっと変なんですけど、確かに事務所から掛かっているので、とりあえず、インペリアルホテルに向かいます。メンバー以外では、瞳さんくらいしか連絡できる人は思いつかなかったので、念のため、お伝えしておきます』

 瞳は、さっきから感じている嫌な予感がいよいよ強くなった。



 瞳から連絡を受けた時、かなでは、椎名しいなとレッスン室にいた。

 ピアノレッスン中であれば電話に出られなかったはずだが、椎名と話をしている最中だったので、電話に出ることができたのだ。

「それ、何か、おかしいわね」

 奏もどう考えてもおかしいと感じて、瞳に言った。

「そう思います。とりあえず、すぐに榊原さんに確認することってできませんか?」

「確認してみるわ」

「お願いします! 私、そのインペリアルホテルに、今、いるんです。だから、もしもの場合、すぐに詩織の所に駆け付けられますから、何か分かれば、すぐに連絡ください」

「分かった! 瞳さん、連絡ありがとう!」

 電話を切った奏に、椎名が「桐野きりのに何かあったんですか?」と訊いたが、詩織のことが心配な奏は、返事は後回しにして、榊原の携帯に電話を掛けてみた。

 呼び出し音が鳴ったが、榊原は電話に出なかった。

 電話を切った奏は、椎名に簡単に事情を説明して、「どうしよう?」と訊いた。

「玲音なら榊原さんの今日の予定を知っているかもしれませんよ」

 バンドメンバーの情報は、椎名には全部、知られていて、玲音が榊原とつきあっていることも椎名は知っていた。

「ああ、そうか!」

 詩織のことが心配すぎて、奏も冷静でいられず、そのことに気づかなかった。

 奏が玲音に電話すると、玲音はすぐに電話に出た。

翔平しょうへいなら、七時までは会議って言ってたぜ」

 椎名の予想どおり、榊原と半同棲関係の玲音は榊原の仕事の予定も知っていた。

「どこで?」

「そこまでは聞いていないよ。早ければ七時に終わるけど、長引けば九時頃まで掛かるかもしれないって。会議中は電話に出られないとも言っていたよ」

「さっき、榊原さんに電話したけど出なかったのよ。じゃあ、まだ、会議中なのかな?」

「どうしたんだ、奏?」

 奏の様子がおかしいと、玲音も感じたのだろう。

 奏は瞳からの連絡をそのまま玲音に伝えた。

「おかしい! 翔平がおシオちゃんにだけ伝えたいことなんてあるはずないよ!」

「でしょ?」

「アタシからも翔平に電話してみるよ」

「お願い」

琉歌るかにも知られておく」

「それは私がするわ! 玲音は、とにかく、榊原さんと早く連絡を取ってちょうだい!」

「分かった! って、翔平!」

 玲音は、榊原の家にいたようで、そこに榊原が帰って来たのだろう。

 奏と通話中のまま、玲音は榊原と話し出した。

「七時まで会議じゃなかったのか?」

「早く終わったんで、玲音の顔を早く見たいと思って、帰って来たんだよ」

 奏が大きく「う、ううんっ!」と咳払いをすると、玲音の携帯越しに榊原にも聞こえたようだ。

「電話中だったのか?」

「奏だよ」

 玲音とのノロケを聞かれて、榊原が焦っている様子が想像できたが、今はそれどころではなかった。

「それより、翔平! おシオちゃんを、今、呼び出してる?」

「いや」

「奏! だってさ! どうする?」

「私達もすぐにインペリアルホテルに行きましょう!」



「瞳、どうしたんだい?」

「えっ?」

 パーティも終盤になって、響の所に祝辞を述べにやって来る人が途絶えた時、響が瞳に言った。

「心ここにあらずというように感じられたからさ」

 響は、目が見えないにもかかわらず、周りの人の様子が見えるかのように言い当てることがある。視覚以外の感覚が研ぎ澄まされた結果なのだろう。

「実は、詩織が」

 と言い掛けたところで、瞳が持っていたハンドバッグの中の携帯が震えた。

 すぐに携帯を取り出し電話に出ると、瞳は「分かりました。私もすぐに探します」と言い、電話を切った。

「誰から?」

「奏さん」

「何かあったのかい?」

 瞳は簡潔に詩織のことを響に話した。

 響の表情が変わったのが分かった。

「瞳! すぐに探しに行こう!」

「そうだね」

 瞳は響の手を引いて、会場をあとにした。

「でも、どこに行く? お兄ちゃん」

「とりあえず、フロントに行ってみよう」

 二階の宴会場から吹き抜けのエスカレーターで一階のフロントに降りた響と瞳は、チェックインカウンターに向かった。

「すみません。お訊きしたいことがあるのですが」

 相手が小説家桜小路響であることがすぐに分かったホテルの職員は、「何でございましょう?」と愛想良く笑った。

「『榊原翔平』という方とお部屋でお会いする約束にしていたんですが、部屋番号を失念してしまったものですから、教えていただきたいと思いまして」

 まったく見知らぬ者であれば教えたりしないのだろうが、相手は今日、自分のホテルで大宴会をしている有名小説家だ。ホテルの職員も響の言うことをあっさりと信じたようだ。

「少々、おまちくださいませ」

 そう言うと、カウンターの中にある端末を操作していたが、すぐに顔を上げて「榊原翔平様は、五〇五号室でご予約いただいております」と教えてくれた。

「ありがとうございます」

 丁寧に頭を下げた響と瞳は、すぐに五〇五号室に向かった。

 

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