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Act.148:今は夢だけを見て

 十二月最後の月曜日。

 詩織しおりの学校は既に冬休みになっていて、かなでのピアノレッスンも明日から年末年始の休講に入るこの日。

 今年最後のスタジオリハを終えて、メンバーは奏屋に集まっていた。

玲音れお琉歌るかちゃんは、お正月は埼玉の実家に帰るの?」

 奏が二人に訊いた。

「ああ。琉歌も気持ちの切り替えができたみたいだから、父親と直人なおとの墓参りを兼ねて帰ることにしてる」

「そっか。琉歌ちゃんも新たな気持ちでお正月を迎えられると良いわね」

「うん~。ありがとう~、奏さん~」

 琉歌の表情も明るかった。

「奏は?」

「もちろん、実家に帰るわよ。何か、プロデビューする話が親戚一同に変に伝わっちゃって、大騒ぎになってるみたい」

「おらが村から芸能人が出たべさってか?」

「そんな方言、使わないから! でも、『今のうちにサインをくれ』なんて叔父さんもいて、ちょっと疲れそう」

「新潟方面のプロモーションは任したぜ」

「どうなることやらだよ」

「おシオちゃんは?」

「明日、父親が帰ってきます。本当は、今日、帰って来て、皆さんに挨拶をしたかったみたいですけど、向こうでもいろいろとしなければいけないことがあったみたいです。来年の四月には、転勤で東京に戻って来られそうなので、それから皆さんに挨拶をするからって言ってました」

「そんなに気にされる相手じゃないって、お父様に言っておいてちょうだい」

 年末年始は、メンバーそれぞれが家族と過ごすことになりそうだ。

「でもさ、四月にこの四人が集まって、あっという間にここまで走って来てしまったって感じね」

「歳を取ると時間が経つのが早いって言うからな」

「あんたのこの口を直せなかったのが、今年、やり残したことよ!」

 奏に両頬を引っ張られている玲音もヒラメのようになっている顔で笑った。



 次の日。

 午後、羽田に到着する飛行機で帰京する父親を迎えに行く途中、詩織はひびきの家に立ち寄った。

「詩織! 久しぶり!」

「瞳さんも! お元気でしたか?」

 そう言いながら抱き合うひとみとは、二学期の終業式以来、四日ぶりでしかなかったが、学校がない土日以外に、顔を会わさないということはなかっただけに、わずか四日の間でも瞳に会えなくて、少し寂しかったことは事実だ。

「詩織さんと瞳の明るい声を聞くと、少し嫉妬してしまうね」

 響には、詩織と瞳が抱き合っている姿は見えていないはずだが、弾んでいる二人の声から、二人の様子が想像できたのだろう。

「良いでしょ。でも、お兄ちゃんは、詩織の声を聴くだけで幸せになれるんだよね?」

 少しいたずらっ子ぽい笑顔を浮かべて、瞳が響に言った。

「そうだよ。だから、もっと、もっと、詩織さんにはこの家に来てもらって、その声を聴きたいけど、そろそろ、デビューに向けて忙しくなっている頃ですよね?」

「そうですね。年明け早々からレコーディングも始まりますし」

「ファーストアルバムが良い作品になることをお祈りしています」

「ありがとうございます! 響さんも執筆を頑張ってください!」

「もちろんバリバリと書いてますよ。実は、二月早々には第二巻を、四月には第三巻を発売できそうです」

 第一巻を発売したのが、十二月に入ってすぐで、それから二か月で第二巻を発売するというかなりのハイスピードで、このペースが続くと、来年は五、六冊の続刊が発行できる勘定となる。それだけ、今の響は乗っているのだ。

「すごく楽しみです! でも、第一巻、すごい人気ですよね? 発売一か月で百万部突破なんてすごいです!」

「当初、『深き森の国』の発売に難色を示していた出版社の担当者も、まさかここまで行くとは思ってなかったようで、正直、僕もそれは思っています」

 純愛をメインテーマにして、少しミステリーなどの要素を加味した小説を書いてきた響にとって、ファンタジーな世界観をベースにしたラノベチックな「深き森の国」を書くことは、これまでのファンを失いかねない大転換であり、出版社の担当者の迷いも当然のことだろう。

「何でも、さっそくにアニメ化の話も来てるらしいんだ」

 瞳が嬉しそうに言った。

「イラストを担当してもらった安西先生が描かれているキャラもすごく可愛いようですからね。イラストの力もこの成果につながっているのでしょう」

「もちろん、それもあると思いますけど、響さんの書かれる文章が読みやすいのも影響していると思います」

「『深き森の国』の世界は、僕がまだ目が見えていた頃の中学生までの間に、夢中になって読んでいた漫画や、テレビのアニメの世界を僕の頭の中で再構築したものです。そんな世界にどっぷりと浸かりながら書いているのです。つまり、中学生の頃の僕がこの小説を書いているといっても良いと思います。だから、文章が稚拙になっているという書評もあったようですが、それは、あえて、そういう風に書いているのです」

「そこまで計算されて書いているんですか?」

「ははは、半分は後付けですけどね。でも、その頃の気持ちで書いているのは本当です」

「そういえば、今さらなんですけど」

「何ですか?」

「響さんはどうして小説家になりたいと思ったんですか? 以前、恩師に勧められて、と言われたことは記憶にあるのですが」

「そうです。高校の時に担任となった先生の勧めです」

 響はソファに座ったまま、天井を見るような仕草をした。昔のことを思いだしているのだろう。

「小学生や中学生の頃は、この金髪のために虐めに遭っていたことはお話ししましたね?」

「はい」

「だから、一緒に遊ぶ友達もいなくて、家に引き籠もっていましたから、楽しみはテレビでやっていたアニメや親が買ってくれた漫画でした。ロボットものや宇宙ものの漫画は本当に夢中になって、何度も何度も読み返しました」

「それが、先ほど言われた、『深き森の国』のイメージにつながっているんですね?」

「そうです。それと同時期ですが、好きな人ができました」

「お、お相手は?」

 目が見えなくなってからは恋をしたことはないと言っていた響の「好きになった人」と言われて、詩織も少し気になってしまった。

「中学校の養護学級の担任で若い女性の先生でした。その頃の僕は、まだ目も見えていましたから一般学級に通っていましたが、虐めに遭っていた僕のことを気遣ってくれて、よく話もしてくれました。もちろん、僕の片思いで、僕の初恋と言って良いでしょう」

「素敵な思い出ですね」

「ええ。その先生も漫画が好きで、僕が夢中になって話す漫画の話を、『うんうん』とうなずきながら聞いてくれて、それだけで嬉しかった気がします。そして、その先生が勧めてくれたのが少女漫画だったんです」

「少女漫画ですか?」

「はい。そこで繰り広げられる恋愛の物語に、その先生に密かに恋心を抱いていた僕は、その先生と自分を物語の主人公に置き換えながら読みました。何度も何度も」

「もしかして、それが、響さんが恋愛小説を書き始めたきっかけだったのですか?」

「そうかもしれません。高校生になって小説を書き始めた時に、知らず知らずの間に、自分の願望を文字にしていたのかもしれませんね」

 響は紅茶をひとくち飲んで、すぐに話を続けた。

「そういう淡い思い出を残して中学校を卒業して、高校に入ると、僕の人生を変えたと言って良い、谷崎先生のクラスになりました。もう定年が近いおじさん先生でしたが、三者懇談会の時などは、金髪を逆に生かす職業、例えば、モデルとか俳優とか目立つことをすればどうか、なんて、知らない人が聞くと、ふざけているのかと誤解されそうなことも言ってくれて、でも、それが僕としては、逆に話しやすい先生だと思わせてくれたんです。さっきのモデルの話も、それまで自分が一番嫌いだった金髪を嫌いじゃないようにしてくれたんです。でも、僕自身はそんな目立つことは好きではなかったので、もっと地道に活動できる職業の方が良いと言った記憶があります。僕が空想好きなのを知った先生は、『じゃあ、小説でも書くか?』と軽く言いました。でも、それが僕の人生を変えたんです」

「……」

「最初は自分の空想を文章にする。それが楽しくて、ずっと手書きで書いていたんですが、それを見ていた両親がパソコンとプリンターを買ってくれると、それで小説を書くようになりました」

「……」

「でも、高校二年生になった頃から次第に目が見えなくなっていることに気づきました。最初はディスプレイの画面がぼやけて見えるようになって、画面の見過ぎかなと思って、時間を短くしたりしたんですが、改善するどころか悪化する一方で、診察を受けたら、進行性の弱視で、このまま失明してしまうと医者に言われ、両親もすごくショックを受けていました」

「……」

「でも、僕は、その頃には、小説を書くことが楽しいだけではなく、もう、自分が生きる道はこれしかないと考えていましたから、必死で書きました。ディスプレイの文字が見えなくなって、結局、手書きに戻り、紙に顔をくっつけながら書きました」

「あの頃のお兄ちゃんは、今、思うと鬼気迫るものがあったよね」

 瞳も懐かしげに言った。

「でも、そんな僕の姿が、逆に両親の絶望を生んだのかもしれませんね」

「……」

「ああ、すみません。雰囲気を暗くしてしまいましたね」

「い、いえ。でも、響さんや瞳さんと話していて、いつも感じるのは、その逆境を跳ね返す強い意志をお持ちなんだなと感心することです」

「自分で言うのも変ですが、僕は、自分でやると決めたら、必ず、やり遂げるまで諦めないというのが、まあ、人生訓というか、モットーというか、そういうところがあります。だから、小説家を辞めようと思っていた頃の僕は、本当に、おかしくなっていたんでしょうね」

「ほんと、あの時、詩織に叱ってもらったからこそ、『深き森の国』はあるんだよね?」

「そのとおりだよ」

 響は瞳にうなずくと、詩織の方に顔を向けた。

「だから、僕は、一歩、間違うと、しつこいストーカーのようですけど、詩織さんのことは、ずっと、応援し続けるつもりです」

「響さん……」

「それが、今の僕の原動力です。こんなことを言うと、僕の小説のファンの方に叱られると思いますけど、『深き森の国』も詩織さんが面白いと言ってくれたから、もっと続きを書きたいと思ったのです。正直に言うと、これは詩織さんのために書いているのです」

「……」

「お兄ちゃん。気持ちは分かるけど、詩織、固まっちゃったよ」

 瞳も呆れるほどの響の熱い思いの吐露だった。

「すみません、詩織さん。また、一方的に自分の気持ちを吐き出してしまって。これでは、まるで恋愛感情の押しつけですね」

「い、いえ」

「それに、椎名しいなさんとも停戦協定を結んでいたのでした。今は、詩織さんのデビューを全力で応援させていただきます!」

「ありがとうございます、響さん」

「この前のクリスマスイブ・ライブでも話題を独占していたみたいだし、もう夢を掴んでいるも同然じゃない?」

 瞳が嬉しそうに訊いた。

「まだ、レコーディングも終わっていませんし、自分達のデビューアルバムがどんな評価がされるのか分かりません。これからも最後まで気を抜かずに走って行こうと思っています」

「それでこそ詩織さんですね」

 詩織の心をかき乱してしまったかもと心配していたのだろう。今は、デビューへの道しか見えていないと分かる詩織の言葉に、響も安心をしたかのような穏やかな笑顔を見せた。

 

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