Act.146:明と暗
今日はクリスマスイブ。
緑と赤のクリスマスカラーに包まれた街は、華やかである一方で、どこかせわしく感じられた。
今夜、クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、CDデビュー前にもかかわらず、プロとしての初ライブを、中野にある、八千人を収容できる中規模のコンサートホールで行う予定になっていた。
在京の中小の芸能音楽事務所六社が合同で開催するこの「クリスマスイブ・ライブ」には、 各事務所で今一番プッシュしている新人アーティストが出演することになっており、エンジェルフォールでは、今年の夏にデビューした「サーキュレーション」が出演濃厚と考えられていたが、彗星のごとく現れた注目のバンド「クレッシェンド・ガーリー・スタイル」がデビュー前にもかかわらず出演することになった。
元超人気アイドルがメインボーカルを務めるとあって、話題が先行しているところもあったが、それ以前に行ったライブ、特にホットチェリーのボーカル芹沢との突発的なセッションを成功させたロクフェスでのパフォーマンスは高い評価を得ていて、話題性だけに留まるバンドではないことも実証されていた。
まさに人気と実力を併せ持った強力な新人バンドとして、今日も多くの観客を呼び寄せているはずで、売り切ったチケットの半分以上は、クレッシェンド・ガーリー・スタイルを見に来る観客ではないかとの観測もされていた。
午後一時。
詩織は、江木田駅前まで迎えに来てくれた、事務所が用意したワゴン車に、玲音、琉歌とともに乗り込んだ。
運転席、助手席の後ろに三人用シートが二列ある八人乗りで、事務所の若い男性社員が運転をし、助手席にはマネージャーの竹内が乗っていた。
最後尾のシートに玲音と琉歌が並んで座り、その前のシートに詩織が座った。
車が発車すると、詩織は、ときどき、後ろを振り返り、玲音や琉歌と他愛のない話をした。琉歌は、いつもどおりののんびりとした雰囲気で話に割り込んできた。
詩織がそれとなく玲音を見ると、玲音も詩織に微笑みながら小さくうなずいた。
詩織が前を向くと、同じように後ろを見ていた竹内と目が合った。
竹内は、相変わらず、表情の変化に乏しかったが、詩織には微笑んだように見えた。
昨日のスタジオリハ。
琉歌はいつもどおりのドラムを叩いてくれた。これなら大丈夫だろうと、メンバー全員が納得の上で、今日の本番を迎えていたのだ。
池袋で奏が乗り込んできて、詩織の隣に座った。
奏も琉歌のことが心配だったようだが、車内のメンバーの様子から、琉歌が大丈夫だということを悟ったようで、いつもどおり、玲音相手にレクレーションとしての言い争いを始めた。
会場の楽屋口で車を降りたメンバーと竹内は楽屋に向かった。
「あれっ? 琉歌ちゃん、そんなアクセサリー、付けていたっけ?」
ドラムの部品が入ったケースを載せたキャリングカートに、何かの二頭身キャラのストラップが付けられているのを見つけた奏が訊いた。
「純ちゃんにもらったんだ~」
「純ちゃん?」
「楢崎さんだよ~」
「純ちゃんって呼ぶようになったの?」
「うん~。『ならざき』さんって言いづらくて~」
「そっか。ちなみに、それって何のキャラなの?」
「イルヤードのマスコットキャラだよ~。純ちゃんが職権乱用して会社から持って来てくれたんだ~」
「そ、そうなんだ」
奏が詩織と玲音に目配せをした。玲音も嬉しそうに微笑みを返した。
楽屋に入ると、ヘブンス・ゲートの楽屋など比べものにならないくらいに広く、六組のバンド全部が入っても、ひとバンドに一つのテーブルは確保できそうだった。
「エンジェルフォールのクレッシェンド・ガーリー・スタイルです! 本日はよろしくお願いいたします!」
竹内がよく通る声で楽屋にいた出演者達に挨拶をした。詩織達もそれに併せてお辞儀をした。
「竹内さん!」
肥満気味な中年男性が愛想笑いを浮かべながら、近づいて来た。
「小野木さん、お久しぶりです」
竹内は丁寧にお辞儀をしたが、卑屈にも慇懃無礼にも見えなかった。
「小野木プロモーションの社長さんですよ」
竹内がメンバーに小野木を紹介してから、「小野木さんの所は、『爆音楽団』が出演されるのですよね?」と尋ねた。
「ええ、これでジャンプできたら良いんですがねえ〜。ところで、この子ですか?」
メンバーを見渡していた小野木が、詩織に視線を止めて、「いや~、久しぶりにお目に掛かりましたが、桜井瑞希の面影が残ってますなあ。げはは」と嫌らしい笑いを上げた。
「小野木さん、桜井瑞希とは誰のことをおっしゃっているのでしょうか?」
「えっ?」
「クレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバーにそんな名前の者はおりません。この子は『おシオ』です。勘違いされませんように。では、皆さん、ステージに行ってみましょう」
竹内は、また丁寧に小野木に頭を下げると、メンバーにうなずいてから、楽屋からステージに出ることができるドアを開けた。
竹内の事務的な話しぶりや、愛嬌という言葉をどこかに置き忘れてきたかのような態度に、メンバーも、最初は竹内のことが少し苦手だったが、自分達が言いたいことや考えていることを、いちいち口に出して伝えなくても理解してくれて、自分達の代わりに話し、行動してくれる竹内に、今は全幅の信頼を置いていた。
他社の社長であっても、臆することなく、言うべきことは言う竹内の態度に、メンバーも小気味良さを感じるのだった。
ステージは、一般的なライブハウスのステージの三倍ほどの広さがあり、既にドラムやアンプ類はセットされていて、PAチェックの最中だった。
ステージから見る客席は思ったよりは狭く見えた。
既に野外の広いステージを経験しているメンバーにとって、このキャパシティは緊張をさせるものではなかった。
「ついに来たな」
玲音がぽつりと呟いた。
「まだ終わってないわよ」
奏が静かに言った。
「分かってるよ。でも、いつもどおりのアタシらで行こうぜ」
玲音がそう言えるのは、琉歌が完全に過去の辛い記憶から解き放たれたことが分かっているからだ。
同じ頃、サーキュレーションのメンバー達は、仙台を訪れていた。
先日、発売したセカンドアルバムのプロモーション活動のため、各地方の主要都市を周り、そこの有力なレコードショップで、ミニコンサートやサイン会などをするためだ。
ある程度は女性ファンがついていて、いずれも満員御礼状態であったが、いわゆる「どさ回り」であることは違いがなかった。
サーキュレーションのメンバーは、ファンに向けてイケメン笑顔を振りまいていたが、休憩時間になり、楽屋になっているレコードショップ社員の休憩室に入ると、足をテーブルに投げ出して座り、営業中は吸わないように厳命されている煙草に火を着けた。
「ったく! やってらんねえよ!」
「今頃、イブのライブで観客を夢見心地にしてたはずなのによ!」
「結局、事務所の上層部にどれだけ可愛がられているかだぜ。その点、女は良いよな。体という強力な武器を持ってるんだからよ!」
「クレッシェンド・ガーリー・スタイルのリーダーの『れお』って女、確かに良い女だよな。スタイルも良さげだし、榊原さんもあの体にメロメロにされたんだろうぜ」
「ひょっとして、おシオも榊原さんに食われちまったのかな?」
「そういやあ、お前、桜井瑞希のファンだったんだよな?」
「ああ、あの頃の面影があって、もっと綺麗になってたな」
「それも榊原さんのお陰で、フェロモンを出しまくったからじゃねえのか?」
「マジかよ!」
「桜井瑞希だって、きっと、アイドル時代からやりまくってたんだろ? それなら、俺達が誘ったら、ホイホイとついてくるんじゃね?」
「来る訳ねえだろ! あいつ、お高く、とまってやがるじゃねえか! 私は桜井瑞希よ! あんたらの相手なんてする訳はないじゃない! って馬鹿にした顔で俺らを見るし」
詩織は、むしろ、男性とのつきあいに乏しく、親しくなる前の男性とは積極的に話をするタイプではなかったが、それが、サーキュレーションのメンバーには、「お高くとまっている」と感じられたのだろう。
「くそっ! 腹立つ!」
パイプ椅子を蹴飛ばした、ボーカルでリーダーの飯山が、しばらくしてから、メンバーを見渡しながら、「なあ、あいつら、蹴落とさないか?」と言った。
「どうやって?」
「事務所の上層部とズブズブな関係をマスコミに流すとか?」
「なるほど。デビュー前からスキャンダルまみれにしちまう訳か?」
「しかし、それだと事務所のダメージも大きくないか? 俺達の活動に支障が出ることもあるんじゃないのかな?」
「その危険性はあるな」
「だったらよ、おシオを潰すか?」
「どういうことだ?」
「クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、所詮は、桜井瑞希がボーカルを務めるバンドだということで人気が出ているんだろ? 桜井瑞希を、また、見られると楽しみにしているファンも多いんじゃなのかな?」
「そういうファンもいるだろうな」
「そんな連中にとって、やりまくりの桜井瑞希は許せないだろうな」
「分かった! 桜井瑞希のベッド写真とかをマスコミにばらまく訳だな?」
「そうよ」
「でも、どうやって、そんな写真を手に入れるんだよ?」
「自分達で写せば良いじゃないか」
サーキュレーションのメンバーは、急に無口になって、お互いの顔を見渡した。
その一瞬でメンバー全員の合意ができたようだ。
「でも、おシオを呼び出そうにも、連絡先なんて知らないぜ」
「事務所に言っても教えてくれないだろうしな」
「いや、手に入れる方法はある。俺に任せてくれ」
飯山がゲスな微笑みを浮かべた。




