Act.011:熱いハートより先立つもの
仮名とは言え、一応、バンド名も決まった。
その後、より具体的な活動内容を話し合った。もちろん、すぐにライブなどできるはずもなく、今後の練習のやり方などについてだ。
「スタジオ練習は週二回、時間は一回三時間にしようって思ってる。アタシ達はそのペースでやって来たんだけど、詩織ちゃんもそれで良いかな?」
「はい。そこはお任せします。やっぱり、ビートジャムでやりますか?」
「他に良い所を知ってる?」
「いいえ」
「じゃあ、ビートジャムにしよう。機材とかもそこそこイケてるから」
「はい」
「あっ、でも、ビートジャムは詩織ちゃんの学校に近いんじゃなかったっけ?」
同じ池袋のスタジオで練習をしていると、詩織がバンドをしていることが学校にばれる恐れがあることを、玲音が心配してくれた。
「学校とビートジャムは駅の出口が違いますし、今まで個人練習で何度もビートジャムに行ってますけど、これまで何も問題は起きていないので、これからも大丈夫だと思います」
「詩織ちゃんが気にしないのなら良いけど」
「玲音さん、すみません。いろいろとお気遣いいただいてありがとうございます」
詩織は丁寧に頭を下げた。
「詩織ちゃんさあ、そんなに、かしこまって話さなくても良いよ」
「そうそう。ボクらは丁寧な言葉遣いをしなきゃいけないような人間じゃないから~」
「そうだぜ。何ならタメでも良いよ」
詩織は、持ち前の真面目な性格の上に、年上の人ばかりを相手にしていた中学生時代と、お嬢様相手の高校での生活で、丁寧な話し方がくせになっていた。
「お二人とも年上なんですから駄目ですよ! それに、この話し方をずっとしていて、今さら変えることは難しいと思います」
「まあ、そっちの方が話しやすいって言うのなら無理強いはしないけどさ」
「あ、あの、気になられるのであれば、直すように頑張りますけど?」
「気にはならないよ。なっ、琉歌?」
「うん。そんなしゃべり方の詩織ちゃんも可愛いし~」
「あ、ありがとうございます」
「でもさ、詩織ちゃん」
玲音が笑いを収めて詩織を見た。
「このバンドを発展させていくためには、お互いに遠慮しあってたら駄目だよね? 喧嘩になることも恐れずに、言いたいことを言いあうことも必要だと思うんだ。少なくとも、アタシはこれまでもずっとそうしてきた」
そのとおりだった。
キューティーリンクでは、詩織はプロデューサーの言うことを素直に聞いて実行していれば良かった。それに注文を付けたり、文句を言うことは許されない雰囲気だったし、そもそも、そんなことをしたいとも思わなかった。そこには厳然とした上下関係があって、そういう意味では、詩織はロボットと同じだった。
それが嫌になったのも、アイドルを辞めた理由の一つだ。
「そうですね。そのとおりだと思います! 言いたいことがあれば、ちゃんと言います! 変な遠慮はしません!」
「おっけい! 同じバンドでいる限り、年上とか年下とか関係ないよ。同じメンバーなんだからさ!」
「はい!」
詩織は、玲音のずばずばと本音で物言う性格が心地良かった。
「じゃあ、練習はビートジャムで週二回ということで! できれば、曜日を決めておきたいんだけど?」
「はい、けっこうです」
「土日より平日のスタジオレンタル料金が安いから平日にしたいんだ。アタシは、バイトのシフトは朝から夕方までにしてもらってるし、琉歌も、夜はネトゲやる以外に用事はないから、平日の夜はいつでも良いんだ。確か、詩織ちゃんも平日の夜はいつでも大丈夫って言ってたよね?」
「はい、いつでも良いです」
「じゃあ、毎週、月曜日と木曜日とかで決めちゃおうか?」
今まで、ずっと一人で練習をしてきた詩織は、週に二回もバンドとして音が出せることが単純に嬉しくて、玲音に「はい!」と元気よくうなずいた。
「ところで、詩織ちゃん、明日の夜も大丈夫かい?」
「はい、何も予定はないですけど?」
「実はさ、明日も午後六時から八時までの二時間、既に予約を入れていたんだよ。例のスタジオを追い出した男とバンドをやることになった場合に備えて予約を入れていたんだけど、詩織ちゃんと一緒にできるかもしれなかったからキャンセルしてなかったんだ。キャンセルすると、次に予約が取れるのは、かなり先になっちゃうから、してなくて正解だったよ」
ビートジャムのスタジオは、玲音も言ったとおり、レンタル料金の割には良い機材を使っていることから人気のスタジオで、いったん予約をキャンセルしてしまうと、あっという間に別のバンドの予約が入ってしまい、一週間以内に二、三時間というまとまった時間の予約を入れるのは困難な場合が多かった。
「じゃあ、明日から、もう、バンドとしての音が出せるんですね?」
「そういうこと! 明日は、今まで作ったお互いのオリジナル曲を披露し合って、演奏する曲を決めよう」
「はい!」
「詩織ちゃんは、今、何曲くらいオリジナルがあるの?」
「人に紹介できる自信があるのは、一曲か二曲くらいです。独りよがりで全然駄目かもしれませんけど」
「アタシは、今までのバンドでやってた曲が二十曲くらいあるけど、詩織ちゃんの雰囲気とか声に合うのは五曲くらいかな」
「えっ? 玲音さんが作られた曲は、玲音さんが歌われたら良いじゃないですか?」
「いや~、この前、詩織ちゃんの歌を聴かされて、アタシが歌うなんで言えなくなっちまったよ」
「そ、そんな」
「本当さ。なっ、琉歌?」
「本当だよ~。お姉ちゃんもけっこう歌が上手いなあって思ってたけど~、詩織ちゃんの歌を聴いたら、買いかぶりすぎだって分かったよ~」
「そうそう! って、琉歌、その言い方、酷くね?」
と言いながらも、玲音も怒っているようではなかった。
歌って踊るアイドルは口パクが多かったが、キューティーリンクは事務所の方針で生歌にこだわっていた。詩織は、キューティーリンクに入る前からボイストレーニングを繰り返してきたし、加入してからも空いた時間ができればボイストレーニングを欠かさなかった。歌うことが大好きだったから、まったく苦にはならなかった。それはキューティーリンク時代も今も変わらない。
「でも、詩織ちゃんの歌には敵わないって思ったのは本当だし、詩織ちゃんの歌を聴きながら演奏できるなんて思うと、それだけでハッピーな気分になるんだ。だから、うちのバンドのリードボーカルは詩織ちゃんで決まりにしたいんだけど?」
「さんせーい!」
琉歌も嬉しそうに手を上げた。
「はい! 二対一で決定しました! 詩織ちゃん、よろしくね」
「あ、あの、……はい」
歌いたいって思っていた詩織に断る理由などなかった。
「じゃあ、バンドのリーダーは玲音さんですね?」
「さんせーい!」
詩織の提案に、琉歌もすぐに賛成をしてくれた。
「まあ、一番口うるさいのはアタシだろうから、アタシがするよ。じゃあ、琉歌は会計な」
「ほーい」
あっさりと承諾する琉歌だった。
「会計って何ですか?」
バンドに「会計」という役割が必要だとは思ってもなかった詩織が玲音に訊いた。
「バンドだって只じゃできねえだろ? 練習スタジオ代も掛かるし、仮にライブをするとなれば、ハコ代も掛かるし、逆にギャラが出るステージもあるじゃん。そういうお金の出し入れを、いちいちメンバーで割っていると面倒だから、アタシらは昔からバンドの財布を作って管理をしてたんだ。そのお金の出し入れを管理するのが『会計』さ」
詩織は、目から鱗が落ちるような気がした。
いや、よく考えれば分かることなのだが、最初から有名だったキューティーリンクに加入した詩織は、いわゆる「ドサ回り」の経験はなく、お金の管理や雑用はマネージャーや大勢のスタッフがやってくれていて、自らがすることはなかった。
しかし、「クレッシェンド・ガーリー・スタイル(仮)」は結成されたばかりの無名バンドで、ステージでの演奏以外のことも全部、自分達でやらなくてはいけないのだ。
そして、自分達でお金が稼げるようになるには、ライブを重ねて、ファンと呼べる客をできるだけ多く獲得していくしかない。それまでの間、自腹を切ることも再々あるはずだ。
詩織は、お金のことについて、まったく考えてなかった。アイドルをしていた時はもちろんだが、今も父親からの仕送りを受けていて、これまでお金の心配をしたことがなかった。
詩織が住んでいるマンションは、もともと家族で住んでいた家で、毎月の管理費や電気、ガス、水道料金は父親の口座から引き落とされていたし、生活費としては、食費の他にも、洋服代や携帯費など年頃の女の子はお金が掛かるだろうと、比較的余裕を持った月八万円を父親から送ってもらっていた。
しかし、これから週に二日のスタジオ代が掛かるようになる。個人練習だと一時間五百円で済んだが、バンド練習だと一時間三千円はする。三人で三時間すれば一人三千円の負担。週に二日で月四週間と単純に計算すると、月に二万四千円掛かる。八万円のうちからすると、けっこうな出費だ。
その上、ギターの弦やピックという消耗品代やメンテナンス代も掛かるし、できれば予備としてのギターも購入したい。
父親に仕送りの増額を申し入れるという方法もあるだろうが、自分のわがままをきいてもらっている上に、仕送り額を増額してもらうのは気が引けた。
「高校生の詩織ちゃんは少し負けてあげるよ~」
お金の話になって黙りこくってしまった詩織を見て、会計係の琉歌が言った。
琉歌はネットトレードで稼いでいると言っていたが、詩織は、株は博打のようなものだと思っていたし、玲音も琉歌もバンド活動を第一に考えていて、定職に就いている訳ではない。玲音や琉歌だって、湯水のごとくお金が使える訳ではないはずだ。
「いえ、メンバーの間で遠慮をしてはいけないと言われたのは玲音さんです! お二人に負担をしてもらったら、私、何か負い目を感じてしまう気がします。だから均等に負担します! いえ、させてください!」
「詩織ちゃんの心構えは嬉しいけど、本当に大丈夫なの?」
詩織は、玲音からの質問に「はい! 大丈夫です!」と胸を張って即答できなかった。




