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Act.142:琉歌が見た地獄

「うちの実家は埼玉の方にあって、今は、母親がそこで一人暮らしをしてるってのは言ったと思うけど」

「うん」

「実は、父親は六年前に死んでいるんだ。警察官で、とにかく頑固者で、子どもの頃は、アタシも琉歌るかも厳しくしつけられたよ。特にアタシには、二言目には『お姉ちゃんなんだから』って言われて、琉歌の世話を押しつけられたり、琉歌の見本になるようにって散々言われたから、中学に上がる前には、少し琉歌のことが嫌いになってた。中学生になって、バンドを始めたのは、そんな父親への反発だった気がしてる」

「……」

「女の子がバンドやるなんて不良だなんて言う父親とは絶縁状態になって、家の中で別居してるみたいなもんだった。当然、父親は、琉歌に愛情を全部振り向けて、可愛がっていたんだけど、皮肉なことに、琉歌も父親の過干渉に嫌気が差したんだろうな。アタシと一緒にバンドをするって言い始めて、アタシも当時脱退したドラムの後釜に琉歌を据えたんだ。もちろん、父親は激怒したよ。琉歌がこうなったのは、アタシがたぶらかしたからだなんて言われてさ。長女のアタシには、期待を裏切られたって気持ちが強かったのかもしれないけど、末っ子の琉歌には、父親も強く怒れなかったみたいで、怒りの矛先はいつもアタシに向いていた。でも、アタシも『お姉ちゃん、お姉ちゃん』って寄って来ては、アタシがやることなすこと全部を真似したがる琉歌が可愛くてさ。琉歌ののんびりとした性格や物の言い方も大事にしてやりたいって思って、アタシが叱られて済むんなら、それでも良いやって思うようになったんだ」

「昔から、ちゃんと、お姉ちゃんをしてたのね」

「一応な。それで、アタシが高校三年生になって、同じ高校に琉歌も入学した時、琉歌に恋人ができたんだ。琉歌もその頃は、アタシを真似て、黒髪ロングにしてたんだけど、話す雰囲気は今とそんなに変わってなくて、癒やし系って言われて、けっこう、男子にも人気があったんだ」

「そ、そうだったんですね」

 琉歌に恋人がいたと聞いて、楢崎ならざきが心配そうに呟いた。

「琉歌と相思相愛の仲になったのは、桑田くわた直人なおとっていう、琉歌より四歳年上の男の子で、別のバンドでギターを弾いてて、練習スタジオでよく会っているうちに、琉歌と仲良くなったんだ」

 少し琉歌が身じろいだが、目が覚める気配はなく、玲音は琉歌の頭を撫でた後、また、話を続けた。

「直人は受験に失敗して浪人をしていたんだけど、二人は本当に仲が良くってさ。アタシもこのまま二人の仲が続いてくれると良いなって思っていたんだ。きっと、父親は琉歌の交際に反対するだろうって思っていたから、両親には交際のことを秘密にしていた。直人も琉歌のことを大事にしてくれて、ちゃんと両親の許しを得るまではって言って、琉歌を奪ったりしなかった」

 楢崎を安心させようとしたのか、玲音は楢崎を見てから、また、みんなを見渡した。

「あれは、夏休みに入る、ちょっと前の頃。琉歌が直人とつきあっていることが、どうやら近所に住んでいた琉歌の同級生の親経由で、父親の耳に入ったみたいなんだ」



 六年前。季節は夏。

 日曜日の午前。

 今日は、直人と遊園地に行く予定にしていた琉歌は、夏らしい淡い空色のワンピースを着て、姉を真似た長い黒髪をドレッサーの前でときながら、直人からの連絡を自分の部屋で待っていた。

 間もなく、琉歌の携帯が鳴った。

「琉歌? いつもの駐車場に着いた」

「分かった~。すぐに行くよ~」

 交際を両親には内緒にしていた琉歌は、車で迎えに来てくれる直人に家の前まで来てもらうことができなかったことから、近所のスーパーの駐車場でいつも待ち合わせをしていた。

 いそいそと部屋から出て、両親に出会いませんようにと祈りながら、外に出ると、運悪く庭木の手入れをしていた父親に見つかってしまった。

「琉歌、どこに行くんだ?」

「友達と遊んでくる~」

「学校の友達か?」

「う、うん~」

「帰りは何時頃だ?」

「ちょっと、遅くなるかも~」

「六時には帰ってきなさい」

「そ、そんな~!」

 今日、直人と行く遊園地では夜のイルミネーションが綺麗で、それまで二人でいる予定にしていた。

「友達も九時頃まで遊ぶって言っているんだから、私一人が抜けて帰る訳にいかないよ~」

「じゃあ、友達をここに連れてきなさい! お父さんが断っておくから」

「嫌だよ~! お父さん! もう、私に構わないでよ~! 私だって、もう高校生なんだよ~!」

「高校生だからだ! せめて、お前だけは、玲音れおみたいにどうしようもなくなる前にきちんとさせないと」

「お姉ちゃんのことをそんなに言わないで~!」

「じゃあ、玲音はどうしている? 昨日の夜、出掛けたまま、帰ってきやしないぞ! どこで何をしているのか知らないが」

「とにかく、私、もう行かなきゃ~!」

 琉歌は、父親を無視して門から出ようとした。しかし、その手首を父親に掴まれてしまった。

「父さんは許さないぞ! 何と言う友達と出掛けるんだ? もしかして、男か?」

「そんなこと、お父さんには関係ないでしょ~!」

「そうなのか? ここに連れてきなさい! 琉歌にふさわしい男なのかどうかを確かめてやる!」

「お父さんにはそんな権利ないでしょ~! 私の友達なんだよ~!」

「琉歌! お願いだから、お前だけは変な友達から悪影響を受けないでくれ! 玲音と一緒にバンドをしているのも辞めろ!」

「嫌だ~!」

 父親の手を振り切った琉歌は、「お父さんなんて大嫌い~!」と叫んで、直人が待っている駐車場に向けて走った。なかなか来ない琉歌を直人も心配しているだろう。

 琉歌は、懸命に走ったが、後ろから父親が追って来ているのが分かった。

 琉歌は、駐車場に着くと、直人の車の助手席に飛び乗った。

「直人さん~! 早く出して~!」

「ど、どうしたの、琉歌ちゃん?」

「お父さんが~!」と琉歌が言った時には、父親は車の前に立ち塞がっていた。

 そして、ツカツカと運転席に歩み寄ると、ドアを開き、直人を運転席から引きずり出した。警官でその逞しい体も鍛えている父親は、直人の胸ぐらを掴んで、大きな声で問い詰めた。

「人の娘を黙って連れだそうとするなど、貴様は泥棒猫か?」

「ち、違います」

 きつく胸ぐらを掴まれて、直人が息が苦しそうに答えた。

「ちゃんとした男なら、交際をさせてくれと挨拶に来るのが筋じゃないのか?」

「そ、それは」

「違うのか?」

「お父さん! 止めて~!」

 琉歌も車から降りて、父親を後ろから引っ張って、直人から引きはがそうとしたが、琉歌の力では無理だった。

「もっと仲良くなったら、ちゃんと行くつもりだったんだよ~!」

「挨拶が先だろうが!」

 古い考えに凝り固まっている父親には、琉歌の言い訳は逆効果だったようだ。

 直人の顔が苦しそうだった。

 本当に直人を殺しかねない父親の表情が琉歌は怖くなった。

 周りを見渡した琉歌は、一旦、父親から離れて、カート置き場から買い物用のカートを引っ張り出すと、父親に向けて、勢いを付け、思い切りぶつけた。

 さすがに、父親も直人ともに倒れた。

 ゴンと音がして、父親がコンクリートの地面で頭を打ったような気がしたが、頭を振りながら起き上がろうとしている父親を見て、とりあえず、父親が無事なことを確認した琉歌は、直人の手を引いて起き上がらせて、「早く!」と車に急かせた。

 父親は脳しんとうを起こしたのか、上半身を起こしたまま、頭を振っていたが、今の琉歌にそれを心配する余裕はなかった。

 ――ここにいると、本当に直人さんが殺される!

 そんな恐怖心に支配された琉歌には、早く、ここから逃げようということしか考えられなかった。

「直人さん! 早く出して~!」

「わ、分かった」

 琉歌とともに車に戻った直人は、すぐにサイドブレーキを戻して、アクセルを思い切り踏んだ。

 しかし、次の瞬間!

 急発進した車の前に立ち塞がった父親の体がフロントガラスに激突した。

 すぐにブレーキをかけて止まった車の中で、直人と琉歌は、細かいひびが入り、へこんだフロントガラスを呆然と見つめていたが、我に返った琉歌がすぐにドアを開いて、車の外に出ると、そこには、頭から血を流し、身動き一つしない父親が地面に横たわっていた。



 詩織しおりかなでも言葉を失っていた。楢崎も呆然と立ち尽くしていた。

「父親は、すぐに病院に運ばれたんだけど、もう息をしてなかったらしい」

「……」

「悲劇はそれだけじゃないんだ。警察の事情聴取を受けた後、直人と連絡が着かなくなって、翌日には近くの林の中で首をつっているのが見つかったんだ」

「……悲しすぎます」

 詩織が溢れる涙を拭うこともせずに呟いた。

「琉歌ちゃんに残された心の傷のことを思うと、何も言えないわね」

 奏も目に涙を溜めて言った。

「琉歌は、しばらく、何も話せなくなっていたよ。アタシも心配でずっと側についていたけど、目を離すと、リストカットを何度もした。でも、その都度、アタシが止めたんだ」

「……」

「何とか琉歌の気持ちも落ちついてきたけど、それまでの琉歌とは違ってしまった」

「琉歌ちゃんが女の子らしくしないのは、そのことと関係しているのね?」

「ああ、自分が恋さえしなければ、恋人と父親を失うことはなかったんだってね。アタシも琉歌の気持ちは痛いほど分かったから、自分で命を絶つこと以外は、琉歌のしたいようにさせた。長かった髪も自分でばっさり切って、金髪にして、自分のことを『ボク』って呼び出して、辛い現実を忘れようと、ネットの世界に入り浸るようになった。当然、バンドも辞めたんだけど、このままじゃ、琉歌は生ける屍のようになっちまうと思って、無理矢理でにも、バンドにだけは復帰させた。アタシができることは、それくらいしかなかったし、琉歌もバンドのことが好きだったから、良い気分転換にはなったとは思ってる」

「そういえば、以前、車が苦手って言ってたのも、そのせいだったのね?」

「ああ。やっぱり、父親がぶつかった時のシーンが蘇ってきてたらしい。もう、だいぶ、マシになってたようだけどな」

「そっか。そんな事情も知らずに、ごめんね」

「何で、奏が謝るんだよ。何も言ってなかったのは、こっちだし」

 玲音も奏の優しい言葉が嬉しかったようだ。

「ちなみに、琉歌がやってるネットトレーディングの資金は、父親が残しておいてくれた、琉歌名義の預金なんだ。やっぱり、父親も琉歌は可愛かったんだろうな。一千万近くもの金額だったんだ。ちなみに、アタシにも十万程度の預金を残してくれたんだけどな」

 自嘲気味に言った玲音だった。

「玲音は、まだ、お父さんのことは割り切れてないの?」

「いや、割り切ってるよ。最後まで和解できなかったけど、死んだ人間に文句言ったって仕方ないじゃん。母親とは、まだ同居しようって気にはならないけど、とりあえず、父親の法事には連絡が来て、琉歌と一緒に行ってるぜ」

 

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