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Act.141:引き起こされたトラウマ

 クリスマスイブを来週の水曜日に控えた土曜日の夕方。

 バイトを終えた玲音れおは、琉歌るかの部屋を訪れた。

「琉歌! 起きてるか?」

「起きてるよ~」

 パソコンのディスプレイに向き合っていた琉歌が、振り向いて答えた。

 玲音が琉歌の側に行き、画面を見ると、琉歌のアバター「ルカ」が魔術師ナランとベンチに並んで座っていた。

 ナランの中の人である楢崎ならざきは、「イルヤード」の運営会社の営業担当社員で、土日が休みだった。きっと、朝からバーチャルデートを楽しんでいたのだろう。

「デート中か?」

「ううん。今、楢崎さんは買い物中だよ~」

 画面を見ると、ナランの頭上に「離席中」の表示がされていた。

「買い物?」

「うん。夜御飯をコンビニで買ってくるんだって~」

「楢崎さんも一人暮らしなんだ?」

「うん」

 実は、玲音は、琉歌の部屋に入るまで、楢崎と電話で話をしていた。琉歌には、ちょっと買い物に行ってくると伝えて、玲音と話をした楢崎は、玲音の頼みを承諾してくれた。

「琉歌」

「何、お姉ちゃん?」

「アタシも、琉歌が好きだっていうアニメやゲームの勉強をしたいと思っててさ」

「えっ? どういうこと~?」

「もしもさ、琉歌と楢崎さんとの仲が進展して、カップルになったとするじゃん。そうなったら、アタシが二人の会話に入れないのも、ちょっと悔しいしさ」

「まだ、そんなことはないよ~」

「まあ、念のためだよ、念のため」

「ふ~ん。でも、お姉ちゃんともアニメやゲームの話ができるのは、ボクも嬉しいよ~」

「じゃあさ。今度、秋葉原に一緒に行って、琉歌にいろいろと教えてもらおうかな」

「本当に~? 良いよ~」

「じゃあ、明日の日曜日とかどうだ? どうせ、何も予定はないんだろ?」

「悔しいけど、そのとおりだよ~」

「実はさ。アタシは、その日のお昼頃、榊原さんと会う約束があるから、その後に秋葉原で待ち合わせしようぜ」



 そして、翌日。

 日曜日の午後三時。

 琉歌は、秋葉原駅前で玲音を待っていた。

 いつものオーバーオールジーンズの上にダッフルコートを着込んで、そのフードをかぶった格好で待っていると、駅から見覚えある男性が歩いて来ていた。

 誰かを探すように、きょろきょろと辺りを見渡しながら歩いて来ているのは、楢崎だった。

 フードをかぶっていても琉歌が分かったようで、楢崎はうれしそうな顔をして琉歌に近づいて来た。

「る、琉歌さん! こんにちは!」

「こんにちは~」

「お姉さんは、どちらにいらっしゃるんですか?」

「はい~?」

「い、いや、お姉さんに呼び出されて、来たんですけど」

 その時、コートのポケットに入れていた琉歌のスマホが鳴った。スマホを取り出して画面を開くと、姉からメールが入っていた。

『急用ができたから今日は行けそうにないよ。もしかして、楢崎さんが来ているのなら、相手をしてやってくれ』

 琉歌が楢崎を見ると、楢崎も琉歌を見ていた。

「琉歌さんのお姉さんからメールが来てて」

 そう言って琉歌に画面を見せた、楢崎のスマホには『琉歌をよろしく』という玲音からのメールが入っていた。

「お姉ちゃんにはめられた~」

 今になって、玲音に騙されたと分かった琉歌だった。

 一方の楢崎は、玲音から、琉歌と一緒に秋葉原に行くから久しぶりに会おうと言われていたが、まさか、琉歌と二人きりで会うことになろうとは思っていなかったのだろう。

 二人とも予想もしていなかった事態に、目線を合わせることなく、どうしようかと視線をさまよわせていたが、しばらくしてから、楢崎が気合いを入れるような仕草をして、琉歌を呼んだ。

「る、琉歌さん!」

「はい~?」

「せ、せっかく、お会いできたのですから、そ、その、時間があるのなら、一緒に、いろいろと見て回りませんか? 僕も秋葉原は久しぶりなので」

 真冬なのに、顔に汗をかきながら、楢崎が言った。

 琉歌には、それを断る理由はなかった。



 最初は、リアルで一緒にいることをお互いが意識してしまって、少しぎこちない二人であったが、バーチャルででも、ずっと、二人で会話をしていたことは、琉歌と楢崎の間の垣根を低くしてくれていた。

 アニメショップやパソコンショップをいろいろと見て回っているうちに、二人は「ルカ」と「ナラン」になっていた。

 いろんな話ができた。

 イルヤードやアニメの話が多かったが、ときどき、お互いのリアルの情報を紹介しあった。

 もちろん、手をつないだり、いちゃいちゃとするようなことはなかったが、お互いを見つめるその笑顔は、今、二人でいることに心地良さを感じていることが、素直に出ているのだろう。



「じゃあ、次、ラジオ館に行ってみませんか?」

「は~い」

 一旦、大通りに出て、歩道を並んで歩いていると、スピードを出した車が減速もせずに交差点に突っ込んできているのが見えた。

 キキーッ!

 突然、ブレーキ音が響いた。

 しかし、間に合わずに、走って来た車は、信号で止まっていた車の後ろに衝突をした。

「ああ!」と驚いた声を上げた楢崎だったが、ブレーキのお陰で、少しは衝撃がやわらいだようで、ぶつけられた車も、ぶつけた車も、乗っていた人が車内で動いているのが見えて、どうやら、命には別状はないようであった。

「危なかったなあ。ブレーキが遅れていたら、大変な事故になってましたね」

 楢崎が隣の琉歌に顔を向けたが、そこに琉歌はいなかった。

 楢崎が焦って見渡すと、琉歌は、その場にしゃがんで、手で口を押さえていた。

「琉歌さん! どうしたんですか?」

 楢崎もすぐにしゃがんで、琉歌の顔を見た。

 車の急ブレーキの音。そして昔の恋人直人(なおと)に似た楢崎の顔。

 琉歌が、ずっと忘れたいと思っていた光景が蘇った。

「やだー!」

 琉歌は、そのまま気を失ってしまった。



 その頃、玲音はかなでの家にいた。

 晩御飯も一緒に食べてくるように、楢崎を焚きつけていて、琉歌の帰りも遅くなるだろうと思っていたし、詩織しおりが前日の夜から奏の家に泊まっていて、今日は、一緒に晩御飯を食べてから自分の家に帰ると聞いていたので、一人で晩飯を食べるのも寂しかったことから、押しかけてきたのだ。

「そっか。琉歌ちゃんもその人と仲良くなれれば良いわね」

 玲音が作った晩御飯を三人で食べながら、奏が言った。

「ああ、昔の琉歌に戻ってほしいって、常々、思っていたから、ちょっとは期待しているんだ」

「昔の琉歌ちゃんって?」

「あっ」

 琉歌のトラウマについては、詩織や奏には、まだ、話していなかったことを思い出した玲音は、良い機会だから話そうと思った。

「実は、今の琉歌は、人付き合いが苦手なんだけど、昔はそうでもなかったんだ」

「そうなの? 昔の琉歌ちゃんってどんな感じだったのかしら?」

「まあ、話し方とか性格はそんなに変わってなくて、昔から癒やし系でさ、男子にもモテモテだったんだぜ」

「琉歌さん、年下の私から見ても可愛い人だと思いますもの」

「でも、変わったきっかけって?」

「それは」

 テーブルの上に置いていた突然、玲音のスマホが鳴った。

「ごめん」

 玲音がスマホを手に取り、耳に当てると、すぐに「えっ!」と大声を上げた。

「どうしたの?」

「琉歌が倒れたって!」



 玲音が、詩織と奏とともに秋葉原の病院に駆け付けると、入り口で楢崎が待っていた。

「楢崎さん! 琉歌は?」

「まだ、目を覚ましていません。でも、特段、命には別状はなくて、何か大きなショックを受けたことによる気絶だろうと言われました」

 楢崎の案内で病室に行くと、琉歌がベッドに横たわっていた。眠っているようだが、眉間にしわを寄せた表情で、嫌な夢を見ているようであった。

「琉歌」

 玲音が枕元に置いている丸椅子に座り、顔を琉歌に近づけ、呼び掛けたが、琉歌は目を覚まさずに、体を動かしながら「ごめんなさい。直人さん」と小さな声で呟いた。

 それを聞いた玲音は、雷に撃たれたかのように、体を震わせた。

「琉歌……」

 玲音は、琉歌の手を握り、しばらく、じっと琉歌の顔を見ていたが、おもむろに立ち上がると、楢崎の顔を見た。

「楢崎さん。琉歌が倒れた時、何かありましたか?」

「……目の前で車が事故ったことくらいでしょうか」

「……やっぱり、そうでしたか」

 玲音は、力なく、また、丸椅子に座った。

「玲音。楢崎さんもそうだろうけど、私達も何が何やら分からないわ。さっき、話し掛けたことを話してくれない? 力になれることがあれば協力するからさ」

 奏に力なく笑顔を見せた玲音は、「そうだな」と呟いて、玲音の周りに立っている詩織、奏、そして楢崎の顔を順番に見渡した。

「琉歌の悲しい過去のことなんて、できれば、みんなには話したくなかったんだけど、こんなことになって、話さない訳にいかないよな」

 玲音がぽつりぽつりと話し出した。

 

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