Act.140:試金石
「松下君」
榊原が隣に座っている松下を呼んだ。
「私は、この件については利害関係人だ。君が議事を進行してくれないか?」
「議事とは?」
「私の辞職を承認するかどうか。そして、クリスマスイブ・ライブの出演者の差し替えをすべきかどうかの二点だ」
「社長。辞められるんなら、勝手に辞めていただいても、けっこうなんですよ。それを役員達にはかるということは、我々に引き留めてもらいたいということですか?」
榊原の従兄弟でもある松下は、変に回りくどいことを言わなかった。
「そう捉えてもらって良い。私は、この会社で、まだまだ、やりたいことが山ほどある。できれば、このまま社長を続けたい。しかし、諸君らの支持を得られないのなら、潔く辞職をするつもりだ。だから、諸君らの考えを聞きたいんだ」
「こんなの茶番じゃないですか! この席で、社長に面と向かって『辞めろ』と言える役員がいるはずがありませんよ!」
大塚が憤慨しながら言った。
「単に○×を記入するだけの無記名投票でもかね?」
「……それであれば」
榊原の提案に大塚も反論はできなかったようだ。
「どうかな、松下君? そういう方法でも良いので、諸君らの率直な考えを聞かせてほしい」
「そんなことを、今、する必要はないんじゃないですかねえ」
榊原は、自分の提案をあっさりと否定した松下を凝視した。
「なぜだね?」
「今度のクリスマスイブ・ライブにクレッシェンド・ガーリー・スタイルを出演させるということは、前々回の役員会で決定してすぐにライブの実行委員会にも知らせて、マスコミ報道もされている。うちのホームページにもデカデカと掲載している。現実問題として、どう転んだって、よほどの理由がない限り、今さら、サーキュレーションに変えることなど不可能でしょう?」
松下がその顔を見ながら話した大塚も渋々うなずいた。
「そして、クリスマスイブ・ライブで、クレッシェンド・ガーリー・スタイルが更に注目を浴びれば、我が社として、クレッシェンド・ガーリー・スタイルを強力にプッシュしてきた戦略が間違っていなかったことになる。そうなれば、社長の個人的な下半身の思い入れがあったとしても、結果オーライじゃないんですかね?」
「クリスマスイブ・ライブの結果を見て、判断するということか?」
「ええ。それなら、いくら社長が突然辞任しても、マスコミ向けの理由もできますからねえ」
社長が所属アーティストと懇ろになったことをマスコミに公表することは、エンジェルフォールのイメージにも悪影響を与えることは否定できないから、外部に対して秘密にすることは、役員なら反対しないだろうが、理由を明らかにしないで社長が突然辞任すると、内紛があるのではないかと邪推され、結局、イメージダウンは避けられない。
しかし、自らが率先して推していた所属アーティストが期待するほどの結果を残せなかったとしたら、それは辞任の理由となる。
榊原は、創業者社長として、ここまでエンジェルフォールを引っ張ってきた功労者であり、今もエンジェルフォールの推進役と言っていいだろう。確かに、所属アーティストに手を出すことは社長として褒められたことではないが、そういう榊原の個人的な失態で、その推進役を追い出すことは、役員達としても望んでいないことで、クリスマスイブ・ライブの結果という客観的な判断基準によるという松下の提案には、役員達も同意しやすかったはずだ。
役員会は松下の提案を採択して終わった。
役員会が終わった後、玲音と榊原は、池袋の榊原の家に戻った。
午後十時過ぎには、バイトを終えた詩織と、琉歌、奏がそろってやってきた。
全員が応接セットのソファに向かい合って座ると、榊原が役員会の結果をメンバーに伝えた。
「クリスマスイブ・ライブのでき次第で、榊原さんの処遇も決まるということですか?」
奏の問いに、「そうです」と答えた榊原だったが、その表情は明るかった。
「しかし、クレッシェンド・ガーリー・スタイルが結果を出せない訳がない。私は、そう信じているし、何も心配していませんよ」
「翔平の将来が掛かってると思うと、少し気負ってしまいそうだけど、翔平も普段どおりのアタシらを出してほしいって言ってるんだ」
「ああ。それで認められなかったということは、松下が言う、私の下半身の不徳の致すところだということだ」
少し卑猥な台詞に、奏も苦笑しつつ、「でも、松下さんは、本当に榊原さんを信頼なさっているんですね?」と尋ねた。
「以前にも紹介しましたが、彼は従兄弟でもあり、同じ大学の後輩でもあるんですけど、私がエンジェルフォールを開業したいと最初に相談したのが彼で、それ以来、彼の協力なしには、私もエンジェルフォールを立ち上げることはできませんでしたよ」
「仲間って感じですね」
「はい。まさしく、そうです。ちなみに、彼と竹内君は夫婦なんですよ」
「ええーっ!」
予想もしてなかったカップルに、メンバー全員が驚いた。
「みょ、名字は?」
「竹内君は、旧姓使用をしているんだ。結婚前から、エンジェルフォールの竹内といえば、敏腕マネージャーとして有名だったからね」
「何か、あの二人が話している様子が想像できないんだけど」
玲音が言ったとおり、どちらかというと軽く見える松下と、いつも冷静沈着な竹内が、プライベートでは、どんな会話をしているのか、不思議であった。
「夫婦って分からないものねえ」
「好きあって結婚しても、年月が経てば、変わってしまうこともありますからねえ」
奏は、松下と竹内夫妻のことを言ったのだが、榊原は自分と妻のことだと捉えたようだ。
「アタシだって、翔平がコンビニでチンピラを追い出してくれた時、もう、この人とは二度と会うことはないだろうなって思ったけど、今じゃ、こんなことになっちまっているんだから、夫婦というより、人の出会いも分からねえよな」
「本当ねえ」
「おシオちゃんも桜小路先生とか、椎名とかと出会っているもんな」
「お二人とも、今は大切な人です」
「ういういしいねえ」
「あんたも少しは詩織ちゃんを見習いなさい」
「さーせん」
頭をかきながら奏に頭を下げた玲音は、隣の琉歌の肩を抱いた。
「実は、琉歌にも彼氏ができているんだぜ」
「ほんとに?」
びっくりした奏に、琉歌が少し照れながら「イルヤードの中でだよ~」と答えた。
「ああ、あのゲームの?」
「うん~。まだ、デートもゲームの中でだけだよ~」
「琉歌ちゃんも可愛いんだから、相手の人も実際に会って、デートをしたいんじゃないの?」
「ううん。イルヤードの中だけで良いんだって~」
「そうなの?」
「人生いろいろ、カップルもいろいろってことだよ」
「ふ~ん」
「そういう奏は?」
「何が?」
「だから、新しい彼氏だよ」
「い、いないわよ」
奏の頭の中に椎名が浮かんだが、椎名は詩織の彼氏候補だし、椎名は奏に対して、友人以上の感情は持っていないはずだ。
「私は、詩織ちゃんと同じで、今はバンドに燃えているのよ!」
「いやいや、おシオちゃんには彼氏になりたいって言い寄って来ているイケメンが二人もいるんだぜ」
「私には、どうせ、いませんよ」
「藤井先生」
榊原が唐突に奏に声を掛けた。
「これは、玲音にも言っていることですが、私は、藤井先生のことを素敵な方だなと思っていました」
「翔平は、奏が好みのタイプなんだって」
玲音も嬉しそうに言った。
「私と玲音とじゃ、全然、タイプが違う気がしますけど?」
「確かにそうですね。私も、自分が大柄なものですから、見た目は藤井先生のような小柄な女性が好きだったんです。女房もそうでした」
「そ、そうなんですか」
「でも、玲音とは、もう、話していて波長がぴったりくるんです。女性の容姿より、性格とか相性を重視するようになったのは、それなりに人生経験もした結果かもしれません」
「だから、もし、奏がアタシのような性格だったら、翔平を取られていたかもしれないんだよな」
「安心しなさい。私は間違っても、あんたみたいな性格にはならないから」
榊原の家から出た玲音と琉歌とは、今日も奏の家に泊まる詩織達と別れると、池袋駅に向かった。
「琉歌」
「何~?」
玲音が隣を歩く琉歌を見た。
「悪かったな。いろいろと心配掛けて」
「もう慣れてるよ~」
「ははは。ほんと、申し訳ないよ」
穏やかな琉歌の顔に、玲音も癒やされた。琉歌は昔から、瞬間湯沸かし器ほどに短気な玲音の冷却剤であった。
「それでさ。これから、奏屋で飲んだ後には、アタシ、毎回、榊原さんの家に泊まるようにするから、琉歌一人で帰ってくれるか?」
「何~? ボクだって一人で帰れるよ~」
心配そうな玲音に、琉歌も嬉しそうに答えた。
「そ、そうだけどさ。一応、断っておこうと思ってさ」
「うん、分かった~」
「次の朝、ちゃんと朝御飯も食べるんだぜ」
「分かってるよ~」
どうせ、ゲームに夢中になっていて、食べるのを忘れているだろう。
玲音は、そんな琉歌がゲーム内でつきあっている「彼氏」である楢崎のことを思い出した。
「それで琉歌。楢崎さんとは、まだ、リアルで会うつもりはないのか?」
「そうだね~。楢崎さんも会おうとは言わないし~」
「それで、琉歌は良いのか?」
「うん」
「……そうか」
玲音は、自分が恋を成就させて、今、感じている幸福感を、琉歌にも感じてほしいと思った。
しかし、琉歌の脳裏に深く刻まれている、あのトラウマは、楢崎との関係をも悪化させてしまうのではないかという心配もあった。
かといって、昔の琉歌に戻ってほしいという玲音の願いは、このまま思い悩んでいるだけでは解決するはずもない。
玲音は、行動に移すことにした。




