Act.139:快楽のツケ
とりあえず、玲音と榊原の関係は、メンバーだけの秘密にすることとなった。
しかし、二人とも背が高く、モデルのような洗練された容姿の玲音が榊原と並んで街を歩いているだけで目立ってしまうのは仕方がないことだった。
榊原がサーキュレーションのメンバーの来訪を受けたのは、奏達と話し合った日の翌々日の木曜日だった。
「何の用かな?」
「クリスマスイブ・ライブのことです」
「それなら、もう結果を知らせているはずだが?」
「ええ、クレッシェンド・ガーリー・スタイルが出演するんですってね?」
「そうだ。まだデビュー前だが、彼女らの注目度は、残念ながら、君達よりも上だ。厳しいようだが、これも弱肉強食の芸能界という世界なんだ」
「ええ、実力で負けたのなら、僕らも納得します。でも、色仕掛けで負けたのなら納得できないですね」
「どういう意味だね?」
「つい最近ですけど、夜、池袋で、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのリーダーと榊原さんが一緒に歩いているのを、僕、見たんですよ」
「……」
「どう見ても恋人同士って感じでしたよ」
「……」
「榊原さんの個人的な感情で、クレッシェンド・ガーリー・スタイルを選んだんですか?」
もう、言い逃れはできないと、榊原もすぐに腹をくくった。
「確かに、私は玲音君とつきあっている。しかし、そのことで彼女達を特別扱いした覚えはない」
「どうなんでしょうねえ。そもそも、秘密にしていることが怪しいじゃないですか?」
「積極的に話すようなことでもないだろう?」
「とにかく、僕達、榊原さんの言うことが信じられなくなりました」
「だから?」
「大塚さんにこのことを話して、会社全体で話し合ってもらいます。クリスマスイブ・ライブのことも含めて」
「脅迫するつもりかね?」
「そんなんじゃありませんよ。僕らは公平な処遇を求めているだけです」
「では、君達が思うようにしたまえ」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
社長に対して優位に立ったことを見せつけるように、サーキュレーションのメンバーは座ったままの榊原を見下ろしながらソファから立った。
玲音がコンビニのバイトから家に帰ったタイミングで、竹内から携帯に電話が掛かってきた。
「玲音さん、社長と個人的なおつきあいをしていたのですね?」
開口一番、竹内が問い質した。
「ど、どうして、それを?」
玲音は、しらばっくれることもできずに、正直に、竹内に尋ねた。
「社長が、うちの社の役員を緊急招集して、打ち明けてくれたのです」
「しょうへ……、榊原さんが?」
「ええ、その席で社長は、この責任を取って、社長を辞する考えを示されました」
「そ、それは、認められたんですか?」
「いいえ。社長は部下からの信頼も厚いですし、そもそも、エンジェルフォールは社長が創り育て上げてきた会社で、社長の人柄と強い指導力で持っているところが大きいのです。役員からも辞任を押しとどめる意見が出て、とりあえず、結論は保留ということになっています」
「そうですか」
ひと安心した玲音だったが、「クレッシェンド・ガーリー・スタイルも責任を取る必要に迫られるかもしれませんよ」という竹内の言葉に、暗い気持ちになってしまった。
その日。
ちょうど、スタジオリハがあったメンバーはビートジャムに集まったが、榊原の話で練習どころではなかった。
「やっぱり、壁に耳あり障子に目ありだね。サーキュレーションって、この前に会った男性バンドだよね?」
奏が玲音に尋ねた。
「そうだよ。クリスマスイブ・ライブへの出演がほぼ決まっていたのに、直前になって、アタシらに差し替わったから怒っているみたいなんだ」
「榊原さんが私達に惚れ込んでくれたのは、玲音と榊原さんの関係がこうなる以前なんだから、私達には関係のない話といえばそうなんだけど、でも、他のアーティストにしてみれば、そう思っても仕方はないわね」
「ほんと、悪い」
玲音がいつになく、素直に奏に頭を下げた。
「どうする? 私達もクリスマスイブ・ライブを辞退する?」
奏が玲音に訊いた。
「アタシは何も言う資格がないな」
首を垂れた玲音から視線を外して、みんなを見渡した奏に、「あの」と、詩織が控え目に手を上げた。
「詩織ちゃんも同じ意見?」
「いえ。私、前から思っていたんですけど、榊原さんと玲音さんは、どんな悪いことをしたんですか?」
「えっ?」
「不倫がいけないことだということは、いくら、私でも分かります。でも、話を聞くと、榊原さんと奥様は、もう離婚を前提で話をされているのですよね?」
「そうね」
「だとすると、玲音さんと榊原さんがおつきあいし始めたことで、誰かが迷惑しているとか、嫌な思いをしているんでしょうか?」
「……」
「私は、びっくりはしましたけど、お二人がおつきあいしていると聞いて、嫌な気分にはなりませんでした。あ、あの、子どもな意見かもしれませんけど」
「詩織ちゃんが言うことも一理あると思うよ。一概に不倫と言っても、普通に夫婦として生活しているのに、奥さんに黙って『浮気』をすることは、奥さんに対する裏切り行為だし、最低なことだと思う。でも、玲音と榊原さんの話を聞いて、二人は真剣に好き合っていて、一方で、榊原さんと奥様との仲は破綻しているのに、正式に離婚が成立するまでおつきあいしちゃ駄目っていうのもどうかと、私も思ったのよ」
「奏……」
「それと、玲音との関係があったから、榊原さんが私達に肩入れしてくれてたのかっていうと、そうじゃないことは、私達もみんな、分かっていることでしょ? だから、今度のライブは、自分達の力で勝ち取ったんだって、正々堂々と出演するのもありかなって、正直、私の中では迷ってた。でも、詩織ちゃんは出演に前向きなんだよね?」
「できれば出たいです」
「そうだね。出演を取り消されたのなら仕方はないけど、自分達で出演を辞退するのは、むしろ、自分達に後ろめたいところがあったからって逆に思われそうだよね。ここは詩織ちゃんの意見も汲んで、出演したいということで押し通してみようか?」
「そうだな、そうしようぜ!」
「あんたが胸を張って言うな!」
「ご、ごめん」
いつもと逆に、奏に突っ込まれて恐縮する玲音だった。
翌日の金曜日の夜。
エンジェルフォール本社で、緊急役員会が開かれていた。
クレッシェンド・ガーリー・スタイルからは玲音一人が出席していたが、バンドのリーダーというよりは、今回の騒動の当事者として出席させられたというのが正解だろう。
ロ型に会議机がセットされた会議室の正面に榊原が座り、その左隣には、榊原の従兄弟で営業担当専務の松下が座り、玲音は榊原の右隣に座らされた。
最初に榊原が立ち上がった。
「みんな、忙しい時に集まってもらって恐縮だが、今日の議題は、私の進退についてだ。前回の役員会の際、私は社長の辞任を申し出たが、結論は持ち越しにされている。いつまでも宙ぶらりんの状態で置いていられるものでもない。今日は結論を出してほしい。そして、最初に、みんなに謝っておきたい」
榊原はそう言うと、玲音をうながして立たせた。
「私は、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのリーダーをしている、この萩村玲音君と交際をしている。それは事実だ。しかし、諸君らにも既に明らかにしているとおり、妻とは現在離婚協議中で、事実上は、もう離婚しているも同然だ。だから、倫理上の問題はないと、個人的には思っている。だが、自分が管理をしている所属アーティストとこういう仲になってしまったことは、私の不徳のいたすところで、そこは申し開きできない」
榊原が役員達に頭を下げたのを見て、玲音も併せて頭を下げた。
そして、頭を上げた榊原が話を続けた。
「しかし、これだけは言っておきたい。玲音君とこういう仲になったのは、十一月になってからだ。それ以前から、私がクレッシェンド・ガーリー・スタイルを推していたのは、諸君らも知っているとおりだ。そして、私が便宜を図るまでもなく、また、デビュー前にもかかわらず、彼女達が我が社のいち推しになっていることは、紛れもない事実だ。私の処遇は諸君らに一任するが、今度のクリスマスイブ・ライブに、クレッシェンド・ガーリー・スタイルを出演させるという決定事項を覆すことはしないでほしい」
榊原に併せて、また、玲音も頭を下げた。
竹内の隣に座っていた、少しちゃらい感じがする中年男性が手を上げた。
「しかし、こういう事実が明るみになって、所属アーティスト達に動揺が広がっていることも事実です。それに、クレッシェンド・ガーリー・スタイルはデビュー前で、本当に結果が出せるのかどうか、客観的なデータは何もないのではないんですか?」
すぐに竹内が手を上げた。
「大塚さんがおっしゃりたいことは分かります。デビュー前ですから、CDの売り上げやメディアへの出演依頼回数といった、我が社における客観的なデータがないことは事実です。しかし、彼女らがアップしている動画のアクセス数、ツイッターのフォロワー数、ネットでの検索数というデータで、彼女らの注目度が高いことは一目瞭然です」
「しかし、そういった数字が、デビュー後の営業成績に直結するとは限りません。ネットで大評判になり、『アイドル界の黒船』などと呼ばれたアメリカの少女も日本に来てデビューしましたが、結局、一部のマニアに受けただけで、大した営業成績は残せませんでした」
「クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、ネットだけでしか活動している訳ではありません。実際にライブも何度か行い、そのすべてで大成功を収めています。来日してきて、初めて実物を見たという、その黒船さんとは違います」
「すべては憶測での話にすぎません。サーキュレーションは、今年の夏にデビューして、当社では一番の成績を残してきています。その彼らの功績にも応えるべきではないのですか?」
「確かに、彼らの営業成績は、当社ではもっとも大きいです。しかし、出演枠は一つだけで、どちらのバンドが多くの注目を集めているか、観客はどちらのバンドのライブを見たいのかという観点で検討すれば、おのずと結論は決まっていると思います」
大塚はサーキュレーションのマネージャーで、竹内とそれぞれが担当するアーティストの代理戦争の様相を見せていた。




