Act.010:クレッシェンド・ガーリー・スタイル(仮)
次の日。
私立アルテミス女学院三年B組の教室。
父親からの許しも得て、玲音と琉歌と一緒にバンドができるようになった詩織は、気分が高揚して眠れなかったこともあり、朝から小さなアクビを連発させていた。
玲音と琉歌には昨日のうちにメールで知らせた。二人からは大喜びしていることが目に見えるような返信があり、今晩には、早速、三人で会う約束をした。
一時限目が終わると、詩織は職員室に土田を訪ねた。
顔を上げて、自分の机の前に立った詩織を見た土田は「何かな?」としらじらしく尋ねた。
「昨日は申し訳ありませんでした。昨日のことは、私の勘違いでした」
「あっ、そう。分かった。これから十分気をつけるように」
「はい、分かりました」
第三者が聞くと、詩織が何かしらの勘違いをして土田に迷惑を掛けたことを謝罪し、土田がその注意をしているようにしか聞こえなかったはずだが、土田としては「バンドをしていることが学校にばれないように十分気をつけるように」という意味で言ったのだろう。
詩織は、お辞儀をして土田の前から離れると、職員室を出た。
バンドのことが頭の中でメリーゴーランドのように回っていて、授業も上の空で聞いていた詩織が待ちわびていた放課後。
玲音と琉歌は、池袋にある山田楽器店で買う物があるということだったので、池袋で会うことにした。
学校の制服のままで二人に会っているところを同級生に見られたくなかった詩織は、一旦、帰宅し、眼鏡をはずし、黒のTシャツにダンガリーシャツ、ダメージジーンズと黒のバスケットシューズという、いつものボーイズ風ファッションに着替えてから、とんぼ返りに池袋まで戻った。
時間は午後六時。既に薄暗くなりネオンが煌めく繁華街を通り、ビートジャムの近くのコーヒーショップに行くと、店の前で玲音と琉歌が待っていた。
玲音は、紺色のシャツにざっくりとしたカーデガン、下はブラウンのキュロットとタイツ、ショートブーツという、前回よりも可愛い感じのファッションで決めていたが、琉歌は前回同様、オーバーオールジーンズという格好だった。
「すいません、お待たせしちゃいました?」
小走りに二人に近づいた詩織に、玲音が少し気まずい顔をして手を振った。
「アタシ達も、ちょっと前に来たところだよ。琉歌がなかなか起きなくてさあ。結局、買い物できてないから、話が終わった後に買いに行くことにしたんだ」
琉歌を見ると、後頭部を掻きながら「えへへ」と照れ笑いを浮かべていた。
「昨日の夜、詩織ちゃんから一緒にやってくれるってメールをもらって嬉しくてさあ~。朝まで眠れなかったんだけど、株取引が終わると一気に睡魔が襲って来て、負けてしまったんだよ~」
「実は、アタシもそうなんだけどね。コンビニのレジでずっとアクビをかみ殺していたよ」
詩織は、二人が自分と同じ気持ちだったことが嬉しかった。
「私もそうです! 授業中、先生の声が右の耳から左の耳に素通りしてました」
三人はひとしきり笑った後、コーヒーショップに入ると、カフェラテを持って、店の奥の四人掛けのテーブルに座った。
一口、ラテを飲んでから、玲音が口を開いた。
「でも、学校の許可が出て良かったね」
「許可をもらった訳ではないんです」
「えっ? 黙っておくってことかい?」
「あ、あの、結果としては、そうなりました」
詩織は、父親との話や学校としては聞いていないことにしたということを二人に話した。
「ということは、結局、学校にばれないようにしなきゃいけないってことなんだね?」
「そうなんです。そのことで、お二人にご迷惑をお掛けすることになるかもしれません」
「詩織ちゃんと一緒にバンドができるのなら、そんな隠蔽工作くらい、いくらでもやってやるぜ」
「隠蔽工作って、ふふふ」
「詩織ちゃんの笑った顔、本当に可愛いよね~」
「本当だよな。その辺のアイドルよりもずっと可愛いんじゃね?」
口を両手で覆って笑った詩織の顔を見とれるようにして琉歌が言ったことに、玲音が即座に同意した。
「あ、あの、私、アイドルって嫌いなんです!」
詩織は咄嗟にそう言い訳をした。嫌になってアイドルを辞めたのだから、嘘という訳でもなかった。
「そうなんだ。でも、分かる分かる。あんな作り物の笑顔で、キモいアイドルオタクに金を貢がせるなんて、阿漕なことしてるんだもんなあ」
「アイドルの人って何にも考えてないように見えるよねえ~。まあ、何も考えていないのは、ボクもそうだけど~」
「それにさ、清純そうな顔をして、男を知らないようなこと言ってるけど、裏じゃあ、プロデューサー相手に股を広げてんだぜ、きっと」
詩織は、玲音と琉歌の前で、「そのアイドルをしてたんですけど」の言葉を飲み込んで、手元のカフェラテを見つめながら、二人のアイドル批判が終わるのをじっと待った。
確かに、同じアイドル仲間の中には、芸能プロダクションやテレビ局の実力者相手に枕営業をしていると噂があった人もいた。
しかし、その可憐でキュートな容姿と、ボイストレーニングやダンスレッスンで培ってきた実力を武器に、キューティーリンクのセンターにのし上がった詩織には無縁の話だったし、むしろ、詩織の側にいつも付いていた強力なステージママが男性を一人も寄せ付けなかった。
芸能界を引退して高校生になっても、お嬢様学校で男性との接点はなく、そのため、詩織は、男性に対する免疫が不足気味であった。
玲音と琉歌は、アイドルに何か恨みでもあったのか、さんざんアイドルの悪口を言った後、すっきりした顔で詩織に向き直った。
「ごめんごめん。すっかり詩織ちゃんを置きっぱなしにして盛り上がってしまって」
「い、いえ。でも、そんなにアイドルって嫌いなんですか?」
自分が昔アイドルをしていたと知ると、二人の詩織に対する態度が変わってしまうのではと、詩織は少し不安になった。
「アタシは、アイドルが嫌いって訳じゃなくて、男に媚びを売る女が嫌いなんだよ。なんつーか、自分を卑下しているようにしか思えなくてさ。女である前に一人の人間なんだから、男と対等に渡りあえって言いたくなる訳よ」
確かに、玲音が男にしなだれて甘えているシーンは想像できなかった。
「まあ、それも女の武器だと言われりゃそうかもしれないけど、アタシは男の力なんて借りずに自分の力でのし上がりたいんだよ!」
隣で「うお~、お姉ちゃん、かっこいい~」と呟きながら、琉歌が拍手をした。
「じゃあ、誰か個人的に嫌いなアイドルがいたとかじゃないんですよね?」
琉歌に「そんなに誉めるなよ」と手を揺らしていた玲音に、詩織が訊いた。
「そもそも、アタシも琉歌もテレビとかあんまり見ないし、よく知らないんだよね」
「そ、そうですか」
詩織は、二人に気づかれないように胸を撫で下ろした。
「あっ、あの、それより、これからの活動のことをお話しませんか?」
アイドルの話題を打ち切るために、詩織は今日の本題に話を振った。
「それもそうだね」
苦笑いをしながら玲音が少し身を乗り出したのを見て、詩織と琉歌もテーブルに手を着いて、顔を近づけた。
「何から決めようかな?」
「あ、あの、バンド名は何にしますか?」
詩織が意気込んで言った。昨日、眠れなかったのは、バンド名をあれこれと考えていたからというのもあった。
「いきなり?」
「えっ、へ、変ですか?」
玲音の意外と冷めた反応に、詩織の昂ぶっていた気持ちが一気に鎮火した。
「変じゃないけど、今まで、アタシ達は、バンド名って、けっこう後から付けていたんだよね」
「そうなんですか?」
「バンド名って、自分達が目指すバンドのイメージや演奏する音楽がどんなものかということが固まってからでも良いかなって思っててさ」
「そ、そうですか」
初めて結成した「自分のバンド」ということに舞い上がってしまっていた詩織だったが、玲音にあっさりと話の腰を折られて、しょげ込んでしまった。
「い、いや、別に良いんだぜ。自分達が目指したい音楽とかスタイルが決まってるんなら、そのイメージで決めたら良いんだからさ」
そんな詩織の様子を見て、玲音も慰めるように言った。
しかし、詩織は、玲音が言うことはもっともだと思った。
そして、詩織の「自分の言葉で、自分の音楽でメッセージを伝えたい」というイメージがひどく曖昧としたものだということに気づかされた。それに、詩織が、今、漠然と持っているバンドのスタイルやイメージどおりにこのバンドができるとは限らない。バンドは化学反応と同じだと誰かに聞いたことがある。メンバーの個性や音楽性がぶつかることで、バンドのイメージがまったく想像だにしていなかった方向に向かうこともあるのだ。
「い、いえ、玲音さんの言うとおりです。まだバンドとしては一回も音を出していないのに、上辺だけ取り繕っても駄目ですよね」
「駄目ってことじゃないけど」
「いいえ、駄目です! それに大事なのは名前じゃなくて中身ですよね?」
思わず拳を握って言い切った詩織に、玲音が笑顔を向けた。
「詩織ちゃんって、自分の意見はしっかりと持っているけど、スパッと切り替えることもできるんだね。本当、若いのに人間ができてるねえ」
「そ、そんなんじゃないです! 玲音さんがおっしゃることが本当に正論だなあって思ったからですよ」
「ふふふ、ありがと! じゃあ、正式なバンド名は、とりあえず音を出してみて、ある程度、バンドのイメージが固まってから決めようぜ。ちなみに詩織ちゃん?」
「はい?」
「自分の中でバンド名を決めてたんでしょ? 何て言う名前?」
「そ、それは……」
さっきまでは「バンド名はこれしかない!」と思っていたが、玲音の話を聞いた後では、すごく恥ずかしくなってしまった詩織だった。
「言っちゃいなよ~、詩織ちゃ~ん」
「そうそう! 吐くと楽になるぜ」
玲音と琉歌が楽しそうに詩織をいじってきた。
「あ、あの、……『クレッシェンド・ガーリー・スタイル』……とか」
顔を真っ赤にしながら答える詩織に玲音と琉歌が優しい微笑みを見せた。
「へえ~、可愛いじゃない!」
「何か詩織ちゃんらしい~」
「『クレッシェンド』は『徐々に強く』という意味だよね?」
「はい! バンドの勢いもそうですけど、メンバー同士の結びつきも強くなれば良いなって意味も込めました。それから『ガーリー』は『女の子ぽい』という意味で、『スタイル』は『格好』というより『生き方』とか『生き様』という意味で使いました。女性にしかできない音楽をやりたいなって思って、それだったら、私達の生き様を見せつけてやろうかなって……、あっ」
夢中で命名理由を話していた詩織は、玲音と琉歌の笑いを噛みしめている顔で我に返った。
「す、すみません。また、一人で盛り上がってしまって」
「謝る必要はないよ。それに、けっこう良い名前じゃん」
琉歌もしっかりとうなずいた。
「とりあえず、正式名が決まるまでの仮のバンド名として『クレッシェンド・ガーリー・スタイル』を使おうぜ。最終的にそれを使い続けるってことにしても良いし、後から新しい名前に変えても良いし。どう?」
「さんせ~い!」
玲音と琉歌の賛同を得て、詩織の初めてのバンド「クレッシェンド・ガーリー・スタイル(仮)」は始まった。




