Act.134:声を近くで
クレッシェンド・ガーリー・スタイルのデビューアルバムの収録曲を決める会議が終わった後、榊原は、エンジェルフォール所属アーティストで半年前にデビューしている男性五人組バンド「サーキュレーション」のメンバーと社長室で面談をしていた。
サーキュレーションは、今年の夏にデビューした男性五人組バンドで、ボーカルでリーダーの飯山、ギターの高橋、ベースの佐藤、キーボードの広田、ドラムの脇坂は、全員イケメン揃いで、女性ファンは、ある程度、ついていたが、男性からの支持が得られず、全体として人気が伸び悩んでいた。
「榊原さん、お忙しい中、すみません」
「いや、構わないが、私に直々に話とは何かな?」
「クリスマスイブ・ライブの話です」
榊原は、サーキュレーションのメンバーが何を言いに来たのか、すぐに分かった。
在京芸能音楽事務所六社が合同でクリスマスイブに開催する毎年恒例のライブイベントが中野にあるホールで開かれる予定になっていたが、出演枠は各社一つだけで、主に、これから大きく飛躍をさせたい各社の一押しアーティストが出演することになっていた。
「マネージャーからイブの夜は予定を空けておくようにって、秋には言われていて、ずっと楽しみにしていたんです。でも、竹内さんがクレッシェンド・ガーリー・スタイルに出演を差し替えようとしているって聞いたんです。竹内さんはやり手だから、もしかしたら差し替わるかもしれないって」
「それは、大塚君から聞いたのかね?」
大塚とは、サーキュレーションのマネージャーだ。
「はい」
竹内と大塚は、エンジェルフォールの二大敏腕マネージャーと言われていて、お互いに所属アーティストを育て上げる実績を上げている二人だったが、自らが担当するサーキュレーションの人気の伸び悩みもあり、大塚も、つい愚痴をこぼしてしまったのだろう。
「竹内君が、クレッシェンド・ガーリー・スタイルを推薦していることは確かだ。何と言っても、あのクリスマスイブ・ライブは、マスコミにも注目されているだけに、各社とも大きく飛躍させたい新人アーティストを出演させている。我が社の枠に誰を出演させるのかは、これから決めることだ。大塚君からも予定を空けておけとしか言われていないはずだが?」
「それはそうですけど、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのデビューは来年の二月なんでしょう? まだ、デビューもしていないバンドを出演させるって、どういうことなんですか?」
「デビューしているかどうかは要件ではない。どれだけ注目されているのかどうかだ」
「出演できるかどうかは、いつ頃、決まるんですか?」
「今週末には決める」
「俺達、希望を持っていても良いんですか?」
「とにかく、役員会の結果を待ちたまえ」
サーキュレーションからの問いには答えていない榊原の返事は、ほぼ、クレッシェンド・ガーリー・スタイルに決まっているという印象をサーキュレーションのメンバーに与えてしまっても仕方がなかっただろう。
翌週の月曜日。
その日は、二学期の期末試験最終日で、午前中までで学校が終わった詩織と瞳は、今日も一緒に池袋駅まで帰っていた。
「すごく面白かったです! 最初の十ページ分くらい、あらかじめ原稿を読ませていただいていましたけど、まさか、ああいう展開になるとは予想外でした。主人公とお姫様は、これからどうなるんでしょう?」
響の新作を、買ったその日に読み切った詩織が、隣を歩く瞳に興奮気味に話した。
「私は、朗読推敲の手伝いで、第二巻の終わりまでは内容を知っているんだけど、いくら詩織でも続きを話してあげることはできないなあ」
悪戯っ子ぽい笑みを浮かべて、瞳が言った。
「え~、そうなんですか?」
「ふふふ。でも、この調子だと、来月には第二巻を出すことができるんじゃないかな。それくらい、今のお兄ちゃんの執筆スピードは上がっているんだよね」
「響さんも書いていて面白いっておっしゃっていましたから、どんどんとアイデアがわき出てきているんでしょうね?」
「それは間違いないみたい」
池袋駅が近づいて来た。
「そうだ! 詩織、今日は月曜日だけど、バンドの練習まで時間があるよね?」
「はい、特に予定はないですけど……。また、ケーキ屋さんに寄りますか?」
「何、その嬉しそうな顔は?」
瞳が笑いをかみ殺しながら詩織を見た。
「ち、違うんですか?」
「ケーキ屋さんじゃなくて、うちにおいでよ」
「瞳さんちですか?」
「うん。さっき言った詩織の感想を直に聞くと、お兄ちゃんも喜ぶと思って」
「で、でも、響さんの執筆の邪魔になるのでは?」
「今日は出版社の担当者が来る予定になっているから、口述をしているはずだけど、その間、お兄ちゃんの書斎に入らなければ大丈夫だよ。休憩の合間にでも、詩織がお兄ちゃんに『頑張ってね』なんて声を掛けてくれると、お兄ちゃんの馬力も更に掛かると思うから、第二巻の発行が更に早くなるかもね。だから、来て! 詩織!」
なかば、瞳に腕を引っ張られながら、詩織は響のマンションまでやって来た。
玄関に入ると、男物の革靴が二足あった。そして、響の書斎の前を通り過ぎる時、響の声が聞こえた。
詩織をリビングに連れて来た瞳は、「お茶、入れるね」と言って、制服のまま、キッチンに立った。
「あっ」
瞳が小さく叫んだ。
「どうしたんですか?」
「茶葉が少なくなってたんだった。帰りに買おうと思ってて、すっかり忘れてたよ」
キッチンに行った詩織が瞳の手元を見ると、開けた紅茶缶には、ほとんど茶葉が残っていなかった。
「これ、お兄ちゃんも好きな銘柄なんだ。詩織、ごめん。私、ちょっと買ってくる」
「じゃあ、私もおつきあいします」
「詩織は、ここにいて。自転車で、すぐ買ってくるから」
「で、でも」
「テレビを見るなり、本を読むなり、好きに時間を潰してて。じゃあ、行ってくるね」
瞳は、そう言い残すと、一人、マンションを出て行った。
リビングに一人残された詩織は、ソファに行儀良く座って、瞳の帰りを待つことにした。
廊下の方からドアが開く音がした。
「いや~、先生。今日も快調でしたね」
「この調子じゃ、春までに第三巻も出せるかもしれませんね」
「そうですね。自分でもそんな気はしています」
「ますます、勢いがつきそうですなあ」
リビングと廊下の間には室内ドアがあったが、そのドア越しに響と担当者の会話が丸聞こえだった。
「では、失礼します」
「ありがとうございました」
出版社の担当者にも丁寧に頭を下げた響が、担当者が玄関ドアから出て、玄関ドアが閉まる音を聞いてから、振り向き、少し歩いて、リビングの室内ドアを開けた。
「瞳? 帰ってきているのかい?」
響がリビングを見渡しように首を回しながら言った。
「あ、あの、こんにちは」
「……詩織さん?」
予想外の詩織の声に、響も戸惑っているようだった。
「はい。瞳さんと一緒に学校の帰り道に寄らせてもらったのですが、瞳さんが紅茶を切らしているからと、買いに出掛けられてしまって」
「そうですか。詩織さんを一人残して、しょうがないですね」
「い、いえ」
「じゃあ、瞳が帰ってくるまで、話でもしてましょうか?」
「はい」
詩織にソファを勧める仕草をしてから、響もいつものソファに腰掛けた。
「今、テスト期間中だと瞳が言っていましたが?」
「はい。今日が最終日でした」
「どうでしたか?」
「あ、あの、それなりにはできた……と思います」
「ははは。じゃあ、そういうことにしておきましょう」
「それより、響さん! 新作、読ませていただきました! すごく面白かったです!」
「ありがとうございます」
「早く次も読みたいです」
「詩織さんのリクエストであれば、寝る間も惜しんで書き上げますよ」
「い、いえ、そこまでは」
「ははは。でも、詩織さんのためならと思うと、僕も力が出ますからね」
魅力的な笑顔を見せた響が、すぐに懇願するかのような表情に変わった。
「詩織さん、お願いがあります」
「はい、何でしょう?」
「詩織さんの隣に座らせていただいてよろしいですか?」
「はい?」
「詩織さんの声を近くで聴きたいのです」
「えっと、はい」
「ありがとうございます」
立ち上がった響は、ソファを触りながら、詩織が座っているソファまで来ようとした。
詩織も思わず立ち上がり、「響さん、手を」と言って、響の右手を握った。
「すみません、詩織さん」
詩織は、ゆっくりと響の手を引いて、自分が座っていたソファに導いた。
「もう大丈夫です」
詩織が、そう言うと、響はゆっくりとソファに腰を降ろした。そして、詩織もその横に座った。
「詩織さん」
響が詩織のいる方に顔を向けた。
「はい」
「詩織さんの声が近くで聴こえます。耳がすごく幸せです」




