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Act.130:死なない程度に死にものぐるいに

 かなでは、確かに酔っ払っていると自覚していたが、意識もしっかりしていて、自分が何を言っているのかも、ちゃんと理解できていた。

 桜小路さくらこうじひびきという強力なライバルに、既に負けを認めている椎名しいなに、常に下向き思考だった昔の自分の姿がダブって、歯がゆくてたまらずに、ついつい、説教じみた口調になってしまうのだった。

「じゃあ、もう、いっそのこと、桜小路先生に負けを認めたら?」

「……それは、俺のプライドが許さないだろう」

「自分のことなんだから、『許さないだろう』じゃなくて『許さない』んでしょ?」

「……」

「椎名さん! あなた、敵わないと思う相手には、最初から立ち向かわないんだ?」

「……」

「恋愛のことだけじゃなくて、生き方もよ。立ち向かって行って、無様ぶざまに負けるさまを見られたくないんでしょ?」

「……」

「惨めで情けない自分を認めたくないから、先輩や上司にペコペコと頭を下げるのも嫌で、だから、会社務めもしたくないんでしょ?」

「……」

「それが『俺の生き方だ』なんていえば格好良いけど、結局は、自分の嫌なことから逃げ回っているだけじゃないの?」

「……」

 それまで、眉をつり上げていた奏が、優しい顔つきになった。

「でも、それは、きっと、椎名さんが、今の自分に自信が持ててないからなんでしょうね。強がっていることは、その裏返しなんだよね?」

「……」

「でも、大丈夫! 椎名さんとここにいる仲間の人達が協力していけば、きっと、結果は出るよ! 椎名さんが撮ってくれたPVの素晴らしさは、映像については素人の私達だって分かったんだもの! だからこそ、玲音れおだって、デビューシングルのPVを、ぜひ、椎名さんに撮ってもらいたいって、榊原さかきばらさんにお願いしているのよ」

「……」

「自分の作品が認められてくると、椎名さんも自信がついてきて、無駄に強がる必要もなくなるんじゃないかな?」

「……」

「だから、自分の作品が認められるまでは、死なない程度に死にものぐるいに頑張りなさい」

 それまで頭を垂れていた椎名が顔を上げた。その表情からは清々(すがすが)しささえ感じ取れた。

「……何か、奏さんに叱られると、頑張ってみようかなって気になりますよ」

「椎名さん、あなた、Sのようでいて、実はM属性なの?」

「実はそうです。今度、奏さんには、ムチとロウソクを持って叱ってもらいたいです」

「そんな趣味はありませんから!」

 いつの間にか、奏と椎名の話し声も大きくなっていたようで、今まで眠りこけていたスタッフ達が次々と目が覚ました。もっとも、みんな、まだ、眠そうだった。

「奏さん。そろそろ、お開きにしましょうか?」

 スタッフの様子を見て、椎名が言った。

「そうね。私も明日は仕事だし。お代は本当に大丈夫?」

「俺もヒモ属性ですけど、自分が出すと言ったお金は自分で出しますから」

 テーブルの上に置かれていた伝票を確認して、椎名が答えた。

「じゃあ、ご馳走様でした」

 奏は、椎名やスタッフに丁寧に頭を下げた。

「こんな店で申し訳なかったです」

 カメラマンの北村が恐縮して言ったが、「いえいえ、私も久しぶりに楽しく飲めました」と、奏は笑顔で答えた。

 スタッフ達とともに立ち上がり、座敷の出口に向かおうとした奏がよろめいたが、咄嗟に椎名に抱きかかえられた。

「大丈夫ですか、奏さん?」

「大丈夫! それより、こんなところを詩織しおりちゃんに見られたら大変だから離して」

「未成年の桐野きりのが、こんな店に来るはずがないじゃないですか」

「そうだとしても、そうなの!」

 椎名の腕の中から抜け出た奏は、座敷の出口にある下駄箱からヒールパンプスを取り出し、床に置き、履こうとしたが、また、体が揺れた。

 椎名が、また、咄嗟に奏の肩を抱いて、体を支えてくれた。

「靴を履く間だけでも支えてますから」

「……ありがとう」

 若い男性に囲まれて、楽しく飲めたこともあり、自分でもけっこう飲んだとは思っていたが、記憶も意識もしっかりとあって、そんなに酔っ払っているようには思ってなかった。

 しかし、体の反応からすると、やはり、かなり酔いが回ってきているのだろう。

 椎名に肩を支えられながら、靴を履いた奏は、「体がついてこれなくなってるのかなあ」と呟いた。

「奏さんこそ、無理はしないでくださいよ」

 無理をしすぎと説教した椎名から言われて、奏も少し決まりが悪かった。

「今日は、気分良く飲めたから、少し過ぎただけよ。椎名さんの無理とはレベルが違いますから!」

「はいはい、分かりました」

「『はい』は一回で良いの!」

「はい」



 店を出ても、奏の体は何となく揺れていた。

「奏さん、家の前まで送ります。何だか心配だし」

「あなたは、自分の心配をしてなさい。私の家は近いから大丈夫よ」

 そう言って、歩き出した奏だったが、真っ直ぐには歩けてなかった。

「ほらっ、やっぱり、ダメですよ。みんな! 俺、奏さんを家の前まで送っていくから」

 椎名がスタッフ達にそう告げると、スタッフ達はあっさりと「じゃあ、お疲れ様でした」と言って、池袋駅方面に消えていった。

「椎名さんもあの人達と同じ方向なんでしょ? あなたも一緒に帰りなさい」

「奏さんが心配なんですよ。だから、家の前までお送りします」

 奏は、椎名が、「家の前」と繰り返し言ったことに気づいた。きっと、送り狼になって、家に上がり込んだりしないと、奏を安心させているつもりなのだろう。

 奏も、椎名がそこまで気を使ってくれているのであればと、「じゃあ、家の前までね」と承諾した。

 椎名と並んで歩き出す。

 初冬の冷たい風に顔を吹きさらされていると、酔いも次第に醒めていった。

「奏さん」

「何?」

 小柄な奏は長身な椎名を見上げるようにして見た。

「今日は、奏さんといろいろな話ができて、俺も楽しかったです」

 椎名なりの社交辞令かとも思ったが、奏は馬場が言ったことを思いだした。

「ねえ、椎名さん」

「はい」

「私といると楽しい?」

「どうしたんですか、唐突に?」

「馬場さんに言われたの。この前、椎名さんと一緒に馬場亜に行った時、椎名さんはすごく楽しそうに見えたらしいわよ」

「俺がですか?」

「うん」

「きっと、それははずれていません。むしろ、当たっていると思います」

「そうなの?」

「ええ。今回のピアノを弾くシーンを入れようという話になった時、俺、奏さんのことがすぐに頭に浮かんだんです。大学にもピアノを弾ける女子はいっぱいいて、声を掛けることもできたはずなんですけど、俺は、奏さんに弾いてもらいたいって思ったんです」

「それって、私がピアノ講師だから?」

「それもあると思います。せっかく弾いてもらうのなら、それなりに技術がある人に弾いてもらいたいですからね。でも、それよりも、奏さんなら俺もいろいろと注文を付けることができるし、奏さんならそれに応えてくれるだろうという気持ちがありました」

「話しやすいってことなのかな?」

「そうですね。きっと、玲音と言いあっている時の奏さんを見ているからだと思います」

「あ、あれは、玲音が絡んでくるから」

「でも、それで、奏さんは話しやすい人だと分かったんだと思います」

 椎名とはこれまで、「涙のキスを」と「シューティングスター・メロディアス」の2つのPV撮影の時とその後の打ち上げの時くらいしか話をしていなかった。そして、椎名は詩織に夢中だと分かっていたから、奏も猫をかぶることもなく、いつもどおり、玲音とやりあっていた。

「でも、実際に話をさせてもらうと面白いですし、かと言って、玲音のように軽くなくて、何というか、話していても考えさせられることがいっぱいありました。実際、さっきの奏さんの説教は、胸に刺さりましたよ」

「それなら、私も酔っ払った甲斐があったというものよ」

「ははは」

 楽しげに微笑んだ椎名が穏やかな顔を奏に見せた。

「奏さんとこうやって話をしていると楽しいことは事実です。だから、馬場亜でも、そんな俺の気持ちが表情に出ていたんでしょうね」

「そうなんだ。私は、自惚れかもしれないけど、椎名さんは、詩織ちゃんに一途いちずとか言いながらも、私にもちょっかいを出そうとしている浮気者かと思ったのよ。私がそんな男が大嫌いなのは、知っていると思うけど?」

「奏さんを『好き』か、『どうでも良い』か、『嫌い』かの三つのカテゴリーに分けるとすれば、『好き』のカテゴリーに入ることは間違いないです。でも、今、俺の目には桐野しか見えてないです。桜小路響には敵わないかもしれませんが、停戦中の今は、俺のできる範囲で、桐野の応援をするつもりです」

「そっか。それを聞いて安心したよ」

 などと話していると、奏の家の前に着いた。

「ここで良いわ。椎名さん、ありがとう」

「いえ。また、機会があれば、一緒に飲みに行きましょう。できれば、奏さんにまた叱られたいです」

「それならお安いご用よ」

 ひとしきり笑った椎名は、奏に「じゃあ、今日は、ありがとうございました」と言い、頭を下げた。

「うん。今日の作品が素晴らしい出来映えに仕上がることを祈ってるわ」

「死にものぐるいで頑張りますよ」

「死なない程度にね」

「ははは、そうですね」

 椎名は、再び、奏に頭を下げてから、池袋駅方面に去って行った。

 

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