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Act.127:停戦協定

 詩織しおりのひと息で、蝋燭が全部消えると、みんなが拍手で祝福した。

「皆さん、今日はありがとうございます! 本当に嬉しいです!」

 ここ二年間は、誕生日もずっと一人だったので、久しぶりに誕生日を祝ってもらった詩織は、少し涙を浮かべながらも、深くお辞儀をした。

 再び、起きた拍手が収まってから、ひびきが会場を見渡すようにしながら言った。

「今日は、初めてお会いした方々も多いと思います。ぜひ、詩織さんを囲む仲間として、親しくなれたらと思います。では、皆さん、ごゆっくりとご歓談ください」

 響の言葉で、宴の始まりとなり、詩織の周りには、玲音れお琉歌るか、そしてかなでの三人が移動してきた。他の出席者も、この三人が最初に詩織の側に寄ることは当然と考えているようであった。

 榊原さかきばら椎名しいなは、響の側に寄った。

「榊原です。桜小路さくらこうじ先生には、これからお世話になるかもしれませんが、よろしくお願いします」

「僕が榊原さんをお世話できることがあるのでしょうか?」

「ぜひ、おシオ君を、いや、クレッシェンド・ガーリー・スタイルの応援をしている旨を発信してほしいのです」

「以前、ひとみが僕のツイッターアカウントで呟いたようにですか?」

「そうです」

「しかし、僕と詩織さんは、フレッシュの記事で、交際中ではないかとの噂が立っていて、まだ消えていません。そんな中で、僕がクレッシェンド・ガーリー・スタイルの応援をすると、その噂に確信を与えてしまいますよ?」

「おシオ君は、以前のようなアイドルではありません。先生もおシオ君も独身なんですから、交際をしていると報道がされても、まったく支障はありません。むしろ、良い話題作りになります。先生がその気であれば、ぜひ!」

「榊原さんは、さすが、社長さんをされているだけあって、少し強引ですね」

「す、すみません! 先生のご機嫌を損ねたのなら謝ります」

「いえいえ。こんなことで腹を立てたりしませんよ。それに、僕が詩織さんに好意を抱いていることは事実ですから」

「そうなのですか?」

「ええ。でも、詩織さんは、今は、音楽が恋人ですから、僕の一方通行なんですけどね。だけど、大切な友人であることは違いありません。だから、折を見て、詩織さんへの応援メッセージを発信したいと思います」

「よろしくお願いします!」

「桜小路さん」

 大きな体を折り曲げて、響にお辞儀をした榊原に代わって、椎名が口を挟んできた。

桐野きりのと同じ所でバイトをしている椎名と言います」

「ああ、お話は聞いています。映像クリエーターを目指していらっしゃるとか」

「ええ。まだ、芽も出ていませんけどね」

「しかし、詩織さんは、椎名さんの才能を高く買われているようですよ」

「桜小路さんに桐野がそんなことを?」

「ええ」

 椎名は、メンバーと談笑している詩織を見つめて、すぐに響に視線を戻した。

「それは、嬉しいことです。それで、俺は桜小路さんに伝えておきたいことがあります」

「何でしょう?」

「俺も桐野に好意を抱いています」

「分かります」

「えっ?」

「椎名さんの言葉の端々に、僕への敵愾心が感じ取れて、ライバルとして見られているのかなと感じます」

「なら、話は早いです。俺は、桜小路さんと違って、まだ、夢に向かって走り出したばかりで、ライバルとして張り合えるような人間ではないです。だから、今、桐野への想いは封印しています」

 詩織を巡る響と椎名の話に、榊原は口を挟むことができずに、二人の顔を交互に見ていた。

「でも、いつかは夢をこの手に掴んで、桐野への想いを解き放つつもりです」

「分かりました。しかし、いずれにせよ、まずは、詩織さんが夢を実現させることが大前提です。もう既に実現されつつありますよね、榊原さん?」

「もちろんです! また、先ほども言いましたが、デビュー後も大活躍できるものと確信しています!」

 榊原の返事を聞いた響は、椎名がいる方向に笑顔を向けた。

「椎名さん。とりあえず、それまでは一緒に詩織さんを応援しようではありませんか? 詩織さんのデビューが成功してから、正々堂々と闘いましょう」

「分かりました。しかし」

 厳しい顔で響きを睨むように見ていた椎名の表情が緩んだ。

「既に成功を手にされている桜小路さんは、正直、もっと傲慢な人かと思っていましたよ」

「ははは、小説家として活躍できるようになっても、僕という一人の人間は障害を抱えて生きています。つまり、小説家という肩書きをはずした僕は、ここにいる、どの方よりも弱い人間です。常に誰かの手助けを必要とします。傲慢に振る舞う人間を誰が助けてくれるでしょうか? 少し卑屈に聞こえるかもしれませんが、これは事実ですからね」

 作家として、また、その容姿から女性にも大人気の響であったが、それに驕ることのない誠実な態度に、椎名も響に対する認識を改めたようだ。

「桐野が、あなたを認めている訳が分かりましたよ。人間としても、あなたには負けないようにします」

「受けて立ちましょう。榊原さんが、僕と椎名さんとの宣戦布告と停戦の証人になってください」

「わ、分かりました。しかし、宣戦布告というわりには、お二人とも表情が穏やかですなあ」

 詩織の誕生日パーティの席上で修羅場になるのではないかと、榊原も最初は焦ったようだったが、響と椎名の詩織を想う気持ちは、むしろ、二人を結びつけているのではないかと思われた。



 バンドメンバーから解放された詩織の元に、今度は、瞳、ひかる、そしてかおるが寄って来た。

「詩織! 誕生日おめでとう!」

「瞳さん、ありがとうございます! 瞳さんには本当にお世話になりっぱなしで」

「詩織は、私にとっても、お兄ちゃんにとっても大切な友人なんだもん。当然だよ」

「瞳さん……」

「ねえねえ、詩織ちゃん」

 薫が詩織の腰に抱きついてきた。

「さっき、あの大きなおじさんが言っていたけど、二月には、また、デビューするの?」

「うん。昔の私とは違う、今の私の歌を歌うんだよ」

「薫、絶対、CDを買うからね」

「ありがとう! でも、薫ちゃんのお小遣いで足りる?」

「光に買ってもらう」

「お、おい、薫! 俺だって買いたいものがいっぱいあってだな」

「エッチな本とか?」

「それもあるし、ってないから!」

 光が焦る様子に、瞳も面白そうに笑った。

 瞳と光の仲を何とか進展させたいと思った詩織は、抱きついてきている薫を見ていて、ひらめいた。

「薫ちゃん。私、デビューすると忙しくなると思うから、今のうちに、一緒に遊びに行こうか?」

 玲音と奏の言い争いに通じるところがある、瞳と光の言い争いを横目で見ながら、しゃがんだ詩織が小さな声で薫に訊いた。

「ほんとに? 行きたい! 薫、絶対、詩織ちゃんと一緒に行く!」

「どこに行きたい?」

「遊園地!」

「分かった。でも、私は、瞳さんとも一緒に行きたいんだ。瞳さんは、本当に頼りになる人だから」

「うん、良いよお」

「お兄さんも一緒に来てもらおうか?」

「光も?」

「うん。駄目?」

「瞳ちゃんが来るのなら、光も一緒の方が良いよね?」

「えっ?」

「えへへ。薫ね、詩織ちゃんも大好きだけど、瞳ちゃんみたいなお姉さんがいれば楽しいかもって思ってるの。だって、光と瞳ちゃんの話は面白いから」

「そ、そうなんだ。瞳さんが本当にお姉さんになったらどうする?」

「いっぱい、お料理を教えてもらう!」

「そっか」

 薫は薫なりに、瞳と光の仲の良さを感じ取っているのかもしれなかった。



「瞳、そろそろ、詩織さんと話をさせてもらって良いかな?」

 榊原の肩に手を置いて誘導されてきた響が詩織に近づいて来た。椎名も近くにいた。

「どうしようかなあ。もうちょっと、詩織と話したいんだけど」

 いたずらっ子のような笑みを浮かべた瞳が、少し困ったような響の顔を見て、「うふふ」と笑った。

「お兄ちゃん相手に悪戯してもしょうがないや。梅! 奏さんと話をしよ!」

 瞳は、光と薫を引き連れて、バンドメンバーの元に移って行った。

 詩織は、響、椎名、そして榊原の男性陣に取り囲まれた。

「詩織さん。先ほど、僕と椎名さんは宣戦布告をし、そして直ちに停戦に入りました」

「はい?」

 詩織は、響の言うことが、すぐに理解できなかった。

「桜小路さんと俺は、いかに自分達が、桐野にふさわしい男になれるかどうかを争うことになった。しかし、デビューを控えた桐野を巻き込まないように、桐野が活躍できるようになるまで、お互いに自分達の戦力増強を図ろうということになったんだ」

 詩織は、自分を想っているという二人の男性の間に立って、どうしようかと思ったが、当の響と椎名の表情は、既に友人になっていると言っても良いくらいに穏やかだった。

「お二人の気持ちは、おシオ君の邪魔だけはしたくないということだ。今は、デビューに向けて、全力を出してほしいということだよ」

「……はい!」

 榊原の説明に、詩織ははっきりと返事をした。

 そして考えた。

 バンドデビューの道のりは、もう見えてきている。その後に、響か、椎名か、二人のうちのどちらかを選ばなければならないことになるのだろうか?

 詩織は、響と椎名の二人を比較すらしたことはない。どちらも大切な友人だ。

 しかし、響も椎名も、詩織とは、もっと親しい関係、つまり、恋人としての関係を望んでいる。

 椎名とは、冗談も言い合えるほどに親しくなっているし、詩織を目立たないところで助けてくれている。

 一方の、響は、普通ならくじけてしまうであろう数々の苦難を乗り越えて名声を得ていて、その不屈の精神に、詩織は感動せざるを得なかった。

 しかし、二人が見せている穏やかな表情からは、今の自分と二人との関係や距離が、実はちょうど良いのではないかと思ってしまう詩織であった。

 

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