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Act.125:好きだから別れる

「……どうしてですか?」

 家に招待された時から、何となく、律花りっかの話はそうなのではないかと思っていた詩織しおりだったが、とにかく、理由を訊きたかった。

「クレッシェンド・ガーリー・スタイルの中に、私がいる場所がないんだ」

「そ、そんなことは……。もし、そうだとしたら、私達が悪いことです。律花さんのことを置き去りにして、いろいろと」

「いや、違うよ。みんな、私のことを受け入れようとしてくれていることは分かっている。でも、私が駄目なんだ」

「どういうことですか?」

「誤解がないように最初に言っておく。私は、詩織さん達と一緒にすることは好きだよ。面白いし、詩織さんの歌は、本当にスリリングで、バックで演奏していて幸せを感じる」

「だったら」

「でも、これも最初のリハの時から感じていたんだけど、私が入った後は、もうクレッシェンド・ガーリー・スタイルの音ではなくなってしまったんだ」

「……」

「私が入ったことで、詩織さんは歌に集中できている。それで、歌がパワーアップしていることも分かる。でも、それで、バンドの微妙なバランスが崩れているような気がするんだ」

「バンドのバランス?」

 詩織もそこまで気にしたことはなかった。

「七月にヘブンス・ゲートで一緒に合同ライブをしただろ? 私が、まだ、マーマレード・ダンスにいた頃さ」

「はい。私達のファーストライブです」

「うん。私も出番を終えた後、客席で聴いていたんだ」

「……」

「その時に、私、詩織さんの歌を聴いて目眩がした。体の震えが止まらなかった」

 じっと詩織を見つめる律花の瞳には、嘘はなかった。

「今まで、ずっと音楽をしてきていて、初めてだったよ。それだけ、詩織さんのボーカルは衝撃的だった。衝撃だけじゃない。バラードでは、歌詞の切ない気持ちが自分の心に植え付けられてしまったような気がした。自分が悲しい想いをしている訳じゃないのに、そんな気持ちにさせられた」

「……」

「詩織さんの歌には、それだけの力がある。そんな詩織さんのバックで演奏できたら、きっと、面白いだろうし、幸せなんだろうなって思った。だから、榊原さかきばらさんから詩織さん達と一緒にやらないかと言われた時、正直、嬉しかった」

「律花さん……」

「でも、最初のスタジオリハの時から、違和感を覚えたんだ。あの日、ヘブンス・ゲートの客席で訊いた、このバンドの音じゃなくなってるって」

「……」

「でも、私も一緒にやっていると楽しくて、その違和感は自分の勘違いかもしれないって思って、しばらく、一緒にやってみた。でも、結局、昨日のリハでも違和感はなくならなかったんだ」

「……」

「その違和感の正体が分からないまま、ヘブンス・ゲートのライブの日になった。ライブになると、更に違和感が強くなった。その違和感は、きっと、ヘブンス・ゲートのマスターも感じたんだと思う」

 ヘブンス・ゲートのマスターは、ライブの後、「君達が向かおうとしている方向が正しい道なのかどうかは、今は誰にも分からない」とか、「正解などないのかもしれない。答えは出るのではなく、出すものかもしれない」と言った。

 そして、その時のマスターの視線が律花に向いていたことは、詩織も気づいていた。

「そう。言葉にすることは難しい。あのヘブンス・ゲートのマスターだって、正確に言葉にできなかったくらいだしね」

「……」

「実は、詩織さんも感じたんじゃないの?」

 確かに、詩織もライブ中に正体不明の違和感を覚えた。

「はい。……でも! でも、それでライブに何も支障はありませんでしたし、むしろ、私は、律花さんのギターで、更に気持ち良く歌えた気がしています! お客様の反応も上々でした! 違和感は、ファーストライブの印象が強すぎて感じているのではないでしょうか?」

「そうかもしれないね。でも、私のギターで、詩織さんの歌が更にパワーアップしていることが、このバンドにとって良いことなのかどうかは分からないからね」

「さっきおっしゃった、バランスの話ですか?」

「そうだね。音楽に限らず何事にも、適度なバランスとか、ジャストフィットな関係とかあって、大きいことは良いことだとは言えないと思うんだ」

「それはそうかもしれませんけど……」

「結局、その違和感の正体は、今も分かっていない。確かに、音楽に正解なんてない。でも、私は、私がクレッシェンド・ガーリー・スタイルというバンドにいることが正しいとは思わないんだ。そういう意味で、私がいる場所がないんだ」

「そんなことが」

「あるんだ! きっと、そうなんだ!」

「……」

 詩織は、律花に反論する材料を見いだせなかった。

 詩織自身が違和感を覚えていたということもあるし、音楽において、どうすることがベターなのかは、アーティストや聴衆が感覚的に選択し得るものだからだ。

 詩織から視線を落とした律花は、チャイを一口飲んだ。

 言葉を探しているように、視線を動かしていたが、すぐに顔を上げ、詩織を見た。

「もう一つ。やっぱり、私の性格は、バンドをやることに向いていないって分かった」

「性格が、ですか?」

「そう」

「そ、それは、私達とは性格的に合わないということ、でしょうか?」

「私と合う性格の人はいないよ。でも、そういう人間的なことじゃなくて、演奏している時のことだよ」

 律花がバックで奏でるギターは、どの曲も刺激的で魅惑的だった。詩織も気持ち良く歌えていた。どこにも問題など見いだせなかった。

「この前、詩織さんの学校でライブがあったでしょ?」

「はい」

「実は、あの時、レコーディングが思っていたよりも早く終わったんで、私も詩織さんの学校に駆け付けたんだけど、もう、ライブは始まっていたんだ」

「すぐに入ってくれたら良かったですのに」

「いや、入れなかった。講堂の入り口で聴いた音は、ヘブンス・ゲートの客席で聴いた音と同じだった。全身の毛が逆立つような快感を覚えた。その時に思ったんだ。あの時、玲音れおさんや琉歌るかさん、そしてかなでさんは、詩織さんのことを想って、詩織さんと同じ気持ちでステージに上がっているんだなって」

「……」

「だからこそ、客席の生徒達の気持ちを一つにできるだけのパワーが出せたんだ。でも、私があの中に入ると、高まっていたその気持ちが冷めてしまっていただろうね。やっぱり、馬鹿みたいに熱くなることが、私にはできないんだ」

「律花さん……」

「やっぱり、私には、スタジオの仕事とかが向いている気がする」

 以前、律花と話した時に、律花は「ギターが弾ければ、どんな曲もする」と言ったことを、詩織は思い出した。

 律花が、音楽に対する熱い情熱を持っていることは間違いない。もしかすると、詩織以上かもしれない。しかし、律花は、ステージで熱い気持ちを伝えることよりも、その曲の理想型にどこまで近づけさせることができるのかを追求するタイプのミュージシャンなのだろう。

「だから、みんなとは一緒にできない」

「……」

「本当は、もっと、詩織さんと一緒にやりたかったよ。昨日のリハでも、この違和感がなくなるように願っていた。でも、なくならなかった」

「……」

「近々、アルバムの録音も始まるって言ってたよね。だから、今、私は抜けるよ。そうしないと、みんなにも、スタッフにも迷惑を掛けちゃうからね」

 詩織の目から大粒の涙が溢れてきた。

 詩織は、それを拭うこともせず、律花の顔を見ることしかできなかった。

 喧嘩をした訳ではない。律花と一緒に演奏をしていると良い刺激をもらえる。律花も詩織達と一緒に演奏することが楽しいと言った。それなのに、別々の道を行こうとする律花を押しとどめることは、もう、できないだろう。

 律花が言ったことは、実は、詩織も感じていたところがあった。けっして、でたらめではないし、おそらく正しいことだ。

 そんな詩織を、律花は優しい顔で見つめた。

「詩織さんは、本当に純粋だよね。だからこそ、歌にあれだけの感情を込めることができるんだと思う」

「……」

「そんな詩織さんの歌は、絶対、みんなに受け入れられると思う。詩織さんの学校でのライブで、それは実証されたよね」

「……」

「大成功間違いなしのバンドから抜けるなんて、自分でもおかしな奴だなって思うけど、私もそれだけ、クレッシェンド・ガーリー・スタイルが好きなんだ! 詩織さんと玲音さんと琉歌さんと奏さんの四人の音が好きなんだ!」

「律花さん……」

 このバンドが好きだからこそ脱退する。

 自分がいない方が、このバンドとしてあるべき姿なのだ。

 律花は、自分なりにそう結論を出したのだろう。

「ラインでひと言入れて、脱退しても良かったんだけど、詩織さんにだけは、自分の気持ちを自分の口で伝えたかったんだ」

「……分かりました、だなんて言えないです! でも、律花さんの気持ちは、もう変わらないんですよね?」

「うん」

 律花は、立ち上がり、ドレッサーからタオルを取り出すと、詩織の隣に座り、詩織の顔を優しく拭った。

「ひどい顔だよ。可愛い顔が台無しだ」

「律花さん……」

「詩織さんがこんなに泣き虫だなんて思わなかったよ」

「……私も律花さんがこんなには話をしてくれるなんて思いませんでした」

「あははは、自分でもびっくりしてるよ。ちゃんと伝えることができるかなって、少し不安だったんだけど、これも話す相手が詩織さんだから、素直に自分の気持ちを話せたのかもしれないね」

 タオルを律花から受け取った詩織は、自分で鼻と口を拭った。お香の良い香りがタオルからした。

「律花さん」

「うん?」

「これからもクレッシェンド・ガーリー・スタイルのファンでいてくれますか?」

「もちろんだよ。クレッシェンド・ガーリー・スタイルが四人でデビューして、四人の音がクレッシェンド・ガーリー・スタイルの音なんだと、みんなに知らしめることができた後でなら、サポートででも、また、一緒にやりたいよ」

「はい! サポートメンバーと一緒にライブができるくらいになれば、絶対に来てください! いえ、絶対にお呼びします! 私も律花さんのギターが大好きですから!」

「……ありがと」

 律花は、すぐに詩織から顔をそむけて、立ち上がった。

「ちょっと、トイレ」

 その声は少し鼻声になっていた。

 

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