Act.123:楽しい誘いとそうではない誘い
十一月二十四日。月曜日。
詩織は、いつもどおり、池袋駅で瞳と待ち合わせをし、一緒に学校まで歩いた。
「ねえ、詩織」
詩織に話しかけた瞳は嬉しそうだった。
「今度の土曜日の夕方、詩織、体は空いてる?」
「はい。特に予定はないです」
「じゃあさ、土曜日の五時くらいに、また、うちに来てくれないかな? 一緒に晩御飯を食べよ!」
「瞳さんにはご馳走になりっぱなしで、何か、申し訳ないです」
「そのうち、詩織の手料理もご馳走になりに行くよ」
「そ、それは、いつのことになるやらです」
「あはは。期待しないで待ってるよ」
「は、はい」
「それでさ。土曜日には、私とお兄ちゃんだけじゃなくって、詩織のバンドのメンバーさんも来てもらうことになっているんだ」
「そうなんですか? いつ、うちのメンバーと話したんですか?」
「一昨日、梅と一緒に山田楽器に行って、奏さんと話したんだ」
「そうなんですか。でも、そんなこと、おっしゃってなかったのに?」
瞳は、山田楽器方面の店に行くと言葉を濁していたから、てっきり、光とそのままデートでもしていたのかと思っていた詩織であった。
「奏さんと話ができるまで、詩織には秘密にしたかったから、一人で行こうと思ってたんだけど、ちょうど、梅が行くって言ったから、ついていったんだ」
「私には秘密にしたかったって?」
「サプライズに決まってるでしょ」
「サプライズ?」
「土曜日の夕食会の主役は詩織だから」
「主役?」
「明日は詩織の誕生日でしょ?」
「あっ、そ、そうでした」
「何? 忘れてたの?」
「すっかり」
「あはは、どこか抜けてる詩織らしいや」
「そ、そんなことないですよぉ」
「そんなことあるよ」
詩織が癖で膨らませた頬を人差し指で押し込みながら瞳が笑った。
「本当は、明日、できれば良いんだけど、平日は、私も準備をする時間はないし、バンドの皆さんも既にいろいろと予定があるみたいだから、少し遅くなるけど、今度の土曜日に、詩織のバースディパーティをしようって決まったの」
「私は、瞳さんの誕生日すらお祝いしていないのに」
「私の誕生日の六月頃は、こうやって毎日一緒に登校するような仲じゃなかったから、たぶん、詩織に誕生日を伝えてなかったんじゃないかな? まあ、私の誕生日は、今はどうでも良くて、どうかな、詩織?」
「せっかくのご厚意ですし、お受けします」
「やった! ああ、それで、梅と薫ちゃんも来るから。薫ちゃんは、どうしても詩織の誕生日をお祝いしたいんだって。梅はお兄ちゃんにサインをもらいたいみたいなんだけどね」
「じゃあ、えっと、自分を入れると、参加者は八人にもなるんですか?」
「うん」
「そんなに大勢で押しかけちゃって大丈夫なんでしょうか?」
「うちのリビングのソファをどかすと余裕だよ。それは、力持ちの梅にしてもらうことにしてるから」
「そ、そうなんですか」
「詩織が他にも呼びたい人がいれば呼んでもらって良いよ」
「私は、お祝いをされる側なので」
「それもそうだね。呼ぶということは、祝ってくれって言ってるようなもんだもんね」
「は、はい」
「分かった。他の出席者については、奏さんと相談するよ」
「あ、あの、お任せします」
「うん。今日はバンドの練習があるんでしょ? きっと、皆さんからも話があると思うよ」
そして、その日の夜。
「詩織さん、この前はごめんね」
スタジオ「ビートジャム」の待合室で、律花が詩織の顔を見るなり謝った。
当日、レコーディングの予定が入っていて、文化祭ライブに参加できなかったからだ。
「い、いえ、とんでもないです」
「もう一つ、謝らなければいけないことがあるんだ」
「何ですか?」
「今度の土曜日もレコーディングの予定が入ってて行けそうにないんだ」
「土曜日って、私の?」
「そう」
「そ、そんな、謝っていただくようなことじゃないです! そのお気持ちだけで嬉しいです!」
「まあ、仕方ねえよ。もう、何週間も前から予定されているレコーディングをドタキャンしたら、信用を失っちゃうもんな。エンジェルフォールにも迷惑を掛けるし」
「そうよね。来年の十一月二十五日には予定を入れないようにしてもらえたら良いわよね」
「来年の……。そうだね」
その時、律花が浮かべた微笑みが、どことなく儚げだったことが詩織は気になったが、あとのメンバーは気づかなかったようだ。
「奏は、自分の誕生日にお祝いすることは、もう、したくないだろ?」
「うるさいわね! パーティはしなくても良いけど、玲音から日頃の感謝の気持ちを込めたプレゼントは待ってるわよ」
「分かった! これから毎日、感謝の気持ちを込めて、一円ずつ貯金をするよ」
「あんたの感謝の気持ちは一日一円でしかないの?」
「一年間貯めると、三百六十五円にもなるんだぜ」
「せめて、四百円にしなさいよ!」
メンバーがスタジオに入ると、玲音が「準備をしながらで良いから聞いてくれ」と、みんなを見渡しながら話し始めた。
「今日、マネージャーの竹内さんから連絡があって、十二月の上旬にでも、デビューアルバムへの収録曲を決める会議をエンジェルフォール本社で行いたいって言うんだ。メンバー全員が参加できるように、スタジオリハのある月曜日か木曜日のどちらかを潰して、その日に会議をしたいと思っているんだけど?」
「月曜と木曜なら、みんな、ずっと、予定を開けているだろうから大丈夫でしょ」
奏の言葉に「待った」を掛ける者はいなかった。
「だよな。じゃあ、竹内さんに、月曜と木曜なら、いつでも良いと伝えておくよ」
オリジナル曲は既に二十曲以上できていて、ほとんどの曲は、今いるビートジャムで仮録音も済ませて、その音源はエンジェルフォールに提出していた。しかし、プロ仕様のレコーディングスタジオで正式な録音をして、デビューアルバムに収録されるのは、その中でも厳選された十曲ほどだけだ。
また、収録曲を決める会議で、編曲についての意見が出るかもしれず、正式録音がされるまで、アルバムの完成形は見えないのだが、詩織は、いよいよ、デビューに向けてのカウントダウンが始まったことを実感した。
玲音も琉歌も、そして奏も期待の高まりを感じさせる表情をしていたが、律花は、少し焦ったような、あるいは悲しげな顔をしたように、詩織は感じた。
スタジオリハは、いつもどおり行われた。
今日も、律花のギターに詩織も酔わされた。
休憩時間になり、たまたまだろうが、玲音と琉歌、そして奏がスタジオから出て行き、詩織と律花だけが残った。
パイプ椅子に座り、詩織に横顔を見せている律花は、ギターの音量を絞って、自分達のオリジナル曲でない、別の曲を弾いていた。おそらく、今度、レコーディングをする曲だろう。
ふいに、律花の手が止まった。
そして、横を向き、詩織を見た。
「詩織さん」
「はい?」
「今日も終わった後、みんなで集まるの?」
「たぶん。律花さんも来られませんか?」
「……できれば、詩織さんにだけに話したいことがあるんだ」
「何ですか?」
「ここでは、ちょっと」
律花は、もともと表情の変化に乏しいが、今の表情で、明らかに楽しい話ではないと分かった。
「じゃあ、明日の夜とかどうかな?」
「明日は、私、バイトがあるので、午後九時以降なら」
「元アイドルだってばれたのに、まだ、バイトを続けてるの?」
「そうですね。バイト先では、まだ、ばれてないですから、お店の迷惑にならないうちは続けたいと思っています。買いたいギターとかもありますし」
「ほんと、詩織さんは真面目な人だよね」
「そ、そんなこと、ありませんよ」
呆れた顔をしていた律花が、ふっと穏やかに微笑んだ。
「できれば早い方が良いと思う。じゃあ、遅くなっちゃうけど、明日、詩織さんのバイトが終わってからでも良い?」
「はい。今日もどうせ、零時を過ぎてから帰ることになると思うので、午後九時過ぎなら、全然、大丈夫ですよ」
「申し訳ないけど、外でできる話でもないから、私の家まで来てくれないかな? 私が詩織さんの家に行っても良いけど?」
律花の家は中野にあると言っていたから、池袋からでもそんなに遠くはない。また、詩織は律花がどんな生活をしているのかも興味があった。
「じゃあ、私が律花さんの家に行きます」
「ごめんね」
「い、いえ」
律花は、穏やかな表情のまま、詩織から視線を外し、再び、ギターを弾き始めた。
しかし、すぐに手を止めて、「明日が来なければ良いね」と呟いた。
詩織は、律花の言葉の意味を確かめようと思ったが、廊下から玲音と奏が言い争っている声が聞こえてくると、「じゃあ、あとはメールで」と律花は言い、何事もなかったかのように、ギターの調整をし始めた。




