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Act.122:和解

 かなで椎名しいなが定食を食べ終わると、ちょうど、十二時になり、次々と客が入って来た。

「奏さん、出ましょうか?」

「そうね」

 約束どおり、それぞれが食事代五百円を払って外に出ると、五人ほどのサラリーマンらしき男性が並んでいた。

「あの味で安いんだから、繁盛するのも当然ね」

「そうなんですよ。だから、この店に来る時は、正午の頃は避けて行くようにしているんです」

「でも、全然、知らなかったわ。少なくても、うちの職場では知られていないはず」

「穴場中の穴場ですからね。でも、これ以上、客が増えたら困るから宣伝してくれるなって馬場ばばさんから言われているので、念のため」

「そうなんだ。分かった。私の秘密のお気に入りにしておくわ」

「気に入ってくれたんですね?」

「もちろん!」

 山田楽器店の前まで戻ると、椎名が立ち止まり、「奏さん、今日は、ありがとうございました」と奏に頭を下げた。

「いえいえ。私こそ、素敵なお店を紹介してもらって、ありがとう」

「では、撮影日については、うちのスタッフとも打ち合わせをして、今日みたいにピアノ教室の予約を入れさせてもらいます。もちろん、奏さんには事前にお知らせします」

「分かりました」

 会釈をして去って行く椎名の後ろ姿をしばらく眺めていた奏は、椎名のようなイケメンにも冷静に対応できている自分に、今さらながら驚いていた。

 バンドを始める前には、親や周囲の見えないプレッシャーで押しつぶされそうになり、頭の中には、いつも「結婚」の二文字が幅を利かせていた。椎名のようなイケメンが近寄ってきたら、嫌われることがないように、その言いなりになっていた。

 しかし、詩織しおりに誘われてバンドを始めてからは、そんなプレッシャーは消え去り、特に今は、メジャーデビューを来年二月に控え、デビューアルバムに収録される曲作りも佳境に入ってきていて、昼間は仕事や学校に行っているメンバーも、夜には電話やラインでお互いに連絡を取りつつ、作曲のアイデアを出しあったり、それぞれの楽器パーツのアレンジを詰めていた。そして、スタジオリハで実際に音を合わせてみるのだ。

 そんな忙しくも充実している日々は、もう二度とあの頃の自分に戻ることはないという確信を奏に与えてくれていた。



 同じ日の午前十時頃。

 制服を着た詩織がひとみのマンションまで行くと、すぐに同じく制服姿の瞳がマンションから出て来た。

「おはようございます、瞳さん!」

「おはよう! 眼鏡、止めたの?」

 詩織は、学校ではいつも掛けていた黒縁眼鏡を掛けずに来ていた。

「実は、昨日、ステージで投げた時に割れてしまって」

「あらら。でも、私はない方が良いな。そっちがありのままの詩織って感じがするし」

「眼鏡はなくても授業は困らないので、良い機会だし、このままにしようと思ってます」

「それが良いよ」

 そんな話をしながら、二人は学校とは違う方向に歩きだした。

 すぐに着いたそこは、ひかるの家だった。

 昨日、文化祭が終わった後に、瞳と一緒に帰る道すがら。

 講堂の使用許可をしてくれた理事長にお礼を述べに行くつもりだと詩織が言うと、早速に瞳のバイタリティが発揮されて、その場で光に電話をし、今日の午前中に会う約束を取り付けてくれたのだ。

 土曜日で学校が休みなのに二人が制服姿なのも、理事長に会いに行くからだ。

「いらっしゃい! 詩織ちゃん! 瞳ちゃん!」

 大好きな詩織が来たということで、かおるが嬉しそうに玄関ドアを開いた。

「こんにちは! 薫ちゃん!」

 薫のような小さな女の子の相手など、最近はほとんどしたことのない詩織と瞳も、薫が可愛く思えて、笑顔で挨拶を返した。

 すぐに光も玄関に出て来た。

「親父は応接間で待っているぜ」

 光に案内されて、詩織と瞳が応接間に入ると、理事長がソファに座り待っていた。

「お邪魔します」と、神妙な顔で詩織と瞳が、対面する二人掛けソファに座ると、理事長の隣に光も座った。詩織と瞳の間には、なぜか、薫がちょこんと座った。

 すぐに理事長夫人である光の母親がお茶を持ってきて、全員の前に配り終えるのを待ってから、詩織は理事長に頭を下げた。

「理事長さん。今回は、講堂でのライブを許可していただいて、ありがとうございました」

 詩織に併せて、瞳も頭を下げた。

「いやいや。校長の話によると、かなり盛り上がったようだね」

 以前、光の嘘のせいで言い争った理事長と瞳は、お互いに気まずい顔をしていて、理事長も瞳の顔は見ずに、詩織に話を振った。

「お陰様で、同級生とも、以前と同じように、つきあうことができるようになって、本当に嬉しかったです」

「そうかね。それは良かったね」

「はい。それと、光さん。お父様を説得していただいて、ありがとうございます」

「いやいや~」

 照れて後頭部をかく光に、薫が「光、照れるなよ」と突っ込んだ。

 薫のひと言で場が和んだところで、瞳が意を決したかのように「理事長さん」と呼び掛けた。

「そ、その、以前、校長室で、暴言じみたことを言ったことは謝ります。どうも、すみませんでした」

 頭を下げた瞳に併せて、詩織も一緒に頭を下げた。

「い、いや。頭を上げたまえ。元はと言えば、光の嘘が原因だと、昨日、聞いた。こちらこそ、一方的に疑って、申し訳なかった」

 光は、瞳に叩かれたと嘘を吐いていたことを、瞳が許してくれたことから父親に本当のことを言うのを忘れていたが、今日、詩織と瞳が家に来るということで、父親に嘘だったと打ち明けたそうだ。

「光には、きついお仕置きをしておいたから」

「本当にきつかったんだぜ」

「お前が言うな!」

 光の天然さに父親から突っ込まれて、さらに場は和やかになった。

桜小路さくらこうじ先生に対しても失礼なことを言ってしまったね。先生にも謝っておきたいのだが?」

「兄には、あのことは伝えていないので、私の方から言っておきます」

「じゃあ、お願いするよ。ところで、桐野きりのさんは、来年二月にはデビューをすると、校長から聞いているのだが?」

「はい。まだ、日にちまでは決まっていませんけど」

「できれば、卒業後も我が校に在籍していたことは積極的にアピールしてもらえると嬉しいのだが」

 ちゃっかりと、自分の学校の宣伝を詩織に頼む理事長であった。



 お昼になる前に、詩織と瞳は、理事長夫妻と薫の見送りを受けながら、梅田家から出た。

 光は、なぜか、一緒に出ていた。

「梅田さんは、どちらかにお出掛けされるんですか?」

「これからピアノ教室があるんだよ」

「奏さんの所に行かれるんですか?」

「そうなんだ。十二時半からレッスンがあって。桐野も藤井ふじい先生の所に行くか?」

「いえ。奏さんとは、いつも会ってますし、お仕事の邪魔をするわけにいきませんから」

 光は、奏に好意を持っていそうだった。自分がついていくとお邪魔虫になるだろうと考えた詩織だった。

「ええと、私も山田楽器方面にあるお店に行く用事があるから、途中まで一緒に行くよ」

 瞳が少し照れながら言った。

 詩織は、もしかして瞳はもう少し光と一緒にいたいのではないかと考えて、「分かりました。では、ここで解散しましょう」と言って、光と瞳に手を振ると、池袋駅の方向に歩いて行った。

 瞳は明らかに光のことを意識しだしている気がした。

 理事長にお礼を述べたいと言い出したのは詩織だが、光と一緒に家に居る時に行けば良いと言ったのは瞳だった。詩織の提案にかこつけて、光に会いに来たような気がしてならなかった。

 一方の光の気持ちはよく分からなかった。

 奏に対する少し照れたような光の対応は、瞳に対しては、まったく見られない。

 もっとも、奏の光に対する認識はピアノ教室の生徒の一人に過ぎないことは、奏自身から確認しており、光の片思いに終わりそうだった。



「馬場亜」という定食屋で椎名と一緒に昼食を食べてから、山田楽器店の前で椎名と別れた奏が、山田楽器店に入ろうとすると、「藤井先生!」と呼び止められた。

 振り向くと、次のレッスンの生徒である光がいた。

「あれっ、梅田君! もう時間だっけ?」

 焦って腕時計を見る奏に、「まだ、十分くらいありますよ」と光が答えた。

「だよね。びっくりしたぁ」

「すみません。実は、レッスンの時間を利用して、藤井先生と話をしようと思ったので、少し早めに来ました」

「私に? 何かしら?」

「話があるのは、俺じゃなくて」

 体格の良い光が体を横にずらすと、後ろから瞳が出て来た。

「こんにちは! 奏さん」

「あらっ! こ、こんにちは! 二人は喧嘩してるんじゃなかったっけ?」

「ああ、その話はもう終わりました。さっき、梅の、梅田君の家に行って、ちゃんと話し合いをしました」

「そうなんだ。それは良かったわね。それで、私に話って?」

「詩織のことです」

「詩織ちゃんの?」

「はい。奏さんやバンドのメンバーの方にもご協力をお願いしたいことがあるんです」

 そう言った瞳の顔は嬉しそうで、楽しい話題であることが分かった。

 そして、瞳から話を聞いた奏は、バンドメンバーだけでもやろうかと思っていたことだったので、率先して協力することを約束した。

 

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