Act.118:本当の自分を見せつけろ!
十一月二十一日。金曜日。
私立アルテミス女学院高等部では文化祭が開催されていた。
一般的には、「文化の日」前後に開催する学校が多いが、アルテミス女学院では伝統的にこの時期に開催されていた。
二学期の初めには、学校行事やクラブ活動の主導権が三年生から二年生に渡されていて、その二年生が一から準備するための期間を考慮したとも言われている。
一方で、三年生はクラスでの出し物もないことから、詩織は、朝から瞳と一緒に校内を回り、学園生活最後の文化祭を楽しんだ。
そして、午後一時半。
詩織が正門の前で待っていると、玲音、琉歌、そして奏が歩いてやって来た。
文化祭だけに、今日は父兄や一般の人達も学校の中に入れることになっていたが、警備上、来校者には全員、受付をしてもらっていた。しかし、バンドメンバーやPAスタッフは、そういう一般の来校者も入ることを許されていない場所にも立ち入る必要があることから、入校許可証が発行されていた。
詩織から渡された入校許可証を首からぶらさげて、三人のメンバーは校内に入った。
「ふ~ん。これが、かのアルテミス女学院の文化祭かあ。良いわね。やっぱり、品があるというか、高貴な雰囲気がするというか」
お嬢様学校ということで、奏が過敏に反応していた。
「普通の学校じゃん」
「そうだよね~。制服はお姫様ドレスを着てるのかと思ったよ~」
「コスプレが必須科目のお嬢様学校ってどんなのよ!」
今日は、今までのライブと違い、アイドルだったことやバンドをしていることを隠してきたのには、詩織なりの理由があって、それは確かに、詩織の独りよがりなところがあったかもしれないが、間違ったやり方ではなかったことを、同じ学校の生徒達に分かってほしくてやるライブだ。
特に、同級生達に分かってもらえるかどうかの不安もあって、ライブの時間が近づくにつれて、詩織も緊張してきていたが、いつもの調子のメンバーを見て、少し気が楽になった。
午後二時。
合唱部のコーラスコンサートが講堂で始まった頃、榊原がPAスタッフとともに、PA機材を満載したバンに便乗してやって来た。
詩織は、榊原に駆け寄ると、頭を下げた。
「榊原さん! 今回は、いろいろとお世話になりました! ありがとうございました!」
「いやいや。玲音君にも伝えたけど、デビューアルバムの録音には、一点の曇りもない気持ちで臨んでもらいたいからね。それに、こういうお嬢様学校の生徒達にクレッシェンド・ガーリー・スタイルの曲が受け入れられるかどうかも興味があるところだよ」
「皆さんのお力添えで開催できたライブです。私は全力を出し切ります!」
「うん。期待してるよ」
などと話していると、二時半になって、合唱部のコンサートが終わった。
観客の生徒達が講堂から全員出ると、一旦、講堂を閉め切って、ライブの設営を始めた。
PAスタッフの男性二名と、榊原も手伝って、楽器とPAシステムをステージに設営していった。プロが使っているような高価な機材ではないが、アマチュアバンドがライブハウスでライブをする際のクオリティは保証できるはずだ。
建物自体にPA設備がないので、ミキサーなどの機器を客席の中でケーブルが届くぎりぎりの場所に置き、ステージの両脇に大きなスピーカーを立て、ステージの前面には二つのモニタースピーカーを設置。ドラムセットをステージの後ろにセットしてから、ギターとベースのアンプをステージの右側にセット。ステージの左側には二段重ねのキーボードをセットし、ボーカルマイク四本をスタンドに立てると、PAシステムに繋ぎ、音響をチェック。
講堂は、吹奏楽器の音や人の生声を綺麗に響かせるように設計されているはずで、PAシステムから出る電気楽器の音色がどのように響くのか分からないが、そこは専門のPAスタッフに任せるしかないだろう。
午後三時十五分過ぎまでにセッティングが終わると、ステージに緞帳が降ろされた。
リハをする時間はなく、ぶっつけ本番だったが、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバーにとって、リハなしということに、何の心配もいらなかった。
午後三時二十分になり、講堂の入り口が開くと、すぐに多くの生徒が入ってきた。
ステージの横から客席を覗いていた詩織は、どれだけの生徒が来てくれるのか、そして肝心のクラスメイトがどれだけ来てくれるのかが気になっていた。
入場してきたのは、二年生や一年生が中心で、三年生も入って来たが、別のクラスの生徒がほとんどだった。
詩織としては、同じクラスの、それも入学以来、ずっと仲良くしてもらった、優花、美千代、そして珠恵に来てもらいたかった。今朝も教室で、来てくれるようにお願いしたが、三人の反応は冷めたものだった。
「詩織」
振り向くと、瞳がいた。
「思ったより観客の入りが良いじゃない」
「はい。これも瞳さんのお陰です」
「いやいや。みんな、詩織の歌が聴きたいんだよ。中には、桜井瑞希の面影を引きずって聴きに来ている人もいるかもしれないけど、ネットで話題になっている『おシオちゃん』の歌を聴きに来ている人も大勢いるはずだよ」
「そうだと良いです」
「……同じクラスの人は?」
詩織の表情があまり明るくないことに、瞳が気づいたのだろう。
「まだ……」
「……私、もう一回、声を掛けてくるよ」
「瞳さん! もう良いんです。同級生が聴きに来てくれないのは少し寂しいですけど、私は自分の気持ちを聴きに来てくれた人に精一杯伝えるだけです」
「でも」
「瞳さん」
いつの間にか、玲音が近くにいた。
「おシオちゃんの同級生に、無理矢理、来てもらっても意味はないと思う。ここに来てくれた生徒が口コミででも学校中に感動を伝えてくれたら、それで成功だと思うよ」
「……そうですね。差し出がましいことをしちゃった」
「ううん! 瞳さんの気持ち、嬉しいです! ありがとうございます!」
「うん。じゃあ、私も客席で見てるね。絶対に気持ち良くさせてよ!」
「お約束します!」
瞳は手を振ってステージ横から降りて行った。
「詩織ちゃん! そろそろスタンバイよ」
「はい!」
最後まで講堂の入り口を眺めていた詩織だったが、待ち人はついに現れなかった。
緞帳が下りているステージで、メンバーがセッティングを済ませた。
メンバーは、いつもの雰囲気の私服だったが、詩織はセーラー服に黒縁眼鏡という格好でギターを構えていた。
「詩織ちゃんの制服姿を見ながら演奏できるなんて、何て至福の時なんだろ」
「おシオちゃんに見とれてて、スティック飛ばしちゃったらごめんよ~」
いつもどおり、はしゃぐメンバーに、再び、心を癒やされて、詩織は自分の決意を再確認した。
――本当の自分を見せつける!
開演を告げるブザーが鳴ると、緞帳の後ろにいる詩織達には姿は見えなかったが、土田教頭の声が講堂に響いた。
約束どおり、司会をしてくれるようだ。
「え~、本日は、文化祭の企画として、急遽、外部から、いや、一人は内部の人間ですが、お招きしたゲストバンドのコンサートをすることになりました。ロックのコンサートがこの学校でできるなど、夢にも思っていませんでした。これも時代の移ろいというか何というか」
土田の個人的な気持ちも入っているようであった。
「ところで、ボーカルの桐野詩織君は三年B組の生徒でもあります。そして、皆さん、もう、ご存じのことだと思いますが、昔、桜井瑞希という芸名でアイドルをしていました」
講堂は静まりかえっていて、マイクを通した土田の声だけが聞こえた。
「実は、私は、桐野君のお父さんと、昔、一緒にバンドをしていた仲間ということで、桐野君がアイドルだったことを内緒にして、ここに入学したいという希望を編入前に聞きました。三年前、桜井瑞希さんが引退して、すぐの頃。当時、人気絶頂だった桜井瑞希さんがこの学校に通学しだしたということが明らかになれば、ファンやマスコミが押しかけてきて、学校は混乱をきたしたでしょう。今の三年生は、そんな中で新しい学生生活をスタートさせなければならなかったはずです。それは、教師たる私も容認することはできませんでした。平穏な学生生活を皆さんに送ってもらうためには、桐野君の昔のことはできるだけ伏せておいた方が良い。これは、皆さんのことを思って、私も桐野君の申出を承諾したのです。一人、桐野君だけの考えで決めたことではありません。そのことも付け加えておきます」
緞帳の後ろで、詩織はここでも守られていたことを思い出した。
「それでは、クレッシェンド・ガーリー・スタイルの登場です! 拍手でお迎えください!」
拍手の中、緞帳が上がった。
詩織が舞台の袖から見ていた時よりも、もっと多くの生徒達で客席が埋まっていた。
客席の最前列には、瞳が座っていて、詩織に両手でピースサインを送ってきた。
詩織は、深くお辞儀をしてから、マイクスタンドにセットされたマイクに向かって話し始めた。
「アルテミス女学院高等部の生徒の皆さん、こんにちは! クレッシェンド・ガーリー・スタイルといいます」
先ほど、土田が話した校内放送用のマイクの音よりは格段に良い音質で、詩織の声が講堂内に響いた。
「ライブを始める前に、皆さんにお詫びします。私は、中学生の時には、桜井瑞希という名前で芸能活動をしていました。中学三年生の十二月に引退をして、本名の桐野詩織に戻り、同じ年の四月からは、ここでお世話になってきました」
客席を見渡しながら話していた詩織は、険しい視線をステージに送ってきている優花、美千代、そして珠恵の三人が講堂の入り口付近に立っているのを見つけた。
客席は、八割方は埋まっていたが、まだ、空席もあった。三人が席に座らないのは、詩織の説明や演奏に納得できなければ、いつでも講堂から出られるようにしているのだろう。
「先ほど、教頭先生からもおっしゃっていただきましたが、私がこの学校に通い出すことで、皆さんにご迷惑をお掛けしてしまうことが、私が桜井瑞希だということを内緒にしていた理由の一つです。でも、もっとも大きな理由は」
詩織は、そこで、一旦、言葉を切った。目を閉じ、大きく息を吸って、そして吐き出すと、まっすぐ、前を向いた。
「私は、アイドルだった自分を消し去りたかったんです! アイドルをしている人が、みんな、そうだとは言いません。でも、桜井瑞希は桐野詩織ではなかったんです! そんな自分を、一旦、リセットしたかったんです! 本当の私、桐野詩織として歌いたかったんです!」
講堂は静まりかえって、詩織の一言一句を聞き漏らすまいとしているようであった。
「本当は、高校を卒業してからバンドを始めるつもりでしたけど、この春に、絶対に一緒にやりたい、素晴らしい仲間と巡り会えました。今、私と一緒にステージにいる方々がそうです。この仲間と一緒にロックをする私が、本当の私です。今日、このライブをするのは、本当の私を皆さんにお見せしたかったからです」
詩織は、眼鏡をはずした。
「これが本当の私です!」
詩織が眼鏡を舞台の袖に向けて放り投げると、すかさず、琉歌がスティックでカウントを打った。




