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Act.008:お嬢様はバンド禁止?

「駄目だよ」

 私立アルテミス女学院高等部の職員室。

 一番奥まった所にある教頭席に座っている、ふくよかな体型の土田つちだの前に立った詩織しおりは、あっさりとバンド活動に引導を渡された。

「ど、どうしてですか? 人がどんな趣味を持っていても良いですよね?」

 詩織は、あまり人に食い下がるタイプではなかったが、自分がどうしてもやりたいことを無碍むげに「駄目だ」と言われて、すぐに諦めるほど弱くはなかった。やると決めたら、絶対にそうするだけの強い意志と実行力を持っていて、それは芸能界を引退する時にも発揮されたことだ。

「もちろん、人がどんな趣味を楽しもうが、それが法律に違反することだとか、人に迷惑を掛けることでなかったら、学校がそれを禁止することはできないよね?」

「はい! そう思います!」

「でも、桐野きりのさんがバンドのことを僕に話したということは、趣味以上の活動をしようと考えているからだろう?」

「……」

 バレバレだった。しかし、詩織も諦めなかった。

「確かに、プロを目指していますけど、結成したばかりで、曲作りもバンドの音作りもこれから一から作り上げていかなければならないんです。そんな準備期間もありますから、とんとん拍子に話が進んだとしても、本格的な活動は、私がここを卒業してからになると思います。それに、そもそも、プロになれるかどうかも分かりません」

「昔の君のことが知れても? 『桜井さくらい瑞希みずき、今度はバンドデビューか?』って見出しが週刊誌の表紙を飾ることはないのかねえ?」

 詩織は焦って周りを見渡したが、他の教諭の席からは少し離れている土田の近くには誰もいなかった。

 視線を土田に戻した詩織に、土田が言葉を続けた。

「そんなに苦労もせずに、すぐ、プロデビューできるんじゃないの?」

「そんな方法は使いません!」

「桐野さんにその気がなくても、周りは使いたくてたまらないかもね」

 詩織には、玲音れお琉歌るかが詩織に人寄せパンダのようなことをさせることはないと自信を持っていた。

 しかし、玲音や琉歌のことを知らない土田には、詩織の自信は伝わらないはずだ。

「あ、あの、もし、私がプロを目指しているバンドで活動していることが知れ渡ると、学校にどんなご迷惑を掛けることになるのでしょうか?」

「それは桐野さん自身がよく分かっていることでしょう? 入学の時、卒業してからバンドをしたいって言っていたよね? それは在学中にバンドをすることは、学校に迷惑を掛けるからと自覚していたからでしょ?」

 土田の言葉に、詩織は、高校に入学する前に、父親と一緒に土田と面談した時のことを思いだした。



 詩織が中学三年の時の十二月。

 当時、キューティーリンクの中でも人気絶頂だった桜井瑞希こと詩織は、「一身上の都合」という理由だけを発表して、芸能界を電撃引退した。

 既に中学校の卒業に必要な出席日数は満たしていたことから、引退発表の翌日から、詩織は、学校にも行かずに、今、住んでいる家に引き籠もり、マスコミの取材攻勢から逃れた。

 芸能活動をしている時には、港区内に借りたマンションに母親と一緒に住んでいて、芸能人になる以前から家族と住んでいた今のマンションの存在はマスコミにばれていなかったことから、引退後の詩織の動向は、まったく報道されることがなかった。

 そして、その翌年。

 詩織は、幼稚園から大学までの一貫教育をしているお嬢様学校である私立アルテミス女学院の高校編入試験を受け合格した。

 元アイドルということだけで詩織の一生が保障されている訳ではないとして、バンドをやりたいという詩織に、父親は最低でも高校を卒業するように命じた。母親と離婚をしてまで、詩織のわがままを許してくれた父親の言うことに逆らうことはできなかった。

 数ある学校の中から私立アルテミス女学院を選んだ理由は、キューティーリンクは圧倒的に男性のファンが多かったことから女子校であることを前提として、家から近いことと、お嬢様はアイドルには疎いという先入観があったこと、そして土田がいたからだ。

 アイドルだったことがばれないようにと、長かった髪も切りショートヘアにして、眼鏡も掛けた詩織は、入学前に父親と一緒に学校を訪れ、土田に事情を話して、「もしも」の時の対応をお願いした。

 土田は、今はもう辞めているようだが、趣味でロックバンドのドラムを担当していて、昔、詩織の父親と同じアマチュアバンドでしばらく一緒に活動しており、父親の親友と言って良かった。詩織も小さな頃に土田と会った記憶があった。

 詩織が小さい頃には、父親が土田らと組んだバンドの練習やライブに行くことが楽しみであった。そんな詩織は、いつしか父親にギターを教えてくれと頼んだらしい。小学校に上がる前には、子供用の小さなエレキギターをバリバリに弾けるようになっていた。父親のライブに飛び入り出演させてもらって、演奏と歌を披露したこともあった。

 人前で歌うことの気持ちよさに目覚めたのはこの頃だ。

 地域ののど自慢大会に出ては優勝をかっさらうようになった小学校三年生の頃になると、娘の歌の実力と器量の良さに気づいた母親がアイドルへの道を勧めた。

 と言うより、ほとんど強制だった。後から聞いた話であるが、母親は、かつて自分がアイドルになりたかったようで、自分が果たせなかった夢を娘に託したのだろう。

 学校が終わると、ボイストレーニング、バレエ、ダンスといった稽古事が目白押しになった。しかし、まだ幼かった詩織は人前で歌えるようになれば良かった。だから、稽古事が苦痛に感じることはなかった。

 ギターの練習もそんな夢中になることの一つだった。アイドルとしての素質を磨くとともにギターの練習も欠かさなかったが、次第にその時間が短くなっていった。そして、詩織が中学校に上がる直前、母親が応募したキューティーリンク二期生募集オーデションに合格して、桜井瑞希というアイドルが誕生した。その頃には、詩織がギターを弾く時間はほとんどなくなっていた。

 しかし、中学三年の時に芸能界を引退してからは、その時間ができた。その時から詩織のギター修行が再開されて、今に続いているのだ。



 詩織は、土田の言葉に反論することができなかった。土田が言ったことは、確かに詩織が言ったことだからだ。

 困ってしまった詩織が、目の前で立ち尽くしているのを見て、土田も少し表情を和らげた。

「お父さんは何て言ってるの?」

「父には、まだ、何も話していません」

「じゃあ、まずはお父さんに訊いてみれば?」

「父が許してくれたら、学校も許してくれるのですか?」

「確約はできないけど、何とかなるんじゃないかなあ」

 まるで詩織の父親に判断を丸投げしようとしているような土田だった。

 これ以上、土田にお願いしても結論は変わらないような気がした詩織は、「分かりました。父からの返事を待ってから、また、ご相談します」と言い、お辞儀をすると、回れ右をして職員室の出口に向かった。

 引き戸の扉を開けて、部屋の方に向き直り「失礼しました!」とお辞儀をして静かに扉を閉める。一年生の時に徹底的に教え込まれた作法が体に刷り込まれていて、次に何をするかを考えることなく自然に体が動いた。

 自分の教室に戻ろうと右を向いたところで、詩織と入れ違いに職員室に入ろうとしていた女子と目が合った。

 ――あっ!

 詩織は咄嗟に目線を伏せた。

 昨夜、池袋で、体をぶつけてしまった、目の悪い男性の連れの女性だった。

 まさか、同じ学校にいたとは思いも寄らなかった詩織は焦ってしまった。その女生徒は、いきなり視線をそらせた詩織を憮然とした表情で見つめながらも、詩織とすれ違いに職員室に入って行った。

 自分の不注意で目が不自由な人にぶつかってしまったと自己嫌悪していたから、その女性のことは詩織の記憶には鮮明に残っていたが、相手の女性は、詩織のことをそもそも憶えていないのか、眼鏡をはずしていた昨日の詩織と、今、黒縁眼鏡を掛けている詩織とが同一人であることに気づいていないのか、いずれにしても、詩織を気に留めることはなかった。

 すれ違った時、セーラー服の左腕についているワッペンを素早く見た詩織は、その子が自分と同じ三年生で、クラスが三つ隣のE組だと分かった。三年間クラス替えがなかった詩織は、クラブもしてなかったし、積極的に他のクラスの子と話もしなかったから、その子のことを知らなかったとしても不思議ではなかった。

 詩織の頭の中に、目が不自由な金髪の男性の姿が浮かんできた。話している相手である自分の目を見ていない視線に最初は戸惑ったが、終始、穏やかだった男性の笑顔に、なぜだか心が安らぐ気がしていた。それは、相手が目の見えない人だから、昔の自分に絶対に気づくことはないという安心感もあったと思うが、それだけではない気もした。

 同じ日に、玲音と琉歌と運命的な出会いをした。目が悪いその男性もひょっとして同じ運命の人なのだろうかと短絡的に思ったが、相手が男性であることを思いだして、また、一人で焦ってしまった。

 しかし、その男性の妹と思われる女性が自分と同じ学校の生徒だったということだけでも何かしらの因縁めいた繋がりを感じる。

 詩織は、教室に戻ることを忘れ、職員室の前の廊下から中庭を見渡すことができる窓に寄り掛かりながら、そんなことをつらつらと考えていた。

ひとみ! どうだった?」

 その声で我に返った詩織が振り向くと、職員室から出て来た先ほどの女性を三人の女生徒が取り囲んでいた。その女性が兄らしき金髪の男性から「瞳」と呼ばれていたのを思い出した。

「完全勝利だよ!」

 親指を立てた瞳がドヤ顔で答えた。

「やるう! さすが、瞳!」

「あったりまえじゃない! 私だって納得できないことを飲み込むことなんてできないからさ」

「じゃあ、明日からも今の部室を使って良いんだよね?」

「そう言うこと! 私達は飽くまで文芸部であって、桜小路さくらこうじひびきファンクラブじゃないんだからね!」

「でも、本音はそうなんでしょ?」

「しいー! 声が大きいよ」

 取り囲んだ女生徒達とともに笑いながら、瞳は職員室の前から去って行った。

 ――桜小路響

 詩織はその名前に記憶があった。

 最近、次々とヒット作を連発している新進気鋭の恋愛小説作家で、その代表作でもある「恋人たちの風」はそのうち読んでみたいと思っていた。

「そう言えば」

 詩織は、桜小路響が「盲目の作家」と呼ばれていることを思いだした。全盲というわけではないらしいが、物語を口述して、それをスタッフに文字起こししてもらっているという。まだ年も若いはずだ。

 もしかして、夜の池袋で会った目の悪い男性が桜小路響なのだろうか? そうすると、その男性を兄と呼んでいた瞳は桜小路響の妹ということになる。

 何となく気になった詩織は、自分のクラスである三年B組の三つ隣の教室である三年E組の教室まで行ってみた。入口に貼られているそのクラスの座席表を見てみると、「桜小路瞳」という生徒がいた。そして、教室の中を覗き見てみると、座席表が示す「桜小路瞳」の席には、今、「瞳」と呼ばれた女生徒が座っていた。

 「桜小路」などという珍しい名字の人がそうそういるはずがなく、瞳が人気作家である桜小路響の妹だということは、ほぼ確定だろう。

 今までの二年間、隠遁しているような学校生活を過ごしてきたのに、バンド活動が始動しようかというこの時期に、有名作家の家族が生徒の中にいることが分かったことも、これから自分の人生が激動する前触れなのかもしれないと感じた詩織であった。

 

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