Act.114:説得工作
「もしもし! 何だ、桜小路か? 珍しいな。俺の携帯に電話してくるって」
瞳は、私立アルテミス女学院理事長の息子、梅田光の携帯電話に電話を掛けていた。
「珍しいも何も、初めてなんだけど」
「そ、そうだっけ?」
「そうだよ! ところで、梅。今日の夕方、会えないかな?」
「えっ、二人きりでか?」
「何か、変な誤解してない? 詩織のことでお願いがあるんだ」
「桐野のことで?」
「うん。理事長を説得してほしいことがあるんだ。でも、事情を話していると、ちょっと長くなるかもしれないから、直に会って話をしたいんだ」
「今日、お袋も夕方に出掛けるから、薫を一人にしないように、家に居てないといけないんだ」
「ということは、理事長もお母さんもいないってこと?」
「ああ」
「じゃあ、家にお邪魔するよ」
「いらっしゃい、瞳ちゃん」
「こんにちは」
瞳が、学校帰りに制服のまま、自分のマンションとも近い光の家を訪ねると、以前、公園から連れ帰った黒い子猫を抱っこした薫が出迎えてくれた。
「クロ子、元気そうだね。良かった」
瞳がクロ子を撫でながら玄関の中に入ると、廊下の奥から、光が出てきた。
「お父さんとお母さんは?」
「親父もお袋もまだ帰って来てないけど、お袋は、そろそろ帰って来るかもしれない」
「本当に? できれば、まだ、顔を合わしたくないんだけど」
「じゃあ、俺の部屋で話をするか?」
「あんたの部屋? 薫ちゃん! 一緒に来て!」
「ちょっと待て! 即座に薫に同席を求めるたあ、どういうことだよ?」
「二人きりになると、絶対、変なことしそうだし」
「しねえよ!」
「瞳ちゃん。我が不肖の兄光は、まだ、家に女性を連れ込んだことがないから、どういう行動をとるか分かりませんが、基本的に、女性を襲うような度胸は持ち合わせていません」
「それは、度胸を持っていないんじゃなくて、正義感の塊を持っていると言ってくれないかなあ」
「薫の部屋は隣にあって、瞳ちゃんが声を上げたら、すぐに警察を呼びますから、安心して、光の少し臭い部屋にお入りください」
「……臭いの?」
「臭くねえよ!」
自分の靴を持って、瞳が二階の光の部屋に入ると、部屋着と思われるジャージが無造作にベッドに置かれていたり、漫画本が乱雑に床に散らばっていたり、空のポテチの袋がゴミ箱の横に落ちていたりで、瞳も思わず、鼻をつまんでしまった。
「やっぱり、臭い!」
「き、気のせいだって」
「こんな部屋でよく暮らせるわね!」
「さ、桜小路の部屋も似たようなもんだろ?」
「勝手に自分と同じにするな!」
瞳は、とりあえず、床に散らばった漫画や雑誌を片付け始めた。
「とにかく、私が座る場所もないじゃない」
「ああ、俺がするよ!」
光が、焦って、瞳が拾った雑誌を奪った。
「何? 私に見られると恥ずかしい本でもあるの?」
「ね、ねえよ!」
「その割には焦ってたんだけど? エッチな本でもあるんでしょ?」
「ない! そもそも、エッチな本は、そのまま床に置いてたりしねえから!」
「……あんた、本当に馬鹿ね」
エッチな本はどこかに隠していると自ら白状した光に、瞳も笑いをこらえるしかなかった。
「そ、それより、桐野の話って?」
「そうだった」
瞳が、光の部屋で十五分ほど話をしていると、光の母親が帰宅したことが分かったが、母親は、そのまま台所で夕食の準備に掛かりきりになるはずだという光の言葉を信じて、そのまま話を続けた。
更に十分ほどすると、一階の玄関ドアが開く音がして、「おかえりなさい」という女性の声がした。
「やべっ! 親父が帰ってきたぞ」
「本当に? まあ、私が梅にお願いしたいことは、ほとんど伝えたから、隙を見て、玄関から出るよ」
「いや。桜小路に頼まれたこと、今から、親父に伝えるよ」
「えっ、もう?」
「ああ、親父の返事が早く分かれば、次の手を考える時間もできるだろ?」
「それはそうだけど」
「ちょっと、ここで待っててくれ」
そう言うと、光は、部屋から出て、階段を降りていった。
瞳も廊下に出て、その後ろ姿を不安げに見つめていると、隣のドアを少しだけ開けて、薫が顔をのぞかせた。
「瞳ちゃん、大丈夫だった?」
「大丈夫だったけど……。えっ、大丈夫じゃなかったかもしれなかったの?」
「嘘です。でも、我が不肖の兄光にお願いごとって?」
「詩織のことだよ。詩織が桜井瑞希だって学校でばれてしまったの。薫ちゃんみたいに桜井瑞希が近くにいたって喜んでいる生徒もいるけど、同じクラスの生徒からすれば、ずっと隠し事されていたんだから、面白くないよね」
「そうですね」
「そんな生徒に、詩織の気持ちを分かってもらいたいから、学校で詩織のバンドのライブをしたいんだけど、学校の許可が降りなくてさ」
「なるほど。それで我が不肖の兄光を籠絡して、お父さんにおねだりしてもらおうという訳ですね」
「……籠絡って、難しい言葉を知っているんだね」
ませた薫に、毎回、驚かされる瞳であった。
「でも気になるなあ。あいつ、うまく言えるかなあ」
瞳は、理事長にこういう口実で話してみてと、光に教えていたが、光がそのとおりに言えるか不安であった。
「心配ですか?」
「すごく」
「じゃあ、ちょっと聞いてみる?」
「どこで?」
「光の声は大きいから、階段の途中でも聞こえるのですよ」
私立アルテミス女学院の理事長である梅田進は、背広の上着を脱いで、リビングのソファに身を沈めるとネクタイをはずした。すぐに奥方がお茶を持ってきて、湯飲みを梅田の前に置いた。
そこに光がやって来た。
「親父、ちょっと話があるんだ」
光が父親に面と向かって「話がある」と言ったことは初めてで、父親も何事かと驚いていた。
「何だ? 進学のことか?」
「いや、違う。アルテミス女学院に通っている桐野詩織って女の子のことだよ。親父は話を聞いてる?」
「詳しくは聞いてないが、何でも昔、アイドルをしていたが引退をしていて、それを秘密にして、我が校に通っていたらしいな。生徒の間で話題になっているようだ」
幼稚園から大学まである私立アルテミス女学院の学校法人を経営する理事長の元には、各学校から毎日報告が上がって来ていた。高等部の生徒達の間で話題になっていることは、当然、校長を通して、梅田理事長の耳にも入っていた。
「でも、それがどうしたんだ? その娘のファンだったのか?」
「いや、俺は、ラブスイーツ娘の方が好きだったし、って、そうじゃなくて、桐野は、今、バンド活動をしているって知ってる?」
「ああ、それでアイドルを引退したらしいな」
「来週の金曜日、アルテミス女学院の高等部は文化祭なんだろ?」
「そうだな」
「その桐野って子、その日に、講堂でバンドライブをしたいって言ってるらしいよ」
「そうなのか?」
どうやら、ライブの話は、まだ、理事長まで上がっていなかったようだ。
「しかし、なぜなんだ?」
「アイドルだったことを秘密にしていたことで、同級生達とギクシャクした関係になっていて、ライブをすることで、仲直りをしたいんだって」
「ライブをすると、どうして仲直りができるんだ?」
「ま、まあ、細かいことは俺も分からないけど、そうなんだって!」
「よく分からんが、その話は誰から聞いたんだ?」
「えっと、と、友達から」
「友達って、アルテミス女学院の生徒か?」
「う、うん」
「ひょっとして、彼女か?」
理事長は嬉しそうだった。同じ彼女を作るのなら、アルテミス女学院に通うお嬢様が好ましいと思っているのだろう。
「え、えっと、まあ、そうかな」
「そ、そうか! 今度、紹介しなさい!」
「そ、そのうち」
階段の途中で、薫と一緒に聞き耳を立てていた瞳は、「何の話をしてるんだか。本当に大丈夫かなあ」と心配になっていた。




