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Act.112:ばれた過去

 ライブの翌日の朝。

 詩織しおりは、いつもどおり、池袋駅でひとみと落ち合って、一緒に学校に向かった。

「ネットで評判になっていたけど、昨日のライブも大盛況だったらしいじゃない?」

「はい。私はもう桜井さくらい瑞希みずきじゃなくて、おシオなんだと、観客の皆さんにも分かっていただけたと思います」

 ライブの初めには、何かの違和感を覚えた詩織だったが、その後はそんなことを忘れさせるほどの盛り上がりで、詩織としては、過去の清算がまた一つ終わった気がしていた。

「この勢いのまま、デビューまで行けたら良いね」

「そうですね」

 学校が近づいてきて、同じ方向に歩く生徒達が多くなってくると、詩織は、何となく、生徒達が自分に注目しているような気がした。

 月曜日に写真週刊誌フレッシュが発売されたが、その日も翌日の火曜日にも何事もなく、一日が終わっていた。

 昨日はライブのため、学校を休んでいたが、学校で何かあったのだろうか?

 瞳も周りの生徒達の様子に気づいたようで、「明らかに意識されてるね」と小さな声で言った.。

「昨日、何かありましたか?」

「ううん、特に何も気づかなかったけど……。でも、詩織。何かあったら、私、詩織を助けるからね」

 瞳の力強い言葉に力付けられた詩織は微笑みを返した。



 E組の瞳と廊下で別れて、詩織はB組の教室に向かった。

 教室の引き戸を引いて、詩織が教室の中に足を踏み入れた瞬間、それまでざわついていた教室が一瞬で静かになった。

「……おはようございます」

 クラスメイト達の視線が険しかった。詩織を突き刺すかのようなその視線に、詩織は、口を開くことができず、無言のまま、自分の席に向かった。

 途中、優花ゆうか美千代みちよ珠恵たまえがいて、詩織を睨むようにして目で追い掛けてきた。

相良さがらさん、広沢ひろさわさん、幸崎こうさきさん、ごきげんよう」

 詩織は、勇気を振り絞って、三人に声を掛けた。

「ごきげんよう」

 挨拶は返してくれたが、三人は、すぐに視線を詩織からはずした。

「詩織!」

 詩織が、自分の席に座ろうとした時、瞳が詩織の教室に駆け込んで来て、詩織の手を握ると、詩織を引っ張って、教室から出て行った。

 そのまま、廊下の隅まで来ると、瞳は、辺りを見渡してから、手を離して、詩織と向き合った。

「これ見て!」

 瞳が手に持っていた自分のスマホを詩織に向けた。

 そこには、動画投稿サイトが表示されて、「これが桜井瑞希のバンドだ!」というタイトルの動画が再生されていた。スマホで撮影したのかもしれないが、かなり画質が悪い映像だった。しかし、アップにされた際、詩織の顔がしっかりと映っていた。

「これ、昨日の……」

「誰かが、こっそり撮っていたんだろうね」

 ヘブンス・ゲートの店員達も、超満員の会場で不慮の事故が起こらないように警戒はしてくれていたが、その分、盗撮の警戒まで手が回らなかったのかもしれない。

「私が教室に入ったら、同級生から、いきなり、この動画を見せられて、『これ、いつも一緒に来ているB組の桐野きりのさんじゃない?』って訊かれたんだ」

 お嬢様であっても、メールやラインなど、女子高生のネットワークは完璧に機能しているようで、フレッシュの記事、そしてヘブンス・ゲートでのライブで、「今の桜井瑞希を見た」というネットでの書き込みを見た生徒の誰かがこの動画にたどり着いて、詩織に似ていると発信をしたのだろう。そして、昨日、学校を休んでいたことも、詩織が、その日、ライブをしていたはずの桜井瑞希だという噂に確信を与えてしまったのだろう。

「どうする、詩織?」

「……ちゃんと言います。クラスのみんなに本当のことを話します」

「そう……だね。私は、何もできないけど、応援してる」

「ありがとうございます、瞳さん。瞳さんだけでも分かってくれているんだと思うと、心強いです」



 詩織が教室に戻ると、すぐに朝のホームルームが始まった。

 担任は、連絡事項や注意事項を述べると、すぐに教室を出て行った。

 一時限目の授業まで十分ほど時間がある。生徒が全員、教室の中にいる今をおいて機会はない。それに、モヤモヤとした気持ちのまま、これから一日を過ごすのは嫌だった。

「皆さん!」

 詩織が立ち上がりながら、大きな声をあげた。クラスメイトが注目する中、詩織は、しっかりとした足取りで教壇に立った。

「お話があります! 聞いていただけますか?」

 誰からも返事はなかったが、詩織は言葉を続けた。

「きっと、皆さんは、もう、昔の私のことをご存じですよね?」

 また、返事はなかった。ということは、みんなが知っているということだ。

「私には今、やりたいことがあります。それは、バンドです。自分達で曲を作って、自分達で演奏して歌うことです.。その夢は叶いつつあります」

 詩織は、教室を見渡した。

 全員が詩織を厳しい視線で見つめていた。

「私は、バンドを始める時には、昔の自分のことを知られたくありませんでした。それは変な先入観を持たれたくなかったからです。だから、この学校に入った時も、昔の自分のことを秘密にしました」

 詩織は、一旦、言葉を切り、大きく息をしてから、再び、話し始めた。

「皆さんには、申し訳なかったですけど、昔の自分のこと、バンドをやっていることを内緒にさせていただきました。それは、本当に私のわがままにすぎないことです。でも、バンドをやることは中途半端な気持ちからではありません。絶対に叶えたかったんです!」

「だから?」

 クラスのリーダー的存在でもある優花が席に座ったまま、険しい顔を見せた。

「ずっと騙されていた私達の気持ちはどうでも良いってことですか?」

「そんなことはありません!」

「でも、私達は信用されてなかったってことですよね? 私達に本当のことを話すと、きっと、言いふらされて、ばれてしまうと思っていたんですよね?」

「そ、それは……」

 そうではないと反論できなかった。

 高等部から編入した詩織は、クラスメイトとも初めて会った人ばかりで、詩織が正直に昔の自分のことを話したら、クラスメイト全員が、それを秘密にしてくれる人ばかりだとは言えなかったのだ。

「桐野さんが桜井瑞希だということは、今まで誰も分かりませんでした。さすが、芸能人だけあって、演技はお手のものだったようですね」

 優花の皮肉に、詩織は、何も言い返すことができなかった。

 もう、ひたすら、頭を下げるしかない。

「どうも、すみませんでした!」

 詩織は、教壇の横で深く頭を下げた。

「桐野さん。ずっと騙されていた私達だって、『はい、そうですか』と、すぐに納得できるものではありません。あなたを絶対に許さないとまでは言いませんけど、私たちの気持ちとしては、元どおりになるには、少し時間が掛かると思います」

「……分かりました。私は、できれば許していただいて、卒業までには、以前と同じようにおつきあいをさせていただきたいと思っています」

「とりあえず、桐野さんのお考えは分かりました。あとは時間が解決してくれるのを待つ、というところでしょうか?」

 ほとんどのクラスメイトが優花の言葉にうなずいた。

「ありがとうございます、皆さん」

 詩織は、再び、深く頭を下げると、自分の席に戻った。

 少し時間が経つと、それまでの重苦しい空気に包まれた雰囲気から解放されたように、生徒同士が話を始めるなど、いつもどおりの様子に戻った。

 しかし、それは詩織を除いてだった。

 詩織の席には誰も近づかず、まるで全員から無視されているような感覚だった。



 結局、お昼休みまで、クラスメイトは誰も詩織に話し掛けてくれなかった。優花が言ったみたいに、元どおりになるには、しばらく時間が必要なのだろう。

 昼休みには、瞳とともに学生食堂に行った。向き合ってカレーを食べている瞳が心配そうな顔を見せた。 

「そっか。それは教室に居づらいね」

「仕方がないです。私が悪いのは間違いないんですから」

「まあ、三年もの間、みんなを騙し続けていたことにはなるもんね。それで何か実害があった訳じゃないだろうけど、気持ち的には面白くはないよね」

「でも、私は、少し安心したんです。絶交だとまで言われるかもって心配していましたけど、時間が解決してくれるって言ってくれたので」

「みんなが詩織を許そうという気持ちになるまで、どれだけ時間が掛かるか分からないけど、みんなと早く元どおりになれるように、私もできることはするよ」

「ありがとうございます、瞳さん」

 詩織達のテーブルに、一年生の生徒が二人、近づいて来た。

 お互いに「あなたが声を掛けなさいよ」と押しつけあっている声がまる聞こえだったが、観念したように、詩織の近くに立った。

「あ、あの、すみません。桜井瑞希さんですか?」

 おずおずと声を掛けて来た一年生に、瞳が「違うわよ。ここにいるのは、三年B組の桐野詩織よ」と言った。

「す、すみません!」

 瞳にしては穏やかに言った方だったが、上級生から叱られたと思ったのか、一年生二人は、逃げ去るように遠ざかって行った。

 詩織との接点が薄い下級生達は、身近に元超人気アイドルがいたと舞い上がっているのかもしれないが、三年間、クラス替えもなく、毎日、顔を合わせてきたクラスメイトにしてみれば、そういった気持ちがわき上がることなく、信用されずに騙されていたという感情をぬぐい去ることができないのだろう。

 

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