Act.111:ライブでの違和感
四バンドの合同ライブが始まった。
ヘブンス・ゲートの楽屋は狭く、次に出演するバンドのみが入れることから、いつもであれば、出番を待つ出演バンドも客席でライブを楽しんでいることが多いが、昔の詩織のことが知れ渡ってしまっている今日はそれもできずに、詩織達は最初の二つのバンドのライブが終わるまで近くのファミレスで軽く食事をするなどして時間を潰してから、三番手のアンドロメダ・センチュリーのステージが始まった頃、ヘブンス・ゲートに戻った。
ステージとはアコーディオンカーテンで仕切られているだけの楽屋に入ったメンバーのうち、弦楽器部隊は入念にチューニングなどの調整をし、ドラムの琉歌は、腕と手首のストレッチをしていたが、一人、することがなかったキーボードの奏が「ちょっと偵察してくる」と言って、楽屋から出て行くと、すぐに興奮した様子で戻って来た。
「すごい人だよ! 超満員!」
ヘブンス・ゲートは、プロを目指すバンドにとっては登竜門のようなライブハウスで、プロのライブも、ときどきは開催されていたが、そのキャパは大きくなく、オールスタンディングでも百人が入れば満員だった。
アンドロメダ・センチュリーのステージが終わり、メンバーが楽屋に下がってきた。
「いや~、前回は、玲音達の後でやりにくかったけど、今回は、前でもやりにくかったよ」
カホが苦笑しながら言った。
「もうさ、観客のほとんどは、クレッシェンド・ガーリー・スタイルがお目当てみたいだね」
「まあ、アタシらというよりは、おシオちゃんだろうけどな」
「玲音さん! 例え、そうだとしても、私は、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのおシオです! 今までどおり、暴れます!」
「よくぞ、言ってくれたぜ、おシオちゃん! その心意気を見せつけてやってくれ!」
「はい!」
玲音を先頭に、メンバーがステージに出て行った。
照明が落ちて暗かったが、客席から大きな歓声が起きた。
準備を終えた詩織は、自分のすぐ左側に立っている律花を見た。律花も気づき、少し首を傾げながら、詩織を見た。
「律花さん! よろしくお願いします!」
「それ、さっき、リハの時にも言ったよ」
「あっ、そうでした。でも、本番でも、よろしくお願いします!」
律花が微笑んだ。詩織は初めて律花の笑顔を見た気がした。
「詩織さんって、本当に面白いね」
「そ、そうですか?」
「うん。それに、これだけ注目を集めているのに平気なんだね?」
確かに、客席の視線は、ほとんどが詩織に集中していると言ってよかった。
桜井瑞希のファンではなかったとしても、元超人気アイドルが歌うということで、注目しているはずだ。
「大勢の人の前でも、少ない人の前でも、ライブはライブです! 私は心を込めて歌うだけです!」
律花は、目を見開いて、詩織を見た。そして、すぐに穏やかな笑顔を見せた。
「ほんと、不思議な人だね」
「不思議……ですか?」
「うん。だから、みんなを魅了できるんだろうね」
「……」
「私も思いきりギターを弾くよ」
「はい!」
そうしているうちに、玲音がステージの前に出て来て振り返り、メンバーを見渡した。
みんなの準備が終わっていることを確認した玲音は、メンバーに右手の親指をグッと突き出した。
そして、客席側に向き直ると、PAスタッフに準備が終わったサインを送った。
BGMがフェードアウトしていき、完全に消えると、琉歌のカウントが入った。
一曲目は、不動のオープニングナンバー「ロック・ユー・トゥナイト」だ。
最初から、詩織の圧倒されるボーカルに衝撃を受けたようで、オールスタンディングの客席が揺れた。
桜井瑞希を見に来た人だろうか。呆然とした顔をして立ち尽くしている観客もいた。
今、ステージで歌っているのは、桜井瑞希ではない。同じ人間だが、可憐でキュートなアイドルはそこにはいなかった。
詩織も、いつも以上の盛り上がりを感じて、気分が高揚していった。
――あれっ、何だろう?
詩織は、何だか分からないが、突然、今までのライブでは感じたことのない違和感を覚えた。
観客も盛り上がっているし、バックの演奏も申し分ない。大成功に終えてきた、これまでのライブとどこも変わっていない。
自分も気持ち良く歌えている。
しかし、何かが違った。
自分のことが、桜井瑞希とばれているからだろうか?
しかし、今までも、ライブでならばれてもいいと割り切ってステージに上がっていたし、ロクフェスでのステージ以来、その気持ちは揺るぎないものになっていた。
むしろ、もう、ばれてしまっているのだから、そんなことを気にする必要もなかった。
だとすると、何だろう?
これまでのライブと違うところは、律花の存在だ。
しかし、律花を入れたスタジオリハでは違和感は覚えなかったし、むしろ、律花のギターで、自分はもちろん、メンバーの気持ちも昂ぶっていて、気持ち良く演奏し、歌うことができていた。
PA席に座っているヘブンス・ゲートのマスターが険しい表情をしているのが見えた。
一瞬、詩織の心に不安が居座ったが、プロとして恥ずかしくないステージをやらなくてはという責任感、もしくは義務感とともに、いつも以上に盛り上がっている観客の存在が、その不安感を詩織の心から追い出してくれた。
詩織は、いつもどおりの自分で歌い、演奏をした。
「どうもー! クレッシェンド・ガーリー・スタイルでーす!」
一曲目が終わると、早速、玲音のMCが入った。
「今日は、こんなにたくさん来てくれて、ありがとうございます!」
客席から歓声が上がった。
「今日は、新メンバーが加わって初めてのライブだから、更にパワーアップした、クレッシェンド・ガーリー・スタイルを見せつけるぜ!」
そう言うと、玲音がマイクスタンドからマイクを外して手に取った。
「それはそうと」
玲音が詩織の隣にやって来ると、詩織の肩を抱いた。
「どうだい? うちのボーカル、可愛いだろ?」
客席から更に大きな歓声が上がった。
しかし、玲音はその歓声に顔をしかめた。
「でもな、うちのボーカルの顔を見に来ている奴! 今すぐ、ここから出て行ってくれ!」
一瞬で客席が静まった。
「アタシらメンバーは、みんな、うちのボーカルのファンなんだ。でも、それは声が、歌が大好きなんだ。そして、みんなにもそうなってもらいたい。これまで、うちのファンになってくれた人は、きっと、そうだろうと思うけど、これからファンになってくれる人も、うちのボーカルの歌に聴き惚れてくれ!」
玲音がこんなことを言うことを事前に聞いてなかった詩織は、感動してしまった。
「うちには桜井瑞希なんていねえぞ! うちの素晴らしいボーカルは、おシオだ!」
玲音の煽りに、客席から「おシオぉー!」という掛け声が何度も掛かった。
そして、いつの間にか、それが「お・シ・オ! お・シ・オ!」という三拍子の掛け声と手拍子に変わり、客席全体に広まった。
詩織は涙が溢れてきたが、右腕で拭うと、玲音が持っているMCマイクに顔を近づけた。
「みなさん! 今日も一生懸命歌います! 叫びます! よろしく、お願いします!」
詩織のその言葉で、客席は興奮状態になり、もしもの場合に備えて、ステージ横で待機していたヘブンス・ゲートのスタッフが色めきだったくらいであった。
「みんな! 危険なことはするなよ! お行儀良く、暴れようぜ!」
玲音のその言葉で、客席が少しなごんだ。そして、二曲目のカウントが入った。
結局、今回もライブは大盛況で終えた。
アンコールにも二度、応えて、満足そうな顔をして観客が引き揚げていった後、玲音を先頭にメンバー全員で、PA席に行き、「今日は、ありがとうございました!」と、ヘブンス・ゲートのマスターにお礼を述べた。もちろん、お目当ては、その後の、マスターの評価だ。
「お疲れ様。今日も大成功だったね。演奏も以前より良くなっているし、曲の作りもかなり改善されているね」
玲音の顔が緩んだ。マスターに褒められるだけで嬉しくなるようだ。
「ところで、君達は、今のまま、進む気かい?」
「はい?」
メンバー全員が、マスターが言っている意味が分からなかったようで、お互いの顔を見渡した。
「そうか。榊原君の意見なんだろうが、君達も分かっていないみたいだね。もっとも、僕だって分からないんだけどね」
ますますもって、マスターが言っている意味が分からなかった。
「君達が向かおうとしている道が正しい道なのかどうかは、たぶん、今は誰にも分からない。答えが出るには、時間が掛かるかもしれないし、もしかしたら、すぐに分かるのかもしれない」
そう言ったマスターの視線が律花に向いていることに、詩織は気づいた。
律花は、マスターの視線を直視できないように、視線を下げた。
「むしろ、正解などないのかもしれない。答えは出るのではなく、出すものかもしれないね」
「あ、あの」
玲音はどういう意味なのかを訊こうとしたのだろうが、マスターはそれを遮るように話を続けた。
「今日の盛り上がりからすると、まったく気にするほどのレベルではないのかもしれないし、僕の勘違いかもしれない。気にしないでくれたまえ」
そう言うと、マスターは椅子から立ち上がり、「デビューを楽しみにしているよ」と、いつものエビス顔に戻った。
「あ、ありがとうございました!」
揃って、マスターに頭を下げたメンバーは、楽屋に行き、片付けを始めた。
「マスターが言ったこと、どういう意味なんだろうな?」
玲音が、みんなを見渡しながら尋ねたが、答えが分かった者はいなかったようで、みんな、首を捻っていた。
詩織が律花を見ると、いつもどおり、無言で片付けをしており、玲音の問いに答えそうになかったが、マスターの前で見せた様子から、もしかして、律花はマスターの言った意味が分かったのかもしれないと感じた。
しかし、律花は、「じゃあ、お疲れ様でした」と言って、一足先にヘブンス・ゲートを出て行った。




