Act.110:ターニング・ポイント・ライブ!
写真週刊誌フレッシュに詩織のインタビュー記事が載った月曜日から二日後。
十一月十二日。水曜日。午後二時。
この日は、クレッシェンド・ガーリー・スタイルがエンジェルフォールに所属してから初めてのライブの日だった。
とはいっても、所属前に出演を決めていた合同ライブで、エンジェルフォールが何かの支援をすることもなく、チケットの売り上げで利益が出ても、エンジェルフォールの取り分があるわけでもなかったから、実質的には、アマチュアとして出演する最後のライブということになる。
しかし、クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、もう、ただのアマチュアバンドではなかった。フレッシュの記事で、元超人気アイドル桜井瑞希がボーカルを務めるバンドと知れ渡ってしまったのだ。
エンジェルフォールのホームページでは、当然のことながら、このライブのことには何も触れられてなかったが、自分達のツイッターではこれまで盛んに宣伝をしており、このライブに来れば、桜井瑞希に会えると思った者も多くいるだろう。
詩織達メンバーが、いつもどおり、池袋駅から歩いて、ヘブンス・ゲートに行くと、その地下に降りる階段の前に、大勢の人がたむろしていた。
遠目に見ると、ヘブンス・ゲートの店員らしき男性が二名、入り口の前に立ち、たむろしている人達に大きな声で何かを言っていた。
玲音が一人、近づくと、予想どおり、店員達は「本日のライブのチケットは、すべて売り切れました!」と叫んでいた。
多くの人は、渋々、引き揚げていっていたが、ロックのライブに来そうにない、いかにもアイドルオタクのような男性達が、諦めきれないように、その場に残っていた。
「どうする、玲音?」
メンバーの元に戻ってきた玲音に奏が訊いた。
「中央突破するしかねえだろ。行こうぜ!」
玲音を先頭に、メンバーは一列になって、早足で、ヘブンス・ゲートの入り口に向かった。
しかし、楽器を持っているから出演者とすぐに分かるし、詩織も顔を隠すことなく、堂々と歩いて来たから、たむろしていた男性達に、すぐに気づかれてしまった。
「瑞希ちゃんだ!」
男性達が一斉に詩織に殺到してきたが、ヘブンス・ゲートの店員が何とか遮ってくれて、詩織達は、無事、ヘブンス・ゲートへの階段を降りることができた。
階段を降りきった所で入り口を見上げると、「まだ開店前です! それに、ここから先はチケットを持っている人しか入れません!」という、店員の怒号が響いていた。
詩織達がヘブンス・ゲートの入り口を開けて、控えの間に入ると、詩織達とは違う路線の電車で池袋にやって来ている律花が待っていた。
今日は、アマチュアバンドとしては最後のライブ。
そして、詩織が桜井瑞希だと知れ渡ってからの最初のライブであり、更に、新メンバー律花が加入しての最初のライブということで、詩織達にしてみれば、いろんな意味で節目となるライブであることは間違いなかった。
「律花、お待たせ」
「私も今、来たばかり」
言葉少なく玲音に答えた律花が詩織を見た。
「詩織さん、そうだったんだね。全然、気づかなかったよ」
「は、はい。すみません、律花さん。黙っていて」
「別に気にしてないよ」
スタジオリハ後の飲み会に参加しない律花とは、お互いにプライベートなことを話し合う時間がなかったことは確かで、最近、加入した律花に昔の詩織のことを話していなかったことも、メンバーが律花を疎外していたからではないと、律花も理解してくれているだろう。
黙っていたことを怒ることもなく、また、詩織が元超人気アイドルと分かっても舞い上がることもない、いつもと変わらない態度の律花だった。
「じゃあ、行くか」
玲音が防音扉を開き、メンバーは店内に入った。
今日の出演バンドは、クレッシェンド・ガーリー・スタイルを併せて四バンドで、その最後に出演する詩織達のリハが最初に行われることから、少し早めに会場入りをしたのだが、今回の合同ライブを企画したアンドロメダ・センチュリーのメンバー達は既に全員が揃っていた。
「クレッシェンド・ガーリー・スタイルです! よろしくお願いします!」
玲音が、はっきりと通る声で挨拶をして、メンバー全員でお辞儀をした。
「玲音! 今回もありがとう!」
玲音のバンド友達であるカホが近づきながら、人懐っこい笑顔を見せた。
「いやいや~、アタシらも楽しみにしてたんだ」
カホが、一番後ろでひっそりと立っている律花に視線を向けた。
「律花も入って、いよいよ、デビューかあ。玲音は一足先に夢を実現できそうだね。おめでとう!」
「ありがとう! でも、カホとも、また、一緒のステージに立とうぜ!」
「まあ、うちのバンドは、あんな曲だから、受け入れられるには、もうちょっと時間が掛かるかもね。でも、みんな、自分達の曲が好きで、ずっとやってきてるし、自分達を変えてまで、プロになろうとは思ってもないよ」
カホのバンド「アンドロメダ・センチュリー」は、二台のシンセサイザーを駆使して幻想的かつ難解な曲調のオリジナル曲を演奏するバンドで、確かに、幅広いファン層を獲得できるようなバンドではないが、メンバー全員の卓越した演奏技術に、熱心な固定ファンもいて、けっして、プロデビューが不可能だとは言えなかった。
今回のような合同ライブを数多く企画しては、地道にファンを増やしているのだ。
「それはそうと、おシオちゃん。驚いたよ」
カホが詩織に視線を向けた。
「すみません。いろいろとお騒がせして」
頭を下げた詩織に、カホは「そういう態度も、ほんと、可愛いよね」と笑顔を見せた。
「玲音のバンドを最後にして正解だったよ」
「今日は、普段とは、ちょっと、毛色が違った観客が来るかもな」
「あはは、そうかもね。でも、そんな人達に自分達の音楽がどんな受け取られ方をするのか、楽しみではあるけどね」
カホは、玲音から、再び、視線を詩織に戻した。
「そういえば、今日は、学校じゃなかった?」
「今日はお休みしました」
「ずる休み?」
いたずらっ子のような笑みで詩織に尋ねたカホに、玲音が「そうなんだよ。おシオちゃんもついに不良の仲間入りさ」と茶々を入れた。
「え~! そ、そんなぁ!」
真面目な詩織が焦ると、「でも、休めって言ったのは、玲音でしょ?」と、奏が突っ込んできた。
「いや、アタシはちゃんと学校に行くべきじゃねえかって言ったんだけど、奏が悪魔の囁きで休ませたんじゃなかったっけ?」
「何? 私一人が悪者?」
「なんてたって、うちのラスボスだからな。誰も逆らえないし」
「誰がラスボスじゃあ!」
奏が後ろから玲音の首を絞めて体を揺らした。
そんな、はしゃぐメンバーを、カホは暖かい目で、律花は冷めた目で見つめていた。
そうしているうちに、今日、共演する二つのバンドもやって来た。
トップバッターは、「白夜叉」という名前で和風のテイストを取り入れたロックバンド、二番手は、「ポップコーンマジック」という、男女四人組のポップス系バンドだった。
どちらもプロを目指しているバンドで、さすがに詩織を見て興奮することはなかったが、遠目に詩織に注目していることは分かった。
「では、クレッシェンド・ガーリー・スタイルさん、お願いします!」
PAチェックも終わり、ヘブンス・ゲートのスタッフの指示で、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバーがステージに立った。
ステージに向かって左から、キーボードの奏、少し後ろにドラムの琉歌、センターにボーカル&サイドギターの詩織、その右にリードギターの律花、右端にベースの玲音という立ち位置。
準備が終わった詩織は、先に準備を終えている律花を見た。
「律花さん! よろしくお願いします!」
「うん、よろしく」
既に何回かスタジオリハも済ませて、律花が加入しての演奏で歌うたびに、詩織は気持ち良く歌えることができていた。
このステージのリハでも、今日、演奏する予定の七曲を順番に途中まで演奏したが、詩織は、律花のギターに触発されて、熱く燃えることができた。
律花は、普段は、メンバーの誰とも話すことはなく、ただ、一緒にいるという感じであったし、演奏中も、メンバーを煽るような派手なアクションやギターテクを見せびらかすようなパフォーマンスはまったくしなかったが、そのギターの音は、確かに、メンバーを熱くさせていた。
詩織は、律花のギターを聴くたび、「静かに燃える」とはこういうことかと、いつも思った。
リハを終えると、三番手のアンドロメダ・センチュリーのメンバーがステージに上がった。
玲音と同じベーシストであるカホが、自分のベースを持って、後片付けをしている玲音に近づいた。
「お疲れ様」
「おう! 前回と比べて、どうだった?」
玲音が言った「前回」とは、アンドロメダ・センチュリーとも共演した、ファーストライブのことだ。
「やっぱり、全然、違ってるね」
「そうだろ? 音が厚くなっているはずだし、おシオちゃんも歌に専念できているからな」
「そうだね……」
「何だ?」
喉に何かがつかえているような雰囲気のカホに玲音が尋ねたが、カホは、すぐに「ああ、何でもないよ」と言って、自分の準備を始めた。




