Act.109:冷めたカフェオレ
「では、最初に写真を撮らせてください。もちろん、顔は撮らないというお約束は守ります。このソファに座ったままでの後ろ姿と、あとは、正面から、少し顎が見えるくらいに胸元辺りを撮りたいですね」
「分かりました」
詩織の承諾の言葉を聞いて、カメラマンがすぐに立ち上がり、まずは、詩織の斜め後ろに立ち、カメラを構えた。
詩織の隣に座っていた竹内も立ち上がり、カメラマンの後ろに腕組みをして立った。
竹内に見張られているような状態だったが、カメラマンは躊躇せずにシャッターを切った。
そして、すぐに詩織に近づき、カメラの画面を見せながら、「これでいかがでしょうか?」と訊いた。
顔の輪郭が分かる程度に写っていて、既にロッキンRに掲載されている写真と同じだったことから、詩織もすぐに了承した。
正面から撮った写真についても詩織の了承を得られると、カメラマンは、すぐに部屋を出て行った。
「では、始めましょうか?」
再び、竹内が詩織の隣に座ると、早川がテーブルの上にIC録音機をセットした。
「早川さん、録音機の使用を承諾した覚えはありませんが?」
「やれやれ、やはり、竹内さんを出し抜くことはできませんか」
竹内の指摘に、早川は表情も変えずに、IC録音機のスイッチを切って、ジャケットの内ポケットに仕舞った。音声を録られると、「桜井瑞希の肉声」として公表されるおそれがある。詩織の声は、デビュー前とはいえ、エンジェルフォールが管理している「商品」なのだ。
内ポケットの中で更にスイッチを入れた可能性は排除できないが、疑えばきりがない。竹内もそれ以上は何も言わなかった。
早川は、同じ内ポケットから小さな手帳を取り出し、胸ポケットに刺していたペンを持ち、メモを取れる体勢にしてから、正面の詩織を見つめた。
「今日は取材に応じていただき、ありがとうございます。最初から核心に触れる質問をさせていただきます。これは、ファンであれば、誰もが知りたかったことですが、三年前に、突然、引退された理由を教えてください」
早川は、詩織がバンドを始めたいと思った理由や引退してから今まで何をしていたのかについて質問をして、詩織も正直に答えた。
「ひと言で言うと、アイドルとしての自分に嫌気が差した、ということでしょうか?」
「はい。それと、バンドをやりたいという欲求に正直に従ったというところです」
素早くメモを取った早川は、「今、念願のバンドを結成されて、活動を始められている訳ですね?」と訊いた。
「はい」
「それで、桜井さんがやっているバンドの名前を教えていただけますか?」
詩織は、バンド名を明らかにすることについて躊躇した。
もちろん、早川は知っていることだが、それを詩織の口から言うと記事になる。そして、その記事が出れば、元超人気アイドルがやっているバンドとして、クレッシェンド・ガーリー・スタイルは一気に注目を集めるだろう。
それは、できるだけ避けたかったことだが、クレッシェンド・ガーリー・スタイルの演奏や歌は、既に一定の評価を得ている。それは、ロクフェスでの芹沢とのセッションでも立証されていて、「所詮、元アイドルがやっているバンド」と陰口をたたく者は、もう、いないだろう。
詩織は、隣の竹内の顔を見た。
詩織の視線を受けた竹内は、「我が社に所属するアーティストが注目されるのですから、我が社は、むしろ言ってもらいたいです。でも、おシオさんのお気持ちもあるでしょうから、判断はお任せいたします」と穏やかに言った。
しかし、それで詩織は背中を押された気がした。
そうなのだ。もう、クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、エンジェルフォールに所属するプロアーティストになっているのだ。今さら、立ち止まることなどできないではないか。
詩織は、早川の顔をしっかりと見た。
「クレッシェンド・ガーリー・スタイルといいます」
早川は表情も変えずに質問を続けた。
「山梨県で行われたロクフェスで、ホットチェリーの芹沢さんが飛び入り参加したバンドが、そのクレッシェンド・ガーリー・スタイルというバンドで、そのボーカルが桜井瑞希さんに似ていたという噂がネットで飛び交っているのですが、あれは本当にそうだったのですね?」
「はい」
「さきほど、バンドを始めたきっかけになったのが、ホットチェリーのスタジオでの演奏を聴いてとおっしゃいましたが、そのホットチェリーの芹沢さんと共演できて、いかがでしたか?」
「良い刺激をいただきました。でも、私達とホットチェリーさんとは、音楽性も雰囲気も目指すべき道も違います。それは、引退した時には分かりませんでしたが、今は、はっきりとそう言えます。ホットチェリーさんは、これまで、ずっと、私の憧れのバンドでしたが、今は」
詩織は、そこで言葉を切ったが、すぐに続けた。
「ライバルです!」
「ははは。まだ、デビューもしていないのに、大見得を切りましたね」
「はい! 私達はそれだけの気持ちでこのバンドをやっています。けっして、お遊びでやっているのではありません」
「なるほど。アイドルが、また、注目されたくて始めたようなバンドではないと、おっしゃりたいのですな?」
「そういうことです。皆さんにもクレッシェンド・ガーリー・スタイルというバンドは、そんなバンドだと思ってほしいです。このバンドには桜井瑞希はいません。いるのは、素晴らしいメンバーと、『おシオ』というボーカルです」
「そういえば、その『おシオ』というニックネームは、どういう意味なのですか?」
「私の本名から付けられたあだ名です」
「本名は明らかにしていただけないとのことですが?」
「はい。私がアイドルだったことや、バンドをやっていることを、ちゃんと私の口から伝えなければいけない方々がいます。まだ、その時期ではないので言ってないのですが、この記事で伝わってしまうことは、私の本意ではないのです」
「分かりました。では、最後の質問です」
「はい」
「小説家の桜小路響さんとご一緒のところを、我々が突撃取材させていただいたことがありましたが、桜小路先生とは、その後もおつきあいはされているのですか?」
「それは、あらかじめいただいている質問事項からはずれています。おシオさん、その質問には答える必要はありません」
竹内がビシッと言ってくれた。
「せっかく、桜井さんが饒舌になってきたのに、残念ですなあ」
そう言うと、早川は、ソファに深く背を埋めて、自分のメモを読み返しているようだった。
「早川さん、取材は以上でよろしいでしょうか?」
竹内が早川を急かした。
「そうですなあ……。ああ、そうそう! 竹内さん、一番大事なことを忘れてますよ」
「何でしょう?」
「クレッシェンド・ガーリー・スタイルの今後の予定ですよ。桜井さんではなく、竹内さんが答えてもらっても良いですよ」
「では、私の方から。今、デビューアルバムに収録する曲作りを、鋭意、行っています。今年中には曲作りを終え、来年早々から録音に入り、二月には発売をする予定です」
「すると、来年二月にデビューするということですね?」
「はい。デビュー前にこれだけ話題になっているのですから、当社としても強力にプッシュしていくつもりです」
「エンジェルフォール所属のアーティストの中では、ダントツの注目度ですからなあ。まあ、それを裏返すと、他のアーティストがどれもパッとしていないということですが」
言いにくいこともズバズバと言うことが、早川の真骨頂なのだろう。図星に、竹内も苦笑するしかなかったようだ。
早川は、再び、自分の取材メモをじっと見つめた。
「今回、お訊きしたかったことは、全部、訊きましたかな」
独り言のように呟いた早川は、きちんとソファに座り直して、詩織を見た。
「では、取材は以上で終わります。ご協力、ありがとうございました」
頭を下げた早川に、詩織もお辞儀をしてから、口を付けてなかったカフェオレのカップに手を伸ばして、一口飲んだ。
「もう冷めているでしょう? お代わりを頼みましょう」
早川がテーブルの上にある呼び出しブザーに手を伸ばしたが、詩織は、「いえ、これで結構です」と言って、ゆっくりとカフェオレを飲み干した。
早川は、その様子を、なぜか懐かしげに眺めていた。
「やはり、桜井瑞希さんですなあ。間違いない」
「はい?」
カップを置いた詩織は、怪訝な顔で早川を見つめた。
「私も、桜井さんがアイドルをされていた時、何度も取材をさせていただきました。もちろん、単独ではなく、キューティーリンクの他のメンバーと一緒でしたが」
詩織自身は、早川の記憶はなかった。
「私が最初に桜井さんを取材した時。それは、桜井さんがセンターに抜擢されて、すぐの頃でしたが、他の何人かのメンバーと一緒に、こういう喫茶店で取材をしたのです。その時も、桜井さんは、取材が終わった後、出されていたジュースを飲み干しました。もう、氷も解けて、ぬるくなっていたのですがねえ。あとのメンバーは、一口か二口、飲んだくらいで、飲み干すことはなかったので、印象に残っているんです」
「せっかく入れていただいているのに、残すとお店に失礼だと思うので」
「そう! その時も、桜井さんはそう答えました。それで私は、キューティーリンクは、しばらく、この子の天下が続くなと確信しましたね。そして、実際にそのとおりになった」
「えっと、何をおっしゃりたいのでしょうか?」
「先ほどの取材の中で、桜井さんは、アイドルは、所詮、偶像であって、作られた可愛さにすぎないとおっしゃいましたが、それはそのとおりなんですよ。カメラやファンがいる前では、アイドルという仮面をかぶっているが、誰もが偽りの自分をずっと演じていると疲れてしまいますからね。スタッフなどの身内しかいない時には仮面を脱ぎ捨て、その本性を見せます。私もアイドルの本性を見せられて、がっかりしたことが何度もありました。いくら、こんな商売をしていても、その落差があまりに大きいと、やり切れない気持ちになるものです」
「……」
「しかし、桜井さんを取材していて、ついぞ、そんな場面に巡り会わなかった。先ほどのジュースの件でも、周りによく思われたいから、ぬるいジュースを無理して飲んだという感じではなかった。ご両親のしつけもきちんとされていたのでしょうが、桜井さんは、計算された可愛さとは無縁の、純粋な気持ちそのままに行動する、そんな人なんだと思いましたよ。そんな桜井さんの人柄を、キューティーリンクのファンも同じように感じ取り、絶対に裏切らないアイドルだと分かって、桜井さんに夢中になったんでしょうね」
「……」
「ああ、失礼。思わず、熱弁をふるってしまいましたが、そういう純粋な気持ちが、アイドルの電撃引退、そしてロックミュージシャンへの転身ということをさせたのだろうなと思ったのです」
「あ、あの、褒めていただいたんですよね?」
「ええ、そう見えないかもしれませんが、私だって褒める時は褒めますよ」
「あ、ありがとうございます」
「ははは、その反応も以前のままだ。そんな桜井さんが作られて、歌われる曲は、きっと、評判になるんでしょうな。ああ、もう、なっているんでしたな?」
竹内が早川にうなずきを返した。
早川が立ち上がると、詩織と竹内も立ち上がった。
「今日は、ありがとうございました。記事は、来週月曜に発売のフレッシュに掲載される予定です」
次の月曜日。十一月十日に発売されたフレッシュには、「電撃引退をしたあの超人気アイドルがロックミュージシャンになっていた! 共演したホットチェリーの芹沢も絶賛!」という見出しで、詩織のインタビュー記事が掲載された。
背中越しと胸元の写真も掲載され、芹沢の「もう一度、共演したい」というコメントも添えられていた。
記事の反響は大きかった。
クレッシェンド・ガーリー・スタイルの公式ツイッターのフォロワー数は、それまでの八千人から一気に十万人となった。そして、「涙にキスを」と「シューティングスター・メロディアス」の二つのPV動画の再生数も一気に十倍になった。
桐野詩織という本名は、フレッシュの記事でも、ツイッターでも、動画でも明らかにしておらず、「おシオ」というニックネームだけを公表していたが、これまでのライブのメンバー紹介では、「桐野詩織」と言っており、桜井瑞希イコール桐野詩織と分かるのも時間の問題だろう。




