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Act.108:取材要請

 十一月六日。木曜日。

 スタジオリハをしている間に、「直接伝えたいことがあるので、明日の夕方、渋谷の本社まで来てもらいたい」と、詩織しおりの携帯に榊原さかきばらからのメールが入っていた。他のメンバーにも同時に送信されていたが、用件があるのは詩織だけなので、来るのは全員の必要はないと添え書きされていた。

 スタジオリハ後の奏屋で、そのことが話題となった。

「詩織ちゃん一人に用事って何かしら? 玲音れお! 榊原さんに電話を掛けて訊いてみてよ」

 かなでが玲音に言うと、玲音は「ア、アタシが?」と、なぜか、焦った反応を見せた。

「あんたがリーダーなんだから当然でしょ?」

「そ、それはそうだけど、今日はもうこんな時間だし」

「じゃあ、明日、あんたが詩織ちゃんと一緒に行ってくれない? 私、明日はちょっと、仕事を休めないんだ」

「わ、分かったよ」

 保護者のように詩織の心配をしてくれる奏は不安げな表情を崩さなかった。

「榊原さんを信用していないって訳じゃないけど、昔の詩織ちゃんのことを利用したいって思っている気がしてならないのよね」

「そんなことはないよ」

「そうかな?」

「榊原さんは約束を守るって言ってくれただろ」

 きっぱりと言い切った玲音の自信はどこから来ているのか、詩織には分からなかった。

「もしかして、もう、ばれちゃったのかな?」

 奏が心配そうな顔で詩織を見つめていた。

「いっぱい写真も撮られちゃいましたからね」

 そう答えた詩織の表情は穏やかだった。

 ロッキンRには、一本のマイクに向かって歌う芹沢と詩織の写真が掲載されていたが、それは、芹沢の正面から撮られ、詩織は後ろ姿が写っている写真であった。

 しかし、当日は多くのカメラマンが望遠レンズを付けたカメラでステージを撮影しており、雑誌等に掲載されなかった写真の中には、詩織を正面から捉えたものも数多くあるはずだ。その写真を見た者の中に、詩織が桜井さくらい瑞希みずきではないかと気づいた者がいてもおかしくない。

 また、ロクフェスの後、琉歌るかがネットを検索してところでも、「ボーカルが可愛い」から始まって、「桜井瑞希に似ている」とか、「池袋周辺で見た」とか、ネットでの噂がどんどんと広がっていることは確かなようだ。



 翌日の金曜日の夕方。

 椎名しいなにアルバイトを休むことをあらかじめ連絡してから、詩織は、玲音と一緒に渋谷のエンジェルフォール本社を訪ねた。

 すぐに社長室に案内されて入った。

「ど、どうも、榊原さん」

「う、うん、急な呼び出しですまないね」

 何となく、玲音と榊原の様子にぎこちなさを感じたが、「実は、おシオ君に取材の要請があってね」という榊原の言葉で、詩織は、そのことに気を回すことはできなくなった。

 すぐに、マネージャーの竹内たけうちも社長室に入ってきて、応接セットに対面して座ると、玲音が尋ねた。

「おシオちゃん一人の取材ですか? バンドじゃなくて?」

「そうなんだ。相手は写真週刊誌のフレッシュだよ。取材内容は、『これまでの活動とこれからの活動』について訊きたいとしか言われていない」

「これまでの活動か……。こりゃあ、完璧にばれてるな」

「まあ、ロクフェスであれだけ注目を浴びたら仕方ないだろう。もっとも、取材要請が来ているのは、フレッシュだけで、他にはない」

 詩織の頭に、フレッシュの芸能記者である早川はやかわの顔が浮かんだ。

 今の「桜井瑞希」の顔を知っているのは早川だけだ。そんな早川がロクフェスでの写真を見て、すぐに気づいたのかもしれない。

「榊原さん。その取材要請って断ることはできるんですか?」

 玲音がバンドのリーダーの顔になって尋ねた。

「難しいだろうね。おシオ君が、芸能活動から、一切、足を洗っている一般人というのであれば、今の生活を壊されたくないからと理由を付けて断ることもできるだろうが、違う分野とはいえ、また芸能活動を始めているのだからねえ」

 みんなが一斉に詩織を見た。

 しかし、詩織の気持ちは決まっていた。

「榊原さん、取材を受けたいと思います」

「本当かい?」

「はい。その代わり、本名と顔は出さないという条件を付けてくれないでしょうか?」

 クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、エンジェルフォールのホームページでの所属アーティスト紹介のコーナーでは「動画で話題のあのバンド! デビュー間近!」と紹介されていたが、椎名が撮ったPV動画のリンクが貼られているだけで、メンバーの顔写真は載せられていなかった。

 また、そのコーナーでも、自分達の公式ツイッターでも、詩織だけは本名を出さずに、玲音達が呼んでいるニックネームである「おシオ」と名乗っていた。アルテミス女学院に通学している桐野詩織との関連を付けさせないためだ。

「学校にばれてしまっても仕方がないとの心づもりはできていますけど、学校で騒ぎになってしまって、先生方にご迷惑を掛けることも心苦しいですし、来年の三月まで、学校で顔を合わせる同級生達との関係を考えたら、このまま、卒業まで過ごしたいというのが本音です。だから、本名と顔写真は、まだ、出されたくないです」

「分かった。そこは何とか承諾させるようにしよう!」

 榊原が力強く言った。



 詩織が出した条件を、フレッシュ側もあっさりと飲んだ。

 そして翌日。詩織の学校が休みの土曜日。十一月八日の午後。

 マネージャーの竹内と一緒に、詩織は渋谷にある喫茶店に向かった。

 店に入ると、そこは、ロココ調の豪華な雰囲気の中、クラシックが静かに流れる店で、商談とか接待の待ち合わせにも利用されているようで、外の繁華街の喧噪からは完全に隔離されていた。

 竹内が、待ち合わせをしていると店員に告げると、店の奥にある個室に案内された。それほど広くはない部屋だが、テーブルを挟んで、二人掛けソファが向かい合って置かれていた。

「どうも。お待ちしておりました」

 立ち上がり挨拶をしたのは、詩織の予想どおり、早川だった。くたびれた背広にノーネクタイという、どちらかというと風体の上がらない中年男性というイメージの早川だが、その眼光は鋭かった。

 早川の隣には若いカメラマンもいた。

「おや、今日は竹内女史がご一緒でしたか?」

 竹内は、これまでに何組ものアーティストのマネージャーをしていたそうだから、早川も竹内のことは知っているのだろう。

「私は、今、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのマネージャーをしていますので」

「ほ〜う、デビュー前にもかかわらず、エンジェルフォール随一の敏腕マネージャーを付けるとは、さすが、元超人気アイドルが在籍するバンドだけのことはありますなあ」

 やはり、早川には、すべて、ばれていた。

「社長が惚れ込んだのは、彼女の過去の経歴ではなく、その歌声です。早川さんは、まだ、お聴きになっておられませんか?」

「残念ながら」

「ネットで公開されてますから、どうぞ、お聴きになってください」

「分かりました」

「ところで、座ってもよろしいでしょうか?」

 詩織達にソファを勧めなかった早川に、竹内が冷静に言った。

「これは失礼。どうぞ」

 詩織と竹内に対面のソファを勧めた早川らは、詩織達が座ると、自分達も座った。

 すぐにウェイトレスが注文を受けにきた。

「私はブレンドを。おシオさんは?」

「カフェオレをお願いします」

 竹内も、エンジェルフォールにおける詩織の公式な芸名と言っていい、「おシオ」と詩織のことを呼ぶことにしていた。

 注文を丁寧に復唱したウェイトレスが部屋を出て行くと、早速、早川が身を乗り出して、詩織の顔をマジマジと見つめた。

「その節はどうも」

 早川のその言葉に、詩織は会釈を返した。

「あの時には、じっくりとお顔を拝見することができませんでしたが、こうやって、じっくりと見ると、やはり、三年の歳月は経っていると感じますなあ」

「面影はないですか?」

 アイドルだった頃は、まだ中学生で、「みんなの妹」などというキャッチフレーズもあったくらいで、幼い感じが残っていたが、毎日、鏡で自分の顔を見ていて、自分でも少しは大人びてきていると感じていた。

「いえいえ、残っていますよ。だからこそ、あの時もすぐに分かったんですからねえ。むしろ、あの頃より綺麗になられています」

「ありがとうございます」

「それで、まずは、あの頃のことから、おうかがいしたいのですが?」

「やはり、メインは、その話ですか?」

 竹内も、当然、分かっていたことだが、今、注目のバンドのボーカルとしてではなく、電撃引退したアイドルの今ということがメインの取材対象のようだ。

「ああ、もちろん、今のバンド活動についてもお訊きしますよ。何事もギブアンドテイクですからね」

「フレッシュさんに宣伝をしていただかなくとも、クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、ネットという武器を用いて、既に一定の知名度を得ています。そして、これは、メンバー全員の意思ということですが、クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、桜井瑞希がボーカルを務めるバンドではありません。同じ人物ですが、『おシオ』というボーカルは、桜井瑞希と決別しているのです」

 竹内が淡々とメンバーの意見を述べてくれた。

「相変わらずのクールな対応ですなあ。まあ、それで担当するアーティストを守ってきているのですから、さすがですよ」

 早川も少し竹内のことが苦手のようだ。

 ドアがノックされて、注文したブレンドコーヒーとカフェオレが運ばれてきた。詩織と竹内の前に静かに飲み物を置いてから、ウェイトレスが出て行くと、「では、取材を始めさせていただいてよろしいでしょうか?」と早川が尋ねた。

「はい」

 詩織がはっきりと答えた。

 

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