Act.104:媚薬か? 毒薬か?
十月最後の木曜日。
いつもどおり、午後六時前にスタジオビートジャムの待合室に集合したクレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバーがそれほど待つことなく、律花がやって来た。
以前に会った時と同じ、特徴的な髪型の金髪に派手なメイク、黒一色のファッションだ。
律花は、玲音の側に立つと、「よろしく」と、みんなに頭を下げた。
「おう! よろしくな!」と律花に笑顔を向けた玲音は、隣の丸椅子を律花に勧めた。
「スタジオの仕事も始めたんだって?」
隣に座った律花に玲音が訊くと、律花は、相変わらず口数少なく「うん」とだけ答えた。
「けっこう、忙しいのか?」
「まだ、そんなには」
「でもさ。以前、律花は、ギターが弾けるのなら、どんな曲もやるって言っていたけど、願いは叶ったってことだよな?」
「うん」
「……だ、だよな」
そこから話を続けることができなかった玲音の代わりに、詩織が律花に話し掛けた。
「律花さん、私達の曲、どうでしたか?」
「どうでしたか、とは?」
「あ、あの、弾きやすいかどうかとか、ここをこう変えたらどうかとか」
「……特に」
「そ、そうですか」
「だけど」
律花の方から話を続けて、みんなが注目した。
「詩織さんの歌を聴いていると、いろんなインスピレーションがわいてきて、ソロでは変えるところが出てくるかもしれない」
「そうなんですか? それは楽しみです!」
詩織が律花に笑顔を向けると、律花は表情こそ変わらなかったが、少し照れたように詩織から目をそらした。
スタジオに入り、セッティングを素早く済ませると、早速、ライブでのオープニング曲として定着した感のある「ロック・ユー・トゥナイト」を演奏することにした。
「とりあえず今日は、リードは律花が担当して、おシオちゃんはサイドに徹してくれ。じゃあ、行くぜ!」と玲音が指示をすると、すぐに琉歌がカウントを打ち、曲が始まった。
律花は、イントロの短いギターソロも、詩織のフレーズを少し変えていたが、詩織もその洗練されたフレーズがすぐに好きになるほどであった。
詩織も、歌いながらギターを弾くのに、指が勝手に動いてくれるようにはなっていたが、いざ、こうしてコードをかき鳴らすだけのサイドギターに徹してみると、演奏に大きな余力が生まれていることが実感できた。詩織は、その余力を歌にぶつけた。
曲が終わると、玲音が開口一番、「やべえな」と呟いた。
それは、「すごい」あるいは「素晴らしい」という意味だろう。詩織もそうだし、メンバーみんなが同じことを感じているはずだ。
「詩織ちゃんの歌に、また、ノックアウトさせられちゃったわね」
「本当だよ。今までより、何倍ものパワーで、押しつぶされそうになったぜ」
奏と玲音が詩織を見た。
「どうよ、おシオちゃん? 実際に歌ってみて?」
「はい! すごく気持ち良かったです!」
「だよな。律花は?」
興奮しているメンバー達とは違い、そこだけ空気が冷めているような雰囲気の律花に玲音が尋ねると、「私も詩織さんの歌が気持ち良かったよ」と返ってきた。
「でも」
そこで口をつぐんでしまった律花に、玲音が「でも?」と続きを促した。
「……いや、何でもない」
「何だよ? 途中で切られると気になるだろ!」
「きっと、私の勘違いだと思うから……、気にしないで」
「そうか……。じゃあ、次の曲、やってみようか」
律花は、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのオリジナル曲をすべてマスターしてきていた。ところどころ、律花なりの解釈で変えているところもあったが、どれも曲調に馴染んでいた。
詩織は、初めて四人で演奏した時と同じ快感を覚えていた。
律花は、このバンドをパワーアップさせる力を持っている。詩織は、それを確信した。
三時間のスタジオリハが終わり、ビートジャムから外に出ると、秋も深まり、少し厚着をしないと寒いと感じる夜だった。
「律花! これから奏の家にみんなで寄るんだけど、お前はどうする?」
「ここから歩いて十分くらいだから、いらっしゃいよ」
奏が誘ったが、律花の態度は以前と同じだった。
「ごめん。私、帰るよ」
「お前と、もっと話をしてみたいんだけどな!」
「玲音! 律花さんだって、スタジオの仕事もしてて、いろいろと忙しいんだろうから、無理強いしちゃ駄目よ!」
強引にでも律花を連れて行こうという雰囲気の玲音を、常識社会人としての奏がたしなめた。
そして、奏屋。
「どうよ、みんな? 律花のあの態度は?」
缶チューハイを半分ほど一気に飲み干してから、玲音が訊いた。
「この飲み会で、バンドの一体感が強まっていることは確かだけど、それはたまたま、ワイワイと騒ぐことが好きなメンバーが揃っているだけで、そういうことがあまり好きではない人に強制はできないでしょ?」
ここでも常識社会人としての奏が、憤慨している玲音に言った。
「それはそうだけどさ。でも、一緒に演奏をした初日くらいは来ても良いんじゃね?」
「私達と違って、律花さんは、榊原さんの指示で一緒にやることになるかもしれないということで、言わば、ビジネスパートナーとして来てくれたんだからさ」
「ビジネスパートナーねえ」
「まあ、玲音の気持ちも分かるから、律花さんは、榊原さんも言ってたとおり、サポートメンバーとして迎え入れたら良いんじゃないかな?」
「う~ん。そうだなあ。琉歌はどうだ?」
「ボクは奏さんと同じ意見だよ~。あのギターは、本当に聞き惚れてしまうけど、ボクも律花ちゃんとは、そんなに話はできないと思うし~」
リアルな人づきあいが苦手な琉歌も、詩織や奏とは言いたいことが言える間柄になっていたが、律花となら、お互いにずっと、しゃべらないでいそうだった。
「じゃあ、おシオちゃんは?」
みんなが詩織に注目した。
「私は」
言葉を切った詩織は、みんなを見渡しながら、言葉を続けた。
「律花さんに正式なメンバーになってもらいたいです」
「えっ?」
かつて、この四人以外のメンバーを入れることを強硬に反対した詩織の変節に、メンバーも驚きの声を上げた。
「コロコロと考えを変えてすみません。でも、今日、初めて、自分達の曲を一緒にやって、私、すごく気持ち良く歌えたんです。ギターの負担が少なくなったというよりも、やっぱり、律花さんのギターがすごく心地良いんです」
「それはそのとおりだな」
玲音のみならず、琉歌や奏も同じように感じているはずだ。
「それに先ほど、奏さんがおっしゃいましたけど、もう、私達もプロになったのですから、好むと好まざるを問わず、このバンドを良くするためには、どうすれば良いのかを考えなきゃいけないと思うんです」
「律花が正式メンバーになることが、バンドの発展という意味からも最良だというわけかい?」
「はい。私はそう思います。実際に曲作りの段階から、律花さんと一緒だと、どうなるんだろうってことも気になります」
「律花のことだ。自分からいろいろとアイデアを出すことなく、アタシらが言ったとおりに弾くことしかしないんじゃねえか?」
「律花さんは、言葉じゃなく、ギターでアイデアを出してくれる気がします」
何と言っても、詩織はクレッシェンド・ガーリー・スタイルというバンドの核だ。詩織自身はそれを意識していないところがあるが、あとのメンバーにしてみれば、詩織の言葉の重さは無視できるものではない。
「おシオちゃんがそう言うのであれば仕方ねえな」
「あっ、いえ! 私の意見は私の意見で、絶対、正解とは限りませんので」
今頃になって、自分の言葉の重さに気づいた詩織の天然ぶりに、メンバーも優しい顔つきで詩織を見た。
「いや、前にも言ったけど、おシオちゃんにどれだけ気持ち良く歌ってもらえるかどうかが、一番大切なことだと、みんな、思ってるんだ。当のおシオちゃんがそう言うのであれば、もう、アタシらが強行に反対する意味はねえよ」
「でも、私の思いつきを、皆さんに押しつけることになるのなら取り消します!」
「そんなことは、詩織ちゃんが心配する必要はないわよ」
焦る詩織に奏が慰めるような笑顔を見せた。
「そうそう。おシオちゃんが気持ち良く歌えるってことは、バックのアタシらも気持ちよく演奏できるってことだからよ」
「今までのライブでも、おシオちゃんが燃えてるって感じると、ボクらも燃えたよね~」
琉歌の台詞に、玲音と奏も「うんうん」とうなずいた。
そして、玲音がみんなを見渡しながら話した。
「確かに、この四人とはノリが違うけど、ちゃんと仕事をしてくれる奴なのは間違いないだろうから、ビジネスパートナーとしては最高の奴なんだろうな」
「私も、玲音の友達のカホさんが、律花さんが在籍したバンドは必ず解散するって言ってたの憶えていて、正直、不安はあったんだけど、実際に律花さんと話とかもしてみると、自分の意見をごり押しするような人じゃないことは確かみたいだし、少なくとも、私達の間にずかずかと割り込んでくるようなことはないと思うんだ。むしろ、玲音! あんたが律花さんのプライベートにずかずかと上がり込もうとしていたんじゃないの?」
説教モードの奏に、玲音も素直に頭を垂れた。
「バンドメンバーてのは『仲間』だという意識でいるからさ。律花の態度に、ちょっと熱くなっちまったんだよ」
「まあ、玲音の気持ちも分かるけどね。でも、プロとなった以上は、詩織ちゃんが言ったみたいに、このバンドのためになる人なのかどうかという観点で考えないといけないんでしょうね」
メンバーチェンジや解散をすることなく、長く一緒に活動しているバンドのメンバーは、プライベートでは会うことすらないと聞いたことがある。この四人も、今は一緒にいて楽しいが、まだ出会って一年も経っておらず、これからもずっとそうだとは言い切れない。つかず離れずの関係が長続きの秘訣なのかもしれない。
だとすると、律花のつきあいの悪さは、一緒にバンドができない理由にはならないだろう。
「まあ、デビューまでには、まだ時間もあるし、これから律花と一緒にやっていって、我慢ができなくなったら、その時に対応を考えようか」
詩織の意見が通って、当面、律花と一緒に活動をすることになった。
詩織としては、珍しく我を通すほど、律花の「ギター」が欲しかったのだ。




