Act.103:メトロノームがいらないリズム感
瞳と光が、相変わらず言い争いをしながら、詩織と薫の元に戻ってきた。
「この馬鹿が猫缶を買おうとしたんだけど、さすがに白昼堂々と野良猫に猫缶をあげるのはどうかって思って、とりあえず、魚が原料の竹輪にした」
「ありがとうございます、瞳さん」
瞳が詩織に差し出した竹輪の袋を薫が素早く取り、袋を破って、クロ子に一本差し出すと、本当にお腹が空いていたようで、あっという間に一本平らげて、次の催促をした。
「だけど、何で猫缶は駄目なんだよ?」
クロ子が竹輪を喜んで食べたことを確認してから、光が瞳に文句を言った。
「野良猫に餌をあげること自体、よく思わない人だっているでしょ? それに、私達だって、毎日、ここに餌をやりに来る訳にいかないんだから、これからもこの子は、この公園で『一人』で暮らしていかなきゃいけないんだよ。一度贅沢な味を知ってしまったら、きっと、この子のためにならないと思うんだ」
「そんなもんなのかな」
「きっと、そうだよ」
四本の竹輪を全部平らげたクロ子は、満足したのか、薫に甘えるようにすり寄ってきていた。
「光」
慈しむようにクロ子を撫でていた薫が光を見た。
「どうした?」
「クロ子、おうちに連れて帰りたい」
「そ、それはどうかな?」
「そうだ! そうしなさいよ、梅!」
瞳もすぐに薫の援軍に回った。
「私の所も、詩織の所も、ちょっと訳あって、猫は飼えないんだ。梅の所は、きっと、何代も前からのお金持ちだよね?」
「ま、まあ」
梅田家は、アルテミス女学院の創設者を祖に持つ名家だった。
「じゃあ、家は庭付き一戸建て?」
「そうだけど」
「じゃあ、どんなペットだって飼えるじゃない! 良かったね、薫ちゃん! クロ子、連れて帰れるよ!」
「ちょっと待て! 何で、桜小路が勝手に決めるんだよ?」
「薫ちゃんが飼いたいって言ってるんだよ」
「でもなあ。今、犬を二匹飼ってて、その上、猫までって、親父が許してくれるかどうか?」
「そこが、あんたの腕の見せ所じゃない! 可愛い妹のためなら、お兄さんが頑張らないと!」
「そうだぞ、光」
薫も胸を張って、光に言った。
「……分かったよ。とりあえず、連れて帰るよ」
「本当に?」
自分でそそのかしたくせに、本当に光が連れて帰るとは思ってなかったのか、瞳が嬉しそうな顔をした。
「まあ、親父に言ってみるよ」
「へえ~。ちゃんと、お兄さん、やってるんだ」
「一応な」
光の言葉を聞いて、薫はクロ子を抱っこしてセーターの胸元に入れた。クロ子も嫌がることなく、セーターの首元から顔をのぞかせていた。
「光! 早く帰ろう!」と薫が急かした。
「やれやれ。じゃあ、帰るか。じゃあな」
薫を連れて、歩き出した光を、瞳が「待って!」と呼び止めた。
「あんたんちまで、ついて行って良い?」
「別に良いけど」
「私もたまにはクロ子に会いたいし。詩織もそうだよね?」
ひょっとして、瞳は光の家に行ってみたいのかもと思った詩織は、「そうですね」と調子を合わせた。
「すぐ、そこだよ」と言って、光が歩き出すと、すぐに閑静な住宅街に入り、五分としないうちに「ここだよ」と言って、立ち止まった。
途中までは、瞳のマンションがある方向と同じであったが、少し南寄りの通りに入った所で、繁華街のイメージが強い池袋にこんな閑静な住宅街があったとは、詩織も知らなかった。
光の家は、住宅のCMに出てくるような豪邸で、門から見える庭も広かった。
「ねえねえ、せっかく来たんだから、上がってって!」
ずっと詩織の側から離れなかった薫が、詩織のジーパンを引っ張った。
「今日は、これから瞳さんと行きたい所もあって無理かな。また、今度、寄らせてもらうね」
「本当に? 指切りできる?」
「……うん。じゃあ、また、瞳さんと一緒に来るね」
少し躊躇した詩織だったが、瞳を巻き込んでしまえと思い立った。
もちろん、瞳と光の関係をもっと発展させるお節介を焼きたいという気持ちからだ。
「私は、薫ちゃんのお父さんとこの馬鹿がいない時を狙って来るよ」
瞳が光を指差しながら言った。
「ちょっと待て! 何で、俺だけ馬鹿呼ばわりされなきゃいけないんだよ?」
「だって、馬鹿だもん」
「……俺、口では桜小路に勝てる気がしないんだけど」
「今頃、分かったの?」
勝ち誇る瞳に、首をうなだれる光という、何度も見た光景だなと思っていた詩織のジーパンが、また引っ張られた。
「ねえねえ、瑞希ちゃん」
「えっと、私は、もう桜井瑞希じゃないから、詩織という名前で呼んでもらいたいな」
詩織が薫にお願いすると、薫は素直に「詩織ちゃん」と言い直した。
「詩織ちゃんが瞳ちゃんと一緒にうちに来るのなら、お父さんと光がいないことをどうやって確かめるの?」
「す、鋭いわね、薫ちゃん」
まだ、小学二年生なのに、一番、理知的な薫に、瞳も舌を巻いていた。
「薫ちゃんの家に電話をして、確認するしかないかな?」
詩織が当然の答えを返すと、「うちに電話すると、いつも、お母さんが出るよ。お母さんは何でもお父さんに話すんだ」と薫が答えた。
「そ、そうなの?」
「だから、家には電話しない方が良いと思うよ。でも、私、携帯持ってないから、光の携帯に電話して訊いてもらっても良い?」
薫としては、詩織と瞳に、本当に家に来てもらいたいのだろう。
「梅に電話して、『あんた、今、家にいない?』って訊く訳かあ。それも面白いわね」
「何だよ、それ?」
「薫ちゃんがそうしてって言ってるんだよ」
「……じゃあ、とりあえず、携帯の番号を交換しておくか?」
「不本意だけど、薫ちゃんのお願いだし仕方ないわね。いたずら電話とか掛けてこないでよね」
「しねえよ!」
詩織と瞳は、光と電話番号とアドレスを交換した。詩織の携帯に登録された男性は、父親、椎名、響、榊原に続いて五人目だった。
そして、薫も詩織と光の会話を聞いていたのか、桜井瑞希と会ったとは親に言わないと自ら約束してくれた。
光の家には上がらずに、その門の前で、光と薫と別れた詩織と瞳は、再び、池袋の繁華街に出て来た。
「瞳さん」
「うん?」
「梅田さんって、本当に面白いですね」
「ていうか、ほんと、馬鹿だよね。ツッコミどころ満載で突っ込まざるを得ないって感じ」
「瞳さんの周りには、今まで梅田さんみたいな男性はいなかったんじゃないですか?」
「そうかも」
その答えを聞いた詩織は、クスリと笑った。
「何? どうしたの?」
「瞳さんと梅田さんの掛け合いが、長く一緒にやってきた漫才コンビみたいで、お二人、けっこう、息が合ってるなって思ったんです」
「ちょっと! 止めてよ! あんな子どもみたいな奴と一緒にしないで!」
「うふふ」
瞳は、本当に嫌がっているのではなく、図星を突かれて焦っているように思えたが、詩織が強引に話を進めると、天の邪鬼の瞳は、かえって光と距離を置こうとすると思い、詩織もあっさりとその話題を引っ込めた。
「それはそうと、瞳さん。もし、学校でばれた時ですけど」
「うん」
「私も、積極的にばらそうとは思っていませんけど、ばれたら仕方ないと、もう割り切れています。だから、瞳さんもそのつもりでいていただいて、けっこうです」
「分かった。でも、きっと大騒ぎになるよね。同級生達がどんな態度に出て来るかも分からないし……。もし、詩織がそれで困るようなら助けるからね」
「ありがとうございます、瞳さん」
「お互い様だよ。私だって、それにお兄ちゃんだって、詩織に助けてもらったんだもん」
詩織に穏やかな笑顔を見せながら、瞳が言葉を続けた。
「でも、そんな恩返しのためじゃなくて、本当に詩織のことが好きだから助けたいんだ。好きな人が困っているのを見るのは悲しいもんね」
「瞳さん……」
アイドル時代。嫌というほど、心がこもっていない笑顔を見せられ、飾り立てられた建前の言葉しか聞かされなかった。常に純粋な気持ちで人と接していた詩織は、それが耐えられなくなった。引退後に人との繋がりを絶っていたのは、密かにバンド活動の準備をするためということもあったが、本当は人間不信に陥っていたのかもしれない。
今。心を割って、本心をぶつけ合うことができるバンドメンバーや、瞳という親友ができたことは、詩織にとって幸運以外の何者でもなかった。
「そういえば、ロクフェスの時に写真を撮られたんだよね?」
詩織は、ロクフェスでの出来事も残らず瞳に話していた。
「はい。でも、今まで確認した限りは、ホットチェリーの芹沢さん一人のアップがほとんどで、私が写っている写真はありませんでした」
芸能関係のホームページはネットに詳しい琉歌が、雑誌などはコンビニでバイトをしている玲音がチェックをしてくれていた。
「そういえば、音楽情報誌のロッキンRという月刊誌がそろそろ発売されているはずです」
何と言っても、ロック関連の専門誌だし、ロクフェス当日、簡単ではあるが、取材も受けた。どんな掲載のされ方をしているのか、詩織も気になっていた。
「瞳さん、本屋さんに寄ってもらっても良いですか?」
「良いよ。私も、お兄ちゃんの本がどうなってるか、見てみたかったから」
詩織の涙ながらの激励で、響も意欲的に新作に取り掛かっているが、そのことは、響の公式ホームページやツイッターなどでも、まだ、公にはされておらず、世間的には、『キミダレ』の不振で、桜小路響の活動は停止していると考えられていた。
しかし、その一方で、『キミダレ』の販売数も徐々に増えてきているとの報道もあり、瞳もそれを確かめたかったのだろう。
ビル全体が本屋という大きな書店に入ると、まずは小説のコーナーに行き、響の作品が並べられているコーナーに行った。
「君を抱いているのは誰?」は横積みにされていて、「桜小路響! 期待の新作!」というポップも既になかった。
「でも、こうやって店頭に並べられているということは、買ってくれている人もいるってことだよね」
瞳がほっとしたような表情を見せた。
詩織と瞳は、別の階にある雑誌のコーナーに行き、ちょうど今日が発売日だったロッキンRを買って、書店を出た。
人通りが少ない裏通りまで来ると、詩織は、早速、本を開いてみた。
ロクフェスの特集記事が組まれ、出演したプロのアーティスト達の演奏の様子が写真付きで紹介されていて、その中に、芹沢と一つのマイクに向かって歌う詩織の写真がデカデカと掲載されていた。
もっとも、その写真は、当然と言えば当然だが、大スターの芹沢の顔がはっきりと写る方向から撮られており、背中を向けている詩織の顔までは写っておらず、ショートカットの髪型や斜め後ろからの顔の輪郭が分かる程度であった。
また、「クレッシェンド・ガーリー・スタイル」というバンド名は掲載されていたが、メンバーの名前は掲載されていなかった。
「うちの学校の生徒は、こんな本を見ることはないと思うから、大丈夫だと思うけどね」
横からのぞき込んでいた瞳が言った。
軽音楽部もなく、ピアノかバイオリンが必須科目であるお嬢様学校の生徒でもロック好きなお嬢様もいるだろうが、ロックの専門誌を読んでいるのは、詩織くらいであろう。




