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Act.102:秘密を共有

かおる! 桜井さくらい瑞希みずきって誰だ?」

 突然の暴露に、詩織しおりひとみは固まってしまったが、ひかるは、そんな二人に気づくことなく、薫に訊いた。

「キューティリンクの瑞希ちゃんだよ」

「ああ、だいぶ前に引退した?」

「そうだよ。ねえ、そうでしょ?」

 薫が詩織のジーパンを引っ張って、答えを催促した。

 瞳が心配そうな顔をして詩織を見つめていたが、今の詩織は、昔の自分のことがばれたからといって、以前のように取り乱すことはなかった。

 それに、わくわくした顔で詩織を見つめる薫に嘘は吐けなかった。

「うん。そうだよ」

「やっぱり!」

 薫は、満面の笑みを浮かべると、詩織の腰に腕を回して、抱きついてきた。

「薫ねえ、瑞希ちゃんが大好きだったんだよ。でも、どうして、いなくなっちゃったの?」

 詩織は、しゃがんで、薫の目線に自分の目線を合わせた。

「私ね、アイドルよりもやりたいことができたの。今、それが思い切りできるように頑張ってるんだよ」

「やりたいことって?」

「前と同じように、歌を歌うこと」

「じゃあ、瑞希ちゃんの歌をまた聴けるの?」

「うん。だけど、歌うのは、桜井瑞希じゃなくて、桐野詩織だよ」

「えっと……、お姉ちゃんが歌うんだよね?」

 小学生には難しい答えだったかもしれないと思った詩織は、「そうだよ。でも、ちょっと違うの。そのうち、CDを出すかもしれないから、聴いて、違いを見つけてみて」と、笑顔で薫に言った。

「お、おい! 桐野が言ってることって……」

 光も、まさか、かつてのトップアイドルが目の前にいたとは信じられなかったようで、瞳に答えを求めた。

「えっと……」

 さすがに、瞳もどう答えて良いものか分からなかったようで、詩織に救いを求めるような視線を送ってきた。

梅田うめださん、お話があります」

 詩織は、しっかりとした口調で光に告げた。



 詩織は、薫と一緒にベンチに座り、その前に瞳と並んで立っている光に、昔の自分のことを話した。

「そうだったのか。でも、全然、気づかなかった。薫は、よく分かったな?」

「だって、薫、瑞希ちゃんが大好きだったもん!」

 薫は小学二年生だそうで、詩織がアイドルだった頃だと、まだ、幼稚園に通っていた頃だが、フリフリの可愛い衣装で、キラキラしたステージで歌い踊るアイドルは、男性ファンのみならず、小さな女の子にとっても憧れであることに違いはない。

「まあ、私も詩織に言われるまで気づかなかったからね」

「桜小路は、いつ知ったんだ?」

「二か月ちょっと前かな。詩織って可愛いなって、ずっと思っていたけど、まさかって感じだったわね」

「だよな! だよな! 気づかなかったのは、俺だけじゃなかったんだな」

「何か、あんたと同じレベルって言われているみたいで、ちょっと、腹立つ」

「だって、そうじゃねえかよ!」

「私はアイドルには興味なかったから、キューティーリンクのことは、ほとんど知らなかったの! そういうあんたもアイドルには興味なかったの?」

「いや、俺は『ラブスイーツ娘!』のファンだからな」

「あっ、そう」

 興味なさそうに、瞳が言った。

 ちなみに、「ラブスイーツ娘!」とは、キューティーリンクのライバルとされているアイドルグループで、詩織がセンターを務めていた間は、常にキューティーリンクの後塵を拝していた。

「梅田さん」

 嬉しそうに腕を絡めて甘えてくる薫の好きにさせながら、詩織が光を見上げるようにして見た。

「私、昔の自分のことは、学校では、ずっと秘密にしていて、知っているのは瞳さんと教頭先生だけなんです。梅田さんのお父さんも知らないはずです」

「そうだろうな。今、自分の学校には、小説家の桜小路先生の妹がいるって自慢げに話しているのは何度も聞いたけど、桜井瑞希がいるなんて、まったく言ってなかったからな。それは、まだ、秘密なんだよな?」

「昔の自分のことがばれても、自分では、もう平気だと思っていますし、梅田さんがお父さんに話すことを止める権利は、私にはありません」

 自分で人前に出まくっていて、昔の自分のことは秘密にしておくように頼むことは、虫が良い話で、詩織のわがままでしかない。

 詩織は、はっきりと割り切れていた。

 もっとも、自分から進んで話す気もなかった。自然な流れに任せようということだ。

 詩織からは「話しても良い」と言われた光だったが、釈然としない表情をしていた。

「でも、まだ、ばれたくないんだろ?」

「あんたには珍しく、空気を読んだじゃない?」

「うるせえ! 今まで黙っていたってことは、そうなんだろうなって思ったんだよ」

「そうですね。これは、本当に私の身勝手な希望なんですけど、できればそうしたいです。学校でばれてしまうと大騒ぎになるでしょうし、これまで嘘を吐いてきた同級生達に、これからどんな顔で接したら良いのか、困ってしまいます。ずっと隠してきた自分が悪いのですから、卒業の直前には、同級生達にも話して、ちゃんと謝りたいって思っています。でも、それまでは平穏な学校生活を送りたいというのが本音です」

「分かった! 俺も男だ! 桐野との約束は守る!」

「い、いえ、別に約束してくださいとは言ってないですけど」

「でも、『本音』だって言っただろ? 桐野が本当はそうしたいっていうのなら、そうするよ」

「へえ~、ちょっとは見直したわよ」

 瞳が背の高い光を見上げるようにして褒めた。

「これが俺の本当の姿さ!」

「ちょっと褒めるとこれだ。前言撤回!」

「お、おい! そりゃあねえだろ」

「本当に、その『約束』を守ってくれるつもりあるの?」

「ある! それにさ、何か、元アイドルが身近にいて、そのことを俺だけが知ってるって、ちょっとドキドキしないか?」

「ほんと、相変わらず、子どもね」

「桜小路はそう思わないのか?」

「私は別に桜井瑞希のファンじゃないから! 桐野詩織が大好きだから!」

「お前ら、ひょっとしてあれか? 百合ってやつ?」

「あんたは、どうして、何でも自分勝手に解釈するかなあ?」

 瞳と光が、じゃれ合いにも見える言い争いを始めると、薫が構ってくれなくなって、どこかに行っていた黒い子猫が詩織と薫が座っているベンチの側までやって来て、「にゃあにゃあ」と鳴いた。

「あっ! クロ子だ!」

 薫がベンチから飛び降りるようにして子猫の前にしゃがんだ。子猫も逃げることなく、気持ち良さそうに薫に撫でられていた。

「薫ちゃん、この子、『クロ子』ちゃんって言うの?」

 薫の隣にしゃがんだ詩織も子猫を撫でながら、薫に訊いた。

「そうだよ。さっき、薫が付けたの」

「そっか。可愛い名前だね」

「でしょ! でも、クロ子、お腹が空いているのかなあ?」

 子猫は、薫達に撫でられながらも、ずっと物をねだるように鳴き止まなかった。

「ちょっと、梅田!」

 悲しげな顔をして、子猫の様子を見ていた瞳が、唐突に光を呼んだ。

「何だ? って、お前も呼び捨てかよ!」

「あんたももう私達のこと呼び捨てにしてたでしょ! 良いから、猫が食べられるものを何か買って来なさいよ」

「何で俺が?」

「足が速そうだし」

「それなら任せとけ! こう見えて、柔道二段だし!」

「柔道と足の速さとの関係がよく分からないんだけど?」

「瞳さん! そっちに行った角にコンビニがあったと思います。梅田さんと一緒に行って、何か買ってきてもらえますか?」

 また、光と言い争いを始めた瞳に詩織が言った。

「はあ? 私も?」

「はい。梅田さん一人だと、ちょっと心配なので」

「まあ、確かに何を買ってくるか分からないわね」

「ど、どういう意味だよ!」

「私、薫ちゃんと一緒にクロ子ちゃんの相手をしてますね」

「しょうがないなあ。じゃあ、行くわよ、梅!」

「ちょっと待て! 『だ』が抜けてるぞ!」

「あんたなんか『う』だけでも十分よ! じゃあ、詩織、ちょっと待っててね」

 詩織は、瞳と光の会話のテンポがしっくりときていることを、前回、光と会った時から感じていた。

 言い争いながら、一緒にコンビニに向かう瞳と光の背中を見つめる詩織には、二人が絶妙な掛け合いが自然とできる漫才コンビのように見えて、「桜小路響の妹」から瞳が脱却できるきっかけになるのではないかと期待するのだった。

 

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