Act.100:五人目のスタイル?
「おお! すげえ!」
玲音が声を上げた。
榊原に連れられて、渋谷にあるプロ御用達の音楽スタジオを訪れたクレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバーは、その充実した設備に目を見張った。
いつも練習をしているビートジャムは、レンタル料金の割には設備が良いと評判の練習用スタジオだったが、所詮はアマチュアバンドを対象とした練習スタジオで、ここの設備と比べること自体が申し訳ないくらいであった。
もっとも、これからずっとこのスタジオで練習できるという訳ではなく、今日は、ロクフェスには間に合わなかったが、ほぼ、できあがっていた新曲三曲をプロ仕様の機材で聴いてみたいと榊原が言ったことから特別にここに来ているのであって、デビューするまでは、これまでどおり、ビートジャムで練習をすることになりそうだった。
クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、音楽芸能事務所エンジェルフォールに所属した。
ホットチェリーのボーカル芹沢と突発的にセッションをして会場を沸かせたバンドとして、ネットを中心に話題になっており、他の芸能事務所も触手を伸ばし始めていたが、そういった芸能事務所に対する勝利宣言とでも言いたげに、エンジェルフォールでは、そのホームページの所属アーティスト紹介のページに、デビュー前にもかかわらず、クレッシェンド・ガーリー・スタイルを掲載していた。
しかし、そこには、メンバーの顔写真は掲載されておらず、既にネット上で公開しているスタジオライブ動画へのリンクが貼られているだけであった。
また、メンバーの名前も、玲音は「れお」、琉歌は「るか」、奏は「かなで」とそれぞれ本名の名前部分だけをひらがなで表記して、詩織に至っては、ツイッターでも使用している「おシオ」という愛称をそのまま掲載していた。
それは、もちろん、詩織のためだ。
バンドメンバーの総意として、昔の詩織のことを前面に出さないという方針だったし、詩織もまだ学校に通っていて、学校にはバンドをしていることを黙っていたことから、詩織の顔写真や本名を掲載する訳にはいかないし、それならと、メンバー全員を同じ扱いにしたのだ。
いよいよ、デビューに向けて歩み出したクレッシェンド・ガーリー・スタイルだったが、所属契約の条件で、詩織の学業を優先するということが認められて、詩織の登校日がほとんどなくなる来年の二月までは、コンサートツアーのような長時間拘束されるような活動はしないとされていて、その期間を利用して、オリジナル曲を倍増させるつもりだった。
今日、榊原に披露する三曲がその第一弾とも呼べるものであった。
もちろん、榊原には以前から伝えているように、自分達が納得できない指示には従うつもりはなかったが、自分達だけの独りよがりな曲作りに陥らないためにも、メンバー以外の者の意見に耳を傾けることも大切なことだと考えたのだ。
新曲三曲を連続して演奏をし終えたメンバーは、スタジオの中でパイプ椅子に座り、目を閉じ、じっくりと演奏を聴いていた榊原に注目した。
榊原は、目を開けると立ち上がり、拍手をした。
「いや、素晴らしい! アップ、ミドル、スローと、三曲とも違ったイメージの曲で退屈しなかったよ」
榊原の体育会系的な雰囲気は、嘘が吐けない人間のように思わせたし、実際にそんな人間のはずだ。
しかし、日本の音楽シーンを盛り上げることができる新しいミュージシャンを発掘し育てるという榊原の熱意も大きく、ただ単に褒めるだけの人物ではなかった。
「しかし、『クレセントムーン・セレナーデ』というバラードのアレンジには、改善点が多い気がするなあ。具体的にどうだということは、私もすぐに具体案を示せるほど音楽的知識を持ちあわせてないが、テンポが遅くなればなるほど、どうしても荒さが目立つね」
アップテンポの曲は、勢いだけで押し通すこともできるが、一つ一つのパートがクリアに聴こえるバラードなどでは、バックの編曲を計算し尽くさないと、どうしても雑な演奏に聴こえてしまう。
もっとも、それは、メンバーも感じていたことで、榊原から駄目出しをされたということだ。
「分かりました。考えてみます」
リーダーの玲音が榊原に答えると、榊原は満足そうにうなずき、更にメンバーを見渡しながら話を続けた。
「もう一つ。これは、今回の三曲に限定した話ではなく、以前から感じていたことなんだけど、聞いてもらえるかな?」
「何すか?」
更なる駄目出しがあるのかと、玲音が不安げに訊いた。
「ギター一本で伴奏をしながら歌う、おシオ君の負担が大きいのではないかということだよ。みんなもそれは感じているんじゃないのかな?」
詩織自身は特段の負担だとは思っていなかったが、他のメンバーは榊原と同じことを考えているようで、実際、これまでの奏屋のミーティングの際に、そのことが話し合われたこともあった。
リード楽器が詩織のギターと、奏のキーボードの二つだけであり、詩織が歌っている間、ギターは基本的にコードをかき鳴らすことしかできなかった。ビートジャムで録音したCD音源も、ギターは重ね録りすることが多かった。
「ライブでも、CD音源どおりのアレンジを再現するなら、ギターがもう一本欲しいところだよね」
「榊原さんの言うことは分かりますけど、アタシらは、この四人がちょうど良いんで、他にメンバーを入れるつもりはないです」
奏屋でのミーティングでも、最後はいつも、玲音が言った結論に落ちついていた。
「サポートメンバーでも駄目かな?」
サポートメンバーとは、正式なバンドメンバーではなく、レコーディングやライブの時だけ参加してくれるメンバーのことだ。
「単に手助けをするメンバーだから、みんなの間に、無理矢理、割り込むようなことはないと思うよ」
メンバーはお互いの顔を見渡した。
まだ、デビューもしておらず、数回ライブを成功させただけしか実績がない身分で、サポートメンバーを頼むことはおこがましかった。
「実は、ヘブンス・ゲートで、みんなも共演したことがあるギタリストを確保しているんだよ」
「もしかして、律花さんですか?」
共演したギタリストとして唯一記憶に残っていた律花のことが、すぐに詩織の頭に浮かんだ。
「そのとおり! 実は、彼女は、既に、うちに所属してもらっていて、ちらほら、スタジオの仕事も入ってきているんだ」
律花の実力をもってすれば、レコーディングメンバーにしたいという声が出ても当然だろう。
「とにかく、ギターの技術やセンスは素晴らしいし、独特な雰囲気も持っている、裏方に専念させるのはもったいない人材だ。できれば、クレッシェンド・ガーリー・スタイルの正式メンバーとして入れたいのだがねえ。サポートだと、スタジオの仕事とバッティングしちゃう可能性もあるしね」
榊原の提案に、すぐに答えが出せる訳もなく、「みんなでよく考えてみます」という玲音の言葉に、詩織もうなずくしかなかった。
そして、練習後の奏屋。
早速に、律花の話になった。
「前にセッションしたときの様子から言うと、律花は、うちのメンバーの中では浮いちゃう気がするんだ」
玲音が、一旦、言葉を句切ってから話を続けた。
「でも、正直、あのギターは魅力だよな。それに、前に言ったこともあるけど、アタシもおシオちゃんの負担が大きいなって思ってんだ。おシオちゃんの歌とギターのどちらかを取れって言われると、みんな、歌を取るだろ?」
「そうね。詩織ちゃんは、ギターの腕前も素晴らしいけど、詩織ちゃんを詩織ちゃんたらしめているのは、やっぱり歌だよね」
「ボクもそう思う~」
奏も琉歌も玲音の意見に賛同した。
「リードギターが入ってくれたら、詩織ちゃんは、もっと、歌に集中できると思うんだけど?」
奏が、考え込んでいた詩織に訊いた。
話の流れとしては、正式メンバーかサポートメンバーかは別にして、律花と一緒にやることについて、詩織以外のメンバーは前向きな考え方に変わってきているようだ。
「どうよ、おシオちゃん?」
玲音が急かすように訊いた。
「私は」
みんなが詩織に注目した。
「この四人でいるときの心地良さが好きです。誰にも邪魔されたくないという気持ちです。でも、エンジェルフォールに入った以上、そんな自分の気持ちだけを優先させることはできないですよね?」
「そんなことはないとは思うけどな。それに、アタシらは、純粋に、おシオちゃんに思い切り歌ってほしいって思っているだけで、おシオちゃんが今のスタイルを続けたい、今のスタイルの方が気持ち良く歌えるって言うんなら、その気持ちを優先しようって思ってる」
琉歌と奏も「うんうん」とうなずいた。
詩織は迷ったが、律花とはセッションをした時に少し話をしただけで、そもそも、どんな人なのか分かっている訳ではない。
玲音とも琉歌とも、そして奏とも、第一印象から仲良くなれる気がしたし、実際にその印象は正しかった。しかし一方で、初めはそうでもなかったが、つきあいを続けていると、次第に仲良くなれる人だと分かる場合もある。椎名や瞳がそうだ。
律花とも、もう少し、つきあっていると仲良くなれるかもしれない。
それに何よりも、詩織も律花のギターは好きだった。セッションをした時に気持ち良く歌えたことは確かだ。
「とりあえず、律花さんと一緒にやってみたいです」
「良いの、詩織ちゃん?」
「はい。一緒にやってみてから決めても良いんですよね?」
「もちろんだよ。アタシらは、デビュー前だし、バンドの最終形を決めるまでには、まだ時間はあるはずだ」
「そうね。前回は、セッションで他人の曲をしたけど、私達のオリジナル曲を彼女のギターがどう変えてくれるのか確かめてみたいところはあるわね」
「みんなが納得すれば、正式メンバーに迎えることもやぶさかではないし、ずっと一緒にいるのは疲れるっていうんであれば、サポートメンバーに留めてもらうし、律花に入ってもらうメリットが感じられなかったら、きっぱりと断れば良いんだよな」
「私達が律花さんを値踏みするみたいなところもあるけど、私達の活動は、もう、ビジネスとして考えなきゃいけなくなっているんだから、既にプロとして働いている律花さんなら分かってくれるはずだよね?」
「そうだな。じゃあ、明日、早速、榊原さんに連絡をするよ」
そこで追加メンバーの話は一段落して、次の話題は、約半月後の十一月十二日の水曜日にヘブンス・ゲートで予定されているライブのことになった。
玲音の親友であるカホが所属しているバンド「アンドロメダ・センチュリー」が企画した四バンドの合同ライブだ。
エンジェルフォールに所属した今、ライブ活動は事務所が認めたものしか出ないという契約になっていたが、所属する前に約束していたものだし、会場がヘブンス・ゲートということもあり、榊原も承諾してくれて、予定どおりに出演することになっていた。
「カホが気を使ってくれて、アタシらが最後を務めることになったんだ」
ファーストライブは六バンド中三番目の出演で、アンコールは無しだったが、最後なら、時間が許せばアンコールに応えることもできる。ファーストライブの盛り上がりを見ているカホが配慮してくれたのだろう。
「どうだろう、律花の都合がつけば、そのライブに参加してもらうってのは?」
「本番での相性を確かめることができるわね。良いんじゃないかな」
「面白そうだね~」
意見が一致した三人が、また、詩織を見つめた。
「私もやってみたいです」
ロクフェスでの芹沢とのセッションは刺激的だった。律花を加えたライブがどんなになるのか、詩織も楽しみであった。




