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クレッシェンド・ガーリー・スタイル     ―Crescendo Girly Style―  作者: 粟吹一夢
第四楽章 転べば立ち上がり、また走る!
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Act.099:踏み出した第一歩

 榊原さかきばらの芸能音楽事務所「エンジェルフォール」に所属するのは、ヘブンス・ゲートでの単独ライブを成功させてからという合意がメンバーの間にできていたが、ロクフェスでのライブ成功、そして何より、ホットチェリーのボーカルでロック界の大御所である芹沢せりざわとの突発的なセッション成功は、自分達がプロでも十分通用するとの大きな自信をメンバーに与えてくれた。

 そして、アマチュアのまま、このまま活動するよりも、プロ活動に一歩踏み出すべきではないかとの想いが、メンバーに芽生えてきたことは当然であろう。

 ロクフェスの打ち上げを兼ねた奏屋での飲み会も、その話で始まった。

「アタシは、もう、榊原さんの事務所に入りたいんだ。自分達が『うん』と言えば、今まで夢にまで見ていたプロへの道が開かれると思うと嬉しくてたまらない」

 メンバーの中で、一番プロになりたがっていた玲音れおがメンバーを見渡しながら言った。

「ボクはお姉ちゃんと同じ意見だよ~」

 琉歌るかは、いつもどおり、姉に従う意見を示した。

 玲音がかなでに視線を移した。

「そうね。何事も時期というのがあって、今がその時なのかもしれないわね」

 奏も反対の意見を述べなかった。

 三人が詩織しおりに注目した。

「私は」と言って顔を上げた詩織は、自分を見つめるメンバーの真剣な眼差しに思わず息を飲んだ。そして、深く息をしてから、穏やかな顔で見つめ返した。

「皆さんと同じ意見です」

 玲音と琉歌がすごく嬉しそうな顔をした。

「一緒に日本のロックを盛り上げようと言ってくれた芹沢さんとの約束を早く果たしたいです!」

 詩織の言葉に、玲音も琉歌、そして奏は、お互いの顔を見渡してから、大きくうなずいた。



 ロクフェス直後の舞い上がった気持ちで冷静な判断ができなくなっているのかもしれないと、月曜日と火曜日、いつもの日常の生活を終えたメンバーだったが、奏屋で話し合った気持ちが変わることはなかった。

 そして、水曜日。

 いつもどおり学校に行っていた詩織の帰りを待ってから池袋で落ち合ったクレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバーは、渋谷にあるエンジェルフォール本社を訪れていた。

 渋谷駅からも近い真新しいビル。

 その四階でエレベーターを降りるとすぐに、「エンジェルフォール」と描かれたガラスがはめ込まれた扉があり、壁に取り付けられた内線電話で、榊原に面会を申し出た。

 若い女性社員が扉を開けてくれると、比較的余裕のあるオフィスの中を抜けて、一番奥にある木製の扉の前まで案内してくれた。

 詩織がアイドルをしていた頃は中学生だったので、午後八時以降は働くことはできなかったが、基本的に、芸能界は昼と夜の境はなく、いつでも「おはようございます」という挨拶で済ませてしまうところだ。今、午後六時で、普通の会社であれば終業している時間帯だが、このオフィスにもほとんどの社員が残っていた。

 女性社員が社長室のドアをノックすると、「どうぞ」という野太い榊原の声が聞こえた。

 中に入ると、立派な執務机に榊原は座っていたが、その前にある応接セットの豪華なソファにメンバーを座らせた。

 一人掛けのソファに座った榊原の左右の二人掛けソファに、榊原に近い方に奏が、その隣に詩織が座り、反対側のソファには玲音と琉歌が座った。

「本日は、わざわざ当社までおいでていただき、ありがとうございます」

 榊原は上機嫌だった。

「では、早速、契約書の作成を」

「その前に、少しお話をさせていただけませんか?」

 実際の契約の話になると舞い上がってしまって、冷静に話ができないと、玲音が自己申告したため、大人の対応ができる奏が代表して話をすることになっていた。

「何でしょうか? 給与のことですか? それとも保健のことですか?」

「いえ、もっと根本的なことです」

「根本的なこと、ですか?」

「はい。それは、このバンドの活動方針についてです。以前、榊原さんとお話をさせていただいた時に確認はさせていただきましたが、念のため、再度、確認をしておきたいのです」

「ああ、それであれば、変わっていませんよ。以前にお話したとおりです。あなた方の考えを無視して、強引に進めたりはしません」

「それを聞いて安心しました。でも、しつこいようですが、具体的に、榊原さんに守ってほしいことが、もう一つだけあります」

 何か難題をふっかけられるのだろうかと思ったのか、榊原は少し顔をしかめた。

「何でしょう?」

「いえ、先ほどと同じことです。私達が嫌だということをしないでほしいということです」

「何だ。びっくりしましたよ」

 力が抜けたように、榊原は、ソファに深く体を沈めた。

「約束をたがえることはしません! お約束します!」

 榊原の力強いその言葉を聞いて、奏が少し体をそらせるようにして、奥に座っている詩織が榊原からよく見えるようにした。

「うちのボーカル、榊原さん、見覚えはありませんか?」

「いや、以前に挨拶もさせていただいていますが?」

 榊原の鈍感ぶりに、奏も少し吹き出していた。

「そうですけど、実は、彼女は、昔、芸能界にいたんです」

「えっ?」

 詩織は、顔を榊原の方に向けて、榊原の視線を真正面から受け止めた。

 その顔を榊原はじっと見つめていたが、しばらくして「まさか」と呟いた。

「あ、あのパワフルな歌声からはとても想像できなかったですけど、さ、桜井さくらい瑞希みずき?」

「そうです」

「えっ……。えー!」

 おそらく、社長室の外にも榊原の声が響いたのだろう。ドアの外から「社長、いかがされましたか?」と女性社員の声がした。

「あっ、いや、何でもない! 大丈夫だから!」

 焦って言い繕った榊原は、身を乗り出すようにして、詩織を見つめた。

「い、いや、確かに、可愛い顔をされているとは、最初から気づいていましたが、ま、まさか」

 信じられないという表情の榊原だったが、すぐに「このことは、まだ、誰にも気づかれていないんですよね?」と、メンバーを見渡しながら言った。

「はい。このメンバーだけの秘密です」

「瓢箪から駒とはこのことです! デビューに併せて、記者会見を開くと、ものすごいインパクトが」

「榊原さん!」

 奏が少し語気を強めたことで、榊原はすぐに言葉を飲んだ。

「私達が嫌なのは、そのことなんです! 絶対にしてほしくないことは、そのことなんです!」

「……」

「私も彼女が桜井瑞希ちゃんだと分かった時、それを前面に出して活動すべきじゃないかと、あとのメンバーに言いました。でも、みんなの気持ちを聞いて、その考えは捨てました。今では、その判断は正しかったと思っています」

「……」

「そもそも、詩織ちゃんが理由も告げずに引退をしたのは、アイドルとしての自分を消し去ってから、バンドミュージシャンとして、ステージに立ちたかったからです。そして、玲音は、昔の詩織ちゃんのことを前面に出してデビューすることは、単に話題性だけで取り上げられるバンドになる恐れがあるということで、そんなことはしたくないと言いました。琉歌ちゃんも同じ意見でした。私も今はそう考えています」

「……」

「人前で歌うわけですから、いつまでも、ばれないはずがありません。でも、少なくとも、昔の詩織ちゃんのことを積極的に伝えて活動をすることは、メンバー全員が望んでいないことです」

「桜井瑞希がメインボーカルを務めるバンドということを、セールスポイントとしないでほしい、ということですか?」

「そういうことです」

 残念そうな顔をした榊原に奏が言葉を続けた。

「榊原さんは、詩織ちゃんのことを知らないで、私達に惚れ込んでいてくれていたのではないのですか?」

「そ、それはそうですが」

「昔の彼女のことを前面に出さないと、私達はプロとして通用しませんか?」

「そんなことはありません! それは断言できます!」

「だとしたら、昔の詩織ちゃんのことなど、最初からなかったんだと考えれば良いだけではないですか?」

 榊原は、「ふ~」と長くため息を吐いた。

「やれやれ、藤井先生がここまで饒舌だとは思いませんでした。我が社に入社していただいて、契約担当としても十分にやっていけますなあ」

「売れなかった時には考えておきます」

 奏は、にっこりと榊原に微笑み掛けたが、すぐに真顔になった。

「いかがですか、榊原さん? 昔の詩織ちゃんのことを、絶対に、こちらから発表しないと約束してくれますか?」

「ばれてしまうことまでの責任を取れとは言っている訳ではないですよね?」

「ええ、もちろんです。もしかして、密かに、ばらそうとたくらんでます?」

「い、いえ、と、とんでもない!」

 榊原の慌てぶりからは、少しはそんな悪巧みを考えていたようだ。

「分かりました! この榊原翔平、二言はありません!」

「榊原さん、おシオちゃんのことが噂になってきたら、まずは最初に、榊原さんを疑いますからね」

「そ、そんなことを言われても」

 玲音の無茶ぶりに、榊原も狼狽えることしかできなかった。

「嘘ですよ。さっき、奏が言ったみたいに、これから、アタシ達もプロモーション活動をしなきゃいけないわけで、露出が増えるに従って、おシオちゃんのことがばれてしまうことは仕方がないことですからね。でも、ばれてからも、それを『売り』にはしませんから」

「分かりました。それを前提に、バンドの方向性を考えましょう」



 詩織達は、それぞれ所属契約書にサインをして、エンジェルフォールの事務所から出た。

 未成年の詩織の分だけは、父親の署名押印が併せて必要だとということで、榊原の方から父親宛てに郵送するとのことであった。

 一階に降りた四人は、エレベーターホールで立ち止まり、そこに掲げられている「エンジェルフォール」の看板を見つめた。

「いよいよ、踏み出したな」

 玲音が自分に言い聞かせるように言った。

「そうね。これまで自分達の好きなようにやってきたけど、これからは、ビジネスとして考えなきゃいけない場面も出てくるわね」

「難しいことはよく分からないけど、プロになるってことは、そういうことなんだよな」

「ええ、詩織ちゃんは経験済みだけどね」

「私もあの頃は、親や事務所の言うとおりにしてたら良いってくらいにしか考えてなかったです。でも、今度は、自分の考えで決めたことですし、真剣に考えなきゃですね」

 アーティストとして自分達の理想を追い求めることは当然だが、プロである以上、自分達はもちろん、所属事務所やレコード会社にも利益をもたらさないといけない。周囲が求めることと、自分達が絶対に譲れないこととのせめぎ合いが始まるだろう。

「奏は、楽器店はどうするんだ?」

「詩織ちゃんが学校を卒業するのに併せて退社しようと思ってる。明日には店長に伝えるよ」

 とりあえず、詩織が高校を卒業するまでは、学業を優先させるという約束も榊原から取り付けていた。したがって、クレッシェンド・ガーリー・スタイルの本格稼働は、詩織の登校日がほとんどなくなる、来年の二月以降になってからとなる。

「あと、三か月も経てば、アタシらもいろんなプロモーション活動をしなくちゃいけなくなるな」

「そうね。でも、それまでに、オリジナル曲を倍増させましょう」

「もちろんだよ。そのための猶予期間とも言えるわけだからな。フルアルバム二枚分は作るぜ」

「忙しくなりそうね」

「嬉しいことさ」

「それもそうね。でも、ここまでトントン拍子に来てる気がする。ちょっと怖いくらい」

「どこかに落とし穴があるとでも?」

「そういう訳ではないけど、慢心していると駄目ってことよ」

 奏のめの言葉に、四人とも表情を引き締めた。

「じゃあ、帰ろうか?」

 奏がそう言うと、「どこに?」と玲音が突っ込んできた。

「どうせ、奏屋でしょ?」

「よく分かっていらっしゃる」

「もう玲音が考えていることくらい分かるっての」

「奏だって、顔に『飲みたい』って書いてあるぜ」

「ばればれかあ」

 四人はお互いの顔を見合わせながら笑った。

 

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