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クレッシェンド・ガーリー・スタイル     ―Crescendo Girly Style―  作者: 粟吹一夢
第四楽章 転べば立ち上がり、また走る!
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Act.095:沸き立たない気持ち

 露天風呂から出たメンバーが、浴衣に着替え、部屋でくつろいでいると、豪華な夕食が運ばれてきた。

 山梨だけに、どちらかというと山の幸が中心だった。また、かなでが自腹で山梨ワインをボトルで注文して、宴は始まった。

「こんなに食べられるかなあ」

 テーブルを埋め尽くすご馳走を眺めながら、奏が言った。

「全部食べないと大きくなれないぜ」

「あんたは、私の母親か? でも、玲音れおだって、さすがにこれを全部は食べられないでしょ?」

「いや、余裕だよ」

 そういう玲音の前に置かれた皿の半分は既に料理がなくなっていた。

「ほんと、飲むのも食うのも限界知らずなのね、あんたは」

「そんなに褒めるなって」

「褒めてないから!」

「しかし、うめえな! 上げ膳据え膳で、毎日、こんな料理が食えたら最高だよな」

 玲音がワインで料理を胃袋に流し込みながら、しみじみと言った。

「何? 玲音は贅沢をしたいの?」

「今よりはな。もっと服も買いたいし、家だって、思い切り楽器が弾けるくらいの大きな家に住みたいじゃん」

「バンドで成功すれば、その夢も夢じゃなくなるわよ」

「そうだよな。でも、金を稼ぐことは飽くまで結果だからな。有名になるってのもそうだ。アタシは、大きなステージで思いっ切りライブをしたい。それが叶えたい夢だ」

 琉歌るかも奏も、玲音と同じ考えのはずだ。手っ取り早く、お金を稼いだり、有名になりたいのなら、昔の詩織しおりのことを前面に出して活動すれば良いだけだ。しかし、メンバー全員がそれをしたくないということで一致している。そんなメンバーだからこそ、詩織も一緒にバンドができるのだ。

 また、メンバーとこうやって旅先で一緒に食事をすることも楽しい詩織であった。

「本当においしいです! みんなで一緒に食べるから、余計においしく感じますよね!」

「そうだよな。奏屋でのつまみも少し考えてみるかな」

 練習後の奏屋での飲み会は、乾き物くらいしかなかった。

「でも、料理してたら、時間がなくなっちゃうわよ」

「だよなあ。アタシと琉歌も奏屋で泊まろうかな」

「残念でした。うちのベッドは詩織ちゃんと抱きあって寝るだけで満員よ」

「奏さん! また、誤解をされるようなことを言わないでください!」

「詩織ちゃんには、もっとセクハラ攻撃を仕掛けたいくらいよ。今の詩織ちゃんの浴衣姿が、この夕食よりも私にとってはご馳走だし」

「ボクも奏さんに負けないからね~」

 その後、琉歌も参戦して、詩織に対するセクハラ「口撃」が繰り返されたが、それは、みんなの妹分である詩織に対する親愛の情の現れだということは、詩織も分かって、「嫌だ嫌だ」と言いながらも、その頬が緩むのだった。



 時間内にワインボトルも空けたメンバーは、再び、服に着替えて、旅館から出た。

 情報収集していたとおり、温泉街から会場に向けて歩いている人、あるいは会場から温泉街に戻ってきている人が大勢いて、道に迷うことはなかった。

「ホットチェリーは、一番大きな第一ステージだ。あっちだぜ」

 会場が近づいてくると、演奏している音が漏れ聞こえてきた。

 ライブステージは、それぞれ距離を置いて、三つあり、一番大きな第一ステージでは、有名どころのバンドやミュージシャンが出演し、第二ステージでは、中堅どころ、あるいは新人が出演することになっていて、榊原さかきばら率いる「エンジェルフォール」所属の新人バンドもこの第二ステージに出演するそうだ。そして、応募で選ばれたアマチュアが出演するのが、第三ステージで、明日、詩織達が出演するのも第三ステージだ。

 時間的に余裕もあったことから、下見がてら、先に第三ステージに行ってみた。

 そこは、森を切り開いてできているような、広い芝生公園の中にあり、ステージの上には屋根もあり、雨が降っても大丈夫なようになっていた。もっとも天気予報によると、明日も晴れだと言っていたから、その心配をする必要はないだろう。

 周りを取り囲む照明で明るく照らされている会場は、ステージから半円形のすり鉢状になっている芝生部分が客席で、椅子はなく、観客は、思い思いの場所に座って、ライブを楽しんでいた。

 ステージでは、紅一点の女性ボーカルバンドが演奏していた。事前審査を通過しただけあって、演奏技術もステージでのパフォーマンスもプロと変わらないほどであった。

「明日、あのステージで演奏できるんですね?」

 遠目にステージを眺めながら、詩織が誰にともなく呟いた。

「ライブハウスのステージとは比べものにならないくらいに広いし、明日の私達の演奏時間だと、きっと、辺りの景色もよく見えて、気持ち良さそうね」

 奏も辺りを見渡しながら言った。

「確かに、気分良く演奏できそうだな。まあ、アタシらは、どんなステージであっても、全力でやるけどな」

「それが、クレッシェンド・ガーリー・スタイルの家訓ならぬ『バンド訓』なんでしょ?」

「よく分かってらっしゃる」

「でも、バンド結成から四回目のライブで、こんなステージに立てるなんて夢みたいね」

「この勢いは止めないぜ! 来年には、第二、いや、第一ステージで演奏できるようにするぜ!」

「大きく出たわね」

「言うのは只だからさ」

 笑いあったメンバーは、ここまでやってきたという感慨に包まれながら、第一ステージに向かった。



 第三ステージから歩いて五分ほどで第一ステージに着いた。

 基本的に、第三ステージの規模をそのまま大きくしたような感じで、緩い傾斜のすり鉢状の広い芝生の客席に向かって、開いた貝殻のような形のステージがあり、今は照明が消され、スタンバイの真っ最中のようだ。

 第三ステージとは違うのは、ステージ前方の広い平坦な場所にパイプ椅子が並べられていて、警備員と思われる制服姿の人間もちらほらと見えていた。

 どうやら、椅子がある場所は有料の指定席のようだが、既に満席状態だった。

 詩織達は、ステージからは遠い、すり鉢の縁に当たる所に行き、ステージを眺めていた。

 おそらく指定席が取れなかった観客だろう。詩織達の周りにも多くの観客が同じように芝生に座って、ライブの開始を待ちわびているようであった。

「さすが、ホットチェリーだな。こんな時間から、こんな場所でやるのに、この状態だからな」

「本当ね。さすがとしか言いようがないわね」

「じゃあ、この辺りに座って聴くか?」

「そうね」

 指定席のはるか後ろの芝生席で、ステージ上の人は豆粒くらいにしか見えないだろうが、詩織もホットチェリーの音楽が好きで、その生音が聴ければ満足なので、この位置でも十分だった。

 午後八時になると、すぐにステージが明るくなった。

 詩織達の位置でも、最初は耳を塞ぎたくなるような爆音が響いた。しかし、詩織もよく知っている曲のイントロが流れ出すと、爆音も心地良く変わった。

 ホットチェリー自体は、ボーカルとギター二名、ベース、ドラムの五人組バンドだが、このステージでは、バックコーラスやホーンセクションといった、多くのサポートメンバーを加えていた。

 少しアップテンポなブルース調のイントロが、CD版よりも長く演奏されているうちに、ひときわ大きな歓声が上がった。ボーカルでリーダーの芹沢せりざわ勇樹ゆうきがマイクスタンドを振り回しながら登場したのだ。

「イェーイ!」

 芹沢が右手を突き上げると、既に全員が立ち上がっている観客が併せて右手を突き上げた。

「最初からぶっ飛ばすぜ! みんな、ついて来いよ!」



 ホットチェリーは、二十年以上の活動歴の中で、メガヒットがそれほどある訳ではないが、メッセージ性溢れる歌に共感を覚える熱心なファンが多くいて、デビュー当時からのファンはもちろん、詩織のような若いファンも獲得しており、安定した人気を誇っていた。

 演奏された曲は、詩織が大好きな曲ばかりだった。

 しかし、詩織は、拍子抜けするほど冷静だった。

 ライブが始まるまでは、詩織にアイドル引退を決意させた、歌番組でのスタジオライブの再来を期待していて、わくわく感が止まらなかった。

 しかし、実際にライブが始まると、あの時のような衝撃を感じることはなかった。

 詩織は、芝生に座ったまま、演奏に併せて、心地良いリズムに体を揺らしている。歌詞も口ずさんでいる。しかし、それだけだった。まるでCDやラジオを聴いている時と同じ感覚であった。

 もちろん、目の前で演奏されているのは、CDに収録されているものとはアレンジを変えたライブバージョンの曲だったし、その迫力も余すところなく伝わってきていた。

「どうしたの、詩織ちゃん?」

「はい?」

「何か、戸惑っているような感じがしたから」

 メンバーの中では、一番、身近にいると言っても良い奏には、詩織の微妙な心の揺れも感じ取られたのだろう。

「思ったより良くないって感じに見えるんだけど?」

「い、いえ、ライブ自体は素晴らしいって思います。皆さんもそうですよね?」

 詩織は、左右に並んで座っているメンバーを見渡した。

「ああ、やっぱり、すごいと思うぜ」

 玲音の言葉どおり、客席は序盤から大盛り上がりで、また、ホットチェリーのメンバーとサポートミュージシャンの演奏はパーフェクトと言って良かった。

「でも、詩織ちゃん的には何かが違うって感じてるの?」

 奏の問いのとおりだった。

「はい。私、ホットチェリーが大好きだったはずなのに、何と言うか、ラジオのBGMのように感じてしまうんです。つまらないということではなくて、心地は良いんですけど、沸き立たないというか……、あんなに素晴らしいライブなのに……」

 しばらく、詩織の横顔を見つめていた玲音が、ステージに視線を戻した。

「何となくだけど、アタシは分かる気がする」

 詩織だけではなく、琉歌と奏も玲音の顔を見つめた。


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