準備
目が覚めると、今度はベッドではなくテーブルから起き上がる。変な体勢で寝ていたせいか、全身が凝ってしまったような気がする。寝過ぎたせいもあるのかもしれない。
その場で精一杯伸びをすると、背中から何かが落ちる音がする。
まさか疫病神、なんてことはなく、毛布が落ちただけらしい。誰かが俺を見てかけてくれたんだ、と思うとなんだか気恥ずかしい。
それと、伸びをした時に気付いたのだが、もう時間は昼である。カーテンは閉まっておらず、上りきったた太陽の眩しさに思わず目を細める。
とりあえずそのまま立ち上がってみたものの、特に行く場所も無いし、することもない。
俺はこの場所でローズさんを待っていたはずなのだから、ここにいれば問題ないだろう。下手に動いて迷子になったらそれこそ迷惑だ。
結局、ローズさんが来るまで食堂の掃除をすることにした。
食堂のおばちゃんに道具を借りて、ついでにエプロンまでして、できるところだけ掃除していく。もともとそんなに汚かったわけではなく、細々とした作業をこなした。
しかし、驚くことに、朝まで痛かったはずの体がすっかり元に戻っていた。筋肉痛はどこへやら、という感じだ。
そういえば、昨日捻挫した足首と、捻った手首も全然痛くなかった。この体は治癒能力が高いのだろうか。さすがに捻挫が半日で治るっていう話は聞いたことがない。
そうこうしているうちに、ローズさんが来た。俺がエプロン姿で、なおかつ掃除しているのに驚いていたようで、怪我をしているんだから無理はしないように、と少し怒られてしまった。
実は体がすっかり元通りになったことは黙っておいた。
昼ご飯は、掃除のお礼と言っておばちゃんが無料で出してくれたので、ローズさんと一緒に美味しく頂いた。朝よりもボリュームがあって申し分なかった。
食事を終えると、ローズさんが買い物に連れて行ってくれることになっていたらしい。
俺が何も持っていないこともあって、生活必需品と、皮の鎧、それに剣を買いに行くみたいだ。
最初は細々とした物を買いに行った。
賑やかな街中を通って行くと、所々で視線を感じたりしてあまり気分は良くなかった。ローズさんも気にしていたらしく、できるだけ急いで雑貨店に入った。
店の中には様々な商品があり、用途不明な物も多々発見した。色々と探してみるのも面白そうだったが、ローズさんに怒られそうだったのでやめておいた。
当然のことながら、地球とは異なる習慣が多く、いざ選ぶとなると少し戸惑ったが、夢の中の生活を思い出して必要な物を選んでいった。
ローズさんもかなり手伝ってくれて随分お世話になった。ふざけていて何度か怒られたのはご愛嬌だ。
お金は、サラさんが俺のためにと貸してくれた分があるらしく、ありがたく使わせてもらった。またサラさんに助けられてしまった。そのうち、絶対に返しに行こうと思う。
その流れで、防具屋、武器屋と一気に回り、なんとかギルドに帰り着いた頃には、日も暮れかけで、辺りは薄暗くなっていた。
荷物を部屋に置いて食堂へ行くと、ローズさんとサラさんがすでに席に着いて俺を待っていてくれる。遅いぞ、とサラさんには怒られたが、それはそれだ。
「ハルト君、今日一日お疲れ様でした。大変だったでしょう?」
食事を始めると、ローズさんが少し疲れた表情でそう言った。
「大丈夫ですよ。こちらこそ、わざわざありがとうございました。ローズさんがいてくれて助かりました。一人だったら店の場所も分からなかったんですから」
「ふふ、そうですね。お役に立ててよかったです。サラさんも一緒に来ればよかったんじゃないですか?」
「馬鹿言え。こう見えても仕事は結構大変なんだ。午後全部を使う余裕はねえよ」
サラさんは不満気だ。本当は買い物に行きたかったんだろうか。
「あ、サラさん、カード出来ましたか?」
ローズさんはそんなサラさんを華麗にスルーする。
「ああ。ほら、これだ」
「ありがとうございます。はい、ハルト君。これがあなたのギルドカードですよ。これがないと冒険者はできませんから、気をつけてくださいね」
そう言って渡してくれたカードは赤色だった。よく見ると、名前とランクしか書いてない。これでいいんだろうか。
「ありがとうございます」
「ハルト、今『意外と地味だな』って思っただろ?」
サラさんが意地悪な顔で聞いてくる。
「え、いや、そんなことはないですよ」
本当はその通りなんだが。
「まあ確かに、一見名前とランクしか書いてないように見えるし、大した仕掛けも見えない、ただのカードだからな」
「……?」
「ええ。現状では見栄えがいいとは言えませんよね」
ローズさんも納得顏だ。ローズさんも、最初はそう思ったのだろうか。
「ローズ、お前のカードを見せてやれ」
「……私のですか? サラさんのを見せた方がいいんじゃないですか? 自慢できるチャンスですよ」
サラさんがピクっと反応したが、それ以上は動かない。自分のカードを見せる気はないらしい。
「自慢する程のものでもない。それに、生憎今は持ってないんだ。ほら、早く出せ」
「はいはい、分かりました。えっと、これ、ですね」
ローズさんがカードを見せてくれた。
まず思ったのは、これと自分のカードが同じ物なのか、ということだ。
ローズさんのカードは銀色で、透明の宝石が埋め込まれている。それだけでも驚きだが、カードには所狭しと文字が書かれており、その字の大半は読めなかった。
「どうだ、ハルト。お前はまだ最低ランクだからカードもしょぼいが、ランクが上がればカードもどんどんアップグレードされる。今はとりあえず、ローズと同じ銀色を目指すといい」
そうか。そういうシステムなのか。でも、銀色ってどれくらいなんだろう。俺でも辿り着けるランクではない気がする。
「……はい。ローズさんって本当に強いんですね」
「そんなことはないですよ。サラさんにはまったく及びませんからね」
「今度試合してみるか?」
サラさんが意地悪そうに聞く。サラさんはよくこの顔をする。
「いやですよ。負けるだけですからね」
「昔はあんなに試合したのにな。負ける度に、『もう一回っ! もう一回っ!』って言ってくるのは可愛かったな」
サラさんがそう言うと、ローズさんがガタンッと椅子を蹴って立ち上がった。
「ちょ、ちょっと!」
しかし、そこで周りから注目を浴びていることに気付いたらしい。顔を赤くして大人しく腰を下ろした。
「 ……もう昔のことですからね。ハルト君、これは他言無用ですよ」
「……」
「ハルト君?」
「はい」
こうして夜は楽しく過ぎていき、明日の朝に食堂で会うことを約束して別れた。防具と剣も持っていくらしい。
明日からは訓練が始まる。
果たして俺がついていけるのか、すごく不安だ。
だが、やるしかない。俺は、ここで強くなるんだ。