試合
「始め」の合図とともに、リーさんはいきなり滑るように距離を詰めてきた。もともとそれほど遠くなかった俺との距離は、たった数歩分しかなくなった。
リーさんの接近に合わせて剣を握る手にも力が入るが、リーさんが剣を振りかぶることはなく、ただ単に間合いを測っているだけのようだ。
「ハルト君、初手は君に譲るよ。いつでもくるといい」
急な展開に俺が戸惑っていると、リーさんは実に上から目線な言葉をかけてきた。実際、実力的には圧倒的に差があるのだろうが、やはり気に障る。
できればやりたくないし、負けて当然の試合ではあるが、少しぐらいは頑張りたい。
「では、いきます」
奇襲はどうせ通じないのだからと、自分から声をかけて正面から斬りかかる。リーさんは動かない。
俺は、踏み込みながら上段に構えた剣を振り下ろし、リーさんの剣を狙う。手から弾き出すことができれば、完璧だ。
しかし、リーさんは憎らしいほど慌てない。力の抜けた体勢で、俺を後ろに逸らすように剣を受け流す。決してリーさんが速く動いたということはないが、タイミング的に俺の反応は間に合わない。
結果的に剣を振って走り抜けただけになった俺は、つんのめって顔から地面にスライディングしてしまう。剣も俺の手から離れ、少し先まで飛んでしまった。
口と目に砂が入って、不快感が込み上げてくる。砂煙もひどく、どうしようもない状態が続く。
少し落ち着いてから、ゆっくり起き上がって剣を探していると、観戦に来ていた人が俺に剣を差し出してくれた。お礼を言いつつ剣を受け取ってもう一度リーさんに向き直る。
聞き間違いかもしれないが、その人が「頑張れよ」と言ってくれた気がした。
俺は、今度は剣を構えないで走り出す。剣を持つ右手は、さっきの転倒で擦りむいたせいで鈍く痛む。ならば左手はどうかと言えば、手首を捻挫したようである。
痛みをこらえて、やっぱり動かないリーさんに詰め寄る。スピードを落として近づき、さっきみたいに一撃を狙うのではなく、軽い攻撃を何度も繰り返す。
カン、カン、と剣を打ち合わせる音が響く。木剣からの衝撃は思ったよりも大きく、擦りむいた右手には少し辛い状況になるが、なんとかこらえて攻撃し続ける。
しかし、全力で攻撃してもリーさんの守備は崩れず、むしろ俺の体勢が悪くなる。目茶苦茶に振った剣に力がこもっているわけもなく、さらに軽くあしらわれてしまう。
そんなことを何度か繰り返すと、すでに限界に達していた足がもつれ始めた。さらに、フラフラの足をリーさんが払ったために、俺は地面に倒れこんだ。
今度は剣を離さなかったが、その分手を出すことが出来ず、肩を打ち付けた。なんとか立ち上がるが、肩だけでなく、足首が痛い。これも多分捻挫してしまったのだろう。
一つもいいところを見せないまま、体はもう動かなくなってしまった。何もできないことは分かっていたが、これほど自分が駄目だとは思わなかった。
「ハルト君、諦めないでください!」
ローズさんの応援が耳に届く。もう一度、もう一度。俺は自分にそう言い聞かせて、リーさんとの距離を詰めようとしたが、また転びそうなのでやめておいた。
俺がそのまま動かないでいると、リーさんは状況を察したようで、俺の方に来てくれた。
「ハルト君は、もう少し体力をつけるところから始めないとな。あとは受け身の取り方とか。ローズ、もう終わろうか。ハルト君はそろそろ限界だろう」
「一応これは試合ですから、決着を付けてください。慣例ですので、お願いします」
「やっぱりそうなのか……。それなら早くすませよう」
リーさんは少し申し訳なさそうにそう言うと、それまでとは打って変わったように背後に素早く回り込み、俺の意識を刈り取った。
☆ ☆ ☆ ☆
「リーさん、ハルト君はどうですか?」
「うん。筋は悪くないとは思うんだけど、いかんせん体が弱い。さっきも言ったように、まずは体力をつけて長い時間の訓練に耐えれるようにしないとな。他はそれからだ」
「やっぱりそうですか。魔法の適性もあるようなんですが、それに関してはどうでしょう?」
「魔法ならローズの方が詳しいだろ? サラもあいつには気をかけてるんだろうし、俺に聞くことじゃない。何より、どう戦うかは本人次第だ」
「それはそうなんですけど……」
「別にそう気に病むこともない。昔のローズみたいに魔法剣士とかでもいいんだし、ゆっくりやらせてみればいいさ」
「はい。そうします」
「あ、そういえば、ローズ、今日一緒に夕飯食べないか?ハルトのことで話すこともあるだろう」
「いえ、今日はハルト君の世話がありますので。それに、幼い少年を気絶させるような危ない人とご飯なんて食べたら、私がどうなってしまうか分かりませんから」
「あ、危ないっておい! あの時勝負つけろって言ったのはローズじゃねえか!」
「私は決着をつけろとは言いましたが、気絶させろなんて言ってませんよ。ハルト君の剣でも飛ばして終わりにすればよかったと思います」
「いやいや、雰囲気的にあれで正解だろ! な、俺は安全だから大丈夫だって! だから飯に行こう」
「はぁ……行きませんよ。ハルト君の前では猫かぶってたくせに、もう素に戻りましたか」
「やっぱり俺はこの方がしっくりくるだろ?」
「いえ、どっちでも無理です。それに、ハルト君にもいずれバレますよ」
「まぁその時はその時だ。それで、今日の飯なんだが」
「あ、サラさんが来ました」
「ちっ。そろそろローズが折れそうなところだったのに」
「それはありえません。それより、サラさんも多分見てた感じですね。少し怒ってます」
「うわぁ……サラも見てたのか」
「見てたよ、リー。おい、もう勝負はついてたのにわざわざハルトに一発入れる必要ってあったのか? 最近ローズに振られてばっかりでストレス溜まってたからといっても、あれはないぞ」
「……ちょっと事情があってな」
「事情が何であれ事実は事実だ。そうだろ?」
「いや、それはそうだが、あれはローズが」
「罰として今日の門番を代われ。担当の奴には後で言っておく」
「……は? いや、何言って」
「いいな?」
「え、嫌だよ。俺はローズと夕飯を」
「私は行きません。往生際の悪い男の人は嫌いですよ?」
「……分かったよ。もう分かった。門番やるから。でも、それで終わりだからな。それ以上後でうだうだ言うのはなしだぞ」
「分かったからさっさと行け」
「……サラさんって地味な嫌がらせが上手いですよね」
「ははは。的確な分析だな」
「そういえば、サラさんってどこで見てたんですか? 訓練所にはいなかったと思うんですけど」
「仕事部屋からな。チラッと見たらハルトがやられてたから、やり返しに来ただけだ。もう戻る。後は頼むな」
「分かりました。ハルト君は医務室に運ばれたそうなので行ってみます」
「ああ。じゃあな」
「はい」
☆ ☆ ☆ ☆
意識が戻ると、俺はベッドで寝ていた。この状況を不思議に思ったのは一瞬で、すぐに試合に負けたことを思い出した。負ける前提の試合でも悔しくないわけもなく、後味が悪い。
それに、この短期間にこれだけ意識を失っていたら、それこそ記憶喪失になってしまいそうだ。今ならまだそれも影響は少なそうではあるが。
とりあえず、いつものようにそのまま起き上がろうとしたら、全身の痛みに邪魔されて呆気なくベッドに逆戻りになった。
頭はズキズキと痛み、両手、肩、顔、足と満遍なく鈍痛が広がっている。そのほとんどが転んだ時の怪我なのだから、間抜けだとしかいいようがない。
せめて受身の取り方ぐらいは練習しておくんだったと本気で後悔する。
「ハルト君、意外と早かったですね。もう少しかかると思ってました。体は大丈夫ですか?」
俺の阿呆らしい行動をずっと見ていたらしいローズさんが、笑っていた。寝顔を見られるのはもう二度目だからあまり気にならないが、恥ずかしい気持ちがまったくないわけではない。
「おはようございます。体はちょっと痛いですけど、少し休めば歩けるぐらいにはなりそうです」
「そうですか。怪我の方ですけど、足は捻挫で、頭は打撲ってことらしいですよ。左手は捻っただけで、右手も擦りむいただけだそうです。重症じゃなくて安心しました」
その傷の大半が転んでできたものだと考えると、言いようのない悲しさを感じる。昔、小さい頃にもそんなことがあったなぁ……。
「心配かけてすいません。試合にもボロ負けでしたし」
「試合はあれぐらいだと思ってました。もともと疲れてましたし」
「……まぁそうですよね」
「気にしなくていいですよ。あと、リーさんはサラさんが懲らしめておいてくれましたから」
「……へ?」
「あ、別に大したことはしてませんよ?」
「いや、そういうことではなく、なぜ懲らしめるなんて言葉が出てくるのかな、と。というか、サラさんも見てたんですか」
「ふふふ。ハルト君を気絶させた罰だとサラさんが言ってました。サラさんは、最後だけ見ていたそうですよ」
「そ、そうですか。それならよかったです」
リーさんに合掌。そして、サラさんに後でからかわれそうな自分にも合掌。
「それで、今日のこの後なんですが、どうしますか?」
「どう、と言われても、特に予定はありません」
そういえばそうだ。一連のゴタゴタですっかり忘れていたが、俺はお金も持ってないし、何もすることがない。いや、することがないんじゃなくて、できないんだ。
夕飯が食べれない。さらに言えば、泊まるところもない。
野宿で、何か採るしかないのかな。でも、今の体では怪我が悪化しそうな気がする。
「とりあえず野宿の場所でも探すことにします」
「野宿ってことはやっぱりお金がないんですよね?」
「そうですけど」
「ご飯はどうするんですか?」
「何か探しますよ」
「……野宿では体も休まりませんよ」
「仕方ないです」
「はぁ……。どうせそんなことだろうと思いました。私の仕事はハルト君の世話ですから、そんなことを許すわけにはいきません」
「と言われましても」
「大丈夫ですよ。夕飯は私がご馳走します。夜はギルドに泊まるところがありますから、そこで寝てください。朝もギルドで無料で食べれますからそれでいいですね」
俺が戸惑っていると、ローズさんが解決策を教えてくれる。そんな便利な制度があるなら、先に言ってほしかった。
「えっと、あの、ギルドに泊まるのと朝ごはんは分かりましたが、夕飯はを奢ってもらうのはちょっと……」
「別に奢るわけではありませんよ。作るのは私ですし」
「いや、それは逆にまずいのでは」
「遠慮しないでください。歓迎会ってことでサラさんも呼びますから。ね?」
「……はい。お世話になります」
「ふふふ。では、食事の準備もありますし、そろそろ行きましょう。立てますか?」
「あ、はい。もう大丈夫そうです」
結局、俺はゆっくりしか歩けなかったが、ローズさんが合わせてゆっくり歩いてくれたので問題はなかった。
そのままどこに向かうのかと思えば、ある意味当然のことではあるが、ローズさんの家だった。
あれ? 俺って女の人の家に入るの初めてじゃないか。
「緊張しなくてもいいですよ」
いや、それは無理ですよ。緊張しますって。