救世主
「待たせたな。すぐに終わらせる」
その言葉が聞こえるなり、目の前に、誰かが降ってきた。銀色の長髪が風になびく中、手を着かず、膝すら折ることなく、華麗に着地して、油断なくグレイウルフたちに視線を向ける。
ついさっきまで、いや今も死への恐怖に震えている俺のことを振り返ることはなく、そのまま背中に背負う大剣に手をかけた。
「あ、あのっ」
「……少し待ってろ。それまでは動くんじゃねえ。……それから、終わるまでは黙ってろ」
「は、はい」
思わず声をかけてしまったが、邪魔だったらしい。いかにも不機嫌そうな声が返ってきた。
そして、すでに手をかけていた剣を、滑らかに抜いた。シュルルルーンという綺麗な音とともに出てきたのは、まるで聖騎士がもつような、白銀の長剣。うっすら光を放っているようで、かなり神々しい。
そのままゆっくり構えると、魔力を剣に込めた。そして、二度だけ、剣を振る。
一回ごとに、凄まじい風切り音が発生し、見えない斬撃が敵へと向かう。気付けば、周りのグレイウルフたちの半分以上が倒れていた。
何が起こったのか分からないグレイウルフたちは、周りを見回し、足踏みをしている。攻撃することも逃げることもしないまま、動揺しているのが見て取れる。
そこに先ほどの剣撃がもう一度加えられ、さらに半分のグレイウルフが血に染まった。
すでに残りは、十匹を下回っている。
さすがに勝ち目が無いことを認めたグレイウルフは逃げようとしたが、今度は純粋な魔法が門の上から降り注ぐ。雷属性の中位魔法のようで、残党を倒し切るには充分すぎるぐらいだ。
バチバチと音を立てていた魔法が収まると、グレイウルフは残らず黒焦げであった。
戦闘は終了した。いとも簡単に、たった二人であの数を倒し切った。二人で、とは言っても、実際はそれぞれ一人でも充分だったはずだ。
強い。昔の俺よりも、はるかに強い。
とりあえずお礼を言っておこう。謝礼は払えないのだから、せめて言葉だけでも伝えておきたい。
助けてくれた人は、背が高く、色黒で、髪は銀の長髪。左目には眼帯をしており、右目は不機嫌そうにつり上がっている。それと、例にも漏れず、美形である。
かなり話しかけにくいオーラも出ているが、今は自分から話しかけるべきだろう。
「あの、助けていただいてありがとうございました。自分一人ではどうにもならなくて」
社会人時代のせいか、こういうのは慣れている。謝ってお礼を言って、そんなのばかりだったから。
ただ、俺の言葉を聞いても、目の前の人はいまだに不機嫌なままだった。
「……別にお前だけのため、というわけではない。あのままお前が死んでしまえば、次の標的は街の奴らになっていたはずだ」
「あっ……!! そのっ、すみません。決してわざとではないんです」
「悪気があろうと無かろうと、結果は変わらない。何をしたのかは知らないが、これだけ集めるのは大変だったのではないか?」
「……! 本当に、故意じゃないんです! 森で、グレイウルフの縄張りに入ってしまって。逃げているうちにどんどん数が増えて、あの」
この人が不機嫌なのは、俺が街の人たちを危険に晒したから?
確かにこんなに多くのグレイウルフがいたら冒険者であっても安全ではないし、今考えれば、とりあえず街に逃げるというのは短絡的で自分のことしか考えない判断だった。
しかし、そうしなければおそらく俺は死んでいたのだ。こればっかりはどうしようもなかったと思う。
「逃げているうちに数が増える、か」
俺が脳内で葛藤しているうちに、目の前の人も考え事をしていたらしい。顎に手を当てて目を閉じている。
「?」
「……いや、何でもない。今の所、被害は出ていない。お前のことを責める気はないし、罰するつもりもない。今は助かってよかったと思っていればいいさ」
「……”今は"ってどういうことですか? この後何があるんですか?」
「後のことを気にしてもしょうがないだろう。今は喜べ。お前、見ない顔だが、名前は?」
「名前、ですか?」
「ああ。いいかげん名前が分からないと不便だ。偽名でも構わないから、呼び名を教えろ」
俺をからかうことで少し不機嫌が治まったらしく、声音が丸くなった。名前を普通に言おうと思ったが、名字まで言ってしまうと、貴族っぽくなるかもしれないと考え直した。無難に下の名前だけ答えておこう。
「えっと、春人といいます」
「ハルト? 珍しい名だな。……まぁいい。私はサラ・ユーリスという。こう見えてこの町の冒険者ギルドの長だ。サラでもユーリでも、好きに呼べばいい」
「分かりました。サラさん」
やっと名前を教えてくれた。しかし、目の前の人の容姿と、"サラ”という名前が一致しない。
いや、よく見れば女に見えないこともない……?
「そういえば、私は女だぞ。初対面のやつは大概男だと勘違いするからな。どうせお前もそうだろう?」
「……」
やっぱり女だったようだ。さっきの戦闘のイメージもあって、すっかり男だと思い込んでいた。
てっきり怒られるものだと思ってサラさんの顔を見上げると、意外にも機嫌の悪さは感じられなかった。本当に慣れているんだろう。
「覚えておいてくれればそれでいい。では、いくつか用事もあるし、冒険者ギルドに一緒に来てくれ。いいな?」
「はい」
ようやく街に入ることができそうだった。
それから少しして門が開いた。
様々な手続きを終えて、街に入ることはできたのだが、周囲からの視線がかなり痛い。すでに情報は広まっているらしく、街を危険に晒したダメ人間とでも思われているのだろう。好意的な目はほとんどなかった。
そのことを横で歩いていたサラさんに言うと、「これが当たり前だ」と一蹴された。
これに関しては全面的に俺が悪いし、何も文句は言えなかった。その代わり、助けてもらったお礼をもう一度伝えておいた。すると、相変わらず不機嫌そうなサラさんが少しだけ笑ってくれた。
そのまま街の中を歩くと、冒険者ギルドに着いた。冒険者ギルドというと、少しボロくて汚いイメージがあるが、ここはそうではない。
石造りの巨大な建物で、ところどころ装飾も美しい。石造りというのに、石と石の継ぎ目はなく、伝説では、一つの巨大な岩を彫って作ったという。冒険者ギルドが伝説になるのも変な話だが、実際に見ると頷けるのだから不思議だ。
ちなみに、この伝説の話はサラさんが教えてくれた。俺がギルドに目を見張っているところに、少し嬉しそうに語ってくれたのだ。ギルド長だけあって、やはりギルドは好きなんだろう。
ギルドの扉は、サラさんが開けた。
ギルドに入ると、いきなり空気が変わった。ギルドの内装も気になってはいたが、そんなことに注意している場合でなかった。はっきり言って、襲いかかられそうな恐怖を感じた。
外は、敵視されてはいるがどちらかというと好奇の目が多かった。しかし、ギルド内部では、数十人の冒険者たちが敵意剥き出しの雰囲気で俺を睨んでくる。
若い人たちが多いのに、体は大きいし、武器を備えている。どことなく戦いにはなれているように見えるし、喧嘩になったら間違いなく負ける。
あまりの衝撃に、俺が立ち竦んでいると、見かねたサラさんが助け船を出してくれた。
「皆、そんなに睨んで子供を怖がらせるな。気持ちは分かるが、こいつはまだ子供なんだ。分からないこともできないこともある。少し落ち着け」
そう言って、俺を引っ張り、ギルドの中を歩いていく。
なんだか助けられてばかりで情けない気持ちになったが、颯爽と歩くサラさんの後ろ姿は驚くほど心強かった。
少し奥に入ると、また一つ扉があった。今度もサラさんが開けて、中に入る。
部屋の中は薄暗くてよく見えない。
「えっと、ここは、何の部屋ですか?」
「……ここは罪人に刑罰を与える部屋だ」
「……っっ!?」
「冗談だ。ここは私の執務室のような場所だ。単に仕事をするだけだがな」
サラさんはそう言って、部屋に灯りをともしてくれた。明るくなってみれば、周りにあったのは拷問器具ではなく、少し大きな机と書類の山と本棚だった。
あの書類の山を普通と言うなら、この部屋はいたって普通の書斎である。
「……あんまり驚かさないでください。今から何をするんですか?」
「だから刑罰だと」
「それはもういいですから」
「……冗談の通じん奴だ。まぁいい。今から、お前がこの街で生きていくために必要な手続きを行う。いくつか質問もあるしな。とりあえず準備ができるまで少し待ってろ」
「あの、手続きならさっきしましたよ?」
「あれはとりあえず街に入るための一時的なものだ」
サラさんは、ぐちゃぐちゃの机から一枚の書類を選び取って、ペンとともに俺に渡した。
「それに書いてあることを記入しろ。字は書けるよな?」
「はい」
さっと紙面に目をとおすと、名前や出身地、職業などの欄がある。ちなみに、字は夢を見ていた時に覚えていたのと同じものだった。
とりあえず名前はハルトと記入したが、出身地はどうしようか。
少し考え、夢の時に住んでいた街を書くことに決めた。あそこならまだ覚えているし、質問されても答えられる。
職業は無し。まだ子供だし、問題無いはずだ。
次は戦闘スタイルと書かれているが、これは前衛後衛とかそういうことなのだろう。今は何もできないが、どちらかといえば前衛の方がいい。
最後は使用武器のようだ。よく分からないから剣と書いておく。
そこまで書いてサラさんに紙を返すと、また考え込むような顔をした。やっぱりあれだろうか。出身地が遠いとか、そういうことなのか。
「よし。記入漏れはないな。そろそろ準備もできた頃だろう。行くぞ」
結局その場では何も言及されることはなく、執務室から連れ出された。今度は、階段を上って二階に行く。
そこで待っていたのは、グレイウルフを魔法で倒していた魔法使いだった。