依頼
サラさんがグラードに来た翌日、俺は一人で街を出てクエストに向かっていた。
本当はサラさんと二人で行くはずだったのだが、俺と朝食を食べたすぐ後に急な呼び出しがあり、行けなくなってしまったのだ。
サラさんは謝ってくれた。俺だって、急な仕事なのだからどうしようもないのは分かっている。咎めるわけがなかった。
しかし、サラさんがいないからと言って一日暇になってしまうのもよくない。かといって他に一緒に行く人もいるわけでもなく、諦めて一人でゴブリン退治の依頼を受けた。この依頼はいつでも受けられるものらしく、討伐したゴブリンの数に応じて報酬が出るという。
出発の準備をしていると、サンソンが声をかけてくれた。
決して緊張していたわけではないが、サンソンと話したおかげで適度に力が抜けて気持ちが軽くなった気がする。
そのことでお礼を言うと、サンソンは、まぁ気にするな、と笑った。せっかくなのでもう一度、ありがとうございます、と言っておいた。
今日向かう場所は、グラードの西の森である。受付の人の話では、浅いところまでなら弱い魔獣しか出ることはないという。グレイウルフに、ゴブリン、強くてもオークぐらいらしい。エルンにいた時にオークまでなら倒している。多分大丈夫だろう。
それ以外に、薬草も取れるらしい。余裕があったら取ってこようと思う。
西の森までは歩きだと結構かかるようだ。地球にいた頃なら絶対に歩かない距離ではあるが、今は歩くのにも慣れている。まだまだ許容範囲の距離だ。
朝も早いうちに門を出て、西へと向かう。
街を出たのは実に二週間ぶりのことである。
外へ一歩出ると、強い風が足元を吹き抜ける。中とは違う空気が流れ、辺りには静寂が広がっている。しばらくは平地が広がっていて、見晴らしがいい。
遠くに他のパーティーの人たちが見える。きっと目的地は同じだ。
道のりの半分くらいを進むと、次は草原へと入り込むことになった。しかし、膝下くらいまである草がある中、長い一本道が通っている。
きっと、何度も何度も人が通るうちに道ができたんだろう。人が通れば道ができる、とはよく言ったものだ。
辺り一面緑の中に地面の赤茶色が一筋通っている光景は、見ているだけでなんだか不思議な気分になる。まるで、絵画の中に入り込んでしまったように。
そういえば、この世界に来てから、自然に人の手が加わっている風景はあまり見なかった。目にしたのは、放置された森や、雑草が生え放題の平地ばかり。エルンでは特にそうだった。
この光景は、人工的という描写には到底そぐわないだろうが、それでもこの世界では充分に人工的な部類に入るのではないだろうか。
緑の中の道はきちんと踏み固められていて、意外にも歩きやすかった。
そのまま歩いていると、森が見えてくる。
西の森は、聞いていたのとは違って意外にも威圧感があり、大きく広がっているように感じる。しかし、暗い印象は感じられず、恐怖心を抱くことはなかった。
前に見えていたパーティーはすでに森に入ったようで、もう見えなくなっていた。
森にゆっくりと足を踏み入れる。周囲に気を配りながら慎重に歩くと、鳥のさえずりや、自分が落ち葉を踏む音が聞こえる。上からは木漏れ日が差し、光量は充分だ。草原から続く道はまだ続いている。
しばらく森を進むと、道が三つに分かれているところに着いた。少しその先を覗いただけでは、先がどうなっているのかまったく分からない。少し悩んだ結果、真ん中の道を進むことに決めた。理由は特にない。
さらにそのまま歩くと、とうとう道が消えている場所に出た。一度そこで止まって辺りを確認すると、先には今までと同じような森が待っているのが分かる。木の様子や、草の見た目も変わらない。太陽の差し方さえ、同じに見える。
なぜここで道が消えているのか。そんな些細な疑問がふっと頭をよぎる。何も変化がないなら、どうして道は続かないのか。本当は、ここが何かの分岐点なのではないか。
考えても当然答えは分からない。もやもやしたものが頭の中を掻き回し、消えずに残った。
とりあえず先に進むことに決め、休憩のために近くの木にもたれて座る。歩き疲れていたのもあって、タイミングが良い。ふと上を見ると、まだ日は高い。
少し早いが、昼食のパンを食べることにした。森から出るのはもう少し後になりそうだ。
食べながら、道の消えたその先をじっと見つめる。やはり、何度見ても変わったところはない。時折、ガサガサっという音は聞こえる。動物か魔獣かは分からないが、何かがいるようだ。しかし、パンを食べ終えるまで目で捉えることはできなかった。
持ってきていたパンを少し残して食事を終え、軽く手を払って立ち上がる。一度全身を伸ばすと、思わず欠伸が出た。
そこからは、今まで以上に慎重に進む。とは言っても、歩くスピードはそれほど変わらず、周囲への警戒が入念になっただけだ。
近くの木の根元に、ギルドで売却可能な薬草を見つけた。怪我の時に使えるため、自分で持っていてもいい。
薬草は一度見つけると、その後はたて続けに見つかった。たいして進まないうちに十分な量が集まり、それからは見ても放置することになった。
小川が流れているのを見つけた。水は綺麗な透明で、川底の藻まではっきりと見ることができた。残念ながら、魚は見当たらない。
小川をジャンプして飛び越えてから、少し考え、流れに沿って進むことにした。川沿いを行けば、この川を水場にしている魔獣がいるはずだと考えたのだ。短絡的かもしれないが、他に進むあてがあるわけでもないし、良い考えに思えた。
小川の流れは速くない。手を入れれば、程よい冷たさが気持ちいい。軽く口に含むと、飲料水と何ら変わらない味がする。ほのかに甘い。
川沿いを進むうちに、だんだんと川の流れが大きくなり、ジャンプするだけでは渡れない川幅になった。相変わらず水は澄んでいて、今度は魚を見つけることができた。
そして、流れが大きく曲がっているところに差し掛かると、急に木々が開けて空き地のようになっている空間にたどり着いた。多分この空き地は川の流れによるものだろう。
空き地に入る前に、一度木陰から様子を伺う。たいした広さではなくとも、一度出てしまえば隠れるところはない。様子見はしっかりとしなければ。
……しばらくそのまま見ていたが、異常はない。大丈夫だ。
そう思って、一歩踏み出そうとすると、向かいの茂みから急にガサガサと音がした。
体が勝手に反応し、咄嗟に木の裏に隠れる、しばし待つ。
茂みの音が消えたのを確認してから様子を見てみると、二足歩行で移動する魔獣がいるのが分かった。
あれは、ゴブリンだ。それも二体。場所は川の近くだ。
どうやら、水を汲みに来たようで、側に樽が二つ転がっている。
二体は水汲みに集中しており、注意が背後に向いていない。
今しかない。依頼を達成するチャンスが目の前に転がっている。
せっかくの機会だ。そう思った俺は、背中に背負った弓を手に取る。そのまま、箙から矢を抜き取り、構える。実は、弓は半年前から地道に練習してきている。飛び道具としては、まだ魔法よりはいい。
音を立てないように慎重に狙いを定める。矢を引き絞り、肩の力を抜く。軽く目を閉じ、息遣いを整える。
目を開けて息を止めた。そして、手を離せば、ヒュン、と小気味良い音がする。俺の手から放物線を描いて飛んでいった矢は、一体のゴブリンの首を貫いたように見えた。
矢が当たったゴブリンは地面に倒れこみ、少しもがいた後、動かなくなった。
俺は思わず拳を握り締めた。初めて実戦で使って上手くいくとは思わなかった。しかも一撃だ。これは、いわゆるビギナーズラックというやつだろうか。
残された一体は、水汲みをやめ、振り返って腰の小斧を手に持った。周囲をキョロキョロ見ている。
まだ俺の居場所はバレていない。
しかし、今の状態でもう一度弓を撃てば、さすがに分かるはずだ。それに、俺だって動く標的にもう一度当てる自信はない。
弓を背中に戻す。もちろん、音を立てないように、だ。
ゴブリンは川を背にして、武器を構えている。俺との距離は二十メートルほどだろうか。気付かれずに斬りかかるには少し遠い。走ったとしてもすぐに分かってしまう。
しかし、走って近づく以外に方法はない。ゴブリンに気付かれた時に弓を持っているよりも剣を持っていた方がましだろう。
心の中で気合いを入れ、走る準備をする。まだ剣は抜かない。
そして、ゴブリンが反対を向いた瞬間、俺は飛び出し、一直線に走り出す。
足音にゴブリンが気付いた。振り返って俺を見つけると、奇声を上げる。
斧が太陽に反射してキラリと光った。意外にも切れ味はいいのかもしれない。
あと五メートルほどになったところで、剣を抜く。リーチはこっちが有利だ。
あと二メートル。剣を下段に構えつつ走る。
剣が届く範囲に入った瞬間、下から斧を弾くように剣を振るう。斧は硬く、手にも硬い感触が残るが、狙い通りゴブリンの手からは離れた。
振り上げた剣を今度は水平に振って首を狙う。しかし、ゴブリンはかがんでそれを躱し、俺に背を向けて斧を拾いに走る。
俺もそれを追撃し、ゴブリンが斧を手にした瞬間、背後から剣を突き刺した。そのまま剣を右に抜く。
ゴブリンは奇声とともに、ドサリ、と倒れた。
二体目も倒すことができた。
そのまましばらくは気持ちが高揚し、嬉しい気分に浸った。
一体目から矢を回収した。やはり、きれいに首を貫通している。運が良かった、と胸を撫で下ろす。
剣は布で拭い、鞘に収めて、先ほどの木陰に戻る。
これで一応依頼を達成した。数に制限はないのだから、二体でも十分だ。
ちなみに、魔獣を討伐する依頼に関しては、魔獣から何かを切り取ったりする必要はない。倒した魔獣の数はギルドカードに記録され、それが証拠になる。
素材を集める依頼なら、きれいに剥ぎ取らなくてはならないが。
とりあえず、目的は達成した。少し早いが、もう帰ってもいいぐらいの時間である。
そう考えて、川沿いを戻ろうとすると、また反対側からガサガサと音がする。
さっきと同じように体を潜めて様子を確認すると、今度もゴブリンが現れた。しかも、今回は四体だ。
四体はさすがに厳しい。もし、弓が当たっても三体は残る。俺一人で倒すのは無理だろう。
新しく来たゴブリンたちは、俺が倒したゴブリンを見て話し合っているように見える。どうやら、水汲みに行っていた二体が帰ってこないために様子を見に来たようだ。
一体のゴブリンが死体を指差して何か言っている。そいつはリーダー格だったようで、その言葉を聞いた三体が周囲を調べ始めた。
これ以上長居しても意味はなさそうだ。むしろ、見つかってしまったら厳しい状況に置かれることになる。
俺は、極力音を立てないように川沿いに向かった。静かに、静かに、と自分に言い聞かせ、焦らずゆっくりと移動する。
そうして、少しゴブリンから離れた頃、正面から物音が聞こえた。まだ距離は遠いが、どんどん近づいてくる。何かが走っている音のようだ。それも、一つではない。
俺は一度動きを止め、身を屈めて茂みに隠れる。汗がブワッと噴き出してくる。心臓は早鐘のように鳴り響く。
物音はさらに近くなり、そろそろ正体が見えてくるぐらいになった。
唾をゴクリと呑み、視線を正面に集中する。額の汗が止まらない。
そして、正面の茂みから出てきたのは、オークの群れだった。




