再会
リンと初めて会った日から早くも二週間が過ぎた。
あっという間の二週間の間に、グラードでの生活にもすっかり馴染んだ。あれ以来リンには会っていないが、知り合いも増え、保育園のバイトにも慣れた。訓練所の管理人とも言葉を交わすようになり、ギルドの受け付けの人には、まだ依頼を受けないのか、とからかわれるようになった。
本当に、いつの間にか、という感じで周囲と溶け込んでいくのは、嬉しいと同時に少し寂しい。
グラードでの生活に慣れると、その分だけエルンで過ごした日々が体から消えてしまう、そんな気がするのだ。
自分でも我が儘だと思う。グラードで孤独な日々を過ごすことを選ぶこともできたのに、そうはしないで昔のことを懐かしんでいる。過去を追い求めることはできないことなんて分かっているのだが。
今日は、グラードに来てから一区切りがつく日だ。保育園のバイトが終わり、訓練所に行くことも少なくなる。
きっと後になれば、この二週間のことも懐かしんで羨むのだろう。エルンでの日々と同じように。
街に正午を告げる鐘が響く。保育園にいる俺にもその音は届いた。
これでとりあえず仕事は終わりだ。子供たちには明日から来ないことはもう伝えてある。寂しがる子はいたけれど、また来るからと言ってなんとかなだめた。
「ユキさん、今までありがとうございました」
ユキさんにお礼を言いに行くと、ユキさんはエプロンをして料理をしていた。
「こちらこそ助かったわ。急な話を受けてくれて本当にありがとう」
「僕なんかが役に立てたならよかったです」
ユキさんはいつものようにふふふ、と笑う。その顔はルーさんに少し似ている気がした。
「ハルト君、今日ぐらいは昼ご飯食べていかない?」
「……はい。ありがたくいただきます」
「よかった。ここで断られたら私のことが嫌いなのかと思うところだったのよ?」
ユキさんは少し意地悪そうに笑う。この顔はサラさんに似ている気がする。
「そんなことはないですよ。迷惑をかけたくないだけですから」
「……そう。まぁいいわ。準備手伝ってくれる?」
「はい」
昼ご飯の準備をしにいくと、そこにはもう子供達の多くがいた。配膳の合間には「今日は一緒に食べるの?」と何度も聞かれ、その度にうん、と答えた。その時の子供達の笑顔はとてと印象的だった。
そのまま昼を保育園で食べ、丁重にお礼を言ってユキさんとは別れた。そこからはいつも通りに訓練所へと向かう。今日は何をするんだろうか。
訓練所へ着くと、いつもよりも人が多くて活気があるようだ。不思議に思って、入り口にいる管理人さんに、何かあったのかと尋ねると、行けば分かりますよ、と楽しそうに答えてくれた。
それ以上は聞かずに、静かに通路を通って訓練所の様子を覗き見すれば、別段いつもと変わらない光景が目に映る。確かにいつもより人が多く、賑やかではあるが、増えた人たちは現役の冒険者で、普段は訓練所に来ないような人たちだ。
きっと、どこかの団体が大規模な演習でもしているんだろう。
そう思って、なんだか期待外れのような安心したような気分でいると、不意に肩を軽く叩かれる。
なんだ、と思って振り向いたが、そこには誰もいないし、何もない。
勘違いかと思っていると、また肩を叩かれる。
もう一度、今度は素早く振り向けば、通路の暗がりに誰かがいるのが分かった。
暗闇に長い銀髪がキラリと光る。
これは、リン……ではない。人影の背は結構高い。シルエットは分かっても、顔が見えない。
「……よう、久しぶりだな」
人影が喋る。声を聞いた瞬間、すぐに思い出した。
よく見れば、見覚えのあるシルエットに、懐かしい悪戯。そうだったのか、いや、しかしどうして。
人影は通路から出てこっちに近づいてくる。
「そうですね。お久しぶりです」
「あんまり久しぶりすぎて忘れられたのかと思ったぞ」
「……すいません。暗くてよく見えなかったので」
「ハルトなら手の感触だけで分かると思ったが無理だったか」
「それだと僕が変態みたいじゃないですか」
「……違うのか?」
「違いますよっ!」
「……変わらないな、ハルト」
「まだ一ヶ月しか経ってないですからね、サラさん」
サラさんは、俺の目の前に立った。今日は帯剣しておらず、軽装に眼帯という格好だ。髪も結ばず、下ろしている。
「サラさん、いつからここに? というかどうして?」
俺の質問にサラさんは笑って答える。
「着いたのはついさっきだ。お前に会いに来た……と言いたいところだが、仕事でな。詳しくは言えないが、ギルドの会議に出なければいけないんだ」
「……急に来るから驚いたじゃないですか。先に言ってくれればよかったのに」
「なんだ、教えてほしかったのか? いや、私に会えなくて恋しかったんだな。それはすまなかった」
サラさんは、俺のなんとも言えない顔を見て肩をすくめる。
「……ええ。会いたかったですよ。さっきのでその感動も吹き飛びましたけど」
「……珍しく素直だな」
「たまにはいいですよね?」
「……ああ。悪くない」
サラさんは俺の肩に手を置く。まるで、自分の手の感覚を覚えろ、とでも言うように。
「サラさんはどうして訓練所に?」
「今ちょうど暇でな。受け付けの奴が今の時間はここにいるって言ってたから来ただけだ」
サラさんは肩から手を離した。そして、その手をポケットに入れ、何かの紙を取り出して俺に渡した。
「ローズからの手紙だ。大したことは書いてないと思うが、ちゃんと読むんだぞ」
「え、ローズさんからですか!? やったぁ!」
「……なんか私とローズでは差があるような気がするんだが」
「……そんなことないですよ。気のせいですよ」
いつもイジられているんだから、これぐらいはいいだろう。
手紙をどこかにしまおうかと思ったが、これから体を動かすのだから、ボロボロになってしまう。そうして、あたふたしていると、サラさんが「ギルドに一度戻ればいい」と言うので、大人しく従うことにした。
サラさんも付いてきてくれて、ギルドに向かって歩きながら喋っていると、向こうから歩いてきたリンと偶然会った。
「こんにちは、リンさん」
「あ……えっと、ひ、久しぶりじゃない」
「「……」」
俺が挨拶すると、リンは気まずそうに返した。二週間ぶりに会ったのもあって、何を話していいか分からなくて少し沈黙が流れる。
その微妙な空気を、サラさんが吹き飛ばす。
「……あれ、リン?」
「……? …!… えぇっ!? ……もしかしなくてもサラなの?」
リンはサラさんを見てかなり驚いている。サラさんはそれを見て少し嬉しそうだ。
「ああ、そうだ。ちゃんと覚えててくれたのか。……懐かしいなぁ。リンもすっかり大きくなった」
「忘れるわけないじゃない。それと、そうやってまた子供扱いするの? 私もう十四歳なんだけど」
「もうそんな歳か。……身長小さいからハルトと同じくらいかと思ったじゃないか」
「……そういうところは本当に変わらないわね」
「そうかな。外見はともかく、内面は変わったと思っていたが」
「大丈夫よ、多分変わってないから」
二人が話している間、俺は完全に蚊帳の外である。しかし、リンとサラさんが知り合いだなんて世間は狭いな。
「……それはそうと、リンはどうしてハルトのことを知ってるんだ? こいつはまだグラードに来てから日が浅いはずだが」
「……いろいろあったの」
「それぐらい教えてくれてもいいだろ」
「……簡潔に言えば、姉さんの店に来たところを、ギフトで、……その」
リンが口ごもるが、サラさんも分かっているようで言葉を紡ぐ。
「気絶させた、と」
「……うん。で、でも、ちゃんと謝ったんだから!」
「へぇ?」
「……謝って、許してもらったの」
「あのリンが謝る、ねえ。珍しいこともあるもんだ」
「……もうその話はいいでしょ! ハルトも、なんか言いなさいよ!」
リンは、サラさんから俺の方に向き直る。さっきまで気まずい雰囲気だったのをすっかり忘れているようだ。
「……ちゃんと謝ってもらいましたから、僕も全然気にしてませんよ」
「ほう。そうなのか、ハルト」
「ええ。大分時間がかかりましたけど」
「っ……! ちょっと! もうその話はやめて!」
それから、サラさんがもう少しからかったり、リンが怒ったりして、楽しく過ごしたのだが、少しして、ギルドに行くのを忘れていたことを思い出す。
二人に、ギルドに行ってくる、と伝えると、その場で待っているから早く戻ってこい、とサラさんが言ってくれた。
戻ってきた後どうするのかは気になったが、とりあえずギルドに行って手紙を置いてきた。今すぐにでも読みたいのを我慢して、二人の元に戻る。
二人のところに到着すると、サラさんとリンはなんだか真面目な雰囲気で話している様子で、邪魔しないように物陰に隠れた。あんまり遅くなるのも不自然なので、頃合いを計って、戻った。その時には、もうすっかり元通りの二人だった。
その後、皆でルーさんのうどん屋へ行く。サラさんは、グラードに来たら必ず行くらしい。道中、サラさんにどうしてリンと知り合いなのかを尋ねると、同郷なんだ、と教えてくれた。リンが小さい時に、里帰りしたサラさんが相手をしていた、という。
当時のリンの様子を聞こうとしたが、リンがあからさまに妨害してきたり話題を変えようとしたので無理だった。サラさんは、また今度な、と笑った。
うどん屋に着いてからも、楽しい時間を過ごした。営業時間外に着いたので、準備をしながらルーさんと話し、リンとも多少打ち解けることができた。
サラさんはルーさんと時折深刻な表情で話していたが、概ね笑っていた。
自分にはその話はしてくれないのか、と思うと寂しい気持ちが生まれてくる。付き合いが浅いからなのか実力が足りないからなのか、はたまた素性が知れないからなのか。どちらにせよ、待つしかないのは変わらない。
そして、ルーさんにはうどんをご馳走してもらい、客が増えてきた頃、俺とサラさんはうどん屋を出た。リンが寂しそうにしていたのが新鮮だったせいか、またニヤニヤしていたらしい。
サラさんはギルドに泊まるらしく、一緒にギルドまで行く。ユキさんの話をすると、サラさんは嬉しそうにしていた。どうやら、ユキさんのことも知っているらしい。
ギルドに戻って、サラさんと別れてから、部屋に戻った。
いつものように勉強し、寝る準備をしてから手紙を手に取って読む。
ローズさんの手紙には、自分も行きたかった、とか、俺のことが心配だ、とかそんな内容のことが書いてあった。
読んでいる間は、ローズさんの声が耳に蘇り、姿が目の前に現れるような気がして、何度も読み返した。
返事を今すぐに書こうと思ったが、ちょうど良い紙がない。ついでに、羽ペンとインクもない。また明日にしようと、諦める。
その日の夜は、何を書こうか考えながら幸せな気持ちで布団に入った。
サラさんの真面目な話のことは、すでにすっかり忘れていた。




