新生活
ゴーンゴーンと、街にいつものように鐘の音が響く。気付けばもう正午だ。
この鐘が鳴れば今日の俺の仕事は終わり。ここに来るのはまた明日になる。
「そろそろね」
「はい。お疲れ様です」
「今日もありがとう」
「お兄ちゃん、もう行っちゃうの?」
「……うん。ごめんな。また明日会えるから」
「うん! 約束だよ?」
「約束するよ」
リンとギルドの前で話してから数日の間は、落ち着かない日が続いた。どこにいても、リンのことで話しかけられ、質問され、たまに冒険者にパーティーに勧誘される。その勧誘だって、俺ではなくてリンを狙っているのが明白なので断らざるをえない。
俺の予想以上にリンという存在は大きいようで驚きを隠せない。なぜそこまで、と思うが、リンは実力は申し分なく、どこのパーティーにも所属しておらず、なおかつ美少女という願っても無い素材だ。ある意味必然なのかもしれない。
そんな忙しない日々と引き換えに、何人も顔見知りができた。朝、ギルドで会えば一緒にご飯を食べ、街ですれ違えば声をかける程度のものだが、一人ぼっちよりは随分とましである。そのうち、自分の身の丈に合ったパーティーにも入りたいのだが、それはまだ先になりそうだ。
昨日から、俺は保育園のようなところにバイトに行っている。冒険者とかその他の、子供に構えない職業の人たちの子供を預かっているのだ。だいたい三歳から十歳までぐらいが対象らしく、今の俺よりも小さい子ばかり。
保育園のバイトは向こうから話があり、『リンと話せるぐらいなら子供でもいけるだろう』というなんとも不思議な理由のオファーが来た。少し悩んだが、二週間程の短期のバイトなので俺も気軽に引き受けることにした。
実際やってみると、小さな子供を相手にするのは大変で、それも複数となると目が回るような気分になる。まだ二日目なので全然慣れないが、子供はもともと好きだし、自分では楽しいと感じている。
保育園は、本来、オーナーであり俺を指名したユキさんと、その弟のアルンさんで切り盛りしているらしい。今はアルンさんがグラードから出ているため、俺を雇ったという。
ちなみに、ユキさんはリンと面識があるらしく、リンが話せる人なら問題ないだろう、と即決したらしい。世の中は不思議なものだ。
「ハルト君、昼ご飯は食べていく?」
俺がギルドに戻ろうとしていると、ユキさんが声をかけてくれる。
ユキさんはまだ二十代後半ぐらいの歳で、もうすでに結婚しているらしい。子供が二人いて、二人とも保育園で一緒に育てているのだとか。
「いえ、ギルドで食べようと思ってます」
「あら、ここよりもギルドの方が美味しいかしら」
「あ……いや、そういうことではないんですが」
「ふふ、冗談よ冗談。気にしなくていいから。それじゃ、明日もよろしく」
「はい。こちらこそお願いします。じゃあ、失礼します」
楽しそうに笑うユキさんに挨拶して、子供達からの「じゃあねー」という声に手を振った。
保育園からギルドに向かう途中は、お昼時ということもあっていい匂いが漂っている。自分もまだ昼を食べてないので、誘惑に抗うのは辛い。こんなことならユキさんに食べさせてもらえばよかったと早くも後悔する。
ギルドに着くまで我慢しようか悩んだが、お腹が大きな音を立てたため、諦めてどこかで食べることにした。結局、近くの定食屋でパンと肉の炒め物にスープの定食を食べた。パンは自家製らしく、柔らかった。
そして、昼ごはんを終えてからギルドに着いた。
実はまだグラードで依頼を受けたことはなく、内心ではギルドというよりは宿屋という感覚だ。早目に次の宿を探すようにアドバイスされたけれど、さすがにまだ早すぎる。
一度部屋に戻って着替え、ギルドの訓練所に向かう。ギルドから少し離れた所にある訓練所は、エルンよりは狭いが、人もエルンほど多くはない。
というのも、この街の冒険者はすでに依頼をどんどん受けている人が多く、日がな一日訓練所にいる冒険者なんていないのだ。
この訓練所にいる人は、まだエルンで訓練を受けるほど大きくなかったり家庭の事情などでグラードから離れられない人がほとんど。その他は、冒険者が調整に来ていたりとかギルドの職員が監督に来ているくらいだろうか。
訓練所に入ると、急に雰囲気が変わる。独特の緊張感が漂っているのが分かる。あちこちで剣の打突音や、気合の声が響く。
今日でここに来るのは二回目だ。昨日初めて来た時は、入りにくかったのだが、エルンと似ていると思うと自然とそんな気持ちも薄れた。
昨日、訓練所に来たのはサンソンという冒険者に誘われたからである。サンソンはまだ二十代前半の男で、ギルドの職員も兼任し、主に若い冒険者の指導をしている。それで、新しくグラードに来た幼い俺を訓練に誘ってくれたようだ。
とりあえず、保育園のバイトが終わるまでは面倒を見てくれるらしい。
昨日と変わらず今日もサンソンは訓練所にいて、俺が挨拶すると手を上げて返事をしてくれる。
「こんにちは」
「ようハルト。ちょうどいいところに来たな」
「?? サンソン、今日は何をするんですか?」
「今日はな、ちょっとした試合をしてみようと思う。後で説明するから、先に体動かしてな」
サンソンに言われてから準備運動をして、軽く素振りをする。ステップを交えて体全体を使った。
試合、と聞くとどうしても体に力が入ってしまう。意味があるかどうかは知らないが、ストレッチもしっかりとしておいた。
それから少しして、サンソンが皆を呼んだ。その声に反応して木剣を持った子供たちがぞろぞろと集まってくる。
今日は、十人いるところを、五人一組に分けてその中で総当たり戦で試合をするようだ。そして、最後にグループの一位同士で決勝戦をやる。皆の年はそれほど変わらず、むしろ俺の方が歳下となる。多少は不利なのかもしれないが、半年間の訓練を考慮すると、だいたい互角になるとサンソンは言う。
実際やってみると、俺は思いの外強く、三勝一敗で同率一位だった。直接対決の結果で、暫定二位となり、決勝戦には進めなかったが、半年間の成果を再確認したような気がする。
エルンでは、リーさんとかローズさんには軽くあしらわれていたし、サラさんにいたっては動きが目で追えなかった。
あの人たちは相当強いんだ、と今になってようやく実感した。
訓練が終われば、もう空が赤くなりかける時間になっていた。そこからいつものように筋トレとか素振りをしていたら、夕陽がほとんど沈んでしまった。
気づけば人気はなくなっており、周りを見渡しても訓練所に残っている人は誰もいない。
少しの間ぼんやりと空を見た後、入り口にいる管理係の人に挨拶をしてギルドに向かった。
今日は帰り道もそれほど騒々しいということはなく、人通りも多くはない。リンと会った日は何かの記念日で祝日だったらしく、羽目を外す人が多かったようだ。ユキさんも、「年中あんなにうるさかったら、我慢できない」と言っていた。それもそうだ。
ギルドに着いてからそのまま夕食を食べ、部屋に戻る。部屋にいても特にやることもなく暇なので、ローズさんにもらった本を使って魔法の勉強をする。魔法の勉強といっても、実際に魔法を使うわけではなく、魔力に関する知識や呪文の構成などまだまだ基礎的なことが多い。
エルンではそんなに真面目に魔法を勉強する時間がなく、教えてもらった呪文を適当に唱えて、なんとなく魔法を使っていた。魔力は結構あるので、呪文が合っていさえすれば一応発動はするのたが、威力も弱いし、魔力の消費も大きい。簡単に言えば、無駄が多いということだ。
しかし、魔法に関して一通りの知識を身につければ、ある程度は無駄が無くなるものらしい。この先も魔法を使っていくなら必須であり、勉強が嫌いだからといってサボってはいられないのだ。
勉強を一時間もすると、一日の疲れが瞼に重くのしかかる。もういつ寝てもおかしくない状態になり、限界を迎える。なんとか後片付けだけして、ベットに倒れこむ。
寝転んでから少しだけ、先のことを考える。バイトが終わったら何の依頼を受けようか、とか次の宿はどこにしようか、とか。グラードでの基盤は固まりつつあるとはいえ、まだまだ未定のことが多いな、と思いつつ、意識は夢の中へ。
明日は晴れるといいな。




