うどん屋と姉妹
ルーさんが食堂を去ってから、手持ち無沙汰な俺はカウンター席から四人掛けのテーブルに席を移した。三人で話すならその方が都合がいい。
新しく座った椅子はほのかに冷たく、そして硬い。
そういえば、そろそろ夕飯の時間だ。ここで食べていってもいいのだが、街の探索もまだしなければならない。時間次第では他所に行くことに決める。そして、長引いた時のためにメニューにもう一度目を通すことにした。
それから程なくして、ルーさんとリンが二階から降りてきた。
リンはもうすっかり目覚めたようで、眠そうな素振りは見せずに普通に歩いてくる。銀髪はさっきまでのツインテールからストレートに変わっている。目つきは、すっかり鋭さを感じなくなっていた。
ルーさんは、お茶を持ってきてからリンと共に俺の対面に座る。一度リンにチラッと視線を送ると、気まずそうに逸らされた。
しばらくそのまま見ていたい誘惑に駆られたが、昼間の二の舞になりそうなのでやめておく。ルーさんはそんなリンを見てニコニコと笑っている。
ルーさんはそのままの表情で口火を切る。
「リンにはあなたのことも話したわ。ハルト君が聞きたいことも話していいそうよ」
唐突なその言葉に、思わずリンをもう一度見ると、今度は下を向いてしまった。リンは話さないのだろうか。
「……ありがとうございます」
「お礼を言うことじゃないのよ。むしろ、リンが謝るべきとなんだから。それで、ハルト君は何から聞きたい?」
「……僕を気絶させた魔法、なのかなんなのか分かりませんが、それからお願いします」
俺がそう言うと、リンがビクッと反応し、ルーさんはリンの太腿に手を当てる。リンは体に力を入れたようで、緊張しているのが見て取れる。
どうやら、大事なところ自分で話すことになっているらしい。本人の考えかどうかは分からないが。
「リン?」
ルーさんが一度声をかけると、リンは顔を上げる。相変わらず肩が力んでいるが、なんというか微笑ましい光景だ。
「……分かったわよ。それから、その、ニヤニヤするのはやめて」
「……はい」
「……単刀直入に言うわ。まず、ハルト、あなたを気絶させたのは魔法じゃない。あれは、生まれつきの特殊能力なの。……一応人数制限なく、半日ぐらい人間を気絶させることができる。でも、今の所は二人が精一杯よ。前に三人やったら自分も倒れたから。何か質問は?」
リンは、いざ話すとなると淀みない口調でしっかりと話した。またニヤニヤしていたらしく、視線は鋭くなったが、一度寝顔を見たせいか、すっかり怖さは無くなっていた。
話の内容は、なかなか興味深い。昔の記憶と照らし合わせると、〝ギフト〟とか呼ばれている能力の一つだと思う。
確か発現する確率は相当に低かったはずだが、その能力は単に身体能力が高かったり、こうして特殊なものだったり、幅広く、そして強力だ。
リンの能力は対人戦では無敵なのだろう。一対一では確実に勝てるのだから。
「……普通は半日なんですか?」
「……」
リンは無言で頷く。相変わらず視線は合わせてくれない。
「僕は割とすぐに目が覚めたんですけど、これは手加減とかしたんですか?」
「……それは自分でも分からないわ。私よりも小さい子にやったのは初めてだから、無意識に弱めたのかも。それか、もしかしたらだけど、あなたが特別効きにくい体質なのかもしれないわ」
リンは少し不思議そうに言葉を濁す。
「そうですか」
俺が少し考え込む素振りを見せると、すかさずルーさんが言う。
「それは、私もびっくりしたのよ。いつもは丸々半日かかるから、あなたが声をかけてきた時はさすがにビックリっていう感じかしら。一瞬、リンが声変わりしたのかと思っちゃったわ」
「……! 姉さん!」
「はいはい、冗談冗談。他には何かある?」
「いえ、特には。知りたいことは教えてもらったので、スッキリしました。もうそろそろ開店でしょうし、失礼しようかと思います」
そう言うと、ルーさんは少し残念そうに首を傾げる。
「あら、もう行くの? よかったら夕飯はご馳走するわよ?」
「……それも魅力的ではあるんですけど、少しぶらぶらしたい気分なんですよ。すみません」
「そう。忙しないのね」
「そうかもしれませんね。昼のうどんはとても美味しかったので、また来てもいいですか?」
「ふふ、お世辞でも嬉しいわ。ご馳走するからいつでもいらっしゃい」
「ありがとうございます。あの、一つだけいいですか?」
「何?」
「ギルドってどの方向にありますか?」
「……ふふ、店を出て左よ」
「ありがとうございます。では、また」
「ええ。またのお越しを」
ルーさんの優し気な言葉を背に受けながら、店の引き戸を開ける。リンが何か言っている気もするが、また怒られるのは勘弁だ。すぐに戸を閉める。
外気に体を晒せば、途端に賑やかな声や食べ物の匂いに包まれる。こういうところはエルンと変わらない。なんだか懐かしい気さえしてくる。
ルーさんの言葉に従って左に進む。それからはどうせよく分からないので適当に道を決める。きっと遠回りするだろうが、それでも構わない。一人というのは気楽だ。
少し経つと、すっかり人出が多くなって道も混雑してきている。屋台から客がはみ出ていたり、そこらの居酒屋がテーブルを外にも出したり、スペースも狭い。とても歩きやすいとは言えなかった。
実際、リンのことを考えながら歩いていたせいか、何度か人にぶつかりかけた。
しかし、この世界に来てから、こうした喧騒も苦手ではなくなってきているのも確かである。楽しむとまではいかないが、慣れてきているのかもしれない。
途中、鍛冶屋を見つけた。看板には金槌と剣が交差するように掲げられている。すっかり夜だというのにまだ明かりが灯っており、冒険者らしき人たちが頻繁に出入りしている。そのうち、もう一度来てみようと思う。とりあえず場所だけはしっかりと記憶に入れた。
それから何度か気になる露店を見つけた。焼鳥、揚げ物、焼きたてのパンなどは、ついつい目が吸い寄せられる。
ある店では、たこ焼きのような焼き物が売っていて、軽食にと一つ買って食べた。たこ焼きとは全く違う風味だったが、食べたことのない味がよく口に馴染んだ。
程よく歩いてから、少し落ち着いた静かな店を見つけ、夕食を食べる。メニューはパンとシチュー、それにジャガイモのフライ。味は十分美味しく、量も満足できるぐらいだ。軽食をつまんでおいた分があったため、割と満腹になった。
昼と比べると和の雰囲気は一欠片も無く、まさに両極端という感じになった。そういえば、日本にいた頃からそういうことは珍しくなかった。日本人の食は、かなり多国籍なのだ。
その店では特別珍しいこともなく、普通に食事を終えて外に出る。昼のようなトラブルがいつも起こっていたら身がもたないだろうが、何も起こらないのもつまらない。
外に出ればまた混雑に巻き込まれる。なんとか間をすり抜けながら見覚えのある建物を探し、いい加減疲れた頃、ようやくギルトを見つけた。
周りの雰囲気は未だに賑やかなままだが、俺はギルド、というか宿屋に入って早々に休むことに決めた。
そして、ギルドのドアを開けようと思って手を掛けると、なんと、俺の肩にも手が掛かった。いきなりのことに驚いて振り払うこともできず、文字通り固まってしまう。
そのまましばらく固まっていたが、手の主からのアクションはない。
そのままでは仕方ないので恐る恐る振り向くと、そこには見覚えのある銀髪の美少女、リンがいた。
「あの、どうも」
とりあえず、そのままの体勢で声をかける。さっき別れたばかりなのだから、何と言えばいいの分からない。
「……うん」
リンも返答に困ったらしく、微妙な返事をする。
「……何か僕に用ですか?」
「……うん」
リンは相変わらず目を合わせてくれない。しかし、言葉は返ってくる。
「えっと、何ですか?」
「……す、少しだけ待って。ほんとにちょっとでいいから」
「……はい」
少しとはどれぐらい? なんて野暮なことは聞けない、張り詰めた空気が流れる。
これは、さっき何もないのがつまらないなんて言ったからなのだろうか。いや、多分そんなことを言う前にリンは出発していたはずだ。
辺りに人集りとは言えないまでも四、五人ほどが集まり始めた。よく考えれば、ギルドの入り口を塞いでいるのだから、人に見てくださいと言わんばかりの行為である。
普通なら邪魔だとかどけとか言われそうなものだが、場の雰囲気に呑まれているのか、誰一人文句も言わずに静観している。
リンはその状態に気付いているのかいないのかは分からないが、下を向いたまま動かない。軽く肩を揺すったりもしてみたが、動き出す気配はなかった。
それからさらに人集りが倍になった頃だろうか。
いきなり、リンが肩から手を離した。続いてぎこちない、少し掠れた声で言う。
「……こっち向いて」
俺は大人しくリンの方に向き直る。改めてリンを見ると、両手をギュッと握りしめ、顔を仄かに赤らめている。
「……あ、あなたに言いたいことがあって」
「……え?」
「聞いてくれる?」
リンは顔を上げた。最初は視線が泳いだが、すぐに俺と目が合った。ようやく、という感じで少し感慨深い。
「……はい。どうぞ」
「……あの、さっきは、いきなりあんなことして、えと、その、ご……ご……」
リンが口ごもる。何が言いたいのかはなんとなく分かるが、先回りするのもよくないだろう。自分の意志で言おうとしているのだから、尊重しなくてはいけない。
「ご……?」
「ご、ごめ、……ごめん、なさい」
「……わざわざそのためにここまで?」
「……うん。姉さんが、謝るのは早い方がいいって」
「ルーさんが言ったから来たんですか?」
「……今謝りたいって私が思ったから」
「……ここまでしてくれてありがとうございます。僕はもう気にしてませんから。リンさんもそうしてください」
「怒ってない?」
「はい。最初から怒ってなんかいませんよ」
「本当に?」
「はい」
リンがほっとしたように表情を緩める。笑顔とまではいかなくとも力は抜けている。
「……ありがとう。でも、ニヤニヤするのはやめてよね」
「……すみません」
「……私、もう帰るから。じゃあ」
リンはそう言って俺に背を向けた。俺は、離れていくその手を掴む。柔らかい。……いや、そうじゃなくて。
「リンさん」
「何?」
リンが向き直る。自然と視線が交差する。
「また会ったら挨拶ぐらいはしてくださいよ」
「……考えとく。手、離して」
「急にすいません」
「……別にいいわ。さよなら」
「……さようなら」
俺が手を離すと、リンはもう一度反転し、そこで、ようやく周りを取り巻く群集に気が付いたようだ。人数は、いつのまにか三十人を超えている。
困ったように俺の方をチラッと見てきたが、俺にできることといえば、同じく困ったように肩を竦めることぐらいのものだった。
リンはそれを見ると諦めたように前を向いて、颯爽と歩き始める。その姿は凛々しく、何か吹っ切れたように見える。
その堂々とした姿のせいなのか、リンが歩く先では人集りが割れ、道ができていた。いい歳した大人達がザザッと道を空ける光景は見ていて爽快だ。
そして、リンはその全てを通り抜けると、おもむろに走り始め、すぐに視界から消えてしまった。
あまりにも鮮やかに消えたため、夢でも見ていたような気分になったのは俺だけではないはずだ。
そうなると、皆の注目は必然的に俺に集まる。視線が痛い。
俺は、誰かが何かを言い出す前に、ギルドに入って扉をそっと閉めた。




