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【休載】夕空に啼く烏  作者: マナ'
第一章 花枯れる意味を何と知るか
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第七節 「墜落(下)」 dissociative disorder

 気づくと、俺は不思議な感覚に包まれていた。確かに自分を自分だと認識しているというのに、体という感覚はまるで自分のものではなかっった。他人の身体に自分の意識が入れられたかのような異様な感覚。たとえば、今自分が歩いているというその情報(かんかく)はあるのだが、それは俺の意志ではないのだ。身体が勝手に動く。身体と意識との間に全くの統合性がない。

 身体は階段へと差し掛かった。一段、また一段とゆっくり上っていく。俺はそれに逆らうことはできない。ただ従うしかないのだ。この不可解な感覚にはいい加減、はきそうだった。しかし、身体はそれすらも許してくれない。階段をだいぶ上り、何回目かの踊り場。十階と屋上というプレートが目に入った。そして、そこにはなぜか大きな姿見の鏡があった。なぜそんなものがここにあるのかは分からない。身体はそれに怯えるようにすぐに顔を背けたが、一瞬だけ鏡に映ったその姿を俺は見逃さなかった。映っていたのは俺ではなく、少女の姿。しかも、その顔にはどこか見覚えがあった。どこかで会ったこと……いや、すくなくとも見たことはあるはずなのだが、どうしてもその顔の主を思い出すことができなかった。そうこうしている内に、少女は屋上へと続く扉の前に立っていた。

 いやな予感がした。紛れもない俺の予感。

 扉には当たり前のように鍵がかかっている。暗証番号式の電子錠らしい。暗証番号を入力しなければ開くはずはないのに、少女が自分にも聞こえないくらいの声で何かを呟くと、電子音が響き、なぜか解錠された。

 瞬間、俺自身の意識が薄れそうになる。統合性のなかった意識と身体との境界が曖昧になる。……は扉を開いた。



 目の前の視界が開ける。”私”はさらに前へ出た。一歩一歩前へ進み、フェンスの前まで行く。高いフェンスに囲まれたココはどこか監獄じみている。

 そして、そこから見える俯瞰の風景はあまりに遠すぎて、つかめない。こんなに広い世界に私は()るんだ、と当たり前のことを今更実感する。

 こんな広い広い世界の中、私の存在なんて、砂場にある砂粒のように小さく思えた。砂場の砂粒が多少無くなったところで、誰も気づかない。

 もっと先へ。

 でもフェンスがある。いやそんなもの関係ない。先へ行きたいんだ、私は。

 気づくと私の身体はフェンスの向こうのわずかなスペースにあった。

 空に近づくように。私の身体の力がどんどん抜けていく。

 遠くで地平線と空とが交錯している。あそこにはなにがあるのだろうか。あの場所まで行けるだろうか? いや、行ける。

 そう思った瞬間、私の視界は急速に――――


 違う。駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ――!

 身体の制御が効かない。思考の制御が働かない。意識が混沌としていて、”俺”と身体とが分からなくなる。”この行動”は俺のものじゃない。止めろ、止めろ! そんなこと、俺は望まない。墜ちるな、そこにはなにもない!

 いくら叫んだって、いくら身体に命令を送ったって、無駄な足掻きだった。身体はふわりと宙に舞った。

 直感的に身体から抜け出さないと危ないと思った。ココがなんなのか、これがなんなのかは分からない。ただ、脱出はしなければ大変なことになってしまう気がした。

 空を切る感覚。重力だけが、ただ身体を支配する。墜ちるだけ……? 落下。その感覚は……なんだ、これは。

 今感じているこれは少女の感覚そのものなのだと思う。だからこそ俺はその感覚を信じることができない。視覚上では落下しているのに、感覚だけが上昇している。それは――なんて――――

「や……めろ……」

 もう時間がない。後はたたきつけられるだけ。無様な人型と化すだけ。このまま”彼女”を死なせたくはなかった。しかしなにもできない。無力だ。


 ……、テレポイント。


 ダメもとの脳内詠唱(サイレントスペル)

 意識が急速に引きはがされる。

 ぐしゃりという音が最期に聞こえた気がした。


 †


 スイッチが切り替わるようにして意識が覚醒した。隆希は自分が倒れていることに気づき、起きあがる。顔を上げるとすぐそこにはスピカがいた。隆希はつい反射的に飛び退いた。

「お前……」

 隆希はスピカを睨んだ。しかし、スピカの表情を見て、隆希はハッとなった。彼女はもの寂しげな顔をしていたから。

「抜けられたんだ。よかったね」

 無感情な声。おおよそ、最初に会ったときのような無邪気さは微塵もなかった。

「さっきのは…………まさか、」

「うん。そうだよ。”一人目の子”。彼女の最期の瞬間。君にはその瞬間を体験してもらった。どうだった? ”気持ちよかった”でしょ?」

 隆希はその質問に答えるのをためらった。いつもなら怒りを露わにしていただろう。しかし、今はそうもいかなかった。墜落の瞬間、確かに感じていた。落下している身体に反して、上昇する感覚。相反する二つの情報。そこから得られる感覚。意識が飛んでしまいそうな――快感。

 あれが死への道程なのだとしたら、今まで死と思っていたものが全否定されるようだった。痛みや苦しみの延長線上に在ると思っていた死とは何だったのだろうか。

 スピカがどこからか小さな石を取り出した。サファイアのような青く透き通るような石。

「ボクは自分の知っていることを他人に見せてあげられる」

 暗闇の中、石は星光を反射し煌めいている。

「一人目、彼女は純粋だった。求めていたものがはっきりしていた。だからボクはすぐにに視せてあげられた」

 スピカは石を握りしめた。光が遮断される。

「キミも行こうよ。”向こう”はきっと素晴らしいよ」

 隆希は顔を俯かせた。

「さっきの……、さっきの空間はなんだったんだ? あれは、幻像か?」

「あれはね、幻想であって現実。星空の見せる過去の夢」

 スピカは星空を仰ぎ見た。そこにはさっきまでとは異なり、無数の星が爛々と輝いていた。

「ボクはね。星というものは時間そのものだと思ってるんだ。星の光っていうのは過去。時間をスリップできないボクたちの見ることのできる唯一の過去なんだよ。だから現実と星の光との間で、時間上の歪みができる。昔の人たちはそう考えて、ある魔法を編み出した。過去の疑似体験(プラエタリタ)。君があの空間で得た感覚はあの少女そのもののものであって、あの瞬間、君はあの少女自身だった。そのまま落として精神死させようとしたんだけど、失敗だったみたいだね。物理的に、の方がいいかな?」


 ……やっぱり、あれは現実。


「墜ちた人たちも、気持ちよかったと思うよ」

 スピカはそう言い目を伏せた。隆希も同じように、しかし空を見上げたまま目を瞑った。

 少女たちの死。それはあんなにも爽やかなものだった。彼女たちは苦しみを感じることなく死んでいったのだ。

 死ぬときに苦しみを感じないで死ぬことができれば、人間としては最高の死に方であると隆希は思った。

 しかし、それは。

「結局、お前が殺したことには間違いない」

 目を見開き、スピカを見る。怒りとか憎しみとか、そう言うたぐいの感情は自分でも驚くほど無かった。ただ、可哀想だと思ったのだ。ほかの誰でもない、アストライア・スピカのことが。

「それでいいのか?」

 隆希はすべてを吐き出した。

「君は何も分かっちゃいない。知らなくていいことはたくさん知っているのに、知らなくちゃいけないことはなにも知らないんだ。君は自分の知っていることを他人に教えてあげられるという。でも、そんなのよけいなお世話だ。知ろうともしていないことを教えてもらってもただの迷惑だ。そりゃあ、人間は最期には死に行き着く。それが理だ。だけど、死なんか知らなくていい。知らなくても生きていける。知らないから生きていける。君が今、何を思っているかは分からない。誰からかの命令でこんなことをしているのかもしれない。いや、そんなこと関係ない。結局は君がしたことなんだ。君はいったい何人の死を背負おうとしているんだ。君がやっていることはただの殺人だ。なぜそれが分からない――!?」

 スピカはそれで少しうろたえたようだった。どこか様子がおかしい。

 隆希はスピカに近寄り、肩に手をおいた。

「君は、まだ未来(さき)を見られる。いちいち過去なんか見る必要ない。君はまだ――知らなくちゃいけないんだ」

 隆希はただスピカに知ってもらいたいだけだった。世界にはいろいろなことがあることを。隆希にはスピカが本当は何も知らないと言うことを分かっていた。だからこそ、知ってもらいたかった。世界はもっと楽しいものだ、と。

「ボク……は……」

 スピカの肩が震えているのが分かる。彼女の視線は安定していない。明らかに何かがおかしい。

「おい、大丈夫か……」

 隆希がスピカの顔をのぞき込もうとした刹那、スピカの身体から激しい光が噴出した。

「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁああぁあぁ――――!」

 スピカの叫び声が響いた。同時に、スピカの周囲にいくつもの魔法陣が展開される。

「これは……」

 次々と展開される魔法陣にスピカ自身も戸惑っている。制御できていないのは明らかだった。

「まず……」

 逃げる間もなく、星光が爆ぜた。


 †


 ボクは他人と言うものを知らなかった。

 ある日気づくと、薄暗いじめじめしたところに一人でいた。何にも知らないから場所は気にならなかった。そこは部屋のようだった。部屋にはたくさんの食べ物があって、ボクはそれをひたすらに食べていきのびた。

 窓はない。ドアも堅くて開かない。ずっと開かない。暗い暗い世界の中で、ただ夢だけをたくさん見た。

 がんばってがんばってがんばって生きていたけど、どれくらいか時間が経って、ついに食べものが無くなった。ボクはどうしようもなくて、だんだんと弱っていき、ついにある日倒れてしまった。

 このままどうなるのかな、って、そんなことを考えていた。だって、死すらも知らなかったから。怖くはなかった。苦しみも苦しみじゃない。だんだんと意識が薄くなって……。

 ある日、開かなかったドアが唐突に開いた。

 光が射し込み、ボクを照らした。光なんてぜんぜん見たことがなかったからボクはその光をまともに見ていられなかった。

 扉を開けては行ってきたのはオトナたちだった。オトナたちは弱ったボクを抱き抱えて車に乗せてどこかへ連れて行った。

 明るい、キレイな場所。そこは『協会』と行う場所だった。そこでボクは初めて他人を知った。

 オトナたちはそこでボクにいろいろなことを教え始めた。マジュツとかシュウキョウとかいろいろ。何の意味があるのかは分からなかったけど、ひたすらに覚えた。だって、たくさん覚えるとみんながたくさん褒めてくれたから。それが嬉しかった。

 だいぶ経って、ボクは協会から別の施設へ移されることになった。『リバースカラー』という場所。そこのみんなはとてもおもしろくて、優しくて……分からないけど、たぶんこういうのを家族っていうんだとおもう。それからそこがボクの居場所になった。

 やっぱりよく分からないけれど、ボクはすごいらしい。マジュツを使うのが上手なんだって。ボクはマジュツを使って家族といろいろなことをした。お仕事を成功させるとやっぱりみんなが喜んでくれて、ボクも嬉しかったんだと思う。

 でも――なんだろう。何か違う気がする。ボクは何か違う。何が……?

 みんなはボクに優しくしてくれる。でもどこかぎこちなく思えてきちゃったんだ。

 考えたけど、それがなんでかはわからなかった。

 それから何年も勉強していろいろなことを知った。マジュツを使っていろいろなことを識った。


 そう、いろいろなことを――――


 †


「くっ。なんて魔力量だ」

 簡易の防御結界を再び展開しながら、隆希はただその光景を眺めることしかできなかった。スピカの周囲に展開されたのは光の壁。高速で回転しながら四方にさっきと同じ、いやそれ以上の大きさの星弾を放っている。弾幕の密度はさっきとは比にならない。

 攻撃反射などをしている余裕はなかった。

 ただ魔力の壁の厚さを増し、耐えることしかできない。

 スピカの方を見てみると、やはり状況が理解できていないようだった。彼女自身も分からないのに、ましてや隆希が分かるはずもない。ただ分かるのは、力が暴走しているということだけ。

 あの魔術は隆希の見る限りでは、個人が保有する魔力――オドを主に使う術式だ。いくらスピカが常人離れした魔力を持っていたとしても、底なしということはあり得ない。いつか必ず尽きる。魔力が尽きた人間はどうなるか……。

「くそっ」

 隆希は下唇をかんだ。

 スピカが人を殺したのは事実。しかし、ここでスピカが死んでしまうのは全く別問題だ。

 隆希は懐からあるものを取り出した。それはここにくる前に銀埜から受け取っていたもの。それは小刀だった。鞘から取り出し、構える。

大食らいの小刀(マナ・イーター)起動」

 隆希は前へと飛び出した。迫り来る弾丸を刃できりつける。星弾は刃が当たった瞬間に、刃に吸い込まれるようにして消えていく。しかしすべての攻撃を対処できるわけではない。残りは薄い魔力のヴェールで受け止めざるを得ず、ダメージは蓄積していく。だが気にしない。隆希は一気に駆け抜ける。

 スピカを取り囲む壁までの距離を詰める。

穿(つらぬ)け――――!」

 隆希はスピカを取り囲む光の壁に刃を突き立てた。次の瞬間、光の壁は音を立て崩れ落ちた。欠片は地面に当たると同時に蒸発するように霧散していく。

「止まった……か……?」

 見るとスピカはそこに倒れている。

「大丈夫か…………」

 様子を見ようとスピカに近づいたそのとき、何かに罅が入るような不吉な音を隆希は聞いた。隆希は空を見上げる。

「んな…………」

 疑似的に展開された星空に大きく亀裂が走っている。大食らいの小刀(マナ・イーター)が、暴走していた術式を解除したときに、同時にこの星海結界にも影響を与えたらしい。

「これは、まずいっ」

 空が音を立てて割れる。破片が地面に降り注ぐ。光の壁が解除されたときと同じように、破片はすぐに霧散してきていった。しかし、それだけでは終わらなかった。あたりに低い音が轟き、建物自体が振動している。結果は用意に予想がついた。

 屋上にも大きな亀裂が入る。建物全体が耐えかねたように、ゆっくりと崩れ落ちる。隆希は咄嗟にスピカを抱き抱えた。

「くっ……reflexio!」

 十数秒のうちにも図書館は完全に崩壊した。



 †


「貴様…………。なるほど、エテジアが負けるわけだ」

 シリウスは目の前に立つ少女を睨みつつそう言う。

「あなただって、その体偽物じゃない。道理で人間離れした動きができるわけね」

 文墨はシリウスの頭を蹴り飛ばす。しかし、その攻撃は意味のないものだった。彼の体をすり抜けて空振る。

幻想体(アポルト)を使うなんて、そんなに私が怖かった?」

 シリウスの体は実体ではなかったのだ。それはただの映像に過ぎなかった。ゆえに人間離れした動きができたのだった。

「怖い……か。たしかにそうかもしれん。近接線では私にも勝ち目はなかろう。なにせ貴様はこの私の動きについてきた。どうしても私に勝ち目はあるまい」

 そうね、と文墨は笑う。


 シリウスは内心、舌打ちをしていた。

 一番の障害はこいつかもしれないと。だからここで仕留めたかった。

 しかしそれはかなわない。

 幻想体を用い、人間には不可能な動きをしてもなお、生身の体で其れを超える動きをされた。

 この強さはおかしい…………。


「む…………? アストライアめ、やられたか」

「え……?」

 シリウスはゆっくりと立ち上がる。

「仕方あるまい。今回も敗北だ。貴様らは完全に障害とみなされた。次はないと思え」

「ちょっと、それどういう…………」

 セリフを言い終わらないうちに、シリウスは空間へと消えてゆく。

 同時に黒い空間に光が差し込んだ。




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