第三節 「離断」 Little magician
(修正済み)
調査を終えファストフード店から出たあと、帰り際に隆希は本屋によろうとした。これといった用事があるわけでもなかったのだが、多少の息抜きをかねて、また何か面白い本でもあれば買おうと思っていた。
隆希は玄恵と銀埜も誘ったのだが、二人とも断った。行く理由がないかららしい。
仕方なく一人きりで本屋に行くことにした隆希は、病院から徒歩十分ほどのところにある、小さな本屋に向かった。少し路地には行った場所にある本屋で、規模は小さい個人経営の書店なのだが、品揃えは悪くなく、店長のセンスがいいため面白い本が多数そろっている隆希お気に入りの店だ。
その書店のすぐ側まで来た隆希だったが、入り口を目の前にして入りあぐねていた。
「あー、なんなんだろうなあ、あれ」
隆希が書店にはいるのをためらわせている理由。
書店の入り口のそばに誰かが立っている。
腕っ節の強そうな外国人のおっさん。体格がよく、サングラスをかけ、あまつさえ黒ずくめだったりと、まるで洋画にでも登場してひと通り暴れていそうな風格だ。そのおっさんは本屋の入り口の前でどんと構えている。立ちはだかっていると言ったほうがいいかもしれない。
誰かと待ち合わせているのだろうか、とほんの少しだけポジティブに考えた隆希だったが、やはり違うらしい。
隆希はいやいやながらも確信した。
あのおっさんは明らかに自分に対して立ちはだかっている。濃い色のサングラスをかけていても、その向こうからの強い眼光に気圧されそうだ。
隆希は帰ろうという考えを自ら提案したが、どうも背中を向けると、おっさんが追いかけてきそうだったのでやめた。
全くいい迷惑だ、と内心嘆く。あんなごついおっさんに因縁を付けられるようなことをした覚えなど微塵もなかった。
結局、隆希は動くことができず、謎の大きなおっさんと見つめ合う――いやにらみ合う。
あんなおっさんが立ちはだかっているだけで十分おかしいのだが、おかしいところはまだほかにもあった。
隆希がさっきから見るに、あれだけ体格が大きく不審きわまりないおっさんがいるのに、道行く人も、本屋を出入りする人も全く気にする風がない。不自然すぎるほど自然におっさんの横を素通りしていく。逆に、ぼうっと突っ立っている隆希の方に奇異の目が向けられる始末。
図体だけ大きくて、影の薄い人とかでもなさそうだ。明らかにおかしい。
どうしたものか、と考え、隆希はついに決心した。
隆希は本屋の入り口に向かって前進していく。一歩、また一歩とおっさんに近づいて行く。進むごとにおっさんの大きさがより感じられる。
そしてとうとうおっさんの目の前まで来てしまった。
隆希は、ほかの出入りする客のごとく気づいてないふりをして、横を通り過ぎていく案を採用。
すたすたと何食わぬ顔でおっさんの横を通り過ぎ――――ようとして、しっかりと腕を掴まれて止められた。
予想はしていたが、やはりそうなってしまった。
ただ、隆希は腕を掴まれ違和感を覚えた。見た目はあれだけ筋肉質でごつごつしているのに、今腕を掴んでいる手は柔らかくて小さく、子供の手のような感触であった。しかし、抵抗しても意味のないほど力は強い
そんな矛盾に首を傾げながら、隆希はなすすべなくおっさんに引きずられていくのだった。
†
「あれ、っと。ねえ銀埜。リュウくんってさ、どこに行くって言ってたんだっけ」
「ん、ああ。なんか気分転換に本屋だってさ」
「あー、そうだったね。今から新作のお菓子作ろうと思ってたから隆希に味見してもらおうと思ってるんだけどな。仕方ないね。そうだ、銀埜はどう?」
「断る。俺はまだ死にたくないからな」
「それ、どういう意味よ。ふつうの料理なら反論できないけど、お菓子は得意なのよ」
「へえ、そう。信用できないな。あいつも案外、それを察して逃げてたんだろう」
「えー、なにそれ」
†
どさりと、隆希はおっさんに強引に公園のベンチに座らされた。ほとんど投げ捨てられるように。腰をしたたかに打った隆希は、腰を手でさすりながら、顔を上げる。
「ん……あれ……」
いない。ついさっきまでいたはずの、自分をこの場所まで引きずってきた張本人がどこにもいない。隆希はきょろきょろと辺りを見回してみたが、やはりいない。
かわりに目の前には、十歳くらいであろう女の子がにこやかな表情で立って隆希を見ていた。
中途半端に切られた短い銀色がかった髪。透き通るようにきれいなブルーの瞳。日本人でないことは容易にわかった。
突然現れた子供。あのおっさんはどこに行ったのだろうか。この子は何か知っているだろうか。
日本人でないので日本語が通じるかどうかはわからなかったが、隆希はこの子に聞いてみることにした。
「こんにちは、いや、ハローかな」
隆希のぎこちない台詞にその子はくすっと笑った。
「日本語で大丈夫だよ、お兄さん」
子供らしい、中性的で高いトーンの声。透き通るように心地よい声。
隆希は相手が日本語を話せることにほっとしていた。英語は、話せないことはないが、苦手だった。
隆希は気を取り直し問う。
「今、そこにでかいおっさんがいなかった?」
「んー、知らないよ?」
その子は首を傾げる。しかし、その顔には悪戯っぽい笑み。
「何か、知ってるよね」
声は優しく聞く。
「うん、ばれちゃった? お兄さんが見たのはこれでしょ?」
その子はいつの間にか、どこからか大きな黒い布のような物を取り出していた。小さい体のその前で、大きな布を闘牛士のようにくるりと翻す。
すると、目の前にあの大きなおっさんが現れた。これには隆希も驚いた。なにせ、何もない空間に突如として現れたのだから。
わずかに、人為的なマナの乱れを感じた。すなわち、魔術が使われたということ。
――魔術師? こんなに幼い子供が?
「君は……」
「ボクの名前はアストアイアス・スピカ。お兄さんの思うとおり、魔術師だよ」
アストライアスは長いから、スピカって呼んでね。
言った言葉を隆希は信じざるをえなかった。最初、本屋の前では感じなかったが、今は確かにマナの規則的な動きが感じられる。
スピカはおっさんの体をすり抜けて、隆希の目の前に立つ。おっさんの姿はどうやら実体のない幻想体らしい。
「どう? すごいでしょ、これ」
ぐいぐいと隆希のズボンを引っ張るスピカ。その仕草は子供そのものだ。
しかし、彼女は魔術師だ。
そこにあるはずのないものを創りだす、幻想投影術。
魔術というものは老若男女問わず、素質と知識さえあれば使えるものだ。もちろん、子供の魔術師もいる。第一、未成年という点で言えば隆希も子供である。ただ、隆希はこれほどまでに幼い魔術師がいることを知らなかった。しかも術の組み方は無駄がなく、マナとオドの使用も最低限に抑えられている。そう、いくら幼い少女とはいえ、魔術師は魔術師。隆希としてはあまり積極的に関わり合いになりたい存在ではない。
――この子は何のために俺のところに来たのだろう。
「なあ、なんで俺をいちいちおっさんの姿なんて使ってここまで連れてきたんだ?」
「別にー。ただ、魔術師さんがいるのを見つけて、おどかしちゃおうって思った!」
自分が魔術師であることはすでにバレているようだった。
彼女は子供らしい無邪気な表情で、悪びれる様子はなかった。
「……、そうか。まあ子供だし、楽しむのはいいんだけど、人をおどかすのはやめてくれ。心臓に悪い」
「はーい」
スピカは行儀よくうなずくと、再びマントを翻す。おっさんの幻は一瞬にして消えた。
「それじゃあ、ボクはもう行くよ。用事があるんだー」
用事があるのならおどかしてる暇なんかないだろう、と隆希は心のなかで毒づく。
「そうか……まあ二度とあんなことするなよ」
「はーい、たぶんね」
スピカはそのまま踵を返し、タッタっとリズムよく公園から去っていく。
ふと、隆希の耳に去り際のスピカの歌うような声が聞こえてきた。
”Why, people fall out?
No one knows the answer.”
かろうじて聞き取れた、それらの部分は、
”Why, the girl falls into sky?
Because she is longing for death.”
この上なく不快な内容だった。
「おい、待て! それどういうことだ!」
追いかけようと駆け出したときには、すでにあたりには誰もいなかった。
ただ、夏の日差しが強く隆希の顔に当たっていた。
†
消えた……ように思えた。しかし、そんなはずはない。人間は急に消えたりなどはしない。
隆希はスピカが姿晦まし術式を使ったのだと予想した。相手が消えても姿を晦ましているだけなら十二分に探しようはある。隆希とて、魔術師である。銀埜ほど感知能力に優れていないとはいえ、簡単な追跡ならできる。
目を閉じ、また聴覚を強制的に遮断し最高の集中環境を意図的に作り出す。隆希の脳裏に辺りに渦巻く魔力が映し出される。漠然とした感覚。様々な淡い色が混ざり合ったイメージ。ここからそう離れていない場所に、移動する強いオドの塊を見つけた。
すべてのものには魔力が宿る。特に人間に宿る魔力のことを魔術師は人為的魔力と呼ぶ。魔術師でない人間にもオドは宿るが、基本的にその量が少ない。隆希の感知能力では一般人のオドまで感知することは出来ない。そのため、いま隆希が捉えているオドは魔術師に相違なかった。
そのオドの塊は、東に向かって移動していた。隆希はこの付近の地図を思い出す。そちらの方向にあるのは……駅。
姿を晦ましての移動、逃げていることは明白だ。それは逃げるような事実があるということ。
隆希は集中をいったん解き、一直線に駆けだした。
走りながらでも、さっきのスピカの言葉が頭の中を支配している。スピカの言葉は、何か自分が受けた依頼に関係がある、そう確信していた。
なぜ、人は落ちていくのだろう?
誰もその答えは知らない
なぜ、少女は空に落ちたのだろう
それは、死にあこがれたから
ただ、関係あるとわかっていてもその意味までは分からなかった。
人。落ちる。空。死へのあこがれ。そこから連想できるのは、飛び降り自殺。それらと例の事件の関連性。それら、それぞれの関連性。
十分、全力で走ってようやく駅にたどり着いた。この東支丞駅は私鉄の駅で、この街に三つある駅の中で一番小さい。とはいえ、近くに団地があり、また少し離れてはいるが私立の高校もあるため、利用者は多い。今も多くの人が行き交っている。
しかし、その中にスピカの姿はない。まだ姿を隠しているのか、それとも別の場所へ行ってしまったのか。
走っている間は解除していた感知を、再び発動させる。
「…………いた!」
ちょうど、駅のホームの方に反応があった。スピカだ。やはり電車に乗るようだった。
隆希が感知を切ったとき、ホームに電車が入ってくるのが見えた。
「まずいっ」
隆希は全力疾走で疲れ切った体にむちを打ち、ホームまで走る。普段使っているICカードを使い速やかに改札を通り抜ける。隆希は閉まりかけていた電車の扉に滑り込むようにして、何とか電車に乗り込むことに成功した。
車掌の、駆け込み乗車はご遠慮くださいという言葉が聞こえてきた。
隆希が乗り込んだのは一番後ろの車両だった。駅周辺には人がいたようだったが、実際に電車に乗ってみると、そう人が多いわけではないらしい。隆希の乗った車両には十数人ほどがばらけて座っている。寝ていたり、音楽を聴いていたり、雑誌を読んでいたりと、誰もが自分のことにだけ集中していた。
隆希はあがった息を整えるためにほっと一息吐き、それからスピカを探すために感知をしようとした。
ふと、視界に幼い少女が映る。
車両と車両の間の結合部にスピカの姿があった。スピカは子供らしからぬ艶美な笑みを浮かべ、隆希の方を見ていた。
隆希は彼女の方を見つめ、それから一歩足を出した。車内で声を上げるわけにもいかない。しかし、無理に走ろうとすることもない。所詮車内は密室だ。次の駅までは停まらない。逃げ場はない。それに手荒なまねをすれば、悪ければ警察沙汰だ。強引なことをすれば、事情を知らない者から見ると、幼女を襲っている少年という最低な眼差しでしか見られないだろう。それだけは隆希も勘弁だった。
ゆっくりと近づき、隆希はスピカまで後数歩というところに迫った。
するとスピカはどこからか大きな鋏のようなものを取り出した。どこにしまっていたのか、それはスピカの背丈の半分ほどの大きさであった。
瞬間、比喩でもなんでもなく、隆希は空気がシンと凍りついたのを感じた。
スピカはその巨大な鋏を両手で持って、
「バイバイ」
断、と空間を切った。
刹那、隆希の乗っている車両の床に、壁に、天井に、そこら中に幾何学模様と文字とで構成された大小様々の魔法陣が現れた。
「な――――――ッ!」
変化はすぐに現れた。
あえて形容するのであれば、ずれた。隆希のいる車両と重なるようにして現れた影のようなそれは、前の車両との連結が切れ、幽体離脱でもするようにして元の車両とも引き剥がされた。影はその時点で動きを止めていた。ちょうどその場に縫い付けられてしまったかのように。もともと隆希のいた車両がはるか遠くに消え去っていく。
「空間断絶……だと……?」
そんなわけがないと否定しても、現実は現実だった。
事実、隆希のいた車両は、元の車両と影とに分かれ、影だけがここに残ったのだ。隆希の影とともに。いわば幽体離脱。隆希の本当の体も、本当の車両も先に行ってしまった。
「ふざけるな!!」
もう、今は点ほどにしか見えなくなった車両に向かって叫ぶ。しかし、大きな声で叫んだところで、自分以外誰もいなくなってしまった車両からはなんの反応もなく。
ただひたすらに夕色の日差しに晒されていた。