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【休載】夕空に啼く烏  作者: マナ'
第二章 鏡映る影は、ナニをわらうか
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第十節 「一体化」 in the heart, for the harm

「世界に私は一人でいい」

 彼女は静かに、しかしはっきりとそう答えた。

「私はずっと一人だった。一人であるはずだった。ねえ、知ってる? 人間って言うのは、皆が皆、二人の人格で構成されているって」

「知らない。でも、それがどうしたっていうんだ」

 トモカは一歩前へ出た。

「一つの名前の枠の中にいる二人の人間。本来はそのうちの一人しか表へ出られない。それがつまり主人格、そして器。あなたにもあるんだよ。二つの人格が。普通は認識できないけれどもね」

 隆希は黙って話を聞きながら、彼女の言葉を脳内で反芻していた。

 いわゆる表層意識と深層意識というものなのだろうか。深層意識はその定義上、表に現れることはなく、積極的に認識することもできない。

 彼女はさらに話を続けた。声ははっきりとしている。しかし、顔はわずかにうつむけ、表情はうかがえない。

「でもね。人間の精神(なか)って不思議なんだよ? 主人格はもう一つの人格を認識できないのに、深層人格は主人格を認識し、しかも自己の相対的認識もできる。そう、私だけが一方的に二つの私の存在を知っていたの」

 トモカはまた一歩前へ出た。そして顔を上げた。

「今までの苦しみ、主人格であるあなたに分かる? 分かる? 分からないよね。私はようやく解放されたの。やっと、やっと! だから、失うわけにはいかないの! だから、邪魔しないで」

 隆希には返す言葉が見つからなかった。彼女が持つ苦しみなど分かるはずもない。だから、なにも偉そうなことは言えない。

 ただ、一つだけどうしても気になることがあり、隆希は彼女に尋ねた。

「君は、華雪友香を……いや、君の言う主人格とかいうやつを憎んでいるのか?」

 彼女はすこしだけ間をおいて首を横に振った。

「ううん。たぶん、憎んではいない。私自身、この感情を表すちょうどいい言葉が浮かんでこない。でも、私は華雪友香であるはずなのに、いつもあいつだけがすべてを得ていた……。たかだか容れ物のはずなのに」

 妬みか、と隆希は考えたが、どうも微妙に違うようにも思えた。単なる妬みや憎しみ……他人に対するそれらの感情以外のものがそこにあるような気がした。

 なぜなら彼女の目に、その口調とは裏腹に焦りの色が見えていたから。何か恐怖から逃げているかのような。

「何をそんなに怯えているんだ」

 隆希が問うと、トモカははっとしたような顔になった。すぐに顔をうつむき加減にするトモカ。

「怯えている? はは……。そうかもね。急がなくちゃ……いけないの。私は消えない、消えたくない」

 こぼれたのは弱々しい言葉。しかし、それを引き金に彼女の何かのスイッチが入った。

「……だから、邪魔しないで。言惑の奏者の力、見せてあげる」



 †



「ハロゥ。ウェルカム、外の世界へ」

 その外国の女の人は目覚めたワタシに明るい声で話しかけてきた。

「気分はいかが? 言惑の奏者(ウォルドプレイヤ)、ハナユキトモカ」

「ハナユキトモカ」

 ワタシはその言葉を繰り返した。紛れもないワタシの名前(シリアル)。その言葉をきっかけに私の思考は確固たるものに移り変わった。

 私は彼女に尋ねた。

「あなたは誰?」

「私? 私はねー、そうだなぁ。周りからは魔女って呼ばれてる」

「魔女……」

 あまり好きでない響きを持った言葉だった。どうしてかは分からなかったけれども。

 私が怪訝に自称魔女の彼女を見つめていると、彼女は首を傾げた。

「不思議ね。他人(わたし)ばかりに注意を向けて。出て来れたことに何とも思わないの?」

「出て来れた?」

 そこで私は初めて気づいた。いや、この時点ではまだ信じていなかったけれど。ここが外界だということに。

 たちの悪い夢でも見てるのかと、はじめは思っていた。もう何千何万回も夢に見た光景だ。最近は見ることがなくなっていたけれど。

「ここ……本当に」

「ええ、そうよ」

 彼女は私に微笑みかけた。

「本当に……ここが……これが……」

 うまく言葉にはならなかった。感動なんかとうに通り越してるし、ほぼ放心状態といったところだっただろうか。

 私はぐるりと周りを見た。

 記憶の中でだけなら見たことのある光景。でも、それは初めて見る世界。初めて感じる世界。

 しばらくその初めてだらけの感覚に浸っていると自然と涙が出てきていた。私はそれを必死に拭う。

「泣いてる暇はないのよ。あなたはまだ不安定な状況。いつ世界による存在回復(エグゾズリカヴァ)が行われて消えてしまうか分からないような曖昧な存在。今はかろうじて私の術で身体を維持しているけれども、それもあまり長くは持たない」

 私はそれを聞いて、今度は別の理由で泣いてしまいそうになった。せっかく出てこられたのに、消えてしまう? 冗談じゃない。あんな暗いくらい水底に幽閉されるのは御免だった。

 私は彼女に縋りついた。

 彼女はそんな私の頭を優しく撫でた。

「大丈夫。リミットまではまだ時間がある。それまでに、あなたは消せばいいの」

「消す?」

「そう、消す。世界に同じ人間は二人は居られない。だから、もう一人のあなたを消しちゃいなさい」

 そうして私は行動を開始した。

 言ってみれば、私はただ追いつめられて、その選択しかできなかったわけだ。



 †



「起文、我が身を(しん)(まどか)に二十反、属性を決定、一体化。天盤(あまのたらい)に我が名を(こく)し、奏始(そうし)

 詠唱が聞こえ、隆希は予想していなかった詠唱の型に驚いていた。それは最近使われることの少ない、古式無描陣詠唱。魔術詠唱の中でもっとも設定を複雑にすることができ威力も高い反面、手順を踏んで発動しない限り意味がないため、詠唱に時間がかかる。最近の魔術の主流は専ら短い詠唱文であり、特に今のような突発的な場面で古式詠唱を用いることはまずないはずであった。

「しかも、和文……となるとやっぱり、あれか」

 隆希はすぐに思い当たった。先ほど玄恵たちから聞いた、華雪家の得意とする魔術――言霊(げんれい)魔術。

 言霊魔術はあくまでも魔術の型の名称だ。実際に発動される魔術は多種多様であるはずであることは隆希もしっかりと理解していた。

 何が来るかは分からない。その状況でどう対処するか。

 隆希は何が来てもすぐ対処できるように無詠唱(サイレントスペル)で、簡易魔術の属性強化を行った。


「何してるの? 今、この場は私のものなんだよ。舞台演出の変更は許さないんだから」


 ただの会話文のはずだった。しかし、隆希は属性強化の魔術が何の前触れもなしに絶たれたことを確かに感じた。

「なっ」

 彼女が言葉を発したほぼ直後のことだ。タイムラグはゼロに等しい。

 つまり、今の台詞が詠唱そのものだったのだ。

 彼女に目をやると、うすら笑みを浮かべていた。

 隆希は舌打ちをした。これではいかなる魔術を発動しようが、打ち消されてしまう。どうすればいいか考えている間にも、トモカは次なる言葉を発した。

「何を考えても無駄だよ。もうあなたは【動けない】」

 瞬間、身体が石になったように動かなくなる。

「くっ……」

 トモカは一歩前へ進んだ。

「あなたには【何も見えない】」

 瞬間、視界が暗転する。

 一歩、前へ進む足音が聞こえる。

 隆希は思考をフル回転させて、対抗策をなんとか見つけようとしていた。

 声を発することによりタイムラグを生じさせずに発動される究極の簡易魔術。どんな魔術を発動しようが間に合わない……。

 そこで、隆希はふと思いついた。

 何も間に合わなくてもいいじゃないか。発動さえできれば。

 隆希は口が動くことを確認すると、素早く呪文を詠唱した。

「Ins-Invocatio-No.266、トクシス、出ろ!」

 詠唱から少しして、隆希の懐から黒い陰が飛び出した。

「へえ、何したの?」

 くすくすとトモカの笑う声が聞こえる。

 影はするすると細長く伸び、隆希の前で蛇のように蜷局(とぐろ)を巻いた。

 隆希は続けて詠唱をする。今度はダメもとの詠唱だった。

「voluntas!」

 自己修復の呪文。修復と言っても傷の治癒の類ではなく、かけられた暗示などの精神的なものを解除する術だ。幸運なことに、それで視界は元に戻り、身体も何とか動くようになった。

 やるなら今しかない。

「トクシス、絞めろ!」

 黒い影――トクシスは鋭い動きで前方に飛び出した。トモカが反応するより早く、トクシスはトモカの首に巻き付いた。

「うぐっ……」

 トモカは何とかそれを外そうと試みるが、外れない。トクシスはゆっくりとトモカの首を締め付ける。

 今度は隆希が一歩前へ出た。

「それで喋れないだろう。言霊魔術で重要なのは言葉を発すること。なら、そうしてしまえば言葉は発せない」

 隆希の作戦は一応は成功した。言霊魔術の必須要素にして最大の強みである発話を封じてしまえば魔術の発動はできない。

「これに懲りたらおとなしくしろ」

 と、口には発したものの、隆希はこの後どうしていいものなのか悩んでいた。彼女の存在がまだいまいち理解できていない隆希にはその対処が分からなかったのだ。

 トクシスはまだ彼女の首を絞めている。最低限気道は確保しているとはいえ、長くは持たない。かといって、拘束を解けば、術で反撃されかねない。

 隆希はトモカの表情をうかがった。

 すこし苦しそうな表情をしていたトモカはそれでも何故か隆希にいやな笑みを見せつけた。


「隆希!!」

 ふと、誰かの叫び声が聞こえた。

 隆希が声のしたほうへ目を向けると、銀埜が扉を開けはなって欄干からこちらを見下ろしていた。

「銀埜、なんだよ! てか、俺、これからどうすればいいんだ?」

「隆希、待て、おまえ勘違いしているぞ!  油断するな、言霊魔術というのは――――」

「部外者は【退場】だ」

 銀埜の声に聞き知れぬ声が重なった。その声は隆希のすぐ側からだった。すると、ふっと銀埜の姿が見えなくなった。

「銀埜!?」

 隆希は驚き、トモカを見た。しかし、トクシスは健在で、声が出せるはずもない。隆希は声の出所を探ろうと辺りを見回した。

 すると、隆希のすぐ横を歩いていく男と目があった。

 新手か、と身構えた隆希だったが、どうもそうではないらしかった。男はぼんやりとした表情で、また覚束ない足取りでそのまま隆希とトモカの横を通り過ぎていった。


「起文、第二多重詠唱」

 また声が聞こえた。今度は後ろの方からだった。目を向けるとそこには、隆希と同じアパートに住む幼い男の子の姿があった。

「刻名、相乗魔術回路」

 また声だ。今度は細い道を挟んで向こうの歩道、杖をついた老婆。

「これは……どういうことだ……?」

 次々に周囲に近所の住民やたまたま通りすがっただけの人間が集まってきていた。

 声は次々に重なり合い、一つの意味のある詠唱文を紡ぎ上げていく。


「「陰中暗下の「時のもと「死屍累々の「丘を越え「そこに見ゆは「緋伏す海」」」」


 これは大変なことになると悟った隆希はトモカに向き直り、トクシスの拘束を強くした。しかし意味はなかった。トモカは苦しさに歪んだ表情を見せながらも、どこか勝ち誇ったような笑みを作っている。


「地獄の釜の「「底の其処」烈火の如く「降り注ぐ「閃光怒濤の「紅蓮の矢」」」


 声を発している人間のそれぞれの足元に小規模の魔術陣が展開した。


「汝が罪を「葬るる「「終焉嫋々「最下の宴「刹那その眼に「焼きつけよ!!」」」」

 全員の声が重なった。

 突然、隆希の視界が緋色の閃光に覆われた。


「―――――――っ!」

 視界が完全に光に覆われる直前、隆希はトモカが涙を流しているのを見た……気がした。

 消失。

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