第二節 「事件」 ghost in daydream
この世界には魔術というものがある。『世界』そのものの力を利用し様々な現象を引き起こす超自然的な術。魔術を使う魔術師は形態こそ違えど、世界中に存在した。
しかし、現代では科学技術の発達により、魔術という学問はなりをひそめている。誰にでも簡単に使うことのできる科学は、より専門知識を必要とし才能も必要になる魔術よりも多くの人間に受け入れられたのだ。
とくに日本における魔術というものは衰退が顕著だった。日本には『統治家』と呼ばれる、日本の魔術師のトップに立つ名家が五つあった。かつて威勢を誇った『統治家』も今となっては魔術師自体の減少により消極的な活動しかおこなっていないところがほとんどだ。
関東を中心とし、勢力を強めていた東の統治家、『蒼河』はその最もたる例だろう。もともと遺伝子的な欠陥により子供の生まれにくい家系であった蒼河家は分家筋から才能のあるものを積極的に本家に迎え入れることで血が途絶えないようにしてきた。魔術師とは血の積み重ねを大事にするからだ。しかし、魔術師の減少により血は弱まる一方だ。表向きでは体裁を保っているが、内側は低級な魔術師の集まりになってしまった。
だから、俺は自ら魔術の勉強を始めた。
†
十月ももう半ばを過ぎ、日に日にましてくる寒さに蒼河隆希はうんざりしていた。冷たい板張りの床。古ぼけたストーブの目の前、抱きつかんばかりの距離で必死に寒さをこらえていた。隆希はこのおんぼろの安アパートで一人暮らしをしていた。
今年で十六歳になった隆希は少しずつアルバイトをしながら生活費を稼いでいる。しかし、その大半は食費や光熱費、家賃で消えてしまい、全く自由がきかない。
こんな事態になることは家を出る前からわかっていたことだ。親は仕送りはしないといった。それも修行の一環だ、と。
そう、修行。隆希は魔術の修行をするためにこの支丞市へやってきた。自らの意志で魔術の勉強をするといったとき、蒼河家の現当主であり隆希の父である蒼河季永は支援こそしないが、場所を選んでやる、と数カ所の地名を挙げた。支丞市はその中の一つだった。
支丞市。隆希にとって住み心地の良い街ではあった。しかし、
「ああ。せめて新しいストーブでも買えればなぁ」
これから気温は下がる一方だろう。ぽんこつストーブでは部屋を十分には温めてくれない。なんとかしてでも暖房器具を手に入れないと、凍死してしまうのではないだろうか、と本気で心配する隆希だった。
今日の用事をひと通りすませた午後三時。隆希は、手には何も持たず部屋を出た。目指すは街の南側。最近この街ではある噂が広まっている。それは魔法使いがいるという噂だ。その噂を耳にした時、どきりとした隆希だったが、どうも自分のことでないらしいことを確認すると、今度は興味がわいてきた。もっとも、最初からその噂話を信じていたわけではない。ただ、少しだけ気になることがあった。その噂話は単にこの街に魔法使いがいるというだけのものではなく、まだ他にも内容がある。それは一週間ほど前現実に起きた事件が関係する。
家にテレビが無い隆希はその事件を電器屋のテレビで知った。ニュース番組で報道されていたのだが、とくべつにニュースを見ることがなくても、隆希の耳には入っていたことだろう。その事件というのは支丞市南の亀丘という人の少ない地区にある今はもう使われていない廃工場の爆発事件だ。一週間前、火の気のないその廃工場が爆発により消滅したとのことだった。原因は目下、警察が調査中であるが、警察の聞き込みによるとおかしな証言が相次いでいるという。
曰く、あれは魔法に違いない、と。
目撃者は工場の近所に住む人々。たまたま爆発の瞬間を目撃した外国人の若い女の証言を隆希はニュースで見た。
――体格のいい男がぶつぶつと呟いたかと思うと突然何もない場所から火が燃え上がり、その後爆発した――
まるでその男が火を操っているかのようだったという。さらに現場にはもう一人の人影があったという。警察はその証言をほとんど信じなかったが、重要参考人であるとして、その体格のいい男とやらを探しているらしい。
もちろんこの証言の信憑性は低い。隆希もあまり信じてはいなかった。しかし、確認はしておいた方がいい。魔法使いもとい魔術師が近くにいるとなると衝突しないためにも相手を把握しておく必要がある。
事件を知ったあとすぐにでも現場を確認しに行きたかった隆希であったがバイトが重なり時間がとれず、一週間経った今日、ようやく出かけたというわけだ。
お金もないので移動手段は徒歩。街の西側の大通りを使って隆希は現場へと向かう。
とある電器店の前を通り過ぎたところで隆希は不審な人影を見つけた。
「……何だ、あれ」
その人物はニット帽をかぶりコートを着込んで顔を埋めている。性別はよくわからなかったが女性のように思えた。背丈は隆希と同じくらいだった。そんな彼女は挙動が怪しかった。きょろきょろとあたりを不必要なまでに警戒し、その足取りは何故かおぼつかない。ふらついていて今にも倒れてしまいそうだ。道行く人も彼女を見て見ぬふり。
「……なんだか気になるな」
直感でそう思った隆希は向こうに悟られぬように少し距離をおいて彼女を観察する。彼女はそのままよたよたと進んでいく。隆希も何食わぬ顔でついていく。数メートル進んだところで、彼女は突然振り返った。
「あ……」
彼女は小さく声を漏らすと急に青ざめた表情となり、走りだした。彼女が走りだした理由が隆希には分からなかったが、隆希も歩調を速め彼女を追いかける。一瞬見えた彼女の顔に隆希は見覚えがあった。それは隆希の住むアパート、隆希の部屋の隣の部屋に住む家族の一人娘の顔だった。お隣さんと親しいわけではなかったが、何ヶ月か住んでいれば家族構成ぐらいは把握できる。
彼女は走り、小さな路地へと入っていった。見失うまいと隆希も急いで路地へ入る。
「え……?」
隆希はつい立ち止まってしまった。そこにはさっきの少女がいた。しかし不思議な事に、服装が変わっている。さっきまではコートを着込んでいたはずなのに今は制服姿だ。コートの下に制服を身に着けていたとしても、脱いだコートはどこにもない。第一着替える時間があるはずもない。
「あれ? 蒼河さんじゃないですか。こんなところでなにしてるんですか?」
彼女はゆっくりと隆希に歩み寄った。その足取りは確かなもの。隆希は混乱していた。
「えっと……。君……を追いかけて……。コートとか着てなかった……?」
言うと、彼女は首を傾げた。
「私、ずっとこの格好ですよ? それに向こうから来たんだから」
言って指差すのは真逆の方向。今度は隆希が首を傾げることになる。
「誰もこっちには来てませんよ」
彼女は可愛らしく首を斜めにかしげながら、しかし嫌な笑みを浮かべる。
「じゃあ、さっきの……は」
「さあ。なにか見たんですか? ユウレイ? でもおかしいですよね。こんな時間にユウレイだなんて」
彼女は隆希のすぐ横に並んだ。彼女は隆希の耳元に口を近づけ一言、悪戯に囁く。
「では。私は用があるので」
そうして彼女は去っていった。
陽の当たらない路地はいっそう寒く感じられた。




