メリーさん
「私メリーさん、今貴方の後ろにいるわ」
『奇遇だな、俺もだぜ』
崩壊する建物の中、俺たちは笑いあう。背中に感じる冷たい壁の向こう側、そこに彼女はいるのだろう。黒くて艶のある、今まで見たどんな誰よりも柔らかい、そんなサイドテールを携えたこの世にいてはいけない怪異的存在の――メリーさんが。
「そっか、じゃあ……この後ろにいるのね」
『あぁ』
俺はもう、彼女を邪魔者だとは思っていないし、もう少しぐらいだったら一緒にいてやってもいかななんて思っていた。多分こんなことにならなかったら、俺はもっとこの冒険モドキを続けていただろう。
ガラガラと、遠くから重い石が落ちる音が聞こえてくる中、それでも小さい携帯を手にした二人が交わす言葉が途切れることは無い。軽かった揺れが次第に大きくなり、近くで柱が一本折れたかのような大きな音もした。まもなくここは崩落に飲み込まれるだろう。彼女が笑う。俺も笑う。たとえその笑い声が、騒音と涙に邪魔されようとも……。
やがて二人は石柱に飲み込まれ――
***
この物語を語るのに、必要なものは無い。
俺の頭の中に、すべては残っているだろう。もちろん、多少の記憶違いはあるだろうが。
そうだな、まずはあの話だろう。俺と彼女がであった、口裂け女の事件から……。
***
『私メリーさん。ねぇ、貴方助けに来てくれない?』
との電話がかかってきたのはさて休憩中読書でもするかなと思って腰を上げかけたときだった。真っ先に疑ったのは何かのドッキリでも流行ってんのかということだった。
「誠に残念ながら俺は自分のことで手一杯でな」
拒絶の言葉を言い終わるか否かの間に携帯を耳から離して発信先を確認する。表示されていた文字は非通知、やっぱりただの嫌がらせだろう。そう確信して通話を切断する――その直前。
『「それは残念」』
まるで電話の先と今この場所、両方から声が聞こえたような錯覚。
――いや、そんなわけがない。だって俺はさっきから3階にあるこの教室の窓側の席にいるのだ。回りには俺以外に携帯電話なんて持っているやつなんて誰もいないのに。
だから今ここで携帯と全く同じ声で耳元から声が聞こえてくるなんてありえない。ありえないというのであれば、なぜ声は二重に聞こえたんだ。
そして「それ」が起こったのはまるで俺がその事実を認識し、愕然としたわずかな瞬間だった。
俺を逃すまいとしたように、俺の居る場所を取り囲むように爆音を立てて教室の窓が粉砕された。
「来てくれないから、来ちゃった」
彼女は笑った。
その台詞に、俺はこれが悪夢であることを願って、意識を手放した。
背中に突き刺さった窓ガラスが嘲るようにじくじくとした痛みを伝えていた。
***
「私メリーさん、今日から貴方の家に居候するわ」
彼女は黒い髪を散らしてそう言った。
「いやそれはおかしいだろ……」
そもそも名前すら聞いていない奴を泊める義理なんてない。
俺は保健室のベッドの上に寝ていた。あれだけ盛大にガラスを浴びたんだからそれも当然か。
そして俺の傍らには漆黒のサイドテールを携えた少女がちょこんと座っていた。珍しいことに瞳は乳白色で、イラストにしたらハイライトの少なそうなのっぺりとした瞳で俺の事を見ていた。全体的に華奢な体は立ち上がるだけで崩れてしまうんじゃないかと思うぐらいで、恐らく同年代であろう俺のクラスメイトたちと比べても弱々しい印象を与えていた。
それにしても……。
「お前ここの学生か?」
「いいえ、でもこの程度の服を手にいれることぐらい、誰にだってできることでしょう?」
「そういう問題じゃないと思うんだが……」
くそ、大事なことがいろいろ抜け落ちすぎていて、どこから聞けばいいのかわからない。
迷った俺はとっさに言葉が出なかった。その隙を見逃さず、目の前で微笑む少女は嘲う。
「大丈夫よ、貴方は私を助けてくれるわ。だって貴方は。あの電話を取ってくれたんだもの。貴方にはその運命に抗うような力はないんだから」
メリーさんはそういって都市伝説とは思えない可愛い顔で笑うのだった。
「私メリーさ」
「それは分ったんだがいったい何から助けてほしいんだ?」
俺は気になって仕方がなかったことを尋ねた。
「え? 口裂け女よ」
だから俺はその口から出てきたまた突拍子もない名前に、呆れを隠せないのだったのだが早く出てってくれ、そう呟くのが精一杯だった。
「で、どうしてまた口裂け女なんだ?」
「そんなの決まっているじゃない、電話した相手がたまたま口裂け女だったのよ。彼女怖いのよ? マッハ2で走って追いかけてくるし」
「よく逃げられたな……」
「だって私、瞬間移動できるし」
「……さいですか」
「とにかく! 貴方には口裂け女を倒すのを手伝ってもらうわ!」
「いや無理だろ。マッハ2なんて」
「愚痴愚痴言わない! そうじゃなきゃ貴方だってメリーさんの呪いで死ぬんだから」
「ハァ!? おまっ、今なんつった!」
「え、死ぬよ?」
「いやどうしてそうなるんだよ!」
「そりゃ決まってるわ、怪談なんだから」
「口裂け女を倒したら助かるとかそういうご都合主義展開は……、ないんだろうなぁ」
「まぁまぁ、美少女を助けるなんて経験滅多にできないんだから」
「そういう問題じゃねェよ」
「まぁ、糸口ぐらいなら探せるかもしれないわよ?」
「え?」




