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毒草しか使えない変人と婚約破棄され国外追放されましたが、隣国では聖女と崇められています ~前世は薬剤師、万能ポーションで無双します~  作者: 月代
第五章 ハッピーエンドの在処

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21話 リーゼの選択

春になった。


 施療院の裏手の農地で、ダークヘンベインが芽吹いた。


 小さな双葉が土から顔を出しているのを見たとき、リーゼは作業台を離れてしばらくしゃがみ込んでいた。半年かけた栽培実験の成果だ。芽が出たからといって、まだ収穫できるわけではない。育つまでさらに数ヶ月かかる。しかしそれでも——確かに根付いていた。土の中に、細い根が張っていた。


「出ましたよ、師匠」


「見た。小さいな」


「最初はそんなものです。大きくなります」


「お前みたいだな」


「私は最初から大きかったですが」


「そういう意味じゃない」


 ガルト爺は苦笑しながら農地を見渡した。双葉が整然と並んでいる。リーゼが夜中まで計算して設計した間隔で。土の色が、周囲の痩せた土地とは微妙に違う。丁寧に配合した培養土だ。


「来年の春には、山の採取を減らせるか」


「今年の秋には小規模な収穫ができます。来年には安定供給できるはずです。並行して栽培農地を広げれば、再来年には山に頼らなくても済むかもしれない」


「そうか。……嬢ちゃんが来る前、この農地は放置されていた。誰も使い道を考えなかった。荒れた土地がただそこにあるだけだった」


「今は使い道があります」


「そうだな」


 老人はしばらく農地を見ていた。春の光が、土の上に降り注いでいた。冬の間じっと眠っていた地面が、ようやく息を吹き返したような色をしていた。


「フェリクス殿下と、うまくいきそうかね」


 唐突な質問だった。リーゼは少し間を置いた。


「……師匠に話しましたか、フェリクスが」


「いや。殿下が顔を出す頻度が増えたし、お前の顔が少し変わったから。わしは長年この仕事をしとる。人の顔を見るのは得意だ」


「顔が変わった?」


「穏やかになった。以前は研究のことしか考えていない顔をしていたが、最近は少し違う。どこか遠くを見るような顔をするときがある」


 リーゼは農地を見たまま、少し間を置いてから答えた。


「……うまくいくかどうかは、まだわかりません。ただ、試してみようと思っています」


「それでいい」


「師匠は驚かないんですか。王子ですよ」


「驚かん。殿下は良い人間だ。お前のことをちゃんと見ている。最初に来たときから、わしにはわかっていた」


「……先に言ってくれればよかったのに」


「自分で気づくまで言うもんじゃない。そういうことは」


 ガルト爺は笑った。リーゼも少し笑った。農地の双葉が、春風に揺れた。




 その日の夕方、フェリクスが施療院に来た。今日は腕の確認でも、公務でもない。ただ来た。手に、少し大きめの籠を持って。


「散歩に付き合わないか」


「今日の処置は全部終わりましたか」


「終わった。ガルト師に確認した」


 リーゼは上着を羽織った。


 二人で街を歩いた。国境の街は、半年前より確かに変わっていた。荒れた建物の修繕が進み、市場に活気が戻り、子どもたちが路地で遊んでいた。物乞いがいないわけではないが、半年前ほどの絶望的な空気はない。人々の顔が、少し違う。


「街が変わりましたね」


「お前が来てから変わった」


「施療院だけでそこまでは」


「施療院だけじゃない」フェリクスは静かに言った。「腕が戻った兵士が再び働けるようになった。病気が治った子どもの親が、安心して仕事ができるようになった。難病だと思っていたものが治ったことで、諦めていた夢を再び持ち始めた人がいる。そういうことが積み重なって、街の空気が変わる」


 リーゼは街を見渡した。石造りの家々、石畳の路地、遠くに見える荒れた土地。まだ再建の途中だ。しかし——確かに、半年前とは違う。


「フェリクスが言っていた通りでした。薬一つが、街を変える」


「俺が言ったのか?」


「馬車の中で。一人の患者が働けるようになれば、その分だけ国が動くと」


「覚えていたのか」


「大事なことは覚えます。役割分担の話も、ずっと覚えています」


 フェリクスは少し黙った。それから、静かに笑った。


 二人は街外れの小高い丘に来ていた。国境の街が見渡せる場所だ。夕暮れが近づき、空がオレンジと紫が混ざった色になっていた。遠くに山の稜線が見え、その向こうにヴェルディアがある。しかしリーゼは山の向こうを見なかった。この街を見ていた。


「リーゼ」


「なんですか」


「一つ、話がある」


「どうぞ」


「この国の施療体制を、本格的に整えたい。リーゼを中心に据えた、国家規模の医療制度を。分院をさらに増やして、訓練された薬師助手を全国に配置して、原料の安定供給の仕組みを作る」


「それは、以前から検討されていましたね。進んでいますか」


「ああ。ただ——それだけじゃない」


 フェリクスはリーゼを見た。夕暮れの光の中で、男の目が真剣だった。


「俺と、隣にいてくれないか。正式に」


 夕暮れの風が吹いた。


 リーゼは少し目を細めた。


「正式に、というのは」


「お前が思っている通りのことだ」


「……王族との婚姻は、色々と面倒なことがあるのでは。手続きも、政治的な意味合いも」


「ある。だが、解決できる。父上も——実は、お前のことを謁見のときから気に入っている。称号の変更を申し出たあの日から。『あれは使える』と言っていた」


「使える、は褒め言葉ですか」


「父上の語彙では最大級の褒め言葉だ」


 リーゼは少し考えた。


「条件があります」


「聞こう」


「研究を続ける。施療院の仕事を続ける。師匠の傍にいる。それは変えません」


「わかっている」


「政治的なことには関わりません。患者の選別も私がします。王族の婚姻だからといって、特定の患者を優先することはしません」


「それも変えなくていい。むしろそのままでいてほしい」


「……それから」


 リーゼは少し間を置いた。


「食事を忘れたとき、用意してくれますか」


 フェリクスは少し目を見張った。それから——今まで見た中で一番穏やかな顔で笑った。


「ああ。毎日でも」


「毎日は来られないでしょう。公務があるのでは」


「調整する。それが俺の仕事だ。お前が研究をしている間、俺は公務と調整をする。役割分担だ」


 リーゼはフェリクスを見た。夕暮れの光の中で、男の顔が穏やかだった。腕が動かなかった二年間の疲弊も、諦めの色も、今はない。この人は今、本当に笑っている。


「……わかりました」


「また『わかりました』か」


「どう答えればいいんですか」


「もう少し、気持ちを込めた言葉を」


 リーゼは少し考えた。


「……嬉しいです。それと、ありがとう」


「何に対しての礼だ」


「変わっていると言って、褒め言葉だと言ってくれたことに。本物だと言ってくれたことに。それから——諦めていたあなたが、また何かを始めた。それを近くで見られたことに」


 フェリクスはしばらく黙っていた。夕暮れの風が吹いた。


 それから、静かに手を伸ばした。リーゼの手の上に、そっと重ねた。


「……礼を言うのは俺の方だ」


 夕暮れの丘に、風が吹いた。街の灯りが増えていた。遠くで子どもの声がした。誰かが笑っている声がした。


 リーゼは手を重ねたまま、夕暮れの街を見ていた。


 ここが、自分の場所だ。


 前世でも今世でも、どこにも属せなかった自分が、ここに根を張っている。毒草のように。嫌われ、怖がられ、しかし誰よりも深く地面を掴む毒草のように。だから、倒れない。


 それで十分だ、と思った。いや——十分以上だ。



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