14話 ヴェルディアにリーゼの噂が届く
ヴェルディア王国の王都に、奇妙な噂が届いたのは秋の初めのことだった。
商人たちが国境を往来するたびに、少しずつ話が積み重なっていった。アルシェアの国境の街に、奇跡のポーションを作る薬師がいる。失った手足が戻る。どんな病も治る。アルシェア王国が国として庇護し、施療師の称号を与えた——。
最初は眉唾物の旅人話として聞き流されていた。しかし話の輪郭が具体的すぎた。「両腕を失った元兵士が完全に回復した」「王子の腕が治った」「国王自ら謁見した」。作り話にしては細部が一致しすぎていた。
そしてある日、「その薬師はヴェルディアから追放されたリーゼ・ヴァルトハイムだ」という話が加わった。
王都のある貴族邸の応接室で、クローリア・ヴァルトハイムはその話を聞いた。
話を持ってきたのは、社交界の情報通として知られる伯爵夫人だった。紅茶を口に運びながら、いかにも噂話を楽しむように言った。
「あのヴァルトハイム家の変わり者のお嬢様が、アルシェアで大層な活躍をされているそうですよ。奇跡の薬師だとか、施療師だとか。王子の腕まで治したと聞きました」
クローリアは微笑を崩さなかった。
「まあ、姉様が。それはよかった」
「よかった、とおっしゃる? 追放された方が隣国で聖女扱いとは、ヴァルトハイム家としては複雑なのでは?」
「姉様が幸せであれば、私は嬉しいです」
穏やかな声。完璧な微笑。
伯爵夫人が帰った後、クローリアは一人応接室に残った。
微笑が消えた。
立ち上がり、窓辺に立った。外では秋風が木々を揺らしている。落ち葉が舞っていた。
——姉様が。
クローリアは静かに息を吐いた。
計算は完璧だったはずだった。マーカス子息への偽証、薬師組合への働きかけ、婚約者の取り込み。姉を追放し、自分がヴァルトハイム家の後継者として、アルベルトの婚約者として、正式な地位を得る。それだけのことだった。
リーゼは消えるはずだった。国境の向こうで静かに消えるはずだった。
なのに。
「施療師……」
その言葉を口の中で転がした。嫌な響きだ。
アルベルトは最初、噂を聞いても大して気にしていなかった。「変人が変人らしいことをしているだけだ」と言った。しかし噂の規模が大きくなるにつれ、表情が変わった。王子の腕を治したという話を聞いたとき、初めて黙り込んだ。
クローリアは窓から離れ、書き物机の引き出しを開けた。中に、一通の手紙がある。三日前に届いた、アルベルトからの手紙だ。
内容は短かった。「アルシェアへの視察を検討している。同行するか」。
クローリアはその手紙を、しばらく眺めた。
視察。それが表向きの理由だとすれば、本当の理由は何か。アルベルトはリーゼに何をしようとしているのか。
クローリアは引き出しを閉めた。
行くべきだ、と思った。アルベルト一人に任せるよりも。姉の現状を自分の目で確認するためにも。
そして——もし必要なら、また手を打つために。
クローリアは机の前に座り、返事を書き始めた。
「同行します」と、花のような丸い字で。




