11話 王子の腕を再生する
フェリクスの治療は、ヴォルフのときより複雑だった。
通常の四肢欠損と違い、神経が損傷しているが腕自体は残っている。この場合、再生薬で新しい組織を作るのではなく、損傷した神経と組織を「正しい状態に戻す」必要がある。
リーゼが設計したのは、三段階の治療だった。
第一段階:魔力変性の解除。ムーンヴァインを主成分とした解呪薬を塗布し、組織に浸透した異常な魔力を中和する。これをしないと、後続の治療が効かない。
第二段階:神経の再生。再生薬の特別配合版を内服させ、損傷した神経線維の再生を促す。通常の傷とは違い、神経の再生は方向性の制御が難しい。間違えると感覚が歪む可能性がある。
第三段階:機能の回復確認と微調整。感覚と運動機能が戻ってきたところで、細かい調整を行う。
「全部で四週間から六週間かかります」リーゼはフェリクスに説明した。「毎日来ることが理想ですが、難しければ週に三度でも対応できます」
「毎日来る」
即答だった。
「護衛は?」
「一人連れてくれば十分だ。街の中なら問題ない」
護衛の騎士が何か言いたそうにしたが、フェリクスの目を見て引き下がった。
翌日から、フェリクスは毎日現れた。
約束通り、護衛は一人だけ連れてきた。少し離れた場所で待機させ、処置室にはフェリクス一人で入った。
第一段階の解呪は、三日かかった。
ムーンヴァインを主成分とした薬を塗布するたびに、組織から薄い光が漏れた。魔力が中和されている証拠だ。フェリクスは最初の塗布で顔色を変えた。
「……熱い」
「ヴォルフさんも同じことを言いました。正常な反応です」
「そうか」
フェリクスは歯を食いしばって耐えた。声は上げなかった。
三日目の終わりに、リーゼは腕を確認した。損傷した組織の変色が薄れている。魔力の浸食が解けてきた証拠だ。
「第一段階は完了です。明日から第二段階に入ります」
「早いな」
「あなたの組織の回復が早い。体が元々丈夫なんでしょう」
「……それだけが取り柄だった」
フェリクスは静かに言った。自嘲とも取れる、しかし重くはない声だ。
第二段階が始まると、フェリクスは毎日、処置の前後に少し会話をするようになった。
最初は治療に関することだけ話していたが、待ち時間に自然と言葉が増えた。
「お前は、ヴェルディアのどこから来た」
「王都の近くです。伯爵家の出です」
「なぜアルシェアに? ヴェルディアとアルシェアは、仲がいいとは言えない」
リーゼは少し考えた。正直に言うべきか。
「……追放されました」
「追放?」
「毒草でポーションを作っていたら、毒を使った事件の犯人にされて、国を出ることになりました」
フェリクスはしばらく黙っていた。
「それで、ここへ来たのか」
「行くところがなかったので、とりあえず国境を越えました。師匠に拾ってもらって、今に至ります」
「……冤罪か」
「そうだと思っています。証明はできませんが」
「腹は立たないのか」
リーゼは薬草を刻みながら、少し考えた。
「立ちます。今でも。でも、ここで必要とされているので、それで十分かなと」
フェリクスは黙っていた。それから、静かに言った。
「……変わった人間だな」
「よく言われます」
「褒めている」
リーゼは少し手が止まった。褒め言葉として「変わっている」と言われたのは、初めてかもしれなかった。
「……ありがとうございます」
フェリクスはそれ以上何も言わなかった。
十四日目。
フェリクスが処置室に入ってきたとき、表情が少し違った。
「昨夜、指が動いた」
リーゼは顔を上げた。
「どの指ですか」
「人差し指と中指。わずかだが、曲げることができた」
「見せてください」
フェリクスがゆっくりと右手を持ち上げた。人差し指が、ごくわずかに動いた。力は入らない。震えている。しかし——確かに、意志に反応していた。
「神経が繋がり始めています」リーゼは静かに言った。「ここから先は急がないことが大事です。焦ると神経の方向がずれる可能性がある」
「わかった」
「痛みはありますか」
「ある。でも……今までの痺れとは違う種類の痛みだ。なんというか……生きている感じがする」
生きている感じ。
リーゼはノートに記録しながら、その言葉を胸の中で繰り返した。
医学的に言えば、神経が再生する過程での疼痛だ。しかしフェリクスがそれを「生きている感じ」と表現したことが、なぜか印象に残った。
「もう少しです」
「ああ」
フェリクスは頷いた。その目に、二年前から諦めていたものが、少しずつ戻ってきているのがわかった。
二十八日目。
フェリクスが剣を持ってきた。鞘に収めた状態で、腰に佩いて処置室に入ってきた。
「今日、試したい」
「どんな状態か確認してからにしましょう」
リーゼは腕を診た。神経の回復は順調だ。五本の指が全て動くようになっており、握力も少しずつ戻っている。先週から、軽い物を持つ練習を始めていた。
「今日から第三段階です。剣は……まだ早いかもしれませんが、試すだけなら構いません」
「ならやる」
フェリクスは立ち上がり、右手で剣の柄を握った。
完全な力は入らない。握りは弱く、剣を抜くときに少し手が震えた。しかし——握れた。
「……」
男は黙ったまま、剣を正眼に構えた。二年ぶりの構えだろう。腕の力が以前と違うことはわかっているはずで、完璧ではないことも承知しているはずだ。それでも——その顔に浮かんでいたのは、リーゼがこれまで見たことのないフェリクスの表情だった。
目が、笑っていた。
「……まだ力が入らないな」
「完全な回復は、あと二週間ほどです」
「そうか」
フェリクスは剣を収めた。それからリーゼを見た。
「礼を言う、リーゼ」
「まだ完了していません」
「それでも言う」
男は静かに、しかしはっきりと言った。
「お前が来なければ、俺はずっとあの腕のままだった。剣を諦めるだけでなく、もっと多くのことを諦めていた」
「……もっと多くのこと、とは?」
リーゼは聞いた。前に同じことを聞いて、答えをもらえなかった質問だ。
今度は、フェリクスは少し考えてから答えた。
「この国を、立て直したいと思っていた。戦争で荒れて、民が苦しんでいる。俺には何かできるはずだと思っていたが、腕が動かないことで……自信を失っていた。体が動かないと、気持ちも萎える」
「そうですか」
「今は違う。この腕が戻るなら、やれることがある。お前のポーションが、まず一つ、この街の人間を救った。俺もそういうことがしたい」
リーゼはノートを閉じながら、静かに言った。
「それは、私には判断できないことです。ただ、腕は治ります。あとはあなたが決めることです」
「ああ」
フェリクスは頷いた。その目に、静かな決意があった。




