第11章:仕掛けられた罠
陽向への恋心を自覚してからというもの、凛の心は穏やかではなかった。そして同時に、HALの正体が陽向であるという疑惑は、ほぼ確信へと変わっていた。プレゼンでの一件が、その疑いを決定的にした。
『眠れていない』というHALにだけ漏らした弱音を知っていたかのような、彼の行動。偶然にしては、あまりに出来すぎている。
しかし、確信はあっても、証拠がない。もし万が一、自分の勘違いだったら? 考えれば考えるほど、頭が混乱した。このもやもやした状況に、けりをつけたい。
完璧主義者で、白黒つけたがる凛の性格が、ここで顔を出した。彼女は、ある賭けに出ることを決意する。真実を確かめるための、小さな罠を仕掛けることにしたのだ。
その夜、凛はHALとのチャットで、何気ない雑談を装って嘘の情報を流した。
RinRin: 『最近、仕事ばっかりで疲れちゃったなー』
RinRin: 『気分転換に、今度のお休みにでも、駅前に新しくできた猫カフェに行こうかなって思ってるんだ』
もちろん、駅前に新しくできた猫カフェなど存在しない。凛が今、でっちあげた架空の話だ。猫が特別好きというわけでもない。これは、ただの罠。もし、HAL=陽向なら、この情報に何らかの反応を示すはずだ。RinRinを喜ばせたい彼なら、きっと現実世界の自分に、この猫カフェの話題を振ってくるに違いない。
HALからの返信は、いつも通り優しかった。
HAL: 『猫カフェ、いいですね!可愛い猫たちに癒やされるのは、最高の気分転換になりますよ。ぜひ行ってみてください』
罠を仕掛けた罪悪感を感じながらも、凛は静かにその時を待った。
翌日の昼休み。凛が給湯室でコーヒーを淹れていると、そこへ陽向がやってきた。まるで計ったかのようなタイミングに、凛の心臓が少しだけ速くなる。
「橘リーダー、お疲れ様です」
「ええ、お疲れ様」
当たり障りのない挨拶を交わす。陽向は、自分のマグカップにお茶を淹れながら、何か言いたそうにもじもじしている。来た。凛は内心で身構えた。
やがて、陽向は意を決したように口を開いた。
「あの、そういえばなんですけど」
「……何?」
「駅前に、新しい猫カフェができたらしいですよ。ネットで見かけたんですけど、すごく評判いいみたいで」
その言葉を聞いた瞬間、凛の世界の音が、一瞬消えた。
――かかった。
陽向は、RinRinである彼女を喜ばせたい、力になりたいという純粋な善意から、その情報を口にしただけだろう。彼に悪気は一切ない。むしろ、優しさからの行動だ。
しかし、凛にとっては、それが決定的な証拠となった。
これで、確定した。
HALは、結城陽向。
今まで自分の愚痴を聞いてくれていたのも、優しいアドバイスをくれていたのも、ポンコツと罵っていた、その後輩本人だったのだ。
凛は、込み上げてくる感情を必死で抑えつけ、平静を装って答えた。
「……へぇ、そうなの。知らなかったわ」
「はい!橘リーダー、猫、お好きかなと思いまして…。もしよかったら…」
「ありがとう。考えておくわ」
凛はそう言って、足早に給湯室を後にした。これ以上、彼の顔を見ていたら、どんな表情をしてしまうか分からなかった。
自席に戻り、コーヒーカップを持つ手が微かに震えていることに気づく。
疑惑は、確信に変わった。
凛の仕掛けた小さな罠は、見事に真実を釣り上げた。しかし、その真実を前にして、彼女の心はかつてないほどに、激しく揺さぶられていた。




